前回、「ビジネスの変化に迅速に対応できない情報システム」ということに触れた中で、“企業活動の本質的な要素(ビジネス・モデル)の構造が、情報システムの構造とどのような関係にあるのか”ということを明確にせずに情報システムを運用しているところに根本的な問題があるのではないかと書きました。今回から数回にわたって、この点について記述したいと思います。
言葉は、社会や特定のコミュニティに属す人々が、ある対象にたいして共通の認識を持つために人間が生み出した表現手段です。たとえば、“リンゴ”や“ブドウ”という言葉を発した時、人は、その具体的イメージを頭に浮かべることができます。自然界に存在する食べ物、植物、動物、宇宙に存在する星などに限らず、人が作り出した農機具、やり、刀、盾などの道具から、自動車、電気製品など、それらにつけられた言葉を語るとき、人はその具体的対象について共通の認識があるので会話が成り立っています。
さて、我々のITに関わるコミュニティ(ITベンダーのみならず企業や行政などの情報システムにかかわる人たちの仮想的グループ)で発せられる言葉は、はたしてその言葉が対象とする具体的なものを共通認識しているのでしょうか? 恐らく多くの方が疑問に思われているのではないでしょうか? IT業界で使われる用語の命の短さは、ネットイヤーの速さと同期しているのではないかと感じられます。ここでは、技術用語の使い方の問題はさておき、「ビジネスの変化に情報システムが迅速に対応できない」と述べた意味について考えてみます。
この言い回しは、IT関係のメディアに何度も取り上げられている表現ですが、はたしてその中身は共通認識されているのでしょうか? 大いに疑問です。なぜなら、このような重大と思える課題が解決されたという話を一向に聞かないからです。つまり、この課題は、重要だという認識が共通認識となるほど明確にはなっていないということなのだと思います。
“ビジネスの変化”とは具体的には何のことでしょうか? あるいは、“情報システムが迅速に対応できない”という時、どのようなことが達成できれば迅速に対応できたというのでしょうか? あるいは、迅速に対応できない原因をどのように考えているのでしょうか?
このような疑問を持つと、“ビジネスの変化に情報システムが迅速に対応できない”という言葉が、いろいろな意味に解釈できることが理解できるでしょう。そう、あまりにもいろいろな解釈ができるので、経営者が情報システム部門を叱責したところで、部門長が問題の深さを認識せずに、それは“トップマネジメントが単に空想を語っているにすぎず、対応のしようがない”と考えても不思議ではないような気がします。
共通認識を得るためにどこからはじめたらよいか。まずは、“ビジネスの変化”という言葉からはじめたいと思えます。
“ビジネスの変化”というとき、直観的には、今まで売り上げが伸びていた商品の売り上げが突然下がったとか利益が減ったとか、工場の生産拠点を変えなければならない事態が発生したとか、あるいは、物流もそれにあわせて変えていかなければならないとか、経済環境が悪化したとか、あるいは競合他社が画期的な新製品を発表したとか、いろいろ浮かびます。しかし、そういった現象を一つ一つ挙げ連ねても情報システムが迅速に対応できるための解決策にすぐ結び付くわけではありません。では、どう考えたらよいのでしょう?
それを考える上での一つのよい方法は、変化する対象と影響を受ける要素には、どのようなモノやコトがあるのかを明らかにしてみることです。別の言い方をすると、ビジネス活動に大きな“影響を与える”あるいは“影響を受ける”基本的な要素にはどのようなものがあるのか、つまり、ビジネス・モデルを決定づける要素にはどのようなものがあるのかを考えることではないかと思います。
“ビジネス・モデル”という言葉は、「A社のビジネス・モデルは優れている」とか「B社のビジネス・モデルは古い」とか、あるいは「C社のビジネス・モデルは、ユニークだ」とかいう表現で使われます。この“ビジネス・モデル”という用語にはいくつか定義がありますが、ここでは「企業が利益を生み出す仕組み」と考えておきます。(“ビジネス・モデル”のいくつかの定義については最後に参考として記載しています)
