近代科学の誕生前、自然の法則に関して、学者でさえ多くのまちがった考えをもっていました。「重いもののほうが、軽いものより速く落下する」「力は、物体を介してのみ伝えることができる」というのは、ギリシャ時代以来2000年近く信じられてきた法則です。このため、現在なら小学生でも知っている万有引力の法則が提唱されたとき、既存の学者たちは一斉に反対しました。「力が真空中でも伝わる」というのが、彼らが信じていた法則に反していたからです。一方、熱烈に支持したのが、当時まだ健在だった魔術師たちです。力の効果が空中遠距離でも及ぶというのが、彼らの日頃の宣伝に合致していたからです。
このような迷信を克服しながら切り開かれていった近代科学は、やがて産業革命を推進する原動力になり、欧米、さらには日本に、飛躍的な経済伸長をもたらしました。しかし、この潮流から大きく取り残されてしまったのが、近代科学の成立以前は、西欧を凌駕する繁栄を誇っていた中国です。
なぜ中国で産業革命が進まなかったのか、北京大学教授・林毅夫氏は次のように説明されています(『北京大学 中国経済講義』東洋経済新報社)。
中国では、紀元前3世紀の秦以来、歴代の王朝で、中央政府がすべてのレベルの地方政府に官吏を直接派遣する制度が続いていました。隋王朝以降、このような官吏は、科挙によって選ばれることになりました。
一たび科挙に合格すると、莫大な富や高い地位、それに家族全員の栄光が約束されます。強烈なインセンティブが働いたため、才能のある人たちは、こぞって科挙の試験に情熱を燃やすようになりました。
科挙を受験するためには、四書五経、歴史書、それに詩と八股文(はっこぶん)という文章形式の書き方を学ぶ必要があります。これらをすべて学ぶのには、10年の歳月を要しました。
国の中で才能のある、ほとんどの人の10年の歳月を、科挙試験の準備に没頭させ、合格後は官吏の途を栄進させたため、中国では、数学や自然の観察・実験など、いわゆる理科系の分野に取り組む人は、ほとんどいませんでした。これが中国で、近代科学の発展はもちろん、発祥も受容も起きなかった主要な原因となりました。
近代科学の誕生以前、科挙はきわめて優れた制度でした。志があり有能で努力する人材を、客観的で公正な試験により国中から集めて官吏に登用、官僚システムの活力は維持され国家は安定し、西欧を上まわる繁栄を実現することができました。しかしまさに、その同じ制度が、近代科学誕生以後の世界においては、優位性を失い科学技術の進歩を妨げたのです。
このような中国の歴史は、今日のわが国にとっても参考になります。
工業社会の最終段階、わが国の国際競争力は世界一をキープし、米国さえ上まわっていました。しかし情報社会に移行し、世界的に情報化が進展するにともない、わが国の地位は急激に低下し、最近の10年間、日本の国際競争力は21位〜27位の間を低迷しています。
パソコンやインターネットの普及など、わが国のITは一見非常に進んでいるように感じられますが、国際的な評価では日本のIT競争力は18位(2012年)にとどまっています。個々の企業や工場に例外はありますが、社会全体として十分な情報システムの構築力と活用力をもたず、情報社会への適応ができなかったことが、国際競争力低下の大きな要因として考えられます。
さらにその原因として、わが国社会で、情報概念や情報システム概念の的確な理解が進んでいないことが挙げられます。
わが国の不幸は、もともとわが国に情報概念や情報システム概念が乏しかったこともあり、本質的には異なった概念の、情報概念とコンピュータ概念、情報システム概念とコンピュータ・システム概念の間に混同があったことです。この混同は今日でも継続しており、専門用語辞典にさえ、情報システムとはコンピュータ・システムと同義などと書かれています。
その結果、わが国ではコンピュータ関係の学者や経験者が、もちろん当事者に悪意があったわけではありませんが、情報や情報システム関係の学者や経験者に“なりすまし”て、研究や教育の任に当たり、それを誰も不思議に思わないという事態が生じることになりました。
当然その人たちには、コンピュータに関する知見はあっても、情報や情報システムに関して十分研究や考察をした実績があるわけではありません。したがって、その言説には、中世に「重いもののほうが速く落下する」「力は、物体を介してのみ伝わる」と述べていた学者たちと同じように、さまざまな誤解が含まれています。
例えば、わが国では情報関係者の中に、本来はformであるはずの情報に関して、「情報は形がない」と考える専門家がたくさんいます。2000年代の半ばにつくられた大学の「情報」の教科書にも、冒頭から「情報は形がない」と書かれています。これは、言語学者の説によると、情報に類似の概念である「考え」や「言葉」を、わが国では気体や液体をメタファとして表現する傾向があり、その文化が「情報は形がない」と考えるのに影響を及ぼした可能性があります。翻訳語である「情報」の特質を、原語の本来の意味よりも、自国の文化にもとづく感覚で説明しているのです。
大学の一般情報教育では、多くの場合、情報概念とコンピュータ概念の混同から、コンピュータ、しかもディジタル・コンピュータにおける情報の処理の仕方が、情報処理の基礎になるという発想で教育が行われています。例えば、情報の最小単位はビットであり、Aは1000001 として処理されると教えられたりします。しかし人間は、決してAを1000001 などとして処理はしていないし、人間にとって情報の最小単位はビットより、むしろチャンク(意味の塊・区切り)が妥当です。人間にとって多様な意味と意義をもつ情報の概念を、ディジタル・コンピュータの仕組みだけを通じて理解させることは、ちょうど「葦の髄から天井をのぞく」ような狭い見識を学生に与え、社会に出たとき、情報に関わる重要な問題について判断をむずかしくする懸念があります。
