情報システム学会 メールマガジン 2013.9.25 No.08-06 [12]

連載 情報システムの本質に迫る
第76回 情報システム学会の組織運営(承前)

芳賀 正憲

 2005年、情報システム学会発足直後に、浦昭二先生の強いご指示により、情報システム分野における人材育成のあり方を検討する「情報システム学会・人材育成調査研究委員会」(上野南海雄委員長、小林義人事務局長)が発足しました。それまで産官学の諸機関の打ち出す政策が、「即戦力の育成」「ITスキルの教育」といった方向に目が行きがちで、情報システム人材の育成を真の意味で実現するものになっていないという問題意識が根底にありました。
 そこで委員会では、社会・経済活動の仕組みや制度運用の実態まで含めて、わが国における情報行動のあり方とその問題構造にスコープを広げ、多数の有識者からのヒアリングと白熱した議論と分析を積み重ねた上で、2007年3月、言語技術を基盤として戦略的に問題解決が可能な人材を育成するための基本的な考え方をまとめた、100余ページに及ぶ報告書を作成しました。

 しかしふり返って見ると、その後この報告書は、学会の中で周知が図られ議論が深められることもなく、また、社会に対して提言がなされることもなく、6年間にわたって埋没したままになっていました。報告書の最後に「本稿で論議してきた内容は、情報システム学会として、産業界、官界、学界、そしてあまねく一般社会の関係機関と関係者に向けて、提言することを考慮に入れる」と記されているにもかかわらずです。情報システム学会会員の中には、この報告書の内容はもちろん、存在さえ認識していない人が多いと思われます。
 ここまでのところは、丸山真男氏が『日本の思想』(岩波新書)で指摘した日本の学界の欠陥―あるテーマについて熱心に議論するが、成果が体系的に蓄積されていくことがなく、次の議論ではまたご破算から始める―に酷似しているように見受けられます。先月号のメルマガでは、記号論研究の成果や基礎情報学研究の提案が埋没してしまっていた事例を挙げました。
 しかし人材育成の議論については、異なりました。今年の春、新情報システム学体系化のプロジェクトがスタートし、序説の16章「情報システムの教育」の検討メンバーに小林義人氏が参画、2007年の報告書の成果を発展的に活かして、執筆を進めたからです。
 小林氏の執筆に関しては、同じ章の担当者から、大学で情報教育に携わる者に、大きな刺激と新たな示唆が与えられる、序説を読む者みんなに非常に価値あるものになるだろう等の感想が寄せられました。今回小林氏の提示したコンセプトが、評価に値するものであることはまちがいありません。
 だとすると、報告書が6年間埋没していたのは、学会員にとっても、実は社会全体にとっても非常に損失だったことになります。今回の、報告書の価値の再発見を機会に、学会の中で周知を図って議論を深め、報告書の最後に記されているように、積極的に社会に提言していくべきものと思われます。情報の基本的な概念のところから情報教育の刷新に熱心に取り組まれている西垣通先生、中島聡先生をはじめ、基礎情報学研究会の方々との連携も今後の重要課題です。

 情報システム学会の発足直後に浦昭二先生から与えられた、もう一つの大きな指示は、哲学の勉強をするように、とのことでした。そのために浦先生は、学会の設立総会のあと、基調講演をされた今道友信先生にご相談をされ、その結果、高弟の橋本典子先生から以後3年間にわたってご指導を受けることができました。
 浦先生が、哲学の勉強をするように言われたのは、情報システム学を、基本的なところから体系的に考えるようにという、含意があったと思われます。このことは、8年後の今春、新しい情報システム学の体系化を、概念、歴史、理論、実践の方法論という、学問の王道とも言うべき観点で進めていくプロジェクトが発足して、ようやく実現の軌道に乗りました。
 基本的なところから考えるということには、2つの意味があると思われます。1つは、基本的な概念から考えるということです。あと1つは、歴史的に考えるということです。情報システムは、歴史的に見ると、基本的な原型から次第に複雑多様なシステムに進化してきています。歴史的に見ることにより、情報システムの原点が分かると同時に、今日その課題がどこにあるかも明確になります。

