はじめまして、情報システム学会の皆さん。埼玉県の高等学校で教科「情報」を担当している中島と申します。当学会のメールマガジンNo.07-05におきまして、芳賀正憲さんの連載「情報システムの本質に迫る」の中で東京大学大学院情報学環・学際情報学府の西垣研究室(以後、西垣研)との共同研究を紹介して頂いた者です。このたび芳賀さんのお口添えにより当メールマガジンに発表の機会を頂いき誠に感謝しております。
教科「情報」の授業を担当し始めてから9年が経過しようとしています。この間に様々なチャレンジと試行錯誤を繰り返して参りました。個人的な努力も然ることながら、大学院との共同研究もあり、なかなかエキサイティングな時間でした。その甲斐もあって、自信を持って教壇に立ち、それなりの授業を展開できるようになっております。当学会の主旨にどの程度関連するのか分かりませんが、高等学校の一教員が教科「情報」に対して何を考え、何を行って来たのか、そして現在の状況について簡単にご報告したいと思います。なお、状況や背景の説明の為に多少個人的な内容も含まれておりますが、ご了承ください。
1986年に理科(物理)の教員として埼玉県に採用されました。大学での専攻は「素粒子」理論で、当時のコンピュータに対するスキルは短いプログラムが組める程度でした。最初の赴任校にコンピュータに対して卓越したスキルを持った鈴木成(しげる)氏がいました。彼とは年齢も近く、また同じ物理を担当し、さらに学校全体の進路も担当していたので、彼が異動するまでの3年間はほぼ同じ仕事を一緒にしていました。進路の仕事と彼の影響で、私のコンピュータに対するスキルは格段に上がりました。それと同時にコンピュータそのものに対する個人的な興味関心も高まってゆきました。一方、当時は「ゆとり教育」として教育内容の削減が進みつつあり、特に理数系教科ではその影響が顕著でした。数学的な理論をベースに授業を展開していた私には、物理の内容が減ることよりも数学の内容が減ることの方が問題でした。「数学を駆使した授業が展開できなくなる」という危機感は、やがて物理教育に対する意欲の喪失を生み出しました。自身のコンピュータに対する興味も重なって、素朴に「生徒も難しい物理を教わるよりも、コンピュータを教えてもらう方が幸せだろう」と考えたものです。
漠然とした「ITリテラシー教育」を求めて、「情報処理(商業)」の教員免許取得に乗り出したこともありますが挫折します。教育に対する方向性を見つけられないまま時間が経過していきました。ただこの間、単に無駄に時間を費しただけではありません。確かに教育者としては空白に近い状態でした。しかし、コンピュータに対する興味関心の高まりは、やがてLinuxやBSDなどのUNIX互換OSに触れる機会につながります。そして、Linuxをある程度使いこなせるようになると、GNUのコピーレフトやオープンソースへの思想的な傾倒が一気に進みました。この思想的の影響により、市販の一般的なOSやソフトウェアのあり方に大きな疑問を抱くようになります。特に「一部の企業のために公教育がなされて良いものなのか」という問題意識は、「ITリテラシー教育」そのものに対する疑問に変わってゆきました。
状況が変わったのは教科「情報」の設立です。「ITリテラシー教育」に問題を感じてはいても、「ゆとり教育」で減退してしまった物理教育をこのまま続けるという意欲は疾うにありません。そこで、教科「情報」の教員免許を取得するため、2000年度に文科省(当時の文部省)が計画し、埼玉県が実施した現職教員を対象とする講習会iに参加しました。そこでの講習内容は、どれもありきたりでつまらないものでした。特に情報工学的な要素の内容は程度が低く、馬鹿にされたような気持ちになるくらいでした。ただ、次の二つだけは全く違いました。ひとつは普通教科としての最後の目標である「情報社会に参画する態度」の説明を聞いたときです。学習指導要領解説では「社会生活の中で情報や情報技術が果たしている役割や及ぼしている影響を理解し、情報モラルの必要性や情報に対する責任について考え、望ましい情報社会の創造に参加しようとする態度」と説明されています。