今回から、メルマガの記事を書かせていただくことになりました。“システム・エンジニアリング”や“SE”は、情報システムの分野では知り尽くされた用語にように思われていますが、実はその本質はまだ日本には浸透していないようです。例えば、みなさんは、“ソフトウエア・エンジニアリング”と“システム・エンジニアリング”の違いを、明確に端的に説明できますでしょうか。システム・エンジニアリング”の本質は、情報システム構築を成功裡に実現する大きな力になると考えられます。最新の動向情報も交えながら記事を書きたいと思います。
さて、システム・エンジニアリングは、それが意味するもの、そしてその技法に関し、世界標準が定められています。ISO/IEC15288です。これを眺めると“情報システム”のことや“ソフトウエア開発”に関するものではないことがわかります。正確には、それらに限定されたものではないということがわかります。さらに、ソフトウエア工学で培ってきた成果をシステム・エンジニアリングで利用しようとしていることもわかります。それらの内容を説明する前に、今回は、まず歴史的背景を紹介したいと思います。
システム・エンジニアリングは、アポロ計画時に、当時の貧弱な技術力を最大に生かし、月面着陸を達成するために生み出された工学です。まだソフトウエアの重要性や、情報システムの遍在など姿を現す前の話です。この記事をお読みになる多くの方々は、「アポロ計画」という米国が国家の威信をかけて推進したプロジェクトの存在すら知らない若い世代かもしれません。これは、米国だけでなく世界中の夢と希望の塊のプロジェクトでした。ただ、ほんの少しの懐疑的批評を今でも含んだままのです。例の「ホントは月面着陸していないんじゃないのか。あれはハリウッドのスタジオではないか。」という都市伝説です。
この時代の米国は、歴史がいつもそうであるように、後からみると一大転換期であったようです。時は冷戦真っただ中。東西の両陣営は、互いに来るかもしれない第三次世界大戦に備え、軍事力の強化と情報戦に明け暮れていました。この象徴的な開発対象が、核兵器と宇宙です。核兵器は、第二次世界大戦の硫黄島であそこまでしぶとく食い下がった日本を、あっという間に敗戦に追い込んだ実績がありました。これに対し宇宙開発は、はるか上空から敵を監視することが最大の狙いでした。
一方、第二次世界大戦直後の1940年代半ばから突入した冷戦状態は、グローバル化が進みながらもスターリン死去後の雪解け傾向があり、米国全体が“仮想敵国”のために多額の税金を投入することに疑問を持ちはじめました。宇宙開発をタイトルにした国威発揚が必要になりました。
こういう時代背景を受けて、世界史に名を残す米国大統領が誕生します。
1960年1月2日、上院幹部会議室において多くのマスコミの前で民主党予備選挙に立候補することを表明したジョン・F・ケネディは、翌年1月20日「祖国があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何をできるか考えて欲しい」という名演説で、大統領就任宣誓をします。43歳での就任は、合衆国の歴史上、選挙で選ばれた大統領としては最も若く、彼自身が米国躍進の象徴でした。
彼の就任中に、ピッグス湾事件、キューバ危機、ベルリンの壁の建設、米ソの宇宙開発競争など多くの歴史的事件が発生しています。特にキューバ危機では「第三次世界大戦」「米ソ全面核戦争」寸前の危機にまでになりました。彼の暗殺のされ方、夫人ジャクリーヌのその後生き様、そして愛人として語られる稀代のセックスシンボル女優マリリン・モンローとのスキャンダル。死後次々に判明する交友関係や駆け引きの裏側。
彼ほど「激動」を背負った人生を神からゆだねられた人は、いないかもしれません。だから、彼を取り巻く人間たちも、男も女も彼に引けをとらない激動人生を歩んでいます。
さて、ジョン・F・ケネディ大統領が、1961年5月25日、上下両院合同議会でアポロ計画を演説しました。タイトルは、"Special Message to the Congress on Urgent National Needs"です。
その内容は、
First, I believe that this nation should commit itself to achieving the goal, before this decade is out, of landing a man on the Moon and returning him safely to the Earth. No single space project in this period will be more impressive to mankind, or more important in the long-range exploration of space; and none will be so difficult or expensive to accomplish.
