以前から一会員として、学会活動についての希望を述べさせていただきたいと考えていました。理由は、研究発表大会やシンポジウム、各種研究会などでは活発な議論があるものの、メルマガや学会誌で、会員からの投稿や会員相互のコミュニケーションが少ないと感じているからです。そこに3.11福島原発苛酷事故が発生し、災厄とともに大きな教訓を残しました。情報がもとで、為政者は言うに及ばず専門家や学者など世の中のリーダたちが信用を失いました。一方、2012年に入って、砂田薫先生による工業社会から情報社会への変貌を遂げたデンマークを中心とした北欧の実態に関する解説が発表されました[1](以下「砂田論考」)。これらに接して、日頃考えている学会への願いを皆様にお聞きいただきたいとの思いが増幅されました。そこで、私見を述べさせていただくことにしました。
要点は、専門家集団としての情報発信や提言と相互議論の促進、新しい情報システム学体系の確立と教育界への働きかけおよび学術・専門家の中での情報システム学の地位の確立、の3点です。
今回の願いが呼び水となって、今後メルマガや学会誌への会員の投稿が増え、会員相互の議論が活発になることを切に望むものです。
学会の理念 情報システム学会では、次のような理念が掲げられています:
国は長年にわたって解決してこなかった多くの重要課題を抱え、産業界は方向性を失い、国民は閉塞感を味わっているというのが現状ではないでしょうか。失われた20年をすぎて、次の10年に入ったとも言います。
重要課題に解決策を得るために、国民的な議論が必須であることは論をまちません。それには多方面からの情報提供が必要なことも当然でしょう。この点に関して、砂田論考のデンマークと日本のICT利用の進展についての次の指摘に注目しました。“デンマークは、北欧諸国のなかでもとりわけ行政・医療・教育といった公的サービス分野におけるICT利用で先進的である点が高く評価されている。ひるがえって日本は、「e-Japan II」戦略が発表された2003 年以降ずっと行政・医療・教育の情報化が国家的課題になり続けている。10 年近くも進展が見られないのは、単なる技術普及の問題なのではなく、情報社会にふさわしい行政・医療・教育の制度改革が進まないために情報システムを構築できないというのが本質的な問題ではなかろうか。” 筆者はこの分析に賛同するものであり、制度改革が進まないのは政治の問題で、議論が尽くされないから国民のコンセンサスが得られず、物事が決定できないのだと考えます。要は民主主義の手続きの問題であり、議論のためには、客観的かつ公正・公平で多様な情報が提供されなくてはならないと思います。
3.11原発事故の時に、大災害時には混乱を避けるために、単一の情報を流しそれに基づいて行動すべきだという考えを示した学会もあったようです。また、科学者は一様に沈黙してしまったと国民の目には映ったとも言われています[2]。これに対して筆者は、国民的関心事については、学術学会などの専門家集団が分析や考察を行い、それぞれの立場で情報発信や提言をすべきであると考えます。緊急事態の下では、中間的な情報で推測を含むものについても、前提条件をはっきりさせたうえで、発信して良いと考えます。国民はいろいろな立場からの発言や提言を受けて判断する能力を備えていると確信するからです。
情報システム学会では、その理念で「・・・情報システム学を確立し、その成果を社会に発信していく」と謳い、2006年から社会への提言を行い、一時期中断があったものの2010年10月から再開され、2012年7月までに5件の提言 (パブリックコメントを含む)を実施しています[3]。特に3.11原発事故に関しては、原子力学会の提言(2011年5月)[4]のすぐ後、6月に情報システム学の立場から提言[5]を行ったのも、時期と異分野からの提言の両面で注目されていると思います。最近では一般紙[6]にも登場するようになり、会員として誇りに思います。これからも時宜を得た情報発信によって「発言する学会」としての認識が定着することを期待したいと思います。
加えて、国民的関心事については、学会として中立・公正な立場から解説的な情報も発信されてよいのではないでしょうか。国民は適切な情報を切望していると思われます。それだけではなく、氾濫する情報の中から適切な情報をどのようにして取得すればよいかも知りたいと考えています。こうした背景から、専門家集団による情報は、必ず歓迎されると確信しています。
情報システム学会はまた、単に発信するだけではなく、ほかの学会に呼びかけて互いに議論する活動にも注力してほしいと思います。学術界からの提言は少なく、あったとしてもそれぞれ単発的な提言にとどまっており、相互に議論をしていないように見受けます。この点について、日本学術会議が2012年8月31日に開催した「原発事故調査で明らかになったこと−学術の役割と課題−」[7]は、特筆に値すると思います。国会、政府および民間、それぞれの事故調査委員長が一堂に会して調査結果を述べ、議論をした画期的な試みであったからです[8]。関係者の熱意の表れか学術会議の講堂は、すぐさま申込みで満員になりました。多様な提言とそれに伴う議論の場が広く望まれている証左と感じた次第です。こうした催しが全国各地で行われることが、社会の均衡ある進歩のために、ぜひとも必要であると痛感しました。