「望ましい情報社会の創造に参加しようとする態度」という文言に、強い印象を受けました。この一文で、私が抱いていた、教科「情報」=「ITリテラシー教育」ではないか、という危惧がなくなったのです。もうひとつは「著作権」についての内容でした。それまで、著作権については多少知っていたつもりでした。しかし、このときの講義により自覚は完全に否定され、新たな気持ちになったことを思い出します。免許を取得する目的で参加した講習会でしたが、教科「情報」の内容は極めて重要であり、現代社会においてこの授業の果たす役割は非常に重要であることを確信したのです。
実際に授業を開始したのは2004年度からになります。免許を取得してから授業開始までの3年間は準備期間ですので、本来ならば、年間授業計画や個々の授業を構成・設計しなくてなりません。しかし実際には、この間にも元の教科である理科の授業を行っているので、教科「情報」に専念する訳にはいきません。時間的な問題もあってこの準備期間に決められたのは、科目と総合実習の2つだけでした。科目は迷わず「情報社会に参画する態度」に焦点をあてている「情報Cii」を選択しました。総合実習では、生徒間の相互評価を連続して行うことにしました。総合実習というセクションは、元の教科である理科に該当するものがなく、また体験したこともありません。当時、どんな総合実習を計画して実践するのかは、情報科の教員としては最大の懸案でした。そんな中で絶対外せないと考えたのが、コミュニケーションです。教科「情報」のターゲットは情報社会ですが、社会であることは間違いありません。そこで「社会に必要なのはコミュニケーションである」と勝手に決めつけたのですiii。この決心から、総合実習はコミュニケーションを積極的に取り入れたものでなくてはならない、と思い込むことなります。勝手な考えはさらに続き、Webページやプレゼンテーションなどの成果物を発信・発表することも、受け手から成果物の評価をもらうことも、コミュニケーションであると独断します。この考え方から、上記の結論となりました。
授業の具体的な構築は実践の直前になってしまい、2004年度は時間的にはぎりぎりの状態でした。それでも、総合実習では「Webページの作成」をテーマに、評価の観点を明確にした成果物の作成、生徒間相互評価、評価結果をフィードバックした成果物の改善、改善に対する生徒間相互評価、という一連の流れを構築し実践することができましたiv。体系的な20時間ほどの総合実習を短期間に作り上げられたのは、異動先の学校で1年前から実践を行っていた鈴木成氏からの支援があったことと、総合実習用に独自のアプリケーション(IPME)vを開発できたことが、大きな要因です。翌年からは授業の改良や追加を行い、また総合実習の相互評価に「文章による評価」をさらに評価することを追加するなどして、2008年度までにはひとつの完成形にすることができましたvi。現在、総合実習に生徒間相互評価を用いることは、かなり一般的になっています。また、評価を成果物にフィードバックさせる連続評価も、それほど珍しいことではなくなりつつあります。しかし、教科「情報」が始まって2年目の当時からすると、先進的な授業を構築できたと自負しています。
ある目標に向かって全力を注いでいるときは、そのことに陶酔してしまい他のことが見えなくなることがあります。同じことが授業でも言えるようで、コミュニケーションを重視した総合実習とそこに至る年間授業計画がほぼ完成し余裕が出てくると、それまで見えていなかった問題点が目につくようになってきました。授業が軌道に乗ってきた頃のことです。
生徒:「情報の授業は今までにない形で面白いですね。」
私 :「僕の授業でコミュニケーションが難しいことが分かってもらえれば嬉しいな。」
生徒:「大丈夫です、分かっています。ところで先生、情報ってなんですか?」
私 :「え〜と...」
