情報システム学会 メールマガジン 2012.6.25 No.07-03 [11]

連載 情報システムの本質に迫る
第61回 ベンチマークとしての北欧社会

芳賀 正憲

 5月16日、川野理事から案内を頂き、東京工業大学大学院社会理工学研究科で開催されたスウェーデン・デイを聴講しました。同科では、北欧社会に学ぶことにより、科学技術と人間社会の調和した良質な社会づくりのためのソリューションを提言することをめざし、2009年から5ヵ年計画で、北欧との連携プロジェクトを実施されています。今春同大学を退官後ゴットランド大学教授に就任された中嶋正之氏の「魅力あふれるスウェーデン!」と題する基調講演のあと、マイケル・ノーベル博士(アルフレッド・ノーベルの曾甥)、ゴットランド大学学長、駐日スウェーデン大使等の講演がありました。工業大学で、良質な社会をいかにつくるかの研究に取り組まれていること、北欧社会を卒業研究のテーマにしている名門私立高の生徒たちが多数聴講に来ていたことが印象に残りました。
 現在、ギリシャなど南欧諸国にはじまり、先進国から新興国まで、経済危機が深刻ですが、北欧諸国が危機のニュースに登場することはほとんどありません。今の世界で、これはむしろ注目すべきことのように思われます。

 今年1月、米国大統領経済諮問委員会のクルーガー委員長が、映画化もされた有名な小説の題から名づけた「グレート・ギャツビー・カーブ」(華麗なるギャツビー曲線)を発表して、話題になりました。
 横軸に所得や資産の分配の不平等度を表すジニ係数(x)、縦軸に親の所得が1%高いと子どもの所得が何%高くなるかという世代間所得の弾性値、すなわち所得階層の固定化度合い(y)をとり、各国の値をプロットすると、y=2.2x−0.27という直線で近似できます。これが、グレート・ギャツビー・カーブです(グラフ上の線は、直線でもカーブと呼ぶのが一般的です)。

 1985年のデータで、ジニ係数は国により0.20〜0.34の範囲でバラついていますが、このグラフでクルーガー氏が強調したかったのは、比較対象とした各国の中で最も高い0.34が米国の値であり、しかもその値が2010年には、0.38まで高まっていることです。ジニ係数は、0.4が社会的な紛争激化の警戒ラインと言われていますが、米国はそのレベルに近づきつつあるのです。
 ジニ係数の上昇にともない、グレート・ギャツビー・カーブに沿って、所得階層の固定化度合いも、0.47から2010年には0.56という、各国の中で突出した高い値になりました。米国では所得格差の拡大とともに、所得階層の固定化も同時に著しく進んでいるのです。
 クルーガー氏のグレート・ギャツビー・カーブで、ジニ係数と所得階層の固定化度合いが中位に位置づけられているのが、日本、フランス、ドイツなどです。

 同グラフで右上の米国に対して、ちょうど対極の左下にプロットされ、ジニ係数、所得階層の固定化度合いがともに低位にあるのが、スウェーデン、フィンランド、デンマーク、ノルウェーなどの北欧諸国です。ジニ係数は、0.20〜0.22、所得階層の固定化度合いは、0.15〜0.27の範囲に収まっています。

 北欧諸国で、なぜこのように国民の間で所得格差が少なく、親の豊かさで子どもの豊かさが決定づけられる度合いの少ない国づくりができたのでしょうか。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者エズラ・ヴォーゲル氏の子息で、カリフォルニア大学バークレー校教授のスティーヴン・ヴォーゲル氏が、2012年2月24日付の日本経済新聞経済教室に寄せられた論考から、そのヒントを得ることができます。

 この論考の中でヴォーゲル氏は、恩師であるハロルド・ウィレンスキー氏の刮目すべき研究成果を紹介されています。ウィレンスキー氏は、富裕な民主国家19か国を対象に、1950年から現在までの政治、経済政策、経済面の成果を調査した結果、「広義の国民福祉は、税率が高く財政支出の多い国が、税率が低く財政支出の少ない国を、一貫して上まわっている」という、一般には意外とも思われる命題を提示されました。ここで国民福祉とは、公平な所得配分、暴力事件の少なさ、高い健康水準、効率的な衛生・安全・環境規則など、国民の幸福度に直結するような指標を意味しています。
 ウィレンスキー氏は、政治経済のタイプによって各国を5つのグループに分類されました。その結果、例えば世帯貧困率は、下の一覧に見るように、財政支出の最も多い左派協調主義の国々が、1990年代半ばから2000年代半ばを通じて最も成績がよく、財政支出の最も少ない非協調主義の国々が最も成績が悪いことが明らかになりました。また、他の指標についても、広く同様の傾向が認められました。

   政治経済のタイプ(主な国)   世帯貧困率 90年代半ば 00年代半ば
 左派協調主義(スウェーデン、ノルウェー)    5.1%   6.2%
 左派キリスト教系協調主義(オランダ、ベルギー) 8.2    7.7
 キリスト教系協調主義(イタリア、ドイツ)   10.6   10.2
 労働者不在の協調主義(日本、フランス、スイス)11.3   11.2
 非協調主義(米国、英国、豪州、カナダ)    11.3   12.6

 さらに意外だったのは、狭義の経済面の成果、例えば所得や生産性向上などについても、財政支出の最も多い国々が、財政支出の最も少ない国々を、上まわるか少なくとも同等だったことです。

