新年にあたり、今年をどういう姿勢で取り組んでいこうか、と考えて、胸に浮かんだのは、森信三(もりのぶぞう、通称しんぞう)さんのことでした。
昨年は、森さんの弟子であった寺田一清さんによる『森信三小伝』『森信三先生随聞記』や、『修身教授録』を基に一般向けに編集された『運命を創る』『10代のための人間学』、また、北尾吉孝さんによる『森信三に学ぶ人間力』などが新たに発刊され、森信三さんが再発見されたようで嬉しく思っています。
以前から森先生をご存じの方には恐縮ですが、「国民教育の父」や「人間教育の師父」とも呼ばれることもあるのですが、不勉強のため、2年ほど前まで知りませんでした。ところが、手に取った本に偶々、森さんの晩年、兵庫県の尼崎市立花町に暮らされていた記述を見つけました。森さんが尼崎に住まわれていた当時、武庫川を隔てた隣町の西宮に住んでいたので、毎週末、市内の図書館よりも近い尼崎北図書館に通っており、立花駅界隈にもよく足を伸ばしていました。もしかしたらニアミスしていたかもしれないな、と思うと親近感が湧き、以来折に触れ、森信三さんの著作を手にとっています。
森信三さんは、明治29年(1896)、愛知県知多郡武豊町に生まれました。両親の離縁により、2歳で、愛知県半田市の百姓であった森家に養子に出されます。高等小学校を首席で卒業するも、経済面から中学進学を断念し、代わりに師範学校を目指すも年齢が足りず、母校の給仕となります。その後、小学校教師を経て、広島高等師範学校で西晋一郎、京都帝国大学哲学科で西田幾多郎に学びます。ところが、大学には求人がなく、天王寺師範学校の専任教諭となり、その後、旧満州の建国大学の教授に赴任します。敗戦後、ソ連軍に拉致され、シベリア送りとなる寸前のところを、建国大出身の白系ロシア人教え子により救われます。その後、匿われた日本人教え子が発疹チフスで亡くなる等があったものの、九死に一生を得て、帰国します。
学者にあらず
宗教家にあらず
はたまた教育者にもあらず
ただ宿縁に導かれて
国民教育者の友として
この世の「生」を終えむ
終戦引きあげ間なき日に
という言葉を「自銘」として、個人誌『開顕(かいがん)』を刊行(後に『実践人』)し、国民教育家として全国教育行脚を行います。昭和28年、56歳で神戸大学教育学部教授となり、63歳で定年退官後、1年半余りに、1000回の教育講演を実施します。同時に膨大な著述を著し、67歳で、森信三全集の刊行を宣言し、87歳で、森信三全集全25巻、続篇8巻を刊行しました。それは西洋哲学と東洋思想のかけ橋を目指した「全一学」と称する独自の哲学体系の構築であったようです。昭和50年、尼崎市西立花町に「実践人の家」 を設立し、活動拠点と、独居自炊の生活をし、平成4年11月21日、96歳で亡くなられています。
今回は、この森信三さんの言葉を、2冊の本から紹介したいと思います。
1冊目はなんといっても、『修身教授録』(*1)です。読んでみるまでは「修身」という言葉そのものに正直、多少の拒否反応がありました。
内容は、かつての大阪天王寺師範(現・大阪教育大)学校の3年生に向けた昭和12・13年度の「修身科」の授業の教授録です。昭和12年度は、40回分、昭和13年度は、39回分の合計、全79回分の授業記録です。当時の検定教科書を用いず、森さん独自の修身に対する考えをクラスの生徒全員に口述筆記させるという授業の形態を採ったため、記録が残っています。
この破天荒な授業・・万一、文部省の督学官がきてクレームを言われたら、どうするか?