 理論社会学者のルーマンによれば、(人間中心の情報システムである)共同体や社会的な組織は、狩猟採集時代、環節的に分化し、農耕牧畜の発展にともない成層的(階層的)に分化し、近代以降、機能的に分化しつつあるとされています。現代は、機能的分化が、極端に進みつつある社会と見てよいと思われます。
 このような分化・発展がなぜ起きるのか、それは、アシュビーの法則にもとづいていると考えられます。アシュビーの法則というのは、システムが複雑多様な環境に対応して生き延びていくためには、そのシステムは、環境と同じ程度の複雑多様性をその内部にもたなければならないとするものです。環境と同程度の複雑多様性をもつことのできなかったシステムは、存続していくことができず、淘汰されます。
 それではシステムは、アシュビーの法則にしたがって、どのように機能分化し発展していったのか、大きく2つのプロセスが考えられます。
 1つは、システム内のモジュールが、さらに小さなモジュールに分かれ、特性と機能が多様化していくことです。アシュビーの法則の文字通りの実現です。これによって、環境の複雑多様性に対応していきます。
 あと1つのプロセスは、複数のモジュールやシステムが結合し、新たなモジュールやシステムをインテグレートしていくことです。これにより、それぞれのモジュールやシステムの特性や機能の長所を活かし、欠点を補い合って、環境の複雑多様な問題に対処していきます。

 しかし、このような分化・発展では、複雑な環境の問題に個別に対応しているだけです。
システム全体として最適な構造になるために、制約条件はないのでしょうか。数十年前から発展してきたソフトウェア工学が、その解を与えてくれます。
 第1の制約は、モジュールの構成を、開構造ではなく、閉構造にしなければならないということです(片岡雅憲『ソフトウェアモデリング』日科技連)。閉構造というのは、1つの親モジュールに多数の子のモジュールが接続する形になっていて、コントロールは親から子に移ったあと、必ず親にもどる構成です。そのため、子のモジュール間の独立性が確保されます。ただし、親モジュールが介在する分、オーバヘッドが付加されます。一方、開構造では、各モジュールが同一レベルで展開していて、コントロールが次々に移っていきます。そのため各モジュールは、つねに他のモジュールを意識しなければならず、その分、モジュール間の独立性が損なわれます。ただし、親モジュールの介在によるオーバヘッドはかかりません。
 第2の制約は、各モジュールの凝集度を高く、連結度を低くしなければならないことです。これは、情報システム関係者の常識とも見なされる、システム設計上の鉄則です。凝集度が高いとは、1つのモジュールに複数の機能を盛り込まないことであり、また1つの機能を複数のモジュールに分けないことです。連結度を低くするとは、各モジュール間で情報のやりとりをできるだけ少なくすることです。