そして、議論はあらゆる立場の人々を巻き込んでほしいと望んでいます。学会の理念に「様々な分野の研究者,実務家,経営者,利用者,一般市民及び行政といった人々に参加を呼びかけ,さらには相互間の連携を図っていく」とあります。この理念に基づいて、専門家や学術界における相互連携を促し実施していただきたいです。幸い本学会では、大会やシンポジウム、各種研究会等はすべて一般の方の参加を認めていますので、PRさえ上手に行えば、外に開かれた学会としての特徴を発揮できるのではないでしょうか。
以上、申し上げたい要点は、国の重要事項を検討するのに、現状ではあまりにも情報が不足していること、議論を尽くさず、数の論理で物事を決めようとすること、つまり民主主義の手続きに根本的な誤りがあると思います。砂田論考にある“また、(デンマークでは:筆者補足)政府への信頼感が高い、小国であるのにさらに徹底した地方分権を推進している、縦割りの弊害が少ないフラットな社会である、市民の参加とコンセンサスによる草の根民主主義を大切にしている、といった政治・社会の伝統的な特性も、情報社会との親和性の高さに関係しているように思われる。”を参考に、議論を重ねることが必要で、情報システム学会は議論のための場や情報の提供において、主要な役割を果たしてほしいと望むものです。
(1)新しい情報システム学体系の確立
情報システム学会では、新情報システム学体系調査研究委員会が設立され、「人間中心の理念にそった新しい情報システム学の体系を確立、社会に発信する」ための検討が開始されています。それに対する希望を述べさせていただきます。
われわれ情報システムにかかわる者は、生産、流通、建設、金融、など産業の分野において高度な情報システムを構築し、世界に冠たる工業社会の実現に寄与してきました。反面、この間に産業中心の考え方に染まってしまったように思われます。
新情報システム学体系調査研究委員会では、研究対象をこうした産業に関する情報システムに限らず、人間や社会・環境といった人類の永続的な生存に関する分野に拡げる必要があると考えます。われわれは、資源やエネルギ、環境などの高位の課題、医療、教育、福祉など社会での重要な事項をおろそかにしてきたと思えてなりません[11]。あるいはこのような事柄に対しても、産業や経済の視点で考えてきたのではないでしょうか。また、技術者や同系統の学者だけでなく、社会学、哲学、文化人類学など、広い範囲の人たちの参加を得て、学会の理念に掲げる:「情報システムの概念的枠組み、学問としての方法論の体系,あるいは社会的な影響などを広範囲にわたって考察することを通して情報システム学を確立する」必要があると思います。
本学会の創設者である浦昭二先生は、設立総会の特別講演に哲学者の今道友信先生を招聘されました。先生は「情報と倫理―21世紀の課題―」というテーマで、エコエティカという人類の生息圏規模で考える倫理について説かれました。そして結びで“素晴らしい学会がおできになりましたので、私のつたない話でございますが、倫理というものが「魂の世話」だとソークラテースが定義した哲学という学問が大事であると言うことだけ、お忘れにならないようにしていただきたいと思います。”と述べられております[12]。先生の説かれる生圏倫理を肝に銘じて、期待に応える必要があると考えます。
本学会は、技術者が中心のこともあって、便利さや経済的効果に目が奪われて、人間の幸せや社会や環境にとって好ましいかどうかの尺度を軽視してきたのではないでしょうか。今道先生の著書「エコエティカ−生圏倫理入門」[13]を再読して自らの行動を反省したいと思います。20年以上も前の著書ですが、原発の危険性についてとりわけ強い調子で警告されています。技術者科学者が少しでも先生の考えに耳を傾けていれば、3.11原発事故は防げたかもしれません。異分野と思われる哲学者の洞察に耳を傾けることの重要性を忘れてはならないと考えます。
以上要すれば、理念に謳われている「社会,組織体または個人」のうちの組織体の一つである企業やそれに関連する団体等に焦点をあわし、社会や人間に関心が薄かったのではないでしょうか。真に人間中心の情報社会を実現するための情報システムという視点で上記調査研究を進める必要があると思われます。また、技術に閉じこもることなく多くの分野の方々、一般市民や行政に携わる人たちの参加も呼びかけたいと思います。
(2)教育界への働きかけ
巷では、情報、情報システム=PC操作という考え方が蔓延しています。これは、中学校や高校は言うに及ばず大学教育においても、情報リテラシはPC操作とワード、エクセル、パワーポイントの講義に重点が置かれていることの弊害と考えられます。誤った考え方を是正するには教育を正すしかありません。(1)で述べた調査研究によって、新しい情報システムの学問体系が確立した暁には、文部科学省や経済産業省など関係省庁に働きかけて、情報システムに関する教育の舵を切りなおすよう促してほしいと思います。
現在国が直面している重要課題のすべてに情報システムが関連していると言っても過言でないと思われます。たとえば、現実の重要課題の一つである電力の地産地消、スマートグリッドなどは、情報システムが根底を支えなければなりません。そして、その構築には情報システムがたどってきた道:集中から分散、分散からネットワークへの歴史に学ぶことが多いと思われます。その過程で独占がいかに進歩を妨げたかについても反省し学ぶべきと思われます。このように影響の大きな情報システムでありながら、大変残念なことに、情報学や情報システム学に対する世間の認識はまだ深くないと思われます。
