情報システム学会 メールマガジン 2012.10.25 No.07-08 [12]

連載 情報システムの本質に迫る
第65回 尖閣問題の情報システム学(新)

芳賀 正憲

 戦前でも政府の重要な意思決定に関わる情報の多くが、課長や、軍隊で言えば尉官・佐官など比較的若手層に握られていて、彼らによって策定された方針案に、情報をもたない上層部が反論するのは容易ではありませんでした。しかも、彼ら若手層(当時の位で奏任官)の数は、東大大学院の加藤陽子教授のお話しでは、次のようになっていました。外務省355、内務省542、大蔵省567、陸軍省13906、海軍省6189名・・・。
 この数字を見ると、陸軍省の奏任官の数が、事務系官僚はもちろん、海軍省さえ圧倒して多数を占めていることが分かります。結果として、陸軍の青年将校たちが力まかせにつくった、瀬戸際からさらに大きく踏み出す方針案が、堂々と国の政策になり、わが国を破滅に導いていったのでした。
 東京都の石原慎太郎知事は、年齢も地位も青年将校たちとは対照的ですが、虎の尾を踏むことにかけては、彼らの人後に落ちないものがあります。注目度を高めるためか、石原氏はワシントンで、都が尖閣諸島を購入することを唐突に発表したのでした。

 同行記者団に「面白い話だろ。これで政府にほえづらかかせてやろう」(毎日新聞)と語ったというのですから、政治家としての品性が疑われますが、もちろん面白い話どころか、一部称賛する人がいたとしても、石原氏の尖閣購入が、結局問題をこじらせるだけで、何の解決にもならないことは、火を見るより明らかでした。
 6月、駐中国大使の丹羽宇一郎氏が「石原都知事の計画が実行されれば日中関係にきわめて重大な結果をもたらすだろう。過去数10年間の努力が水泡に帰すことを許すわけにはいかない」と述べたのは、その後の推移を見るとき、民間出身の大使だからこそ可能だった、きわめて的確な発言でした。
 しかしこの発言に対しては、石原氏をはじめ保守系の政治家から非難と更迭要求が続出、政府部内からも批判が出て、外務省は注意を与え、丹羽氏は四面楚歌の中で反省を余儀なくされました。
 9月の尖閣国有化後、大規模な反日デモを経て、日中関係はかつてないほど冷え込み、経済界も大打撃を受けました。製造業の生産や小売業の売り上げは激減、国有企業の入札からの締め出し、各種商談の延期が相次ぎ、例えば、日系自動車メーカの販売台数は、前年同月の半分以下に落ち込みました。
 これに対して米倉経団連会長は10月9日の記者会見で、日中関係の悪化について「日本サイドからの行動」がきっかけとの認識を表明し、尖閣諸島の国有化につながった石原氏の言動に不快感をにじませました(日経QUICKニュース)。米倉氏のこの認識は正鵠を得ていると考えられますが、それだったらなぜ4か月前、経済界出身の丹羽大使が、先見性をもって同趣旨の発言をし、孤立無援に陥ったとき、全面的にバックアップしなかったのか、その対応に不満が残ります。

 日本の政府が尖閣の国有化に踏み切ったのは、石原氏の購入により日中間の摩擦が激化するのを避けるためでした。石原氏はかつて尖閣に上陸しようとしたことがあり、ワシントンでも「あそこに最初に灯台をつくったのは僕ですよ」述べています。石原氏の購入が実現すれば、石原氏を含め関係者の上陸と、その後、港などの建設計画が進められるのは必至の状況でした。そうなれば、中国との関係は決定的に悪化します。
 したがって今回の尖閣の国有化は、石原氏の購入計画に対するけん制策であり、その及ぼす影響に対する緩和策としてなされたものです。政府は国有化した後も現状維持を続ける予定であり、石原氏のように新規の計画を実行する意図はもっていません。そのことは、日本国内では明白です。
 しかし中国側には、石原氏と日本政府の相対的な関係と、それぞれの意図を分離して理解することは、一部の知日派を除いてむずかしかったようです。野田首相と石原氏が会談したこともあり、両者はむしろ結託して、実効支配の新たな強化策を打ち出したと見なされました。ウラジオストクで胡錦濤主席が野田首相に直接、尖閣購入に対する懸念を示したわずか2日後に国有化を閣議決定したことも、中国側の態度を硬化させました。

 尖閣の問題は、国境線の位置だけでなく、日中両国の対応の平衡点がどこにあるかが重要な焦点になっています。国交回復時と平和友好条約の締結時、周恩来首相と鄧(編集部注:?に見えるとき、トウ、登偏におおざと)小平副首相がこの問題をペンディングにしたとされていますが、日本側はこれを認めていません。しかし日本側も40年にわたる経緯の中で、実質的に平衡を維持するための条件を見出してきました。
 政府関係者以外上陸させない、施設の建設を行なわない、中国人の上陸者は逮捕するが直ちに強制送還することなどですが、石原氏の購入表明はこれらの平衡条件を一挙にくつがえす可能性をもっていました。それを防ぐための国有化でしたが、中国側からは国有化自体が新たな平衡点の移動と受けとめられました。
 この平衡点の移動は、背景こそ異なりますが、竹島や北方領土への韓国やロシアの大統領の訪問と同様に、実効支配強化の懸念を相手国に抱かせる象徴的な意味をもった可能性があります。