 具体的に、人々の生活にも研究や教育にも密接に関係のある経済システムについて見ていくと、情報システムの専門家にとって驚くべき課題が存在していることが分かります。
 経済システムについては、理論的に最適状態の得られる条件が2通りあることが、すでに判明しています(コルナイ J.『コルナイ・ヤーノシュ自伝』日本評論新社)。中央集権的計画経済(社会主義体制)と完全分権化市場経済(資本主義体制)です。しかも、どちらも現実にはうまくいかないこともまた、判明しています。
 理由は、適切に情報システムが作動しないからです。最適状態の存在が明らかになっているのに、情報システムがネックになってその状態に到達できないのですから、この問題に取り組むことは、情報システムの専門家や情報システム学会にとって社会的な責務ともいうべきものです。このことを専門家や学会がどれだけに認識しているかということも、懸案事項です。
 集権的計画経済の場合、中央政府で多岐にわたる計画機能を担うため凝集度が低くなり、また強力な政府に現場の各実行組織がタイトに結合されていて、閉構造でオーバヘッドが非常に大きく、連結度のきわめて高いシステム構成になっています。
 集権化経済では、多段階の組織の上下間を、計画化指令やそれに対する報告などの情報が行き来しますが、党中央や政府の指示自体、人間の認知能力や計画策定能力の限界から合理性と一貫性を欠いている上、多段階の組織を経てなされる報告は、それぞれの段階の組織に有利になるように粉飾される可能性をもっています。多数の人間が善意であることは、容易にはあり得ないということです。完全雇用と平等の待遇を目標とする体制が、国民の公共心のレベルによっては、かえってPDCAを回していくことに不作為を生じさせることがあります。
 このように集権化計画経済は、システム構造だけでなく、人間性の限界によっても、理論どおりには実現できません。
 分権化市場経済も、まったく同様です。その様相は、リーマン・ショックを経て世界経済を揺るがしたサブプライム問題を見ればよく分かります。
 住宅に対する30年にも及ぶローン機能は、もともと1つの金融機関で一貫して業務を担ってきましたが、資金効率を高め利益を拡大するため、営業、融資、証券化、保険、格付け、資金提供等、7つもの機能に分化され、それぞれ別の企業組織で受け持たれることになりました。それにもかかわらず、各組織は、同じローン債権を受け渡したり、支払を保証したり、格付けしたりして、タイトに連結されていました。凝集度がきわめて低く、連結度の高いシステム構成になっていたのです。さらに、7つの組織の親モジュールに相当する組織はありませんから、開構造で、各組織の独立性は損なわれ一蓮托生の運命になっていました。
 サブプライム・ローン営業の現場では、金融知識に乏しい低所得者に、詐欺的・略奪的とも言われる商法で契約させる行為が横行していましたが、リスクの大きいローン債権が、銀行から証券会社に渡り、組み合わされ証券化されると、投資家にはリスクがまったく見えなくなります。一方、格付け会社は、結果的に実態よりはるかに高い格付けを与えていたのですが、投資家はそれを信じて証券を買っていました。人間の認知能力の限界と、人間が善意で行動するとは限らないという、集権化経済に見られた情報システムが不適合となる要因が、さらに極端な形で顕在化したのが、サブプライム問題だったと言えます。

 先にも述べたように、経済システムとして理論的に最適な状態は2通りあるのですが、そのいずれも、システム構造設計のまずさだけでなく、認知能力や、必ずしも善意で行動しないという人間性の根源的な限界が要因となって、情報システムが適切に形成されず、現実には大きな問題を起こしています。
 このような複雑な問題の構造を、政治家は理解していないし、多くの経済学者も、凝集度や連結度、閉構造や開構造の概念を認識していません。リーマン・ショックのとき、経済学者によって多くの論説がなされましたが、情報システムの視点は皆無でした。このような問題の解決には、情報システム専門家の取り組みが必要です。

 従来、情報システムの関係者は、いわば部分最適のシステムばかりつくってきました。経済システムとして最適の状態が、2通りあることが分かっていて、システム構造設計と人間性の限界の問題から、現在それが実現できない、この問題をいかに解決するかということは、情報システム学が社会に貢献できる重要かつ最先端の課題と考えられます。

 情報システム学の体系、課題、教育、実践の基本的なあり方をマネジメントしていくのが、情報システム学会の使命です。
 経営学の分野でも、非営利組織のマネジメントは、重要テーマになっています。マネジメントの基本は、PDCAのサイクルをいかに的確に回していくかということですが、PDCAのサイクルは、実は学問研究の基本的なプロセスである仮説実証法と等価なものです。
 問題は、情報システム学会の複数の組織の中で、どこが責任をもってマネジメントの役割を担うかということです。問題の構造は、本稿で述べたように多くの要因が複合していて複雑です。形式的な組織では決して対応はできません。旧日本軍や、現在の官僚機構が、よく無責任体制といわれますが、情報システム学のあり方について、情報システム学会のどの組織も無責任体制では困ります。

 情報システム学に関して戦略的に思考と実践ができ、しかも人が代わっても、しっかりと継承して永続的に活動が続けられる組織の存在が、情報システム学会にとって必須と思われます。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
 皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。