 ここで「協調主義」とは、経済団体や労働組合を政府レベルの政策決定に組織的に組み込み、合意形成型の政治を行なうことです。協調主義の政治のもとでは、賃上げと物価安定の相反などトレードオフに関して、企業と労働者双方にメリットのある妥協に到達しやすく、健康保険、積極的労働政策、家族政策など建設的な社会プログラムに予算が投じられ、公平と成長の両面でよりよい成果が得られるとされています。

 ウィレンスキー氏は、日本を「労働者不在の協調主義」として分類されました。自民党時代、企業などの利益団体が組織的に政策立案プロセスに組み込まれていたのに対して、労働者や一般市民の権益が十分反映されていなかったからです。
 民主党は、利益団体と労働者や一般市民のバランスをとり、政策協議を開かれたものにすることが期待されましたが、その進展度合いはわずかで、一方、従来官僚主導で行われていた利益団体間の調整を抑制し、日本的協調主義のよい点を損なっているとヴォーゲル氏は見ています。

 結論としてヴォーゲル氏は、日本に対して2つの処方箋を示されました。官僚の権威の回復と政党間競争の促進です。
 日本の経済政策が90年代以降一貫性を欠き、効果を失ってしまった原因は、官僚が自信と正統性を失ったことにあるとして、ヴォーゲル氏は、官僚が一定範囲の自由裁量の余地をもち、一貫性をもって効率よく政策を実行できるよう、政治指導者に配慮を求めています。また民主党と自民党に対して、経済運営の基本方針が相手とどうちがうのか明示し、現実の日本の経済問題に関して、どちらがよりよいソリューションを提示できるのか競争するよう期待しています。
 このとき、(ヴォーゲル氏は書かれていませんが)公平と成長の両面で大きな成果の得られている北欧の左派協調主義を、重要なベンチマークとして検討の対象にすべきと思われます。

 5月21日付日本経済新聞の経済教室には、慶應大学教授の鶴光太郎氏が、「日本は南欧化するのか?」という、大変興味深い論説を載せられました。この論説で鶴教授は、北欧と南欧では、ともに大きな政府が志向されているのに、なぜ財政の健全性に大きなちがいがあるのか、また、英米などアングロサクソンの国々では、なぜ小さな政府が志向されるのか、仏エコール・ポリテクニークのピエール・カユック教授等の研究成果にもとづき考察をされています。
 カユック氏等は、国民の福祉国家への支持や福祉規模の有力な決定要因として、国民の公共心に着目されました。
 国民の公共心が高ければ、脱税や社会給付の不正受給などが行われず、また公務員も、汚職や不正をせず、透明性が高く効率的な政府ができます。国民は、まわりに公共心の高い人が多いと考えれば、自らの負担が再分配により確実にもどってくると考え、より高い税負担と、それに応じた社会給付を受け入れ、福祉国家を支持します。一方、公共心のない人々は、公共心のある人より、さらに強く再分配政策を求め、税負担を逃れながら、給付の恩恵にタダ乗りしようとして、やはり福祉国家への支持を強めます。
 このようにして、「まじめな国民・公務員が多いため、大きいが効率的な福祉国家」と「不正を働く国民・公務員が多いため、大きく非効率な福祉国家」という2種類の国々が存在することになります。公共心が中程度の国では、国民の再分配への支持が相対的に弱く、小さな政府が志向されます。

 OECDと「世界価値観調査」結果のデータをもとに、他人への信頼度の高さと、社会保障支出の大きさの関係を見ると、上記の傾向がはっきりと表れています。
 横軸に、他人への信頼度として「ほとんどの人は信頼できる」と答えた人の割合(%)をとり、縦軸に、福祉の規模として社会支出のGDP比(%)をとって、各国の値をプロットすると、大きく3つのグループに分かれます。
 第1は、他人への信頼度が50%台後半から60%台後半の高いグループで、福祉の規模は、20%から30%近くに及んでいます。スウェーデン、デンマーク、フィンランド、ノルウェーの北欧諸国、それにオランダなどがこのグループに属します。
 第2は、他人への信頼度が10%から30%台前半の低いグループで、それにもかかわらず(あるいは、それゆえに)福祉の規模は、19%から28%と、第1グループとそれほど変わらない大きさになっています。ギリシャ、スペイン、ポルトガル、イタリア、フランスなどがこのグループにはいっています。
 第3は、他人への信頼度が30%から50%の中程度のグループで、福祉の規模が13%から20%以下にとどまります。英国、米国、カナダ、日本、オーストラリアなどが該当します。
 カユック氏等は、福祉国家への支持の形態は、世代を超えて受け継がれる文化のようなものではなく、社会的・制度的環境によって変わりうるものであることも、調査して明らかにされました。

 日本の場合、他人への信頼度や公共心の高さは、欧米先進国の中で中程度です。しかし、1990年代以降、政府の様々な失敗があり、議会や公的サービスに不信感をもつ層が着実に増えてきて、そのレベルは、欧米先進国と比べて高い部類にはいるようになりました。
 このとき政治家が、公務員に対して過度のバッシングをすると、政府への国民の信頼が益々下がり、国民自体の公共心も低下して、税負担の引き上げに反対したり、脱税や不正受給が増えていく恐れもあります。まず政府の透明性を高め、国民の信頼を取りもどすことと、国民の公共心や互いの信頼を高めていくような対応が必要と、鶴教授は述べられています。

 わが国では、指導者層のシステム思考力と論理思考力に懸念がありますが、北欧のように、国民の公共心や互いの信頼の高さをベースに、すべてのステークホルダが参画して合意形成型の政治を進めていくことに、本来の日本文化と矛盾している点は少ないと思われます。政治家と教育者がイニシアティブをとって、新たな社会づくりのプロセスを一刻も早くスタートさせることが必要です。

この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。