情報システム学会 メールマガジン 2008.1.7 No.02-09 [1]

新年特別インタビュー:浦 昭二
情報システムとは人間を育むシステムである

 2008年は情報システム学会設立から3周年を迎える年にあたる。そこで、あらためて原点にもどり、「情報システムとは何か」「情報システム専門家は社会の中でどのような役割を果たすべきか」「情報システム学はどのような方向へ発展すべきなのか」を新年に考えてみたい。情報システム学の提唱者で、本学会設立の立役者でもある浦昭二先生(慶応義塾大学名誉教授・新潟国際情報大学名誉教授)にメルマガ編集担当がインタビューを行った。

情報システムには人の意図が含まれる

――学会誌第2号に「情報システム専門家への願い」と題した先生の提言が掲載されていますが、その副題が「自分の情報システムを考えよう」となっています。一般的には組織の情報システムを議論することが多いのに、先生は「人間」「個人」を出発点とされています。それはなぜでしょうか。また、「自分の情報システム」とはどういうものでしょうか。

浦 たしかに情報システムという言葉は企業のような組織を前提に使われることが多いかもしれません。しかし、個人の情報システムも当然考えられるわけです。組織体だけを連想するのでは、個人はその端末にすぎないとみなされてしまいます。そうではなく、情報システムを自分の力を育むためのシステムと捉える視点が大切です。人間の頭の中を客観視してみると、問いを発するメカニズムがありますし、答えを聞いて考えるメカニズムもあります。このような自分を育むための体得的な学習システムを個人の情報システムと考えることができるのではないでしょうか。となると、自分の頭の中の延長としてコンピュータを使えるようになることがとても重要です。初めにコンピュータがあってそれをいかに応用するかを考えるのではなく、自分の勉強の道具、自分が成長するための道具としてコンピュータを使うということです。私は、これからはそのような「個人の情報システム」を中心にして情報システムの概念を整理するのがよいと考えています。観察、勉学、研究などさまざまな面における人間の思考はどのような仕組みで成り立っているのか。情報の伝達・記憶・意思決定などと価値観・倫理観はどう関わっているのか。今後はそういう研究を進める必要があるでしょう。

――情報システムとは、自分を育み成長させるもの、すなわち人間のためのシステムであって、コンピュータの応用システムではないという意味ですね。

浦 コンピュータという型にはめるのではなく、自分のツールとして使うことが大切です。現在では中学校から情報教育が行われていますが、指導する先生によって子供の反応が大きく異なっていて、好きか嫌いかがはっきり分かれていますね。はたして、今のコンピュータ教育は子供たちにとって魅力的な内容になっているのでしょうか。小さい時から組織の情報システム要員を育成するような教育でいいのでしょうか。子供は自分が主体となって能動的に情報を獲得しようとします。だから母親を質問攻めする。学習が情報システムであると考えて、子供を教育することが大切です。人間の脳自体が情報システムなのですから。個人の情報システムとは、一人一人異なる情報行動の中から生まれてきます。たとえば、自分がどのような新聞を読むか、どのようにインターネット使っているか、そして誰とどのような会話をするかなど、無意識のうちにその人なりの情報システムが作られているのです。

――人によってさまざまな情報システムがある。だから、先生は提言の要約文の中に「自分の情報行動に立脚した情報システムを自分で考えることをすすめる」と書かれていらっしゃるのですね。個人だけでなく、企業によっても国によっても多様な情報システムがある。このように考えると、情報システムとは、標準化が可能なコンピュータシステムとは全く異なるものだと理解できます。

浦 組織の情報システムも個人の情報システムと同じように、組織が成長していくためのシステムであると考えることができます。組織の中にどのような情報を入力し、いかに加工・伝達・記憶し出力するか。どのような問いを発して、いかに考えていくかという自分の頭の中と同じようなメカニズムが組織内で機能するためには、人びとが果たす役割がとても重要になります。組織の情報システムを考えるとき、たとえば情報システム学会を運営していくために必要な情報システムとは何かを皆でイメージしてみるのもおもしろいかもしれません。何を思い浮かべるでしょうか。会員名簿でしょうか、あるいはホームページでしょうか。でも、それらは人びとがそれぞれの役割を果たし組織を効率的に運営していくためのツールにすぎません。会員名簿があれば組織運営は効率的になるでしょう。でも、組織の情報システムとは、まず人びとの活動があり、それに人を助ける技術が組み合わされているものなのです。

