情報システム学会 メールマガジン 2013.5.25 No.08-02 [7]

連載 情報システムの本質に迫る
第72回 基礎情報学研究会の発足

芳賀 正憲

 情報システム学会ではじめての常設研究会として、「基礎情報学研究会」が発足しました。この研究会はもともと、主査である西垣通教授の創始された「基礎情報学」をベースに、高等学校の情報科および大学の情報教育の刷新を目的として、高田信夫氏、中島聡氏等が推進されてきたものです。社会や人間と情報の関係を明らかにし、情報社会でいかに生きていくかの基礎的な教養や知識を身につけることこそ重要と考える視点が、人間中心の情報システムを志向し、ビジネスと研究領域の融合や、情報システム人材の育成を目的とする情報システム学会の視点と完全に一致したため、このたび学会の常設の研究会として、新たにスタートすることになりました。
 実は8年前、学会設立の発起人でもある中嶋聞多教授によって、生命記号論やオートポイエーシス論、メディオロジーに対する批判的検討から生まれた壮大な情報システム論でもある基礎情報学を、情報システム学の基礎理論構築の出発点とすべき旨の提言がなされていたことも、この研究会の発足を大きく後押ししました。

 2005年と2006年、第1回と第2回の情報システム学会研究発表大会に出された中嶋聞多教授の論文は、それまでの情報学の歩みの反省の上に立ち、今後の情報システム学研究のあるべき姿を指し示していて、人間中心を理念とする新しい「情報システム学会宣言」ともいうべく、再読の価値があります。
 第1回の論文「情報システム学とはどのような学問であるべきか〜情報学の失敗をこえて〜」では、冒頭、2005年発足した情報システム学会として、まず、最初になすべき大仕事が、「情報システム学とは何か」という問題について、皆で議論することであると主張されています。
 基本的で重要な問題が閑却されがちなのは世の常ですが、学会では新しい情報システム学体系化の組織的な議論を昨年(2012年)秋に開始し、今春にはプロジェクトが発足、現在16の章に分けて日夜本格的な議論を続けており、8年前の中嶋教授の問題意識にようやく追いついた感があります。

 中嶋教授が自らの学問のルーツともいえる「情報学」の失敗にあえて言及されたのは、「世界を情報という視点でとらえる、あらたな総合的学問体系の構築を、情報システム学によって皆で成し遂げたいとの一念」からでした。
 もともと情報学は、図書館・情報学として発展してきた経緯にも表われているように、文献情報の管理・検索に関わる学問領域を指す言葉でした。それが、コンピュータの登場後、「情報工学」や「情報科学」とも混同され、今日ではむしろ、ITを利用した学問研究の包括的な名称になりました。そのため、情報学特有の理論や方法論の整備は軽視され、情報学が割拠する状況が続いています。このことを中嶋教授は、「情報学の失敗」と指摘されています。
 実際に現在、情報システム学の体系化を進めていこうとすると、基本的なこと、本質的なことが、あまりにも整理されていないことに愕然とします。今日、情報システム関係の学者はきわめて多人数にのぼりますが、そのほとんどが部分的、断片的、表面的なテーマへの対処に追われ、基本的、本質的な問題への考察が行き届かなかったのが実状と思われます。
 例えば、粘土板、印刷術、飛脚、インターネットなど情報技術の発展が、人間の情報行動モデルのどの部分をどのように機能拡張したのか、説明しようとすると、人間の情報行動モデルが、定義できるほどには明確になっていないという基本的な問題に突き当たります。2008年に発行された『情報システム学へのいざない』(培風館)では、「情報システムの企画、開発、運営における諸活動の根底には、この情報行動の考え方がベースになっていると考えられる」と述べているにもかかわらず、「情報行動に関する研究、とりわけ情報システム学の立場での情報行動に関する研究は必ずしも十分に行われているとはいえず、今後、人間の情報行動に関する研究をさらに進めていくことが求められる」としていて、それ以上の言及がありません。ベースについて解明がなされないまま、その先のことが議論されているのです。

 これに対して中嶋教授は、西垣教授によって、情報生成の根本原理が考察しなおされ、世界を「情報」から眺めていく新たな学問として、情報学を再構築する試みがなされていることに注目されました。結論として中嶋教授は、西垣情報学こそ、情報システム学の基礎理論構築の出発点とすべきであると述べられています。
 基礎情報学で展開される情報論は、生命記号論やオートポイエーシス論、メディオロジーに対する批判的検討から生まれた壮大な情報システム論でもあるというのが、中嶋教授の観点ですが、システムと情報の関係について、論文ではさらに、情報システム研究で知られる村田晴夫氏の次のような言葉を紹介されています。

「システムと情報とは相互緊密に関連し、特に情報の論議を抜きにして、人間や人間社会といった動態的なシステムとしての存在や発展を語ることは不可能であるし、逆にシステムの存在を想定しない情報の論議は不十分であり、情報の本当の姿を明らかにすることは不可能であると思われる。」

 論文では、(2005年現在)基礎情報学がまだ発展途上にあり、特に応用面の理論化が未着手であると指摘されています。情報システム学としては、基礎理論と同時に、行為のために、応用ないし実践理論を必要としており、行為・行動の規範として、今道友信氏の提唱された生圏倫理学(エコエティカ)に、今後、基礎情報学とあわせて着目する必要があると述べられています。