情報システム学会が、新しい情報システム体系を確立し、情報発信をさらに積極的に進めるなどの活動によって、学術・専門家の中での地位を高めたいものです。
3.11原発事故をきっかけに、原発利用・化石燃料消費から再生可能エネルギの活用に大きく舵を切りなおした国があります。日本でも、原発の持つ根本的な不利益、危険性、後世に残す計り知れない負の遺産に気づき、多くの人が「脱原発」の意思表示をしました。一方で、国民が協力して夏・冬の電力消費のピークをほぼ原発無しで乗り切ったことが自信になりました。これらの経験は画期的なことと言わねばなりません。
自然エネルギの活用、中でも太陽光発電、蓄電池、電力の制御システム、スマートグリッドなどについて現在も世界に冠たる技術をもつ日本は、リーダとしての役割を果たす責任があると考えます。また、これらの分野への転換にこそ、日本産業再生のカギがあるとの考えに同調します。この点に関し、砂田論考では次のように述べています。“日本は、工業社会の最終段階である20 世紀後半に、製造業を中心とした「ものづくり大国」として大きな経済的成功を収めた。それが却って、ものづくり経済から知識経済への転換を難しくしている要因になっている。過去20 年間にわたって経済社会の停滞を招いてきた一因はここにあると思われる。” 筆者も同感であります。日本は、人間の幸せ、社会や環境の持続的な発展のために、これまで蓄えてきた技術力や経済力を世界のために提供すべきであると考えます。技術力・国力ともいつまでも続くものではないでしょう。今が残された数少ないチャンスのように思われてなりません。
情報システム学会は、すべての技術の根底に情報、情報システムがあることに鑑み、期待と責任がいよいよ大きくなることを認識して、自ら掲げた理念に従って、人間や社会・環境をより重視した活動を推進していただきたいと願っています。
本文で記述いたしました、浦昭二先生は本2012年8月16日に、今道友信先生は10月13日に、逝去されました。これまで賜りましたご指導に対して深謝いたしますとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。
今回は、立場を顧みずあえて一会員として希望を述べさせていただきました。諸事ご海容のほどをお願い申し上げます。
参考文献、参考URL(URLに続く日付は、筆者による最後の参照日)
[1]砂田薫,“ユーザーが高める情報システムの価値 〜デンマークの電子政府を事例として〜”,情報システム学会誌,Vol. 7, No. 2,pp.8-24,2012.3.
[2]北澤宏一,“日本は再生可能エネルギー大国になりうるか”,ディスカバー・トゥエンティワン,2012.6.
[3] 情報システム学会,“社会への提言など”,
http://www.issj.net/teigen/teigen.html 2012.10.16
[4]福島第一原子力発電所事故対応に関する提言 平成 23 年5 月20 日
http://www.aesj.or.jp/information/fnpp201103/chousacom/he/hecom_teigen20110520.pdf
2012.09.19
[5]東京電力福島第一原子力発電所の事故に関する提言
〜原子力発電所事故防止に向けて〜(2011年6月)
http://www.issj.net/teigen/1106_fukushima.pdf
2012.09.19
[6]権敬淑,“体と心の通信簿:感情表現の変節”,朝日新聞夕刊,2012.8.20,p.5.
[7]日本学術会議,“原発事故調査で明らかになったこと−学術の役割と課題−”
http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/156-s-0831.pdf
2012.10.17
[8]日本学術会議,“原発事故調査で明らかになったこと−学術の役割と課題−”
会場での配布資料:
第1部資料
東京電力福島原子力発電所 事故調査委員会:国会事故調 ダイジェスト版
第2部資料
畑村洋太郎、安部誠治:東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会
最終報告を終えて
第3部資料2
北澤宏一:不幸な事故の背景を明らかにし安全な国を目指す教訓に
総括討議・資料
吉川弘之:科学者の役割
[9]Fukushimaプロジェクト委員会,“Fukushimaレポート:原発事故の本質”,日経BPコンサルティング,2012.1.
[10]福島原発事故独立検証委員会,“福島原発事故独立検証委員会調査・検証報告書”,
ディスカヴァー・トゥエンティワン , 2012.3.
[11]二神壯吉著,横山禎徳編,“大震災復興ビジョン:「先駆的地域社会」の実現」”,オーム社 , 2011.10.
[12]今道友信,“[設立総会 特別講演] 情報と倫理―21世紀の課題―”,情報システム学会誌, Vol. 1, No. 1,pp.1-12,2006.3.
[13]今道友信,“エコエティカ : 生圏倫理学入門”,講談社,1990.11.