――組織の情報システムを人びとの相互作用から捉えようとする視点はネットワーク論の考え方と共通しているように感じます。とするならば、情報システムとネットワークはどこが違うのでしょうか。

浦 要素が人間であるという点は同じですが、情報システムには、方向性がある、すなわち人びとの意図が含まれています。それに対してネットワークは、方向性はあまり考えず、つながりを重視しているのではないでしょうか。

「なじみ」が大切

――先生はなぜ情報システムという概念で考えることの重要性に気づかれたのですか。何がきっかけとなったのでしょうか。

浦 よく自動車のハンドルを握ると人が変わると言われますが、コンピュータもそれと似たような状況があるのではないかと感じたことがきっかけです。一般の会社でも大学でも情報処理の専門家たちが組織の中で特殊な存在になっているのではないか思いました。情報は人間の活動や文化と深い関わりを持つものですが、それを十分に理解せず、コンピュータに重きを置いて自分の思うままの世界を描いて勝手にモデル化し、それを精密かつ高速に動かそうとする。相手がいることを忘れて自分の世界に閉じこもってしまう。これではコンピュータの専門家に対する批判があっても当然です。これがHIS(人間中心の情報システム)研究会を開始することにつながりました。むろん、一方で常々コンピュータの偉大さを意識し、その可能性を認識しなくてはいけません。
 OR(オペレーションズリサーチ)の権威者、Ackoffは1967年の「Management Misinformation System」と題する論文の中で、MISがうまくいかない理由として、システム設計者が抱く次の5つの間違った思い込みを指摘しています。「第一は、管理者の悩みは、適切な情報が不足していることである。第二は、管理者が要求するものを、彼は本当に必要としている。第三は、彼が必要とする情報が得られれば、よりうまく意思決定が行える。第四は、管理者の間のコミュニケーションが良くなれば、組織の活動はうまくいく。そして第五は、管理者は情報システムの働きを知らなくてよい。ただ、どう使うかだけを知っていればよい」。この5つの指摘は現在でも少しも古くなっていません。Ackoffの論文は2005年10月25日にホームページで公開されました。これは40年前の彼の批判が今もなお生きていることを示すものでしょう。AckoffはORの大家なので日本でもOR専門家はこの論文を読んでいるでしょう。しかし、彼らは情報システムに目を向けない。一方、経営者はORに目を向けないという問題があります。情報システム学会では、情報システム、経営、ORの垣根を取りはらって、それらをミックスした活動がもっと活発に行われてほしいと願っています。

――情報システム学会の設立趣意書には、情報システムについて「情報の利用を望んでいる人びとにとって、手に入れやすく、役に立つ形で、社会または組織体の活動を支える適切な情報を、集め、加工し、伝達するシステムであり、それは単にコンピュータを中心とした技術的なシステムをさすものではない。むしろ、人間活動を含む社会的なシステムである」と書かれています(注:浦昭二・細野公男・神沼靖子・宮川裕之共編『情報システム学へのおざない』1998年、培風館を参照)。また、細野公男・中嶋聞多・浦昭二共編『情報社会を理解するためのキーワード』(2003年、培風館)の中で、佐藤敬先生が「情報システムとは、組織体(または社会・個人)の活動に必要な情報の収集・蓄積・処理・伝達・利用にかかわる仕組みである。広義には、人的機構と機械的機構からなる。コンピュータを中心とする機械的機構を重視したとき、これを狭義の情報システムと呼ぶ。しかし、このときそれが置かれる組織の活動となじみのとれているものでなければならない」という「浦昭二らによる定義」を紹介されています。先生は、人間と機械、コンピュータシステムと組織体の関係について「なじみがとれたものでなければいけない」ということを強調されていらっしゃいますね。「なじみ」が大切であると。

