情報システム学会 メールマガジン 2012.8.25 No.07-05 [9]

連載 情報システムの本質に迫る
第63回  「基礎情報学入門」 ―教科 「情報」 改革への視点

芳賀 正憲

 今年3月刊行された「生命と機械をつなぐ知 基礎情報学入門」(高陵社書店)は、東京大学教授・西垣通氏が、高校レベルで情報教育を進めていくための分かりやすい教科書として、埼玉県の教員・中島聡氏の問題提起にもとづいて書き下ろされたものです。
 中島氏は教科「情報」を担当される中で、最も基本となる「情報」や「コミュニケーション」の本質を理解できていない教員が授業を行なっていること、現職教員に対する講習会でも的確な説明がなされていないことに強い違和感を覚え、理論体系が確立していない科目を無理やりつくり上げて推進しているのではないかという懸念を払しょくできませんでした。そのような中で中島氏は「基礎情報学」に出会い、情報に関する多様なメカニズムに対してきわめて有効なモデルを提供している、緻密に構成されたシステム論として、基礎情報学が教科「情報」の親学問になるのではないかと判断し、西垣教授に提起をされたものです。

 「生命と機械をつなぐ知 基礎情報学入門」は、次の4つの章から成り立っています。

第1章 情報
第2章 システム
第3章 メディア
第4章 コミュニケーションとプロパゲーション

 まえがきと目次、索引を除いた本文199ページは、各章で等分されています(第4章のみ49ページ)。「情報」「システム」という最も基本的な概念の説明に、多くの紙幅が費やされていることが分かります。

 このテキストでは情報学を、まず大きく次の3つの学問に分類しています。
   情報工学 :コンピュータを前提とした情報処理の学問
   応用情報学:諸々の分野におけるコンピュータ活用の学問
   社会情報学:情報社会を人文・社会科学的に分析する学問
 そして、これらの概念的ベースとなる学問として基礎情報学が位置づけられています。
 しかしこの分類では、人間の個人・組織・社会的な諸活動を、必ずしもコンピュータを前提にしないで、情報システムとしての観点から分析し、より優れたシステムの設計と実現をめざす「情報システム学」が含まれていません。情報学は「情報システム学」に対しても、その概念的ベースが明確になるように体系化が進められる必要があると考えられます。

 最初に「情報」とは何かについて、基礎情報学では、情報は環境の中に既存のものとして客観的に与えられているものではなく、生命活動のプロセスの中で主観的に生起するものとして説明されています。すなわち生命情報が、最も原基的かつ広義の「情報」です。生物は、生きるために刻々と何らかの行為を行なっているのですが、行為を行なう際、さまざまな選択が実行されます。その選択において生存活動のための意味作用を起こし、価値をもたらすものが情報です。
 ここで生物にとって「意味」(価値)とは何かが問題となりますが、西垣教授は、生物が食物、異性、天敵などを認知し選択する行為を試行錯誤的に行なって、結果的に生存に役立ったとき、事後的に意味(価値)が形成されると述べられています。このとき、生物個体の脳神経系の中に記憶や行動様式として物理的な意味構造がつくられます。意味構造の中には、進化を通じ、生物種として遺伝的に形成されたものも含まれます。

 生命情報は、知覚器官により外界から取り込まれるものではなく、生物が刺激を受け、自らの意味構造にもとづいて自己循環的に内部発生させるものとされています。それがまた自己の意味構造を変容させていきます。

 生物一般と異なり、人間個人の生命活動の目的については、一例としてマズローの欲求5段階説で考えることができると思われます。人間は基本的な生存欲求を満たすことを第1に考えますが、基本的な欲求が満たされると順次高いレベルの欲求を満たすことを望みます。第2には安全・安定した生活であり、第3には仲間や社会への帰属です。次いで仲間や社会から認められ大事にされたいと望み、最終的には自己実現をめざします。ただし人間の場合、早い段階から生命情報だけでなく、それを進化させた、後述の社会情報・機械情報も駆使し、さらに個人だけでなく組織的・社会的に目標を立てて、その実現を図ってきています。