情報量の定義ならば答えられます。しかし、授業で行っている科目は「情報C」であり、情報工学の分野はほとんど含まれません。しかも生徒がここで質問している情報の定義は、明らかに人と人との間に交わされるコミュニケーションに関連した社会的なものを指しています。この素朴な質問に答えられないことに非常にショックを受けました。自分が教えている教科の意味を知らない愚かな教員であることに気づかされたのです。少し省みれば情報に限らず、コミュニケーション、メディア、メッセージなどの定義を行わずに平気で授業で使っています。こんないい加減なことは物理の授業では絶対にあり得ません。土台のない不安定な事柄がばらまかれており、極めて信頼性の低い授業を行っていることに全く気がついていなかったのです。この現実に絶句してしまいました。授業の形態と成立を追うのに夢中になって、本質を見失っていたのです。いや、正しくは本質を知ろうとしていなかったのです。
このような愚かな教員は私だけではないことも次第に分かってきました。ある情報科の教員を対象とした研修会では「情報で何を教えたら良いのでしょうか?」という質問に対して、「何でもいいんじゃない」という回答がなされたことがあります。教員として何を教えるべきかが分からないなんて極めて恥ずかしいことです。でもそれ以上に、何を教えても良いといういい加減な考えはもっと恥ずかしいことです。質問をした教員には何か心に引っかかるもの、おそらく私と同じようなものがあったのでしょう。一方、回答した教員は何も感じていません。何かを感じても成す術のない教員と、何も感じない悲しい教員が大多数を占めているのです。彼らを一括して勉強不足と判断することは簡単です。でもそれで問題は解決しません。何故なら情報の定義やその本質などというものを教わっていないのですから。私が受講した文部省の新教科「情報」現職教員等講習会のテキストを見ても、情報は定義されないまま使われています。コミュニケーションにおいても、シャノン=ウィーバーのコミュニケーションモデルが参考として上げられているに過ぎません。情報の本質を知らない教員は、私のような大学で正規な単位を取得しない急造にわか先生に限ったことではありません。大学で情報の教員免許を取得した若い先生も似たようなものです。昨年10月に県の新任者研修に講師として参加したとき直接訪ねてみました。しかしながら、情報やコミュニケーションの定義も、教科としての本質も、明確な回答を得ることはできませんでした。
上記のように、この非常にまずい状況を作り出している原因は、教員個人の問題でもなく、また教員育成に関する構造上の問題でもありません。ですから個々の教員からすれば、情報の本質など気にせず今まで通りに授業を行うことになんら不都合はありません。教科書の内容を淡々と進めて行けばよいのです。事実、私の周りにもこの問題に気がついていながら、あえて無視している教員がいます。しかし、私にはこの問題を無視することはできませんでした。一度自分の授業の気持ち悪さに気がついてしまった以上、もう脳天気で教壇に立ってはいられません。一方「情報社会に参画する態度」という授業目的の重要性に対する気持ちは微動だにしません。だからこの授業を捨ててもとの理科に戻る気持ちにもなれません。しかし、自信をもって教壇に立つには理論的バックボーンが必要です。教科「情報」に親学問が存在しないことは、スタート当初より言われ続けてきました。私を含め情報科の教員は、この問題を知ってはいましたが本当の意味を正しく理解せず、非常に軽く見ていたようです。この問題は、教科「情報」にとって致命的だったのです。他人はともかく、自分の授業には理論的な一貫性を実装しなくてはなりません。理論的な授業を模索し始めました。
