蒼海憲治(大手SI企業・金融系プロジェクトマネージャ)
40歳過ぎてから、スキーを再開しました。数年前、同じプロジェクトで一緒に仕事をした10歳以上年上の先輩が50歳を超えた現在でも、年に10回はスキー場に通っているということに触発されて、18年ぶりにスキーに行ったのでした。上手くはないものの、自転車と同じで、一度身体で覚えたことはなかなか忘れていないはず、と思って、いきなりゴンドラに乗って降り立ったところ、さあ大変。身体をどう動かしたら、左右にターンできるか、ということさえ見事に忘れてしまっており、冷や汗と文字通り、大汗をかきながら、40分ほどかかってなんとか下に降りてくることができました。ただちに、スキースクールに申し込みました(笑)。
現在も、下手の横好きの域を出ないのですが、この時以来、毎冬、休みが取れる週末は、たとえ日帰りでも、せっせとスキー場通いするようになりました。
最近のスキー場は、バブルの頃と違って、リフトに一時間待ちなどということはめったになく、食事も充実しています。
自分がスキーを再開したせいか、意識していることの情報が集まりやすいというカラーバス効果もあり、最近、気がつくのは、40歳を越えてスキーを始め、その魅力に目覚めた人が結構いることです。みなさんのはまりっぷりと、そのスキー哲学というべきものに、共感することしきりです。
ソニーの創業者であった盛田昭夫さんは、若いころからゴルフ一筋だったそうですが、
60歳でテニスを始め、65歳になってからスキーを始め、67歳でスキューバダイビングを始められています。スキーについては、シーズン中は毎週のように安比や旭川のカムリ・リンクなどのスキー場へ通ったといいます。盛田さんのスキーに臨む姿は、大前研一さんがこう描いています。
≪・・年をとってから始めると、傾斜のきつい坂を滑降するのには勇気がいる。
ところで、スキーの魅力とは何でしょうか?
1.白銀の世界
まず、一面の真っ白なゲレンデの美しさとそこでの爽快感、
リフトや頂上からみた景色の美しさや雄大さがあります。
2.滑走の快感
朝一番、整備されたばかりで、スキーやボードの跡が一つもついていないゲレンデを
滑るときの心地よさは格別のものがあります。
滑走時は、ジェットコースターに似たゾクゾク感があり、また、真下に落ちるような感覚のする急斜面に向かうとき、恐怖心とともに、そこを滑り降りる時の快感、スリルを感じることができます。
3.スピード感
風を全身に感じながら、ゲレンデを疾走するときの気持ち良さは、日常ではなかなか味わえません。
4.新鮮な空気
摂氏0度前後の空気は、冷たいだけでなく、清らかな気がしますが、この空気を胸一杯に吸い込むことで、リフレッシュできます。
5.スキルに応じた楽しみ
たとえボーゲンしかできず、初心者コースしか滑れない時でも、スキルに応じた楽しみ方ができます。
6.クタクタになれる
朝食後の8時過ぎからゲレンデに出て、夕方リフトが止まる5時前まで、まるまる一日をゲレンデで過ごす。文字通り、クタクタになることができます。
デスクワークの欠点は、心が疲れているにもかかわらず、身体が疲れていない点にあります。心と身体のバランスを取るために、身体を使うことが大切だと思っています。
7.筋肉痛も楽しみ
日ごろ使わない筋肉を使うため、滑走後は、筋肉痛に襲われます。
でも、この筋肉痛の痛さも、楽しみの一つになります。
8.夢中になれる
急な坂に対峙している時は、どうこの坂を滑り降りるかを考えるだけで精一杯です。
無我夢中で滑っている時は、日常のことは一切頭になくなっています。
誰かと滑っていても、滑り降りている瞬間は、一人になります。
他人のことは、眼中になくなります。
9.心と体が開かれる
≪スキーが上手になるコツは、ただひとつ。
心を開き、からだを開くことだ。
言い方を変えれば、雪と斜面と友達になることである。≫(*2)
心が閉じていると、雪との決闘になって復讐されます。スキーは雪との格闘技ではありません。心を開き、からだを開く。雪と斜面に友達になってもらうことが大切です。だからこそ、心を閉ざしがちな人こそ、スキーがその心を開いてくれるのかもしれません。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、ということを実感する瞬間です。
10.温泉を楽しむ
スキー場のある山の麓の多くには、良い温泉があります。疲れた身体が、温泉の湯に入ることで、癒されていくのを感じるのは、なんとも気持ちのよい時間です。
このような魅力満点のスキーですが、これらをスキー道、スキー哲学のように捉えていた人がいます。それは、画家の岡本太郎さんです。太郎さんは、46歳で初めてスキーを始めたのですが、その後、スキーにはまりまくったのでした。
この太郎さんのスキー哲学は、『岡本太郎の挑戦するスキー』という本に記されています。しかし、この本が所収されている『岡本太郎著作集 第8巻 岡本太郎の眼』(*4)ともども、残念ながら現在、絶版になり、古書のオークションサイトでは、1万円を超える高値がついています。なかなか手に取る機会がないと思いますので、少し紹介してみます。
≪真っ白な急斜面に挑むとき、血がわき上がり、全身が爆発する思い。
スキーというのは、ほんとうにスリルにみちた命がけのスポーツである。≫
野球やサッカーなど他のスポーツは、相手がなければプレーできない。
そして、他のスポーツは、うまいものだけが得意気な顔をしてプレーをし、
その他大勢は、観客にまわってしまう。それが気に入らない、といいます。
≪スキーこそ、自分のなま身で挑む“やるスポーツ”の代表なのだ。≫
≪へたくそで、ギクシャクしていても、不思議に楽しい。
“見てくれ”なんてどうでもかまわない。
へただから恥ずかしいなどというコンプレックスを誰も持たない。
斜面に思い切って突っ込む。
そして瞬間に、スッテンと猛烈にひっくり返る。≫
これは、名選手のプレーを見て興奮するよりも、はるかに強烈な、直接的なセンセーションだ、といいます。
つまり、
≪スキーは技術だけではないところがいい。
むしろ技術などというワクを超えて挑むことが、
このスポーツの本当の歓びであり、感動なのだ。≫
≪無条件に、無目的に挑むこと・・
実は、もっとひろげて考えてみれば、これは実社会においても、
生きて行く上の極意なのである。≫
成功や失敗は、結果にすぎない。
だから、生きる上で、「自分」を失ってはならない、といいます。
≪妥協したり、責任を逃れるような言動や仕事をしないこと、
むしろマイナスにマイナスにと賭ける。≫
ここで、太郎さんの有名な「幸福」反対論、が飛び出します。
≪まことに変わっていると言われるかもしれないが、
私は「幸福」反対論者なのである。
危険のないところに生きがいはない。
死に対面する時にこそ、生命は燃えあがる。
それが歓喜なのだ。
歓喜と幸福はまさに正反対のモメントである。≫
スキーのハイ・シーズンは、12月末から3月上旬までと、3か月余りしかないのですが、この時の滑った感覚が、次のシーズンまで一年じゅう自分の身体に残っている気がしています。
(*1)大前研一『遊ぶ奴ほどよくデキる!』小学館
(*2)舘内端『中年スキーのすすめ―男40代、奮闘のシュプール』スキージャーナル
(*3)岡本太郎『人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている。』イースト・プレス
(*4)『岡本太郎著作集 第8巻 岡本太郎の眼』講談社