“利益を生み出す仕組み”ということの意味をもう少し掘り下げてみます。企業が何らかの活動をして利益を得るのにどのような要素が関係しているのでしょうか?たとえば、以下のような要素が関係していることが容易に理解できます。(情報システムの仕組みは手段なのでここでは除きます)
そのほかにも多くの要素があります。企業が利益を生む仕掛けを作るには、それぞれの要素をセグメンテーションして、セグメントごとの最適な組み合わせを見つけ出すことが必要です。ここでは、そういった要素やセグメンテーションの方法をあげるのが目的ではありません。“ビジネスの変化”は、複数の要素に影響を与えますが、どれか一つの要素に何らかの変化が発生したときに、その影響がどこまで及ぶのかをどうやったら知ることができるのかという点について考えます。いってみれば、“ビジネス変化の追跡”ですが、それはどのようにすれば、直観に頼らずに可能になるのでしょう。それがここでのテーマです。
実際のところ、あるビジネスの変化がビジネス・モデルを構成するある要素に発生したときに、他の要素にどのように波及しているのかを分析できる仕組みを構築している企業があるのか私は知りません。ほとんどの(恐らくすべての)企業では、何か変化があると―たとえば、新商品の販売を決定する、競合他社が新製品を発売する、などの場合―マーケティングをどうすべきとか、担当組織や販売エリアをどうすべしとか、自社製品の価格を下げるべきか、社内の業務手続きをもっと簡略化すべきなのか、自社開発から撤退すべきなのか などという意思決定は、人が“情報システムの力を借りずに”考え行っているでしょう。これらの要素の関係が単純であれば適切な判断も可能でしょうが、はたして実際にはどうなのでしょう? もし、あるビジネスの変化が、組織、商品、マーケティング、販売エリア、流通、生産、取引先、あるいは顧客戦略などの要素の、特定の対象にどういった影響を及ぼすのかを、システマティックに分析できたとしたら、今よりも考える対象を絞ることができ、意思決定の妥当性がより明確になり、経営者にとって喜ばしいことではないでしょうか? それとも、そんなことは空想にすぎないのでしょうか?
このようなことが可能になるためには、それらの要素ごとの関係を明確にしておくことが必要になります。つまり、“ビジネス・モデルの情報モデル”が必要だということです。“企業のビジネス・モデルの可視化” が必要だといってもよいでしょう。
そこで、上記に示したビジネス・モデルの要素間にどのような関係(情報モデル)があるのか考えてみたいと思います。
まず、顧客と商品の関係。容易にわかるように、顧客の中には、自社の商品を一種類しか購入してくれない方もいるかもしれませんが、複数購入してくれる方もいます。ある一つの商品をみれば、あきらかに多数の顧客が購入してくれます。したがって、顧客と商品の関係は、“多対多”(以降、“n:m”と表記)です。
商品と自社組織(たとえば営業組織、営業担当者、ヘルプデスクの担当者など)との関係はどうでしょう。それも、簡単にわかるように、ひとつの商品は複数の組織で販売し、ひとつの組織は複数の商品を販売しています。したがって、この二つの関係もn:mの関係です。
あるいは、自社で製造している製品の場合、その製品を構成する特定の部品は、自社で開発しているものもあるかもしれませんし、外部から調達しているかもしれません。製品と調達先との関係もやはりn:mです。
今度は、事業戦略と販売チャネルとの関係を見てみましょう。新しい事業戦略に基づいて新商品を開発したとします。どういった販売チャネルを使って(ビジネス・プロセスと関係する)営業活動をするのがよいでしょうか。対面販売、Webでの販売、提携先のチャネルを利用した販売などが考えられます。つまり、ひとつの戦略は複数の販売チャネルに影響を与える可能性があります。一方販売チャネル側からみれば、当然従来の製品も扱っているので複数の戦略と関係しています。よって、これらの関係のn:mです。
もうおわかりのように、ビジネス・モデルを構成する要素間の関係は全てn:mです。それらのすべての関係がビジネス・モデルの全体だと考えると、ビジネス・モデルはおそらく10次元(あるいは11次元)と言われている宇宙の次元数よりも多いのは間違いないでしょう。現状は、そういう複雑な構造をしている企業活動をシステムの手を借りずに人がほとんど直感で理解し、問題を解決していることになります。人の能力のすばらしさに驚きますが、はたして、合理的な判断はできているのでしょうか?