 このように高い次元にわたる人間の思考にも、その基盤には感情や情動があります。感情や情動は、身体全体から生じます。身体反応が先に生起し、それを脳がモニターして感情としてとらえ直しているとされています。西垣教授は、怖いから鳥肌が立つのか、鳥肌が立つから怖いのかという例を挙げ、後者が正しいとする有力な説を紹介されています。
 しかし感情や情動にもとづく選択行為からは、自然を相手にした場合も社会活動の中でも、必ずしも望ましい結果が得られるとは限りません。そのため、試行錯誤的に学習と進化を続けた結果、社会情報・機械情報の発展とあわせて、人間とその組織は、情報の論理的な操作や合理的な判断を可能にしてきたと思われます。

 このように情報が原基的には生命情報であり、生命活動にともなって生物の内部に主観的に生起するものであることは、片ときも忘れることはできませんが、実際には人間の脳神経系や身体構造は各人で共通部分がきわめて多いため、同じ環境で生活する集団の内部では、基本的には同一の対象から、かなりの程度類似した生命情報が生起していると考えられます。したがって、それらの生命情報を身振りや手振り、言語などに記号化して流通させれば、人々の間でコミュニケーションが可能になり、協力して仕事をしたり、次世代に知識を伝えることが著しく効率化します。このようにして生まれたのが社会情報です。西垣教授は、人間社会で用いられるあらゆる情報は社会情報であると述べられています。

 社会情報は、記号とその表わす意味内容が一体となったもので、典型的には言語です。言語である以上、当然その言語の概念構造を反映します。また、意味の解釈は、文脈と主観に依存します。
 しかし、ある言語の概念構造が成立し、人々がそれを修得した後では、人々は、今度はその言語の概念構造を通じて対象を見るようになります。そのため人々の主観も、言語の働きで、ある程度の社会的共通性をもって成立していると考えられます。これにより人間社会では、疑似的に客観性をもった世界として自然、人工物、文化、すなわち生圏を想定することができ、そのあり様を所与の記号や概念によって記述することが可能であると見なされます。このことは今後情報システム学の新しい体系化を考えていく上で、基本的に重要な前提として、肯定的に考慮すべきことのように思われます。

 社会情報が、記号とその表わす意味内容を一体化させたものであることは上で述べたとおりですが、人間は当初から、記号と意味内容をいったん切り離し、記号だけを流通させて時間・空間をまたがる意味内容の伝達をしてきました。もちろん物理的に意味そのものを伝えることは不可能で、記号しか伝えられなかったからです。基礎情報学ではこれを機械情報と名づけています。生命情報を広義の情報、社会情報を狭義の情報としたとき、機械情報は最狭義の情報で、社会情報の記号部分を独立させたものとみることができます。
 直接の対話においてさえ、伝えることのできるのは音声や身振り、表情などの記号だけですが、人類はさらに文字や、のろし等々多くの記号を開発し、さらに筆写、印刷、写真、レコード、映画、電信、電話、ラジオ、テレビ、コンピュータ、ネットワークなど多岐にわたる機械情報の伝達手段を発達させて、今や機械情報は、氾濫と形容されるほど大量に流通しています。いわゆるITと呼ばれるものも、情報社会で重要な役割を果たしていますが、記号すなわち機械情報の伝達・蓄積を容易にし効率化するためのツールに過ぎません。

 情報は、「システム」によって取り扱われます。生命情報、社会情報、機械情報は、それぞれ生物、人間、情報処理機械など物理的な媒体によって扱われますが、基礎情報学ではこれらをいずれもシステムとしてとらえています。
 ここで最も原基的な生命情報を取り扱っている生物に注目すると、生物システムは、構成素の関係性に独自の特徴をもっています。これを西垣教授は、「有機構成」と呼ばれています。
 生物のモデルとしては、まず、外部環境から物質とエネルギを取り入れ老廃物を排出し(開放系)、環境条件が変化しても自己の状態を一定に保ちながら(平衡系)生き続けようとする、恒常性維持を有機構成とした第1世代モデルが挙げられます。ただし、これに類した機能は、フィードバック機能をもつ機械にも見られます。
 次に生物は、受精卵から成体に至る発生成長を見ても分かるように、自らを組織化して多様な物理的形態をつくり上げる自己組織性をもっています。これを有機構成とするのが、第2世代モデルです。非平衡開放システムと見なされますが、生物以外にも、このようなシステムは多く存在します。
 生物の最も本質的な特徴は、自分で自分をつくり上げる自己創出の働きです。これはオートポイエーシスと呼ばれています。オートポイエーシスを有機構成とする生物モデルが、第3世代モデルです。
 オートポイエーシスの概念を提唱したのは、チリの神経生理学者・マトゥラーナとその弟子の理論生物学者・ヴァレラです。細胞など生物の組織では、構成素が互いに相互作用しつつ、自己循環的・再帰的に構成素を産出しています。構成素を産出する動的なプロセス(関係)のネットワークがあり、逆に構成素がそういうプロセス(関係)のネットワークをつくり続けているのです。これが有機構成としてのオートポイエーシスのモデルです。