情報の定義を求めてあちこちを当たってみると、実に様々なものが存在することが分かりました。しかも、それぞれ分野や学問によって、かなり距離のある定義がなされています。どれも当該分野や学問的には意味のあるものですが、「情報C」にしっくりくるものは見当たりません。時間が経過するのに伴い、やがて諦めの気持ちが頭をもたげてきます。「存在しないものを探しているのかもしれない」という思いが出始めた頃、大きな転機がやってきました。日本経済新聞2008年3月11日付け朝刊の「やさしい経済学」というコラムviiに目が止まりました。そこには「人間が群れとして安定的に維持できる上限は約150人である」というダンバー数に関することが書かれていました。面白そうなので連載のコラムを通して読んでみると、今までに感じたことのない何かが強く伝わってきます。「何だこれは」という感じです。ざっと読んだだけで、「意味作用」から情報を捉える、という考え方にしびれてしまいました。これが西垣通先生との出会いでした。インターネットで先生を調べると、情報工学のエキスパートでありながら研究テーマはコンピュータではなく、生物から人間、そして社会に関することをターゲットにしていることが分かりました。また、どうも情報工学を手放しで“良い”と思っておられないようです。さらに、文系理系を融合して情報社会の問題を解決しようとなされていることも分かってきました。調べれば調べるほど研究内容に興味が増してゆきます。「探していたものを見つけた」と思いました。
実際に授業に取り入れる為には、「基礎情報学」を理解する必要があることもすぐに分かりました。ですが、東京大学大学院の教授の理論を書籍だけで門外漢の人間が簡単に理解できるとは思えません。遠巻きに様子を見ながら、なるべく安直な方法で済ませられないかを調べる日々が続きます。しかし、そんな都合の良いものは見当たりません。止む終えず安易な方法を諦め、正攻法で取り組むことを決意したころには、その年の暮れになっていました。本気で「基礎情報学」に取り組むことを決意するまでも大変でしたが、理解するのはもっと大変でした。『基礎情報学viii』をとりあえず読みきるだけでも3ヶ月、『続 基礎情報学ix』でもほぼ同じ日数を要しました。さらにこの2冊だけでは足りず、「基礎情報学」で扱われている生物システム論の「オートポイエーシス理論」や「ニクラス・ルーマンの社会学理論」まで勉強の範囲を広げなくてはなりません。どちらも、「基礎情報学」に劣らず手強い相手で、トータル1年以上の悪戦苦闘が続きました。ところが大筋が見えてくるようになると、今度はなんとも言えない爽快感が一気に広がりました。まるで霧が晴れたような感覚です。情報、メッセージ、コミュニケーション、メディアの明確な定義。情報伝達と意味内容の伝達の違い。現実としてのコミュニケーションからの拘束。客観世界の不在と疑似客観世界。どれもこれも刺激的でラディカルでありながら、極めて的確に現象を説明していて矛盾がありません。しかも、情報と社会との関係を生命システムからきれいに体系化しています。教科「情報」の理論的バックボーンとして打って付けです。しかも、教科「情報」の問題点のほとんどは「基礎情報学」で解決できます。直感に間違いはありませんでした。
親学問として「基礎情報学」ほど相応しいものはない、という確信から授業への組み込みを始めました。しかし、理解できた「基礎情報学」の範囲は限定的です。また、理解できたと思っている箇所も、素人の身勝手な解釈にすぎません。私の「基礎情報学」に対する理解などは、到底当てになるものではありません。思い切った組み込みは、とても無理です。とりあえず理解に自信のある点を細々と授業に取り入れてみると、生徒の反応も悪くありません。特に、年度当初に「基礎情報学」における情報の定義をしておくとその効果は歴然です。理論的には中途半端な状況ですが、それまでの授業と比べたら月とスッポンです。自分の力量からしてこの程度で十分と自己満足しておりました。これが思わぬ方向に展開し始めます。
当時、埼玉県高等学校情報研究会の幹事として講演会の担当をしており、翌年の総会での講演者を探していました。1年以上「基礎情報学」に取り組んできた私には、講演者として西垣通先生以外は思いつきません。駄目もとで講演の依頼をしてみると、あっさり了承を戴くことができました。嬉しさのあまり調子に乗って、研究会の会誌の投稿用に書いていた「基礎情報学」に関するレポートxのチェックもお願いすると、こちらも丁寧なコメントを頂くことができました。理解の中で大きな間違いはなかったことに安堵したことを覚えています。その後、鈴木成氏と共に講演を引き受けて頂いたお礼の挨拶に東京大学にお伺いすると、先生から切り出されたのは共同研究の話でした。そして、その時からプロジェクトがスタートします。