もちろん、ビジネス・モデルを構成する要素間の関係を情報モデルで表現すれば、問題に対して合理的でかつ最適な解が必ず見つかると主張するつもりはありません。ただ、そのようなモデルがあれば、問題の影響が及ぶ範囲を特定しやすいので、最適解に近づけることは容易になるのではないでしょうか。そして、ビジネスの変化の波及の状況を可視化できるので、多くの社員がその変化を共通認識でき人的対応の面でも迅速な対応ができるようになるのではないかと思います。
ビジネス・モデルの情報モデルは、ある意味で、製造業では当たり前になっている部品管理システム(BOM: Bills of Materials)をビジネス活動全体にあてはめたと考えてもよいでしょう。BOMは、製造活動における材料である膨大な種類の“部品”間の関係を情報モデルとして構築し、それをシステムとして実装したものです。ビジネス・モデルの情報モデルを構築しそれを管理することは、BOMの考えを製造活動だけにとどまらず、ビジネス活動全体に広げたものです。部品の種類が膨大である場合、製造活動でBOMを構築しないことなどあり得ません。製造活動以外は、まだそれを人手に頼っているということになります。
情報システムとの関係で、ビジネス活動を行う上での要素を考えると、先に書いた「仕事の仕組み(ビジネス・プロセスとビジネス・ルール)」および「社内外で得られる情報」というのが直接的な関係を持つ要素として重要になってきます。そのことについては誰も異存はないでしょう。ビジネス・プロセスやビジネス・ル―ルそして情報と情報システムとの関係についての話題は次号以降に譲りますが、最後にビジネス・モデルを構成する要素と、日常活動との関係について触れておきます。
企業で日常的に行われている活動を考えると、それは、これまでに述べてきたような、ビジネス・モデルの要素とは別の要素であることに気がつきます。どのような組織でも、組織に属す人々のほとんどの時間は、会議、お客様対応、物つくり(生産、荷造り)、資料作成、判断と意思決定、電話、事務作業などに費やしています。そのような日常活動と今まで書いてきた“ビジネス・モデルの主要要素”とは全く違うことのように見えます。ビジネス・モデルの要素は、そういう日常作業とは、どういう関係があるのでしょう。
ビジネス・モデルは、「企業が利益を生み出す仕組み」だと述べました。企業が利益を生み出すのは、日常的な営業活動やマーケティング活動を行うからであって、そのような日常的な活動のほうが企業にとってより本質である、という見解が述べられてもおかしくはないかもしれません。ただ、そういった日常活動は、組織が作り出した「仕組み」の結果としての行為であるということを忘れてはいけません。組織が作り出した「仕組み」としてのフレームワーク(型枠)のなかで、行動(PDCAのDo)しているといってもよいでしょう。
企業の行動の「仕組み」を決めているのが、ビジネス・モデルです。その結果は、企業文化にもなりますし、組織や人の行動を決定します。したがって、自社のビジネス・モデルを明確に理解することは極めて重要です。ビジネス・モデルを可視化することは、「企業が自分自身を知る」ということですが、それができている企業はどのくらいあるでしょうか。
今回は、「ビジネスの変化に迅速に対応できる情報システム」という言い回しの前半の「ビジネスの変化」というところについて書きました。ビジネスの変化は、ビジネス・モデルを構成する一つだけの要素に影響するのではなく、複数の要素に影響を与えます。したがって、その影響がさまざまな要素に複雑な経路で波及することを、直感でなく適確にとらえるには、ビジネス・モデルの情報モデルを構築することが必要になると述べました。ビジネス・モデルの構造は要素間の関係がすべて多対多の関係となるので、その要素の数だけの次元が存在します。現在、ビジネス・モデルの構造をシステマティックに管理できている組織はまず存在せず(*1)、すべて人の直感に頼る意思決定を行っているといってよいのではないでしょうか。
今回は、多少理屈っぽい話が多くなりました。実現するには中長期の視点で取り組む必要があります。次回は、ビジネス・モデルの構成要素のうち、今回あまり触れなかったビジネス・プロセス、ビジネス・ルールおよび“ビジネス”情報について、BPMS(Business Process Management System)やBRMS(Business Rule Management System)のことも視野に入れながら書く予定です。
以上
(*1) 今でも、顧客、商品、組織などの情報はデータベース化して管理しているので、すでにビジネス・モデルの情報モデルは構築できていると考える人もいると思います。しかし、現在管理している情報は実態を把握することを目的としており、ビジネス環境や戦略の変化がどのような影響を及ぼすのかという分析に使っているわけではありません。ビジネス・モデルの情報モデルは目的が異なるので、情報モデルとしては異なったものになるでしょう。
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参考: ビジネス・モデルの定義について。
ビジネス・モデルという言葉も定義は一つではありません。以下にいくつか紹介します。
(図は上記資料のp24の図を日本語にし、p14の記述をもとにBMMとビジネス・モデルとの関係の説明を筆者が付与したものです。日本語訳は筆者の責任で実施。なお、このBMMでは、ビジネス・プロセスとビジネス・ルールを、ビジネス活動の動機(モチベーション)を実現する仕組みと位置付けています。また、このモデルにはInformation(情報)は明示的には示されていません。その点についても、次回触れたいと思います)