一般社団法人 情報システム学会
一般社団法人情報システム学会
浦 昭二先生哀悼文
一般社団法人 情報システム学会会長
杉野 隆

 情報システム学会名誉会員である浦 昭二先生には,病気ご療養中のところ,去る8月16日に84歳で逝去されました。ここに謹んで哀悼の意を表します。
 先生は1927年に東京でお生まれになり,1952年に東京大学工学部応用数学科を卒業され,大学に残られて電子計算機のソフトウェアの研究にはいられました。1957年に慶應義塾大学工学部計測工学科に助教授として迎えられ,統計学,特に官能検査に関する研究と普及に尽力されました。その後,1959年に創立された管理工学科に異動され,教育と研究体制の確立に尽力されました。管理工学科では,ソフトウェア,プログラミング,数値計算,情報システム学の研究と教育を進められました。1962年に教授に昇任されました。1962年に理学博士の学位を授与されています。1993年に慶應義塾大学を定年退職され,名誉教授の称号を授与されました。その後,新潟国際情報大学の創立に参画され,1994年創立と同時に情報文化学部教授・同学部長に就任されました。1998年に新潟国際情報大学を定年退職され名誉教授の称号を授与されました。1987-8年度には情報処理学会副会長を務められ,また1996年に情報処理学会の名誉会員となられました。
 先生は,研究ばかりでなく,教育にも情熱を持って取り組まれ,多数の研究者,教育者,産業人を世に送り出されました。情報システム教育に関する研究の成果の一つが,科学研究費補助金を得て1991-2年に浦先生が代表として研究を指揮された「情報システムの教育体系の確立に関する総合的研究」だと思います。情報システム学を,単に技術的体系としてのみ捉えるのではなく,“情報システムの概念的枠組みを明確にし,その社会的側面の考察を深め,情報システムの企画,開発および運用・評価に関する実践的な知識・技術の体系化を図ることをめざす”学問領域として定義されました。先生は,1994年に新潟国際情報大学で情報システム学科を設立するに当たり,情報システム教育に関する研究成果を情報システム人材育成カリキュラムとして実践に移されました。また,1995年には,情報処理学会誌に「情報システム学の研究課題と方法」と題する特集を組まれ,情報システム学の確立に大きな一歩を踏み出されました。引き続き1998年に,一般書として「情報システム学へのいざない―人間活動と情報技術の調和を求めて」を出版され,情報システム学とその参照学問領域を規定し,「情報」と「システム」の視点に立った新しい情報システム学のモデルカリキュラムを提案されました。
 先生は,情報システム学会のまさに生みの親ですが,その経緯を説明するには,学会の前身であるHIS研究会の歴史から始めねばなりません。1980年代初めに(明確な時期をなかなか確認できず,浦先生が亡くなられた今となっては歴史のかなたにあります。),情報処理学会のなかで情報システム教育に関心を持つ人たちを中心にHIS研究会を発足されました。浦先生のお考えに従って,この研究会は,人間中心の情報システム(Human-oriented Information Systems)を研究することを明示するためにHIS研究会と命名されました。話は前後しますが,「コンピュータと人間・社会との接触が増加し,コンピュータを単独に見るのではなく,より広い視野でとらえなくてはならなくなっている」ということを,すでに1987年1月の情報処理学会誌巻頭言で発言されています。この頃にはHIS研究会の活動も盛んになっていたことと思います。ここから,先生は,日本における情報システム学の体系的構築を目指され,一貫して情報システムのもつ人間的側面を強調し続けられたと思います。そのご意志は,2005年に情報システム学会の設立として結実されました。本学会では,理事に就任され,その後2007年に名誉会員になられました。本学会誌Vol. 3, No. 1に,松平監事が書かれた「名誉会員:浦昭二先生のご紹介」という紹介文があります。
 私が初めて先生にお目にかかったのは,1994年頃のHIS研究会だったと思います。浦先生は私の卒業した大学,学科の大先輩であり,ソフトウェア工学における大家として,それ以前からお名前は存じ上げていましたが,実際にお会いしたのはHIS研究会の場が初めてでした。HIS研究会は,わが国における情報システム学発展の原点として位置づけられると思いますが,情報システム学に関するお話を伺うと,「人間を中心とした情報システム」がなぜ日本に必要かを熱く話されます。日頃は温厚な先生ですが,情報システム学のこととなると,ご自分でメモをワープロで書いてこられ説明されるのですが,その際はとても厳しい口調になったことが印象的です。また,すでに大御所であるにも関わらず,自らHIS研究会の幹事役を務められ,研究会の日程,開催場所,講師の選定・交渉,通知などされ,推進されていたのは,今でも強烈な思い出です。
 HIS研究会の2004年のある時期から,HIS研究会の終了後に学会設立のための準備会になり,浦先生ご自身の子供の世代になる若い学者たちをおだやかにしかも厳しく督励しながら,学会を形にされていき,発足を成し遂げられました。先生が提案されたことがまだ実現していないと,「あれはどうなりましたか」と繰り返し質問されたことを思い出します。情報システム学会は、まさに浦先生の情熱と献身的な活動の賜物としてここまで育ってきたと思います。
 また,浦先生は、「文化」に強いこだわりを持っていらっしゃいました。新潟国際情報大学は,情報文化学部のみの単科大学ですが,情報文化学科と情報システム学科を持っています。学部・学科名に「文化」の文字を入れられることを強く主張されたのは浦先生であったと伺っています。また,本学会誌の「情報システム専門家への願い」(Vol.2, No.1)で先生は,情報システムと情報文化の相互作用について述べられ,情報システム専門家は,このような認識があってはじめて社会のしくみを情報システムとして説明できるようになると説かれました。また,先生が中心になってまとめられた「情報システムハンドブック」(1989年)は,先生の尊敬される本居宣長が,地方にあって人のネットワークによって独自の情報システム(ネットワーク)を築き知の集積を図ったように,先生の居られるところに集積された知識体系そのものであるように思えます。
 本学会は2005年に設立されました。浦先生は,その設立総会の特別講演の講師として哲学者である今道友信先生を推薦されました。今道先生は,「情報と倫理―21世紀の倫理―」という題名で,生圏規模の社会に生きるわれわれにとって新しい倫理(徳目)の提唱を期待するという,情報システム学会の門出にふさわしい講演をされました。またその後の懇親会の席で,浦先生は今道先生に哲学の指導をお願いされました。今道先生からは青山学院女子短期大学教授である橋本典子先生をご紹介頂き,以後3年間「生圏情報システム研究会」を導いて頂きました。世の中の仕組みを情報システムとして捉え,その仕組みを最も基本的な概念から考えていくことを学会の基調にする,という路線を先生は引かれたわけです。
 最後に、情報システム学と情報システム学会を生み育ててこられた浦先生の多大な貢献に改めて感謝申し上げますと共に,先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
(2012年8月30日)
 
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