その時は、辞表を出そう、と決意して臨んだ講義でした。
そのため、なんといっても冒頭から、言葉に力があります。いま読んでも迫力が違います。
明治以来、教師と言われた人は、日本の中にも数百万人にのぼるが、この教育界に、歴史に名を刻んで範とすべき人物がいるのか?、と問います。
重ねて、
なぜ自分が範となるべき人になろうと志さないのか?、と。
将来、小学校の教師になる学生に対して、デモ・シカ教師や、生徒の幼稚さに甘んじたり、一介の小学校教師が云々、なんていう姿勢は論外である(教師を自身の職業に置き換えてみれば、すべての仕事に当てはまります)。
畢竟、範とするのは、日本であれば、吉田松陰、中江藤樹、二宮尊徳、橋本左内。西洋であれば、ペスタロッチを挙げられています。
そして、その生き方を森さん自身が実践されています。
ペスタロッチが、はじめて教壇に立ったのは、53歳で、しかも無給でした。しかし、その後30年間、83歳を越えて倒れるまで教壇に立ち続けたといいます。廊下で生徒と出会うと、その子の頭に手を当てて、「ねえ賢いよい子になろうと思わないかね」と語りかけた。その言葉が子どもたち一人一人にとって大きな励ましになったというエピソードがあります。森さん自身、50代後半からの活躍が素晴らしく、80代になってもいよいよ盛ん。90歳を越えて脳血栓になりつつも、一日数通の手紙を必須と課されていました。
「実際人生は二度ないですからね
人生は、ただ一回のマラソン競走みたいなものです。
勝敗の決は一生にただ一回人生の終わりにあるだけです。
しかしマラソン競走と考えている間は、まだ心にゆるみが出ます。
人生が、50メートルの短距離競走だとわかってくると、人生の凄味が加わってくるんですが−。」
「実際われわれの一生は、ある意味からは、自分という一人の人間の、いわば面作りのようなもので、われわれは一生かかって、この自分の「顔」という唯一つの面を、仕上げるようなものとも言えましょう」
一所懸命、一隅を照らす努力の中で、他の追随を許さない独自の方法による愚直なまでの実践、それによる業績を打ち立てることの必要性を言葉を換え、言葉を尽くして教えています。
2冊目は、『真理は現実のただ中にあり』(*2)です。小学生から中学生、大学生、そして、新任教師、親御さんに向けた9つの講演記録になっていますが、どの講演も、どの年代の人間が読んでも胸に迫ってくると思います。
人生は一回限りのマラソンであること、そのラストスパートについてはこう語られています。
「・・人生のラストスパートは、55から70にかけてだということでしたね。
いいですか。将来、停年はまだ5年くらいは延びるかもしれませんが、それ以上は延びないですよ。
皆さんはまだ若いから、一応、私がいま手がたくいえることをいっておくが、
私自身もいまちょうどラストスパートをかけているんですからね。
私は今年70だが、いま最後の馬力をかけているんですよ。
毎晩寝るのは2時だったが、このごろでは3時、4時、時には5時ですよ。
私の一代に書いてきたものを「全集」として、25巻に結晶させつつあるんです。
しかし、今朝は6時に起きました。そして睡眠不足は、これから乗る汽車の中で寝てとりかえすんです。・・」
日頃、ついつい前の日の睡眠時間を考えてしまう自分に反省してしまう言葉です。
「人生の種まき」について。
「諸君!! 例外をつくったらだめですぞ。
今日はまあ疲れているからとか、夕べはどうも睡眠不足だったとか考えたら、
もうだめなんだな。例外をつくったらもうやれん。・・」
手帳を見ていてつくづく思うのですが、毎週毎週新しいイベントやトラブルが起こっています。もちろん、仕事としてそれに応対することの必要性はあるのですが、自分に対する約束がないがしろにされていることに気づかされます。自分をケアするのは自分自身であることを再認識させられます。
読書は「精神の食物」である。
「・・人間の内面生命の強靭さの程度は、一応その人がどれほど読書欲を持っているか否かによって測ることができるということである。
つまり読書欲がないというのは、肉体的にはよしいかに頑健強壮に見えても、その人の内的生命力、すなわち精神力は、いわばすでに死に瀕しているということである。
読書は「精神の食物」であるから、精神の食物が欲しくなくなったとしたら、
その人は精神的にはもはや瀕死の病人といってよいわけである。・・」
こういう文章は、本を好きなだけ買う口実にできるのでとても好きです。ただし、手放しで読書の効用を信じているわけではありません。
「すべての真理は現実の只中にあり、本というものは有力な手引きや媒介でしかないのだ」
読書はあくまで、真理にいたる手引きや媒介でしかない、と指摘されています。その一方、読書を抜きにした経験のみでは、せっかくの経験の深さを体得することは難しい。
「人生における深刻な経験は、たしかに読書以上に優れた心の養分と言えましょう。
だが同時にここで注意を要することは、われわれの日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして、初めてこれを見出すことができるのであって、もし読書をしなかったら、いかに切実な人生経験といえども、真の深さは容易に気付きがたいと言えましょう。」
読書をすることによって、経験したことのより深い意味を見出す。
「すべての真理は現実の只中にあり」「人生二度なし」の精神は、誰にとっても真理であると思います。頭で理解しているだけでなかなか実践できない身を反省する日々ですが、新年にあたり改めて生きる指針にしたいと思っています。
(*1)森信三『修身教授録―現代に甦る人間学の要諦』致知出版社
(*2)森信三『講話録 真理は現実のただ中にあり』致知出版社