「基礎情報学」の本家本元と共同研究ですから、いい加減なことはできません。適当なところを細々と授業に取り込んで…なんて悠長なことは一切言ってられません。これまでの授業を全面的に刷新する覚悟が必要です。とても2人でできるものではありません。そこで、まず教員側のメンバー集めを始めました。信頼できる人を選びながら声を掛け、一度は6人までメンバーを増やすことに成功します。しかし、2年後に教科書を出版するという、現場の教員としては受け入れることが極めて難しい研究案が西垣研から提示されると、メンバーは難色を示し次々に離脱していきました。結局、教員としては鈴木成氏と私、出版社の高陵社書店xiだけが参加する寂しいものになってしまいました。ただ、鈴木成氏と高陵社書店は教科「情報」の教科書を執筆・編集した経験がありました。的確に状況を説明したところ、教科書出版という原案は取り下げられ、実現可能な目標について議論が始まりました。様々な目標が検討されましたが、とにかくマンパワーが足りません。これが全てのボトルネックとなってしまいます。議論の末、実現可能な次の二つが目標となりました。
ひとつは、「基礎情報学」の入門書的書籍の出版です。私自身の経験と高陵社書店の出版社としての提案から設定されたものです。この目標には西垣先生と高陵社書店が携わりました。昨年3月に『生命と機械をつなぐ知xii』として出版され、“はじめに”で述べたように芳賀さんのメールマガジンの連載として取り上げられることになります。『生命と機械をつなぐ知』は、非常にコンパクトにまとめられて容易に理解できるように工夫されております。理論説明と補足応用がセットになっている点と、イラストをふんだんに使用している点は、特筆すべきことです。前者は西垣通先生の、後者は高陵社書店の発案と努力によるものです。入門書としてこれ以上は考えられないものに仕上がっています。
もうひとつは、『生命と機械をつなぐ知』をベースにした授業資料の出版です。この目標には教員二人と西垣研が携わりました。西垣研メンバーの授業見学から始まり、次に授業資料の形が検討されました。色々と案は出ますが、なにしろ教員側のマンパワーが足りません。しかも、共同研究が2年目に入るころ、鈴木成氏が家庭の都合により離脱してしまい、教員は私だけになってしまいました。この時は一瞬途方に暮れました。が、すぐに「できることしかできない」と開き直りました。この後は、西垣研のご配慮もあって内容と「基礎情報学」との整合性以外については、ほぼ私の提案通りに進みます。まず、資料はプレゼンテーションと生徒用プリントにしました。時間的にこれ以外を作成することが不可能であったことも事実ですが、ごく普通の授業形態にすることが重要と考えたからです。特殊な形態の授業にすると、様々な弊害が生じる可能性があります。例えば、新たな機材やソフトウェアの準備など、本題と関係ないことに説明を費やさなくてはなりません。これを教員から見た場合、「この授業は機材やソフトウェアを準備しないとできない」と受けとられる可能性があります。授業内容を正しく知ってもらうにはできるだけシンプルでオーソドックスなものが良いと考えたのです。また、授業の構成も私が授業実践できるものに限定しました。当初は『生命と機械をつなぐ知』の半分の授業数として16時間が計画されましたが、結果的に10時間にとどまっています。年間に行える授業時間は限定されていることも原因の一つですが、ほとんどの原因は単なる私の力量不足です。試行錯誤と実験的な授業を繰り返し、さらに西垣研からの意見と修正を受けて『生命と機械をつなぐ授業xiii』として昨年の8月に出版することができました。教科「情報」の致命的欠陥を払拭するため、理論的一貫性を可能な限り追求したものになった思っています。