 細胞など生物の組織で、物質的な構造は開放系ですが、これを成り立たせている抽象的関係・有機構成は閉鎖系です。
 第1世代モデル、第2世代モデルでは、システムの挙動を観察記述する視点が外部にあり、物理化学的な秩序がつくられています。それに対して第3世代モデルでは、視点が内部にあって、内側からシステムのダイナミックスを記述していて、主観的な秩序をつくっています。
 前述したように、生物は外界から情報を受け取るのではなく、刺激を受けて生命情報が生命体の内部に発生します。そこで出現する意味内容は、生物の生存のための行為と一体的です。

 このようなオートポイエーシス理論は、生物(人間)の認知、意識、行為、社会などに関わる多くの分野で発展的にとり入れられていきました。
 基礎情報学では、この理論をふまえ、情報に関わるシステムとして、心や意識のダイナミックスである心的システムと、共同体や組織におけるコミュニケーションによって成り立っている社会システムに着目しています。

 心的システムは、「思考」を構成素とするオートポイエティック・システムです。ここで思考とは、イメージや概念を表わす記号、特に言葉によって織りなされる自己表現コミュニケーションとされています。
 思考の一連の流れが記述されると、社会的に通用する社会情報になります。すなわち、心的システムとは、世界を観察し記述するシステムで、人間の心的システムのみが観察記述者になれます。観察記述結果は、脳神経系に記憶されたり、音声で発話されたり、ノートに記載などされます。
 このプロセスは、次のように進められます。外界から刺激を受けると、脳神経系の内部が変化し生命情報が発生します。これが原―情報になります。心的システムと脳神経系の相互作用により原―情報を素材にして思考が産出され、記述行為により社会情報が形成されます。それがまた、原―情報の発生の仕方にフィードバックされます。
 社会情報への転化に際し、脳神経系と心的システムという、2つのオートポイエティック・システムが介在していますが、複数のオートポイエティック・システムが密接に相互作用するとき、これを「構造的カップリング」と呼んでいます。

 社会システムは、コミュニケーションを構成素とするオートポイエティック・システムです。コミュニケーションがコミュニケーションを自己循環的・再帰的に産出するプロセスが、有機構成として作動しています。社会システムが、人間の集まりではなく、コミュニケーションという、できごとの集まりとしてとらえられている点が注目されます。
 コミュニケーションとは、集団メンバーの発言などを素材として、情報の意味作用により発生する一種のできごとです。基礎情報学において「情報伝達」とは、社会システムの安定作動であり、コミュニケーションの継続発生であるとされています。

 心的システムと社会システムは、思考が自己表現コミュニケーションであることから、ともに構成素がコミュニケーションであるオートポイエティック・システムとして統一的に見ることができます。
 いかなるシステムも、それと構造的カップリングした観察者によって記述されない限り、人間社会で通用する社会情報によって明示化されません。基礎情報学で扱うオートポイエティック・システムは、必ず観察記述を行なう心的システムと構造的カップリングした複合システムとして成立しています。心的システムが、当該システムの代弁者になります。例外は心的システムで、自己観察・自己記述が可能で、単独システムとして成立します。

 企業の場合、メンバーである社員の心的システムは閉鎖系で、自律的に思考が行われています。一方、企業という社会システムも自律的にコミュニケーションを産出しているのですが、その社会システムの視点から見ると、個々の社員はあたかも他律的に作動しているように見えます。すなわち、企業の目的・規則のような制約・拘束のもとで、所与の入出力を行なっています。しかしこのときも、個々の社員の心的システムの視点からすれば、その制約・拘束は背景で、日常ほとんど意識されることはないとされています。(新入社員は別として、一定期間勤めた社員の心的システムには、その企業の目的や重要規則が内部化し保持されてはいないのでしょうか?)