 中嶋教授が、第2回の情報システム学会研究発表大会に出された論文のテーマは「情報システム学の枠組み」です。基礎情報学では、情報を、生命情報から社会情報へ、さらに機械情報へと位相を変えるダイナミックなプロセスの中でとらえ、実存する心や社会システムを階層的オートポイエティック・システムとみています。第2回の論文では、基礎情報学の観点から「人間中心の情報システム」を考察した上で、これからの情報システム学のあり方を論じています。
 「人間中心の情報システム」を理念としていても、情報システムといえば多くの人が、コンピュータや通信ネットワーク技術によって実現された工学的なシステムをまず想定するのが現実です。そこで中嶋教授は、「今一度、情報システムとはなにか、その根源にまでさかのぼって考え、われわれ自身の情報システム学を構想する必要がある」と主張されています。
 これは、きわめて今日的な課題でもあります。新情報システム学体系化のプロジェクトにおいても、「人間中心の情報システム」が何を意味するのかということが、つねに議論になります。体系化のプロジェクトでは、組織を情報システムとみなし、組織づくり=情報システムづくり、というコンセプトを提示していますが、その本質的な意味を明らかにし、共通認識していくことが大きな課題です。

 この問題に対して中嶋教授は、「人間中心の情報システム」から研究のあり方を考えた最初の事例として、MasonとMitroffが1973年発表した情報システムの定義を紹介されています。
 「情報システムは、少なくとも一人の、ある心理学的タイプを持った人間から構成される。彼は、組織的な文脈の中で、ある種の問題に直面しており、その解決に達する(すなわちある行動の方向を選択する)ためのよりどころ(evidence)を必要とするが、それはある表現形式を通して利用できるものである。」
 換言すると、情報システムとは、「問題解決をめざす人間または組織のありかたそのもの」です。コンピュータなどの情報機器をいっさい前提にしないで、情報システムの定義が可能であることが分かります。

 基礎情報学では、情報の生成・伝達プロセスをシステム論的に説明していて、人間の心的システム―経済システムや法システムなどの機能分化システム―マスメディア・システムという階層的オートポイエティック・システムも、それぞれ情報システムと見なされています。すなわち基礎情報学は、その本質において、情報システム学の理論的基礎を担う、「基礎情報システム学」と考えることができると、中嶋教授は述べられています。
 情報に関して基礎情報学では、生命情報が広義の情報で、情報概念の出発点になります。一方、社会情報は、狭義の情報で、基礎情報学は主としてこれを対象にしています。機械情報は最狭義の情報として位置づけられ、情報工学や情報科学の対象とされていますが、ICTの急激な発達から、現代社会では機械情報のマネジメントが、きわめて大きな課題になっています。
 情報システム学においても、「人間中心の情報システム」を理念とすることから、基礎情報学と同様、社会情報を主として対象とします。(しかし、社会情報の出発点に生命情報があることは、片ときも忘れることはできません。)
 機械情報については、その重要性が肥大化してきていますが、「人間中心の情報システム」の観点から、その役割はあくまでも社会情報の存在と伝播の基盤としてであり、機械情報は、人間と組織体の活動に融け込んだものでなければなりません。
 これらのことから中嶋教授は、人間系(社会情報)と機械系(機械情報)と、その境界領域が、情報システム学の研究フィールドを構成することになるとされています。もちろんここでは、伝票や帳票など、通常は機械と見なされないものも、広義の機械とされていることに留意する必要があります。

 あと1つ、情報システム学の対象として、階層の問題があります。基礎情報学では、心的システムや社会システムについては詳細に論じられていますが、経営学的な視点が少なく、企業など組織レベルのシステムについては、それほど言及がありません。一方、従来の情報システム学が、主として組織レベルの問題を取り扱っており、個人や社会のレベルの議論が少なかったことも事実です。このことから情報システム学は、組織論に加えて、心理学や社会学的な知見も取り入れながら、個人、組織、社会という3層の研究フィールドを想定しなければならないと、中嶋教授は主張されています。

 さらに中嶋教授は、ここまでの議論を情報システム学の静的な枠組みとされ、これとは別に、動的な枠組みの必要性も指摘されています。動的な枠組みは、視点に応じて、オートポイエティック、または、アロポイエティックとして区別されます。前者は個人、組織、社会それぞれのレベルの情報システムがいかに行動するべきかという問題へ、また後者は情報システムをいかにデザインしマネジメントすべきかという問題へと帰結します。すでに記したように、前者については生圏倫理学(エコエティカ)的観点からの議論が、後者については、横山禎徳氏が提唱する社会システムデザインが参考になると中嶋教授は考えられています。

 情報システム学会では、設立後早い段階から社会への提言を続けており、また本年、新しい情報システム学体系化のプロジェクトと、基礎情報学の常設研究会を発足させました。近年、社会システムの構築を主要テーマとする研究会、心理学を参照領域とする研究会もそれぞれ活動を開始しています。遅ればせながら、中嶋教授の提言に応えた活動が実現しつつあります。
 基礎情報学研究会は常設の研究会として、7月から約2カ月に1回、開催する計画です。その成果は、新情報システム学体系化のプロジェクトで2014年以降作成予定の詳細篇をはじめ、各層向けの書籍に逐次反映が可能です。
 基礎情報学は、オートポイエーシスの考え方を基礎にしていることから、心理学や社会システムと密接に関連しています。したがって、心理学を参照領域とする研究会や社会システムの構築を主要テーマとする研究会と基礎情報学研究会が今後コラボし、相乗効果を高めながら研究を進めていくことも考えられます。

 中嶋論文に啓発され、情報システム学会の研究・事業戦略も、かなり充実したものになってきました。夏のロードマップ会議では、これらの経緯をフォローし、計画をリファインして、わが国のIT競争力のレベルアップに、さらに大きな貢献ができる学会を、皆でつくり上げていきましょう。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
 皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。