情報システム学会 メールマガジン 2012.7.25 No.07-04 [10]

連載 オブジェクト指向と哲学
第19回 パターン言語 − ハイエクの視点(設計主義批判)

河合 昭男

 前回は「パターン言語 − 成長する全体と癒し」をタイトルに、クリストファ・アレグザンダー(C.A.)の「まちづくりの新しい理論」をテキストに、オブジェクト指向開発プロセスと重ね合わせて考えました。リファクタリングはシステム成長のための癒しの技術と言えます。

 さて今回はハイエク(Friedrich August von Hayek)の視点からパターン言語を考えて見たいと思います。C.A.の思想はハイエクと重なっている部分がかなりあります。ハイエクは経済や政治など人間社会を対象としているので分野は異なりますが、どちらも人間個人の個性と自由意思を重視している点は共通しています。

設計主義批判
 ハイエクの思想はスケールの大きなもので簡単に理解できるものではありません。社会主義を設計主義として批判しました。分散する知識をすべて集めて社会をコントロールすることはそもそも不可能であり、限られた知識で社会全体を最適化したつもりでもそれは部分最適にすぎず、全体に修正不能なひずみを生みだしてゆく。
 ハイエクは独自の用語を定義します。既存の言葉を使うとそこに意図しない意味付けがされてしまいます。主なキーワードを先に列挙します。ハイエクの用語は古代ギリシャ語がベースになっています。
 ・カタラクシー
 ・コスモスとタクシス
 ・ノモスとテシス

成長の条件
 前回の繰返しですが、C.A.が目指す「成長する全体」には4つの特徴があります。[1]
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 1.全体は少しずつ成長していきます。
 2.全体は予測できません。
 3.全体ははっきりしたまとまりをもっています。
 4.全体は情感に満ちています。
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 今回はこの「全体は予測できない」という2に注目します。これはハイエクの設計主義批判と通じるものがあります。成長とは創造であり、その先にあるものは予測できない。成長という言葉は単に状態の変化ではなく、何らかのプラスの面があり、それは衰退や崩壊の反対の概念です。

 町の成長とは規模が拡大し、住民が増加し、しかもクオリティが満たされており住民は快適な生活を過ごせる状態です。

 なぜ予測できないか、というよりも最初から最終形を決めないことに意味があります。C.A.の考えでは価値観の異なる多数の住民がひとつの町に住む。町の形は日々修復が加えられて段々と成長してゆく。ひとつの修復は他の修復に影響を与える。人には自由意思があるが、他の人の自由意思も満たせるように調整できないなら発展は得られない。そこに自然に双方が守るべきルールが生まれてくる。C.A.はそれをパターン言語と呼んだ。パターン言語はアーキテクトがトップダウンに決める法律ではなく、住民と一緒になって発見してゆくものである。

 ハイエクの思想は簡単に理解できるものではありませんが、筆者なりの理解では、そこに通じているものは自由主義です。全体や国家の存在と目的が優先し、個人の自由を統制する国家社会主義を批判します。社会主義やナチズムが台頭してきた頃からいち早くその危険性を指摘しています。右翼や左翼とは異なるベクトルです。結果論で批判するのは簡単です。規制、大きな政府、増税は国家社会主義への道です。自由、個性、創造が阻害され衰退への道です。成長とは逆の道です。

カタラクシー
 ハイエクは経済学者として終生ケインズのライバルでした。ハイエクは市場というものを分散する知識交換の場と考え、そこには自生的秩序(spontaneous order)が形成されるとしました。そこにトップダウンにルールを決めることはマイナスだと考えました。理想的なその場をカタラクシーという古代ギリシャ語を基にした用語で命名しました。
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 ハイエクは、進化した「振る舞いのルール」のおかげで、人々が自分の知らない知識を活用することによって自生的に形成される市場の秩序を『カタラクシー catallaxy』と呼んでいる。[4] P136
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 ハイエクが命名したこの「カタラクシー」はC.A.の目指すクオリティに近いのではないだろうか?C.A.は既存の言葉ではあらわせないので「無名の質」と呼んだ。概念には名前が必要です。名前が付いて概念となります。しかし「無名の質」自体が名前になってしまった感があります。

 ハイエクの自生的秩序はC.A.の有機的秩序をもう一歩踏み込んでいます。
 C.A.の有機的秩序とは「部分の要求と全体の要求との間に完璧なる均衡が存在する場合に達成されるような秩序」[2]です。
 ハイエクの自生的秩序の秩序とは「さまざまな種類の多様な諸要素が相互に密接に関係しあっているので、われわれが全体の空間的時間的なある一部分を知ることから残りの部分にかんする正確な予想、または少なくとも正しさを証明できる可能性の大きい予想をもちうる事象の状態」[5]P195です。

コスモスとタクシス
 秩序には自然的なものと人為的なものがある。ハイエクは人為的秩序をコスモス(cosmos)とタクシス(taxis)に分類した。
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 「タクシスは人工的秩序、指令的社会秩序、組織を示し、コスモスは自然に成長してきた秩序すなわち自生的秩序を示す。カタラクシーは後者に属する。」[4] P145
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 規模の小さい組織、目的の明確な組織ではタクシスが有効であるが、そうでない社会ではタクシスは有効に機能しない。

図1 コスモスとタクシス
図1 コスモスとタクシス

ノモスとテシス
 ハイエクは社会的秩序をコスモス(自生的秩序)とタクシス(組織)に分類したが、それぞれに対応する法があるとした。

 コスモスに対応する法を「ノモス(nomos)」または「自由の法」と呼び、タクシスに対応する法を「テシス (Thesis)」または「立法の法」と呼ぶ。[4]

 ノモスは慣習や常識がベースになって自然に形成されてゆくものである。それがコスモス(自生的秩序)を形作ってゆく。

図2 ノモスとテシス
図2 ノモスとテシス

 C.A.の目指す有機的秩序やクオリティはタクシスとテシスではなくコスモスとノモスの概念に近いようです。ノモスがパターン言語であり、パターン言語を内包している町がコスモスです。
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 「現在認められているようなマスタープランが、ある全体を創造し得ないこと、つまり、ある総体性(totality)を創造できても、全体性(whole)は創造できず、また全体主義的秩序を生みだし得ても、有機的秩序は生み出し得ないことを論じて見たい。」[2]
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 このC.A.が批判する全体主義的秩序が「タクシスとテシス」のようです。

図3 パターン言語はコスモスとノモス
図3 パターン言語はコスモスとノモス

【参考書籍】
[1]C.Alexander, A New Theory of Urban Design,1987
難波和彦監訳「まちづくりの新しい理論」鹿島出版会、1989
[2] C.Alexander, The Oregon Experiment,1975
宮本雅明訳「オレゴン大学の実験」鹿島出版会、1977
[3]池田信夫、「ハイエク」、PHP、2008
[4]仲正昌樹、「いまこそハイエクに学べ」、春秋社、2011
[5]松原隆一郎、「ケインズとハイエク」、講談社、2011
[6]大川隆法、「未来創造の経済学」、幸福の科学出版、2010


ODL ObjectDesignLaboratory,Inc. Akio Kawai