 基礎情報学で主要概念として扱われているのは、コミュニケーションを構成素とし、心的システムと構造的カップリングした階層的オートポイエティック・システムで、西垣教授により階層的自律コミュニケーション・システム(HACS)と名づけられました。

 以上見てきたように、西垣教授による基礎情報学の提唱は、情報学の分野にパラダイム変革をもたらす画期的な業績です。基礎情報学によって、今までコンピュータを中心に考えられることの多かった情報学の世界が、生物のオートポイエーシス概念をベースに考えられるようになり、情報の態様が生命情報、社会情報、機械情報に層別され、情報を取り扱うシステムが階層的自律コミュニケーション・システム(HACS)として作動していることが明らかになりました。中島聡氏が、基礎情報学を教科「情報」の親学問として提起されたのは、きわめて的確な判断だと思われます。
 一方、西垣教授も述べられているように、人間社会で用いられるあらゆる情報は社会情報です。そのため人類は、社会情報をいかに適切に処理し、いかにその質を高めて行為(実践)に結びつければ、より幸せな生活ができ、より良い社会をつくることができるか、おそらくは数万年にわたって模索してきました。社会情報の原基が生命情報だということを十分理解した上で、社会情報の妥当な処理の仕方と実践との関わりのエッセンスを学ぶことは、高校の情報教育や大学の一般教育において決定的に重要であると考えられます。エッセンスの例としては、次のような項目が挙げられます。

 (1)社会情報の特質について学ぶには、記号論が適切と思われます。
 (2)人間の思考が身体反応、情動、感情の影響を大きく受けることはまちがいありませんが、それらによる誤りを防ぐため、人類は、演えき、帰納、発想などの論理的思考法を開発しました。
 (3)さらに、それらを組み合わせて、考えた内容が妥当であるかどうか検証するための仮説実証法を実践してきています。仮説実証法は、論理思考法の開発前、おそらくは数万年前から、直観的仮説実証法として行なわれてきましたが、近代以降は、特に科学などの分野で、厳密な適用が常識になっています。
 (4)20世紀の半ば以降、仮説実証法を企業など組織経営の実務に活用する、いわゆるデミングの管理サイクル(PDCA)が、強力に推進されています。
(計画―実施―統制の考え方は、19世紀半ばからありました。)
 (5)計画―実施―統制の考え方を生産システムに展開した標準的な情報フローが提示されています。提示された京都大学名誉教授・人見勝人氏は、「人間が事を行なうに当って根源的に意思決定しなければならない人間行動の基本的パターン」であると言われています。
 (6)ものづくりのプロセスを情報システム、製品=情報+媒体とみなす考え方を、東京大学教授・藤本隆宏氏が提示されています。この場合、生産の実践は、情報の転写とみなされます。「ちょっとくせのある」見方と、藤本教授は述べられていますが、これは聴衆や読者の情報システム・リテラシーのレベルを考慮して譲歩されたものでしょう。ただし人見教授によると、「(生産)管理システム」において「情報の流れ」という言葉は、米国の経営学者・A.H.チャーチが、すでに1913年に用いています。驚くべきことです。

 基礎情報学をベースに、上記のようなコンセプトを加えて、高校や大学の一般教育で学ぶべきカリキュラムを体系化すれば、情報社会において主体的に問題解決に貢献できる、実践的な情報システム・リテラシーが体得できると考えられます。
 いずれにしても、現場の教員に十分納得のいかない形で情報教育が推進されている状況は一刻も早く打開すべきであり、情報システム学会内外の衆知を集めて取り組むべき課題のように思われます。

参考資料
 中島聡:「基礎情報学」と「情報C」,第3回全国高等学校情報教育研究会
(2010)

この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。