前回は、パターン言語の事例として「SFC学習パターン」を取り上げました。特にわざわざパターン言語を意識することなく、学習法のノウハウ集として利用しても良い内容です。筆者はたまたまいくつかのパターンが新人研修のプロセスをカバーしていることに気付きました。さらに注意深く読んでみると、それらはSECIモデルのサイクルにも重なることを発見しました。
SFC学習パターンを作成した人は特にSECIモデルは意識していなかったそうです。にもかかわらず結果としてSECIモデルの4つのサイクルをカバーしてしまっている。それがパターン言語の潜在的パワーだと筆者は思います。一つひとつのパターンの力は小さくても、関連するパターンをまとめてネットワークにすれば大きな力となります。
今回は、建築家クリストファ・アレグザンダー(以下C.A.)が提唱したパターン言語のキーワードである「無名の質」を考えてみたいと思います。
●パターン言語の動機
C.A.の問題意識は、鉄とガラスとコンクリートでできた近代建築には何か大切なものが欠けているという疑問がひとつの開始点です。人間疎外している。そこからは住民の活気ある生活が生まれてこない。そこでは実際に生活しないアーキテクトが設計し、そもそも住民は設計に参加できない。住民の生活よりハードウェアの方が重視される。それでよいのだろうか?
建築に対する価値感はアーキテクトと住民で異なるであろう。しかし近代建築の価値観はアーキテクト側が決め、住民はそこに文句を言わずに黙って住むしかない。
では住民側に立った町や建築の価値とは何であろう?
C.A.はパターン言語を3部作[1][2][3]として世に問いました。彼の理想とする町や建築のイメージと価値は、その一冊「時を超えた建設の道(The Timeless Way Of Building)」[1]にちょっと変わったスタイルで表現されています。
●価値観
人に感動を与える町や建築って何だろう?世界遺産として残るようなすばらしい町や建築は一体どうしたらできるのだろう?
これはかなり重い問題です。もっと身近な例では、買い物や食事をするとき、はやっている店とそうでない店の違いは何だろう?やはり人がいっぱい入っている店で買い物をし、行列のできるレストランに並びます。その差は販売している商品やレストランのメニューだけではない何かがある。
人はただそれが欲しいからだけでものを買うのでなく、その店だから買いたくなることがあります。人はただコーヒーを飲みたいだけで喫茶店に入るのでなく、例えばスターバックスで一時を過ごしたくなることがあります。何か活気がある。店の人も客も生き生きしており(alive)、店舗の内装も統一感があって店員も客もその場で一体感が感じられ(whole)、居心地の良さを感じます(comfortable)。
●「無名の質」
建築物という単なるハードウェアだけでなく、そこに参加する人も含めた「場」として、そこに備わる品質特性というものを考えます。これはなかなかひとことで表現できません。C.A.はこの品質特性そのものの定義はできないので、とりあえず「無名の質 - QWAN(Quality Without A Name)」と名付けました。そこには次のような7つの品質特性が含まれている[1]。
1. 生き生きとした alive
2. 全一的 whole
3. 居心地のよい comfortable
4. 捕われのない free
5. 正確な exact
6. 無我の egoless
7. 永遠の eternal
「無名の質」とは、どうやらこれらの7つの特性の共通部分の中にあるものらしい(図1)。
UMLでは汎化関係で表現できます。「無名の質」は7つの特性を継承します(図2)。
●「無名の質」と徳
「無名の質」の発想はソクラテスの「徳とは何か?」の議論とそっくりです。C.A.の探し求めている質にはまだ名前が付けられていませんが、徳はまず名前があります。その違いはありますが、両者共その本質が何であるかという説明はうまくできません。徳のある人なら例を挙げることができますが、徳そのものを説明することができず、正義・節制・敬虔・知恵・勇気などをすべて満たすものの中にあるというような説明がなされます。当連載第5回の図を再掲します(図3)。「無名の質」の図とそっくりです。
●生き生き - alive
QWANの中でこれが一番重要な品質特性です。はやっている店は活気があり、店員も客も生き生きしています。行列のできるレストランもそうです。店舗やレストランという場として活気があります。店員の顔が輝いています。そういった場にはさらに人が吸い寄せられ、集まってきます。
●働きたい会社ベスト100
Fortuneという雑誌で毎年”100 Best Companies To Work For”のランキングが発表されます。日本での就職希望者の多い会社のランキングとは価値観が異なるようです。日本は安定志向・大企業志向ですが、米国では小規模の会社もランキングされます。日本ではあまり知られていない会社がほとんどですが、ちなみに本年はGoogleが1位に返り咲きました。おなじみのStarbucksもランキングされています。
筆者はここにランキングされている小売店鋪の視察ツアーに参加したことがあります。その中でも印象に残っているのはニューヨーク郊外の食品スーパーStew Leonard’sです。入り口には”100 Best Companies To Work For”に選ばれたことが誇らがしげに掲示されています。その後10年連続で選ばれています。当スーパーはNY周辺にわずか4店舗あるだけで、会社規模は大きくありません。にもかかわらず米国の就職人気企業です。特定の契約農家から仕入れるのがポリシーなので生産規模は限られており、店舗数は増やせないそうです。
●Stew Leonard's
筆者が訪れたのはマンハッタン北部のヨンカーズ店で、もともと牧場のあったところで周辺には何もない、都心からも離れていてちょっと買い物にゆく距離でもありません。中に入るとちょっとしたジャングルの露天市場というテーマパーク風の内装で、そのあたりの木から取り立ての果実を店に並べた風のレイアウトで、通路はくねくねしていてこの先何があるのかも見えません。わくわくします。活気(alive)があり、店員と客が、そこはニューヨーク郊外ではなく南国の島か東南アジアに居るのではないかといった店舗と人との一体感(whole)があります。居心地の良さ(comfortable)を感じます。ここには確かにQWANがあります。
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今回はパターン言語のキーワードである「無名の質」 - QWANについて筆者の感じていることを述べました。
次回はパターン言語のソフトウェアへの影響についてお話したいと思います。
【参考書籍】
クリストファ・アレグザンダー3部作
[1] The Timeless Way of Building,1979
邦訳「時を超えた建設の道」鹿島出版会
[2] A Pattern Language,1977
邦訳「パタン・ランゲージ - 環境設計の手引き」鹿島出版会
[3] The Oregon Experiment,1975
邦訳「オレゴン大学の実験」鹿島出版会
ODL ObjectDesignLaboratory,Inc. Akio Kawai