IS研究の発展過程
著者:中嶋 聞多
1.1950年代-揺籃期-
多くの識者が指摘するように,情報システムの概念自体は,かならずしもコンピュータや通信技術の存在を前提としたものではない。しかしIS研究は,1950年代,米国においてコンピュータのビジネス利用が広がり,その効果や方法論の探求がもとめられるようになったときにはじまったといえよう。たとえば今日,時代のキーワードとしてもてはやされるITは,1958年,Harold J. LeavittとThomas L. WhislerがHarvard Business Reviewに発表した“1980年代の経営”と題した論文のなかではじめて用いられたものである。そこでは,コンピュータ利用が将来単なるデータ処理をこえて経営そのものに変革をもたらすのではないかという期待が,ITという言葉をキーワードとして語られていた。
2.1960年代-離陸期-
このような時代の要請はやがて,SAGE(Semi-Automatic Ground Environment System)プロジェクトなどの軍事面でのオンライン意思決定支援技術の民生化にも後押しされて,米国経営者協会(AMA: American Management Association)による一連のMIS(Management Information System)研究という形で,60年代に受け継がれていった。またこの時期の後半は,大学におけるMIS教育・研究の基盤が徐々に形成されている時期でもあった。1966年,John DeardenとFranklin W. McFarlanやThomas R. Princeによって最初のMISに関する教科書がつくられ,1968年には,後に情報システム研究のメッカとなるミネソタ大学において,Gordon Davis, Gary Dickson, Tom Hoffmannの3名によって,経営科学科の中にMIS研究領域が創始され,同時にMIS研究センターが創設された。
3.1970年代-発展期-
70年代に入るとIS研究は,本格化の時期を迎える。全米各地でMISの教育・研究組織がつくられていった。たとえばアリゾナ大学のMIS学部,ペンシルバニア大学のワトソン・スクールの意思決定科学部,MITのビジネススクールの情報システム研究センターなどはすべて1974年に創設されている。またNolanのステージ理論,ミネソタ実験として知られるミネソタ大学における一連の実験研究,そしてDSS(Decision Support System)の概念に理論的基盤を与えたGorryとScott Mortonによる研究などIS研究史に残るさまざまな研究が,この時期におこなわれた。そして1977年には,今日,情報システム研究分野のコアジャーナルとなっている”MIS Quartely”が創刊された。この出来事は,IS研究が初めて専用の雑誌メディアを持つことになったという意味で注目される。一方,欧州においても,1974年,IFIPにTC8(Information Systems)が創設されたのを機にIS研究は活発になっていった。
4.1980年代-二極化と方法論の転回-
一般に,米国のIS研究は,経営寄りで実践志向が強いといわれているが,80年代に入ってこの方向を決定づける重要な出来事が生じた。それは1980年,フィラデルフィアで開催された“第1回情報システム会議”(the First Conference on Information Systems)”である。この会議は後に,ICIS(International Conference on Information Systems)と名を変え,毎年多くの研究成果を世に送り出してきた。もともと米国のビジネススクールが中心となって,それまで乖離しがちであった学会の研究者と産業界の実践家がともに情報システムについて語り合う場を提供するところに主眼があったが,回を重ねるにつれて情報システムが研究の中心的存在となっていった。このほか1983年には,ハーバード大学のビジネススクールにおいて,当時の情報システム研究の現状をテーマとした研究コロキュアムが開催され,その成果は単行本として出版された。
一方,欧州では経営と結びつく実践的なテーマよりも,情報システムと人間あるいは社会といったより一般化された問題を,社会学の手法や人文科学的観点から扱う傾向が多い。これが英国やスカンジナビア諸国の社会技術的アプローチ,ドイツのソフトウェア工学と結びついて,欧州特有のIS研究の流れを生み出した。特に1977年にIFIPの2番目のワーキンググループとして誕生した“情報システムと組織の相互作用”グループ(WG8.2)は,80年代にはこうした欧州の情報システム研究の中心的存在となった。
1984年,WG8.2は,マンチェスター・ビジネススクールにおいて,“情報システム研究-疑わしき科学-”という挑発的なタイトルをつけたコロキュアムを開催した。そこで彼らが“科学”という言葉で拒否しようとしたのは,従来の自然科学的なアプローチであり,科学の名のものとにはびこる人間不在の研究方法論であった。その代替として,彼らがめざしたのは人間や組織,そして社会に視点をおいた多様な研究方法論である。このような欧州の研究アプローチはやがて,米国のそれとは対照的なIS研究のもう一つの流れを形成した。1987年,こうしたIS研究の発表メディアとして,Information Systems Researchが英国で創刊された。
5.1990年代から現在まで-グローバル化と多様化-
90年代の情報システム研究を象徴する出来事は,それまで米国のみで開催されてきたICISが,1990年,初めてコペンハーゲンで開かれたことである。その数日後,同地において,1984年のマンチェスター会議に続くものとして,“90年代の情報システム研究の展望”と題するIFIP TC/WG8.2によるワーキングが開催された。この会議は,IS研究に多様なアプローチを認めつつも,全体として質的研究の重要性を強調したものとなった。コペンハーゲンにおけるこうした一連の研究交流は,結果的には,この後のIS研究のあり方に大きな影響を与えるものとなったのである。
その1つが,研究のグローバル化である。90年代,ICISは,欧米だけでなく日本をはじめ世界各国からの参加を呼びかけ,よりいっそうの国際化を推進した。1993年のICISでははじめて,日本の現状をテーマとしてパネルセッションが設けられた。また1990年にはACIS(Australasian Conference in IS),1993年にはECIS(European Conference of Information Systems)とPACIS(Pacific Area Conference on Information Systems)がそれそれ活動を開始している。そして1994年,名実ともにグローバルなIS研究学会としてAIS(Association for Information Systems)が創設された。AISは現在,Journal of the Association for Information SystemsやCommunications of the Association for Information Systemsの刊行,eLibraryの運営など多彩な活動をおこなっている。2002年9月,東京では第6回PACISが開かれたことは特筆しべきことといえよう。
もう一つ,指摘しておかなければならないことは,研究の内容と方法の多様化である。本格的なネットワーク社会の到来を受けて,電子商取引やeLearning,ITビジネスモデルの研究など,IS研究は多様な広がりをみせはじめた。とくにインターネット関連の組織的・社会的研究は質量ともにたいへん充実しつつある。一方,研究方法論に着目すると,コペンハーゲン以降,いったん質的研究へと大きく揺れたIS研究は,やがて量的研究の再評価と精緻化によって,共存の道を歩みはじめたといえよう。
中嶋聞多(2003)“5.30 情報システムの研究
『情報社会を理解するためのキーワード :2』培風館 [180-185]から出版社の許可を得て転載します。
本稿は,情報システム学会会員である,中嶋聞多氏の著作であり,学会の統一見解ではないことをお断りします。