実は人間は、少なくとも2千数百年前から、情報という言葉を明示的に使わなくても、実質的に情報や情報システムの概念を、哲学、数学、言語学、人類学、社会学、記号論などの諸学を通じて探求してきました。このような諸学は、Peter G. W. Keen氏により、情報システム学の参照学問領域として位置づけられています。
わが国の情報システム関係者も、これら参照領域を認識しており、例えば学会のウェブサイトなどにも掲載されています。しかし掲げるだけで、現実には提唱されてから約30年間、ほとんど参照したことがないのは、わが国の情報システム関係者の怠慢です。
その結果、わが国では情報システム関係の学者から情報や情報システムに関して的確な概念の提示がなされることが少なく、むしろ参照領域の専門家である社会学者の吉田民人氏、経営学者の藤本隆宏氏、哲学者の今道友信氏、それに生産管理工学者の人見勝人氏やシステム科学者の市川惇信氏、基礎情報学を提唱された西垣通氏などから、核心をついた概念の提示や、概念形成の有益なヒントが得られています。
わが国の情報システム関係者たちの怠慢は、参照領域を参照してこなかっただけでなく、上記吉田民人氏をはじめとする専門家たちが、核心をついた概念や、概念形成の有益なヒントを提示したあとも、それらを学んで、自らの知識体系のレベルアップに努めてこなかったことです。
結果として、大学の専門課程においても、一般教育課程においても、高等学校においても、意味のある情報教育と情報システム教育ができず、社会全体の情報システム構築力と活用力を低いままにとどめて、情報社会に突入すると同時に、わが国の国際競争力を著しく低下させたと推測されます。わが国の情報システム産業が、3K,7Kなどと称され、労働集約型産業から脱却できないのも、今まで、概念、歴史、理論、実践の方法論から成る体系を整備し 基本的・本質的なところから教育をしてこなかった情報システム関係者の責任が大きいと考えられます。
今までもわが国で、情報システムの教育体系がつくられたことはありました。しかし、多くの場合、米国でつくられたものをコピペして日本版としており、基本的な概念から自ら考えぬいて開発したものではありませんでした。これでは情報システムを本質的なところから理解した学生を送り出すことはできないし、情報システム産業が労働集約的になるのを避けることができません。上記、吉田民人氏など参照領域の専門家が、問題と格闘し、自ら洞察と思索を積み重ねて基本概念を形成、体系化を進められたのと対照的です。
現状では、特に産業界における情報システムの専門家の、利用者に対する考え方にも、改革の余地があります。一般に情報システムの専門家は、要件定義はもちろん、ときにはプロジェクトの成否にさえ、利用者組織に責任があるという考え方をします。しかし要件定義は、構造化分析でいえば、将来論理と将来物理に相当するモデルを定義しなければならないのですから、その導出プロセスから考えても、十分な情報システム教育を受ける機会がなかった利用者には至難の技です。最近の複雑化したシステム開発のプロジェクト管理については、言うまでもありません。
一般的にもマーケティングの分野において、高度化した技術が集約した商品について、顧客からニーズを聴き出すのはむずかしいとされています。昨年5月の情報システム学会のシンポジウムで松島克守氏は、「iPhoneを作ってくれという客は1人もいなかった。俺が考えた」という、スティーブ・ジョブズの言葉を紹介されました。
社会全体のシステムについて取り組まなければならないのも、これからの情報システム専門家の最重要の課題です。今まで情報システムの専門家は、企業、工場、機器などのシステムについては取り組み、大きな成果を上げてきました。しかし、社会全体のシステムが適切に機能しなければ、国際競争力は確保できず、経済の安定は得られず、高度の社会福祉も実現しません。幸い、世界に目を向ければ、社会システムについて優れたベンチマーク・モデルが得られつつあります。そのようなモデルに学びつつ、学会の叡智を結集して、今度は世界からベンチマークとされるようなモデルを実現していく必要があります。
最後に、情報システムの関係者にとって重要なことは、PDCAをきちんと回していくことです。今まで、例えば情報システム教育の専門家がいて、カリキュラムをつくったり、教育の実践を行なっていたとします。しかし結果として、どのような大きなシステムトラブルが生じても、情報システム産業が3Kとか7Kと呼ばれるようになっても、情報社会になって国際競争力が著しく低下しても、その教育専門家が、問題の構造を分析し、教育体系や実践プロセスのレベルアップを不断に図っていくことは、きわめてまれであったと思われます。PDCAを回さなければ、いつまでも、問題の構造が残っていくことになります。
現在、情報システム学会では、情報や情報システムの本質の解明や説明を目的とする新しい人間中心の情報システム学の体系をつくっていこうとしています。このプロジェクトは、本稿にもいくつか挙げたような、情報システムの教育や産業に関わるさまざまな問題に対する抜本的なActionとして実行していこうとしているものです。これによって、大学の専門・一般教育と、初等中等課程における情報教育、特に高校の教科「情報」を真に意味のあるものにし、情報システム産業界のインダストリアル・アイデンティティを確立、nK産業からの脱却を図り、最終的には、日本の国際競争力を2012年の27位から上位に浮上させることをめざしています。
志のある学会の多くの方々が議論に参画し、執筆に協力して下さることを期待しています。
この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。