当初の目標は上記の2つでしたが、研究の途中からもう1つ加わりました。共同研究では実験授業をビデオ撮影し、西垣研で視聴し意見や評価をもらっていました。この過程で、西垣研より授業ビデオのYouTubeでの公開が提案されました。この提案は、研究の流れの中にあるものなので、新たなマンパワーをほとんど必要としません。YouTubeでの公開を本校の管理職に打診すると、二つ返事で許可が下りました。ただ、本校生徒の学力はそれほど高くなく、県下でも明らかに平均以下です。自分の授業を公開することに対する不安は決して小さいものではありません。一方、生徒の生の反応を公開することは非常に価値が大きいと思いました。本校で授業が成立していることをビデオで証明できれば、無理な内容を強行しているのではないことが理解される、と考えました。現在、今年度行われた正規の授業が13本公開されています。「生命と機械をつなぐ授業」をキーワードとして検索し、少し長いビデオですが是非視聴してください。
3つの研究目標が完成し、共同研究は終了しました。現在は普及拡大に向けた新たなステージに入っています。昨年10月より西垣研を中心とする基礎情報学研究会(FIxiv研究会)が発足し、勉強会を中心とした活発な活動を行っています。情報科の教員ばかりでなく、大学、マスコミ、一般企業から中央官庁関係者も参加しています。つい最近まで一握りのメンバーで行ってきたことを思うと、明るい希望が沸いてきます。FI研究会がさらに拡大発展し、「基礎情報学」が社会的に注目を集めてゆくことを願っています。
一方、個人的には具体的な目標はありません。今回のように機会が得られれば、共同研究や授業実践について発表する程度です。上記の通り、現在の授業に至るまでにかなりの時間を使って検討しています。自分の授業はほぼ完成した、と思っています。このため、新しい目標が立てにくくなっているのです。ただ、必要は発明の母なので、職場の異動によりターゲットとなる生徒が変わると新しいものが見えてくるかも知れません。今は、何よりFI研究会の一員として活動することが肝心と思っています。キリスト教はイエス・キリストが広めたのではありません。マルクス主義もカール・マルクスが広めたのではありません。いずれも教徒や主義者によって拡大しました。私も教徒や主義者としてFI研究会の活動に邁進するつもりです。
一介の高校教員の悪戦苦闘ぶりは如何だったでしょうか。今でも各種検定や「ITリテラシー」をメインとした授業は全国あちこちの高等学校で行われています。4月からは新しい学習指導要領に従うことになり、状況は改善するかも知れません。しかし、今までの学習指導要領にも検定に関する記述はありませんので、改善は未知数と捉えておくのが妥当でしょう。まずは、この状況を変えなくてはなりません。それにはキチッとした親学問が絶対に必要なのです。
自分の授業に拘りを持ち続けた結果、ここまで辿り着くことができました。教科「情報」の授業に、場当たり的な「ITリテラシー教育」ではなく、普遍的な理論の一貫性を求めてしまうのは、学生時代に「素粒子」理論に憧れていたことが大きく影響しているのでしょう。物理学の視点で情報教育を見ているのかもしれません。でも、その視点があってこそ「基礎情報学」にめぐり逢えたのだと思っています。
人間を50年もしていると、人生には特別な出会いがあることが分かります。鈴木成氏との出会いは、私のコンピュータに対する興味を大きくし、スキルが上がることにつながりました。情報科の教員として今あるのは彼の存在なくしてありえません。また、西垣通先生との出会いも大きなターニングポイントです。西垣研との共同研究は、たとえ願ったとしても簡単に叶うものではありません。チャンスに恵まれ、さらに有意義な目標が達成できた幸運に感謝しています。この報告が大げさなターニングポイントにならないとしても、読んで頂いた方のどなたかに、何らかの転機を与えることになれば幸いと思います。電子メールのアドレスを追記しましたxvので、ご意見等を頂ければさらに幸いです。よろしくお願いします。お付き合い頂き有難うございました。