 大々的に打ち上げて世論の注目を集めるのですが、妥当性や実現可能性、リスク分析に欠落のある政策が、石原氏により提案されるのは、尖閣の購入計画がはじめてではありません。
 1期目の都知事選立候補では、米軍横田基地の返還と軍民共用化を公約に掲げました。当初から可能性がほとんどないと見なされていましたが、4期目になっても実現の見通しは立っていません。
 2期目の選挙では、新銀行の設立を公約。経済情勢が激動する中、プロでもむずかしい金融機関の経営を地方自治体が、しかも基盤の弱い中小企業を対象にやっていけるのか懸念されていましたが、知事の強力なイニシアティブにより東京都が1000億円出資して実行に移されました。そのため、この銀行は別名「石原銀行」とも呼ばれることになりました。しかし、2007年度までの4年間で1260億円の累積損失が発生、2008年には、さらに400億円の追加出資が必要になりました。
 3期目の立候補では、2016年のオリンピック招致を公約に掲げました。世論の招致への支持が低い中、150億円かけて活動しましたが、リオデジャネイロに決定しました。

 石原氏に関しては、数々の公私混同や暴言等の不祥事が知られています。また石原氏は週に2〜3日しか出勤しないため、代わって政務を取り仕切る、元秘書の副知事の行動が専横をきわめ、ついにこの副知事は都議会で問責を受け辞任しました。
 これらの事実があるにも関わらず、都知事選における石原氏の得票数は、1期目166万、2期目308万、3期目281万、4期目261万票と磐石です。なぜこういうことが起きるのでしょうか。

 基礎情報学の観点に立てば、政治家も1つのHACS(階層的自律コミュニケーション・システム)であり、「二値コード」と「連辞用プログラム」によって機能すると考えられます。ここで二値コードとは、あるシステムでコミュニケーションを成立させる基本的な区別を与えるもので、連辞用プログラムは、二値コードによる区別の選択基準を与えるものです。
 ここで着目すべきは、政治家に関して二値コードが、一般的に想定されるように政策の妥当性や政治家としての資質の高低ではなく、「人気/不人気」であることです。連辞用プログラムはもちろん「得票率」です。
 このように考えると、1995年の都知事選で青島幸男氏が、ベテランの官僚・石原信雄氏、地方自治で実績のある岩国哲人氏、経営コンサルタントの大前研一氏をおさえ、2位に50万票近い大差をつけて当選したこと、同年の大阪府知事選で横山ノック氏がやはり大差で当選し、その後再選までされたことがよく理解できます。

 さらに注目すべきは、マスメディアの二値コードと連辞用プログラムが、政治家と等価な「人気/不人気」と「視聴率」であることです。したがって、マスメディアと政治家は、相互に利用しあい共鳴しあって、互いの人気と、視聴率・得票率を高めていく傾向があります。
 このような共鳴は、ときとして恐ろしい結末を招きます。(メルマガ2010年11月号所載:再掲)。
 5.15事件で犬養首相を暗殺した青年将校たちに対して、「国を愛する純粋な青年が、自らを犠牲にして腐敗した政治家を倒した」という弁護が行なわれ、これをマスコミが支持、新聞記者が「私はこの記事を泣きながら書いている」などの文章で国民の心に訴えかけたため、青年将校たちへの同情の世論が盛り上がり、裁判所には100万通以上の減刑嘆願書が届けられました。当時11歳だった孫の犬養道子氏は、なぜ殺人犯が英雄になり、被害者の自分たちが肩身の狭い思いをしなければならないのかと疑問に感じたそうです。(保坂正康「太平洋戦争、七つの謎」参照)
 この事件を契機に、青年将校と軍部の暴走は止めようがなくなり、わが国は破滅への道を歩むことになりました。

 9月21日、石原知事は記者会見で、大規模な反日デモを経て、かつてないほど緊迫する日中関係について、尖閣諸島の取得構想を表明した今年4月の時点で「こういう事態は予測していた」と述べました。石原知事は「私たちが何を取るかの問題だ」と語り、経済的な得失のみで尖閣問題を論じるべきではないとしました(日本経済新聞)。
 速記録を見ると「あの丹羽みたいな馬鹿野郎が大使になって行って、しかもあそこでああいうコメントを外国に向かってするなんていうことの、ああいう逸脱というか、ああいう形の日本人というのは過去いなかったと思いますよ」と気炎を上げています。しかし、さしもの石原氏も、日中関係が緊迫する中で総裁選が行われたため、保守化する自民党の中で、強硬派の石破氏と安倍氏の支持率が上昇、溺愛する子息・伸晃氏が、現職幹事長であるにもかかわらず3位に沈むことになるとは、予測できなかったと思われます。

 先述したように、尖閣では現実の問題として平衡点の維持が重要です。一方からの平衡点の移動は、必ずそれより大きい反作用を招きます。これは、lose―lose の関係になり、双方とも国益を失います。
 win―win の関係にするにはどうしたらよいのか、鄧(編集部注:?に見えるとき、トウ、登偏におおざと)小平副首相が将来の世代に解決を託したように、時間がかかりますが、今年ノーベル平和賞を受賞するEU諸国の和解の歴史は有力なベンチマークです。
 アルザス・ロレーヌ地方は、豊富な石炭と鉄鉱石を産するため、フランスとドイツが数次の戦争を重ね、その帰属は両国の間で何回も入れ替わりました。このような悲惨な戦争を2度と起こさないようにするため、1952年、フランス、ドイツ、イタリア、ベネルクス3国で、石炭と鉄鋼の市場を共同管理する欧州石炭鉄鋼共同体が発足、これがルーツになり、約40年かけてEUに発展しました。

 国益という言葉はよく使われますが、自国のみの国益の主張は国際社会では成り立ちません。日本の有力な政治家や官僚が、特にアジア諸国との間で、win―win の関係を築くための構想力と交渉力をもつことが切に望まれます。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
 皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。