情報システム学会 メールマガジン 2012.3.25 No.06-12 [10]

連載 情報システムの本質に迫る
第58回 福島原発―いわゆる民間事故調の報告に関して

芳賀 正憲

 福島原発事故独立検証委員会―いわゆる民間事故調の報告記者会見が2月27日行なわれました。7名の有識者委員のもと、30名近い若手の研究者たちが、政府の関係者など300名以上にインタビューし、また各種の資料を調査して、不幸な事故が起きた経緯と背景を分析した結果の報告です。
 東京電力が聴取に応じなかったこともあり、今回の過酷事故に対して最も責任の大きい東電経営者の40年以上にわたる不作為が検証されていないという問題はありますが、『報告書』では、事故・被害の経緯、官邸等の事故への対応、安全規制に関する歴史的・構造的要因、日米や国際社会との関係など、多角的にたんねんに整理されていて、一読に値します。一方、記者会見で示された有識者委員の見解には、相当バイアスのかかったものがあり、またマスコミでは、NHKのニュースウェブが「前首相の対応不合格 民間事故調」と大見出しで報じるなど、今回の事故でも、複雑な問題の本質を容易には把握できない、有識者やジャーナリストの限界が表われました。

 記者会見の中で、有識者委員の但木敬一・元検事総長の見解は、要約すると次のようなものです。
 「メディアの批判が東電に向かい、東電の人たちは謝罪を続けている。しかし、本当の責任は国にある。国が、自分が招いた事故であることを認め立ち直らない限り、日本の原子力行政の将来はない。
 企業は、コスト意識なしには成り立たないものである。東電は、貞観大津波について知っていたし、三陸・房総沖から15m以上の津波が襲来する可能性も認識していた。しかし、千百年前に起き、次にいつ来るか分からない津波のために、私企業が数百億円の防災費用をかけられるか。これほど大きな損害を与える原子力災害への備え、安全性の確保に、国が責任をもつのは当たり前のことである。国民も、一企業に安全責任を託そうと思っていた人は一人もいない。国が原発は安全と言ったから、国民はそう思っていたのである。原発のライフサイクルは、すべて法律で決められていて、国がやることになっている。
 大津波の予測も政府は知っており、自分のワーキングチームで警告を受けていた。それにもかかわらず、東電が結論を先送りしたいと言ってきたとき、それで結構ですと諒解を与えている。また、安全委員会は、全電源喪失を想定する必要がないという指針を出している。だから保安院も東電も、対応してこなかった。
 安全神話があったから危機への備えがなかった。だから実際に事故が起きたとき、現場も保安院も安全委員会も官邸も的確に対応できず、各個人の力量だけで対処した。危機管理センターもオフサイトセンターも機能しなかった。
 国は、災害に備えた人材を育成してこなかった。規制する側に比べて規制される側の人材の方が、はるかに知識が広く深い。監督する側に監督するだけの実力がない。三千万人避難というリスクさえあった今回の事故を踏まえると、国と地方自治体の合意で原発設置・稼働のできる現状には、まだ不安が残っている。」

 この主張は、検事を長らく務めてきた人とは思われない、かなりの暴論です。
 国際原子力機関(IAEA)の定めた基本安全原則1によると、原子力安全を確保するための一義的な責任は、許認可取得者すなわち電力事業者に存在します。このことは、今回の『報告書』にも明記されています。
 災害発生のプロセスに関して、産業界では「スイスチーズモデル」がよく知られています。一般に災害は、トラブルが起きても、それに対していくつものバリアが重なって存在していて、被害の発生が防がれています。バリアには通常、穴がいくつか空いているのですが、多くの場合、他のバリアによってその穴がふさがれて被害に至るのを防いでいます。各バリアの穴が一気に貫通したとき被害が生じるというのが、スイス・エメンタールの穴あきチーズから名づけられたモデルの考え方です。
 このモデルから、安全対策を重層的に施す、深層防護というコンセプトが生まれました。原発の場合、IAEAの分類では、深層防護は次の5層に分けられます。

第1層(異常の発生を防止する):誤操作や故障の予防、地震・津波対策など
第2層(異常が事故に至るのを防止する):制御棒の自動挿入、隔離弁の閉止など
第3層(制御状態の確保、放射性物質を閉じ込める少なくとも1つのバリアを維持):
緊急炉心冷却系の複数準備など
第4層(設計基準を超える過酷事故に対して放射性物質の放出を可及的に低く抑える):
外部からの注水、ベントなど
第5層(施設外における放射線の影響緩和):住民避難、屋内退避など

 ここで、第1層から第4層までが事業者の責任、第5層が政府の責任とされています。
 一方、IAEAの基本安全原則2によると、政府の役割は、独立した安全規制機関を含む、安全のための効果的な法令上および行政上の枠組みを定め、それが守られていることを監督することです。事業者責任と監督責任とは、一方が他に取って代わることはできず、規制の有無やその内容によって事業者が免責になることはないと、『報告書』に記されています。
 2月24日から東京で開催された政府事故調主催の国際会議でも、仏原子力安全庁のラコステ長官が、「事業者として国のルールを守っていればいいというわけではない」「電力会社は規制で求められる水準以上の安全対策をとるべきだ」と指摘しています。IAEAの基準からも当然の考え方です。

 大津波の可能性を認識した上でコスト意識から防災対策を怠るのは、未必の故意ともいうべき犯罪行為です。到底是認できるものではありません。津波に対しては、必ずしも費用のかかる大堤防のように第1層のみで対策をとる必要はないのです。『報告書』によると福島第1原発2号機の場合、非常用ディーゼル発電機の1台が空冷式で、海水ポンプの機能が喪失しても運転可能でした。この発電機は、タービン建屋の地下ではなく別建屋の1階に置かれていて浸水も免れました。しかも、1号機にも電源が融通できるようにケーブルまで敷設されていたのですが、配電盤浸水のため電源喪失に至りました。この対策は不十分でしたが、第4層までの各層を含めて対策が可能だったことを示しています。

