企業が活動を行う上で、IT(インフォメーション・テクノロジー)を活用することが当たり前の時代になっていることは、ご承知の通りと思います。ITという言葉は、“情報を扱うことに関するテクノロジー”という意味と理解できます。“テクノロジー”という言葉は、主に“技術”という観点にフォーカスした用語で、ハードウェアとしてのコンピューター・システム、PC、携帯端末、そして、ネットワークなどの技術に関わる用語と考えられますが、“IT”といった場合には、ハードウェアを動かすソフトウェアも含めて語られる用語として用いられるのが一般的となっています。ソフトウェアを作るという観点では、単に技術の枠を超えた人間的側面、経験が生み出した知恵、あるいは、人が作り出した規則・基準とも言うべきものに大きく作用される世界があるため、その困難さが際立っているように感じています。
企業が“ITを活用する”という場合、ハードウェアをどう活用するのか?ということもありますが、それ以上にそのハードウェアをどのような業務活動の場面で使うのかを具体化し、そのためにアプリケーション・ソフトウェアをどう設計し開発するのかということが、より重要なテーマとなってきます。
また、ITという用語は当たり前になりすぎて、普段の仕事の中ではその意味を深く考えることをしなくなったように感じています。Informationを扱うということは、ソフトウェアを開発したり、業務を分析したり、あるいは経営を効率化したり、イノベーションを起こすことと、どのような関係があるのか?システムの設計において、どの程度“information(情報)”を意識しているでしょうか? あるいは、業務を分析するとき、業務プロセスを見直すとき、あるいは、マーケティングの強化を考えるときや新商品を開発するとき、あるいは、顧客と接するときに、どの程度“情報”ということを考えているでしょうか?
この連載では、企業活動あるいは社会生活における情報あるいは情報システムとの関係を考えてみたいと思っています。なぜ今更?という問いかけがありそうですが、企業活動(ビジネス・モデル)についていえば、企業を企業たらしめる本質的要素(ビジネス・モデル)と情報あるいは情報システム(システム・モデル)との関係を明確に理解しているのとそうでないのとでは、企業の収益力、組織力、イノベーション力に大きな差がでているような気がしてならないからです。そして、“企業活動の本質的な要素(ビジネス・モデル)の構造が、情報システムの構造とどのような関係にあるのか”ということを明確にせずに情報システムを運用しているところに根本的な問題があるのではないか、と考えているからです。
また、情報システムが企業のみならず、行政、教育などあらゆる組織に浸透し、また、SNS(Social Networking Services)というコミュニケーション手段が世界とつながり社会生活を行う上で必須の道具となる時代です。さらに、M2M (Machine-to-Machine)といわれるように、これからはあらゆる“モノ”が情報機器になろうとしている時代です。そのような時代を迎えて、人がそういう現実とどう向かうべきかということはあらためて問いなおす必要があるのではないでしょうか。見方によっては、“情報システムである人間”が、その本来の力を存分に発揮する時代になってきているのかもしれません。そういう観点も含めて、学校や社会の中での情報に関わる基本的な教育をどうしていくべきかという課題もあるように思います。
このたび、芳賀正憲様より、ありがたくも情報システム学会のメールマガジンへの寄稿をお勧めいただき、どうしたものかと熟慮しましたが、広い意味での“ソフトウェア開発”の世界に長年身を置いてきた者として、情報システム学会会員の皆さまに向けて、情報システムに関わる各種問題の解決と今後の情報システムのあり方を考える上で、また、広い意味での“情報システム学”を確立する上で、ヒントとなる情報をお伝えできればと思いお引き受けすることといたしました。情報システムが、企業や行政などの組織、そして社会生活にますます浸透してきている時代に、情報システムが真に企業経営や行政の効率化、および顧客・国民へのサービス向上に貢献し、社会生活に役立つ手段となるためには何をしなければならないのか、あるいは、どのような投資をしなければならないのかということを考える上で何らかのお役に立てれば幸甚です。
第一回目の今回は私の問題意識を少し書いてみたいと思います。