浦 なじみがとれないことが原因で起こった問題として東証事件があったのではないでしょうか。コンピュータにデータを入力している人の仕事はどのようなものだったのでしょうか。社会保険庁で起こっている問題も同じです。職場の管理職がゴーサインを出して年金データの記録管理の作業を進めてきたのでしょうが、誇りを持つことができる業務または職場だったのでしょうか。もしかしたらデータの中身や意味をわからないまま作業を進めたのかもしれません。入力担当者にはこのプログラムはこのような業務を処理するという理解が十分にあったのでしょうか。働く人の立場や心理を考えて職場環境を整えることが大切です。また、社会保険庁自身も情報システムについて何も知らなくてもよい、ブラックボックスで構わないという発想だったのではないでしょうか。とすれば、これはひじょうに大きな問題で、情報システムの設計に対する考え方自体が間違っていたのではないかと危惧しています。情報システムのアウトソーシングなどによって、このような傾向が強まっているのはのだとすれば、Ackoffの考えに逆行しています。
かつて、慶応義塾大学の矢上台キャンパスの私の研究室を訪ねてきたある卒業生が、机の上においてあった原稿(編集者注:ユニシス研究会が1989年4月に発行した『SYSTEMS』に掲載された浦昭二の論文「明日の情報システムの構築に向けて―計算から情報へ―」)を読んで、情報システムと組織とのなじみについて触れた部分を指し、この"なじみ"ということが大切なんですよねと言ってくれました。残念ながら彼は若くして逝ってしまいましたが、後で聞くと、関西でかなり注目されていた存在だったとのことでした。

――先生のその論文には「情報システムがたんなる情報処理システムと異なるのは、組織体との関連である。組織体とのなじみが重要視され、人間の日常行動の様式に立脚したものでなくではならない」と書かれています。ただ、一般的になじみを大切にするというと、古くからなじんでいる方法や環境を尊重して新しいものには抵抗するのではないか、という誤解を招くかもしれません。むろん、そういう意味ではないですね。

浦 古い方法に拘泥してはいけません。すぱっと切り替えたことによって、かえってなじみが深くなることもあります。福沢諭吉は「惑溺を排す」と言いましたが、古くからの慣習や社会のしきたりにとらわれ新しいことに抵抗するような行為は問題です。

情報システム専門家の役割と学会の今後

――これからの時代、情報システムの専門家はどのような役割を果たすべきだとお考えですか。

浦 コンピュータシステムのダウンに限らず、多くの事故や事件はコミュニケーションギャップが原因で発生しています。社会的に大きな事故が起こったとき、自分の責任はないのかと反省する情報システム専門家がいてもいいのではないでしょうか。たとえば信号系システムが故障したとき、情報システム専門家はまったく責任がないのでしょうか。災害時はどうでしょう。防災情報、災害情報が整備されていたり、日常的に災害時の訓練をしていたりする場合は被害が小さくて済むということもあるでしょう。情報システムの専門家は、コンピュータの専門家とは違う観点から助言や提言をしていかなくてはなりません。そのためには、社会の中でコミュニケーションギャップがどこでどのように生じているかを見極めること、そして情報への感性を磨くことがとても重要です。情報への感性を備えたプロフェッショナルとして、情報が人間の知的活動や文化と深い関わりをもつことを認識し、社会の仕組みを情報システムとして説明できることが期待されています。

――最後に情報システム学の発展の方向や今後の研究課題についてご意見をお聞かせください。先生は「提言」の中で、情報システム学は、「世の中の仕組みを情報システムとして考察し、その本質を捉え、そこに横たわる問題を究明しそのあり様を改善することを目指す」実践的な学問であると述べていらっしゃいます。

浦 さきほどお話したように、自分勝手に世界をモデル化してしまうことの問題をよく認識し、今後の方向性について考察すること、エンジニアリングだけでなく社会のさまざまな問題を深く考えていくことが必要でしょう。

――今日はありがとうございました。

(聞き手:吉舗紀子、砂田薫)
以上