 IAEAの安全原則のみでなく、事業者の方が監督官庁より原発に関して知識が広く深いことからも、実質的に事業者の責任の方が官庁より大きいことが明らかです。金融などの取引に適用される法原則に「適合性原則」があります。商品のリスクに対して業者の方が顧客より知識が豊富な場合、顧客の事情に適合した取引をする責任を業者の方に課すものです。原発の立地、設備、運転などに関する情報を、事業者の方が官庁より豊富にもっているのですから、事故に対する責任を事業者は官庁に転嫁することはできません。

 安全委員会が「(長時間の)全電源喪失は想定する必要がない」という指針を出していたことも、事業者の責任を免じるものではありません。当該指針の策定当時は、「指針の原案策定に電気事業者が強い発言権を持っていた」(佐々木宜彦・初代原子力安全保安院長の発言)との指摘もあり、こうした規制者―被規制者の関係が、指針における「短時間(の対応のみでよい)」という限定に何らかの影響を与えた可能性も推測されると、『報告書』には注記されています。事業者がその実力により、指針の策定にも大きな影響力を行使していたとすれば、当然その責任は免れません。

 『報告書』では最終章で今回の検証の総括をしています。ここでは福島第1原発事故を人災と見なし、その本質が「過酷事故に対する東京電力の備えにおける組織的怠慢」にあると断じています。
 備えの欠如は、東電が40年以上にわたってリスク分析を怠ってきたことが最も重大ですが、その中でも「事故時運転操作手順書」で全電源喪失を想定していなかったことが、被害を拡大しました。今回、1号機→3号機→2号機と並行連鎖的に事故が拡大した起点は、1号機の非常用復水器の隔離弁が「閉」か、またはそれに近い状態にあったことに、現場も吉田所長も東電本社も気が付いていなかったことにあると、政府事故調の中間報告書が明らかにしています。
 もちろん、たとえ事業者の影響下にあったとしても安全設計審査指針の不備に関しては安全委員会に、オフサイトセンターが機能しなかったことについては保安院に、開発と運用に総額120億円の費用をかけたSPEEDIが活用できなかったことに関しては文科省と安全委員会に、それぞれ備えが不十分だった責任があります。

 今回、事故発生時の東電幹部は聴取を拒否しましたが、何人かのOBがインタビューに応じました。その中で、原子力を担当していた榎本・元副社長は、東電の原子力担当者が2006年に国際会議で、福島原発を対象にした確率論的津波ハザード解析の論文を公表していたことや、巨大津波到来の可能性があるという試算も出していたことを事故後に知り愕然としたとして、次のように述べています。
 「この試算が出た時点ですぐに、福島第一原発に津波が来て電源喪失が起こった場合を考え、どんなことが起こりうるか現場も一緒にブレインストーミングすべきだった。そうすれば、放射性物質の大量放出を防ぐための最低限の対策をとれたはずだ。自分たちの考えや知見には考え落としがあるから、保険をかける。これは原子力安全に一義的な責任がある事業者が行うべきことで、技術判断というより、経営判断にあたる。」
 これは、元責任者の重い証言です。
 『報告書』によると、政府事故調のメンバーでもある九州大学の吉岡斉・副学長も、今回の調査で各地の原発をまわり、「東電の安全対策は他社と比べて最低ラインでやっている」と感じたとのことです。

 一方東京電力は昨2011年12月、東電内事故調の中間報告を公表、巨大津波を「想定外」とする従来の主張を繰り返した上で、アクシデント・マネジメントについて「電気事業者と国が一緒になって整備を進めてきたものであり、整備内容については国に報告し、妥当との確認を得ながら進めてきた」と述べ、IAEAの基準も、保安院や安全委員会の判断に影響を及ぼしてきたという実態も無視して責任を転嫁しようとしています。残念ながら、まだ今回の重大な原発事故の問題の本質を、真摯に解明したものになっていません。

 上述したように『報告書』では、福島第1原発事故は人災であり、その本質は「過酷事故に対する東京電力の備えにおける組織的怠慢」にあるとされました。これは妥当な結論です。ところがジャーナリストやいわゆる有識者の関心は、いつものことですが、本質には向かわず、例えばNHKのニュースウェブの「前首相の対応不合格 民間事故調」の見出しのように、あたかも民間事故調が、前首相の対応が不合格との結論を出したかのような伝え方をします。その他、『報告書』の中から前首相に批判的なフレーズを選択的に取り出し大きく報道します。
 ところが『報告書』では、前首相と官邸中枢が事故のはじめから、危機管理で最も重要な、最悪のシナリオを想定しながら対処していたこと、24時間の間に、状況の変化に応じて予防的に4回避難区域を広げて住民の被ばくを回避したこと、東電の撤退希望を断固拒絶したこと、情報が錯綜していると見るやすぐに東電との対策統合本部を立ち上げたことなど、肯定的に評価される対応についても多面的に記述されています。
 また、事故対応の初期動作において、政府と東電は危機管理の協力体制を組むことができなかったのですが、「その大きな原因は、東京電力が迅速かつ効果的な組織的対応に失敗したことに起因する」と原因が東電側にあったことを述べています。首相や官邸に対する一方的な批判は、本来この問題の本質とは別問題なのです。

 ジャーナリストやいわゆる有識者の報道や論説は、しばしば本質をはずれていて、誤った世論を形成し、情報社会のリスクとなる可能性があるので注意が必要です。

           参考資料
            福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書(2012)

この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。