日本語の“情報システム”という用語ですが、企業の中で使われはじめたのは、いつ頃でしょうか。明確なことは不勉強で定かではありませんが、少なくとも1980年代には存在していたことは確かです。それまでは、“経理部コンピューター室”という名前の組織であったのが、その頃一斉に“情報システム部”という名称に変わり、企業におけるソフトウェア開発の重要性の認識が高まり、ソフトウェア開発関連技術者の立場が少し変化した時代でもありました。そして、業務を支援したり実行したりするアプリケーション・ソフトウェアのことを、“情報システム”と呼ぶようになったのもその頃だと思います。それから、すでに30年が経過しました。つまり、その頃からコンピューター・システムが単に計算する機械ではなく、情報を保管したり分析したりするのに適した仕掛けであるという認識が広まってきたと言えるでしょう。それでも、当時はまだ、今日のように企業活動のあらゆる場面で活用されるとは、一般には考えられていなかったと思います。
このように、“情報システム”という言葉は、日本ではコンピューター・システムが社会へ浸透するとともに広まったと考えてよいと思いますが、“情報を扱う仕組み”という“情報システム”という言葉が持つそもそもの意味から考えると、コンピューター・システムが発明されるはるか昔から“情報”を扱うシステムは存在していたと考えられます。戦争において、敵情視察をし、その情報にもとづいて行動するという仕組みは、まさに“情報システム”そのものといえるでしょう。ですから、古代エジプト、アレキサンダー大王、カエサル、あるいは、古代中国の春秋戦国の時代から、“情報システム”は存在していたといえます。
当学会誌でも、浦昭二氏が 「情報システムとは人間を育むシステムである」と題してインタビュー(*1)で話されているように、「個人の情報システム」という考えがあってもおかしくありません。おかしくない というよりも、むしろ、五感から得られる情報をもとにいろいろな判断をする人間そのものが“情報システムである”と考えるのが妥当だと思っています。
このように、“情報システム”という言葉は、本質的にはコンピューター・システムとは無関係と考えることができますが、この連載では、最初は、そういった広義の“情報システム”ではなく、狭い意味で、“インフォーメーション・テクノロジーを活用した情報システム”について考えてみたいと思います。その中で、人がどのような役割を持つのか、あるいは、顧客にどのようなサービスを提供するのかなどということを考えるときに、そもそも論である”人を情報システムと考える”ことについて触れたいと考えています。
IT活用の先端企業が、ネットを通じてビジネスを行い、情報システムが企業活動を行う仕組みを構築してから10数年たちました。“コンピューター・システム”が単なる計算機の時代から、情報管理システム、意思決定支援システム、あるいは、e−ビジネスを経て、現在では“情報システム”が提供する機能は、サービスそのものになりつつあると言えます。その意味において、ITと企業活動(ビジネス)は切っても切り離せない時代になっていると言えます。それは、すでにIT活用の先端企業だけでなく、2番手3番手の企業や諸外国の政府組織においても同じ状況になっています。
一方、ビジネスとITが一体化した時代になっても、あるいは、“なったから”かも知れませんが、ここ数年一つ大きな課題が語られています。“ビジネスの変化にITが迅速に対応できない”という課題です。
“経営の変化にITがなかなか対応できない”ということは、この数年いろいろなところで聞く話です。しかし、ちょっと待ってください。本当でしょうか? それとも、日本人特有の自虐趣味からくる発言にすぎないのでしょうか? このことは、よく考えてみる必要があると思っています。現象だけを追っかけていても問題は解決できません。何年にも渡ってこのことが言い続けられているということは、今もってその原因がわかっていないという風に解釈すべき重要な問題なのかもしれません。
その点についても、追々語るつもりですが、今回は問題提起だけにしておきます。
もう一点、企業にとって情報システムにかかわる重要な課題がこの数年語られています。それは、“ベンダーロック”といわれる課題です。つまり、情報システムの開発や運用をITの専門家を抱えるベンダーにまかせることが当然のようになって、“企業自身が情報システムの開発や運用を行うスキルを持った人材が不足、払底してしまっている”という課題です。このことの本質的な問題は、ビジネスの変化に応じてアプリケーション・ソフトウェアに手を加える場合にベンダーに聞かないとどう対応するか、対応にどのくらいの期間がかかるのか、あるいは、どこまで影響が及ぶのか、まったくわからないということです。そして、悪いことに、ベンダーの提案を評価しようにも企業側には判断できる要員がおらず、ベンダーの言いなりにならざるを得ないという結果を招いています。このような状態になっている企業がかなりあり、それが、はたまた“経営の変化に迅速に対応できない情報システム”という現象を生んでいることにもつながっていると言われています。
これからも、日本の企業が世界の市場を相手に競争をしていくことを考えると、これら二つの大きな課題を解決していくことが必須であると考えています。国内市場規模が世界の市場規模に比べて相対的に小さくなることが目に見えているなかで、国内市場だけに目を向けた営業活動をしているだけでは、じり貧となるのは明らかでしょう。Webを使ったグローバル市場に顧客や提携先を見つけマーケティング活動を行っていくことは、あらゆる企業に求められるようになります。その時、企業が主体的に情報システムの企画・開発・運用を行うスキルを身につけているかどうかで、勝負は決まってくるでしょう。
目を、“情報システムにかかわる人材育成”という観点に向けてみると、これも目を覆いたくなるような現状であると言えましょう。大学生の理工系の中でさえ、情報系の学科の人気低落が言われて数年経ちます。情報システムがITベンダーだけの専門領域ではなく、これからは社会インフラになることを考えると、どのような組織(企業、行政、政治団体、教育、NPOなど)に就職するにしても情報システムとの関わりを無視していくことはできない世の中になることは明らかです。
情報システム部門がますます広い業務領域に関わるようになっている中、大手企業では、情報システムに関するスキルの育成に力を入れてきています(*2)。また、それだけの余力、資金力がまだあります。しかしながら、よほどの大企業でない限り、現状では情報システムに関わるスキル育成に投資をする余裕のある企業はまずありません。本来は、高校や大学が情報システムに関わる基礎教育をしっかり行うべきですが、どういうわけかそうなってはいないのが現状のようです。
高校や大学において、情報システムに関わる基礎スキルの育成、情報リテラシーの向上は重要な課題であるとの認識を持って、それぞれの大学だけでなく国としての人材育成計画を明確にしていくことも必要だと思います。そのためには、産業界から具体的な要求を挙げていくことも必要でしょう。最初に“要求事項を整理する”というのが、情報システムの開発プロセスの基本でもありますが、要求が不明確なので教育界で情報システムに関わるスキルの育成の方向性が具体化しないのではないかとも思っています。この連載では、そういった点についても触れてみたいと考えています。
その他、情報システムの開発にまつわる課題は山のようにあり、中には長年解決できていないものもあります。たとえば、人月ビジネスからの脱却の問題。この問題は、根が深いものがありますが、ITが経営の問題になった今日、ITベンダーはもっと真剣に考えるべき時期に至っていると認識すべきでしょう。
システム開発にかかわる数々の問題は、ひとつだけ取って解決できることが少なく、それぞれ関連があり一筋縄では解決できないものばかりです。また、技術の問題でもありますが同時に、管理や判断といった人間系の問題でもあります。連載では、それらのことについても触れたいと思っています。
最後に、社会生活を行う上での情報システムの役割について。企業や行政組織、教育現場などの組織における情報システムとは別に、“情報を扱う仕組み(機械からの情報発信とその情報をコントロールし管理する仕組み)”が個人の日常生活のあらゆる場面で出現する時代が間もなくやってきます。そのような時代に対応できる準備はできているでしょうか?今の中学生・高校生が30歳くらいになるときには、今以上に日常生活で使う多くの“モノ”(人も含めて)が情報発信器になって、その情報がどこかで管理される時代になっているでしょう。今の学校教育では、そのような時代の変化を予想した教育をしているでしょうか?戦後長らく続いている学校教育体系では、経済のグローバル化に対応できない人を大量に育成してきたのと同じように、そのような本当の情報化時代になっても対応できる人材を育成することができずに、相変わらず、“保守的で自ら変わることができない日本人”を生むことになるのではないかと心配になります。1980年代に言われた情報化社会が本当にやってくるわけで、学校や社会の中で、どのように情報教育をしていくのがよいのかということも考えてみたいと思います。
第一回目としては、ここまでにしておきます。最後になりましたが、読者の皆様から忌憚のないコメントやご批判を頂けるとありがたく思っております。よろしくお願いいたします。
(*1)http://www.issj.net/mm/mm0209/mm0209-1.html
(*2)企業システムや社会システムの世界とは別に“組込み系のソフトウェア開発の人材不足”という問題も大きな課題です。あらゆる“モノ”、− たとえば自動車、家電などのほか、本、芸術作品、寿命のある資産など −が情報機器となりえる将来に向けて、ソフトウェア技術者の育成は日本が世界の中で一定のポジションを持って生きていくには喫緊の課題であるといっても過言ではないでしょう。