が有名なセリフとしていまだに語られています。
つまり、「我が国は、“1960年代のうちに、人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させるというゴール”をコミットする」。そして、さらに「このプロジェクト以上に完遂に困難を伴い費用を要するものもない」と明言しています。つまり、『とっても大変だしお金もかかる。でもかならず月に人を立たせるぞ』と宣言したわけです。そして、それをなんと米国中が拍手と賞賛をもって迎えるわけです。
国民に何の得があったんでしょう。
有りません。
いえ、一つだけありました。アメリカ国民であることの誇りです。これを揺るがないものにしてくれるだけの力が、この若き大統領の演説にはありました。
これを契機に米国のすべての科学技術の研究が、この目標のために進められます。アポロ計画実現に向けてとタイトルに一言書くと、国から支給される研究援助金の額が、桁が変わったと言われています。
ところが、一向に成功しないロケット発射実験をみて、国民だけでなく、NASAの関係者の中にさえ、ケネディのこの公約の実現性や必要性さえ疑う者が出始めます。
そりゃそうです。
月ってどこにあるか、みなさん考えてみてください。
地球から384,400Kmのところです。
最近飛行人生を終えたスペースシャトルも、宇宙を飛んでいました。
どのへんだと思いますか。
国際宇宙ステーションがあるあたりですと高度約400Kmです。東京から名古屋までの新幹線の走行距離が366Kmです。
なんと、同じ距離を上空に向かうとそこは宇宙ということです。
現代の技術をもってしても、未だ失敗がゼロではない宇宙飛行です。
この1000倍もの距離になろうかという遥か彼方に、1960年代中にケネディは安全に人を送ると宣言したのです。
当時の技術力はどの程度だったのでしょうか。
情報システムを専門にする我々にとって馴染みの深いコンピュータで眺めてみましょう。17,468本の真空管を使ったENIACが完成したのが1945年。トランジスタが発明されたのが、1947年。プログラム内蔵式コンピュータは、1948年。そして世界初の商用プログラム内蔵コンピュータは、IBM701で1952年発売。ゼンマイ駆動の自動車が1700年代に組み立てられ、約300年たってやっとガソリン車が開発された歩みと比較すると、格段に速いスピードで技術革新が進んでいますが、それでもケネディ大統領が行ったアポロ計画演説から、たかだか5年前に初の高級プログラミング言語FORTRANが開発され、電子・電気・無線系標準化団体であるIEEEが設立されたのは、演説から2年後の1963年です。
月に行って帰ってくるのに十分な技術力は存在していませんでした。
昨年Discovery Channelで米国の宇宙開発の特集番組が放送されました。発射台で爆発するロケットが次から次へと画面に映し出されていました。みな、大爆発です。ただ、火花を飛び散らせるためだけに膨大なリソースが使われてきた様子がよくわかる番組でした。むしゃくしゃしている時に観ると、意味不明の爽快感を得ることができます。
さて、短期に終結すると思われていたベトナム戦争も長期化を呈し、米国民は宇宙開発につぎ込まれる多額の税金に、疲弊し始めます。
ここで、辞任して問題をそのまま次の総理に押し付けるのが日本の総理大臣かもしれません。
もちろん、戦略家のケネディのことです。多額のノム・打つ・買うを使って支援者で固めていたことでしょう。そんなことは、誰も想像することすら思い出させないくらいの感動的な演説が、彼の戦略を実現へと向けます。米国民は再度目標を一つにしました。
We choose to go to the moon in this decade and do the other things, not because they are easy, but because they are hard, because that goal will serve to organize and measure the best of our energies and skills, because that challenge is one that we are willing to accept, one we are unwilling to postpone, and one which we intend to win, and the others, too.
これは、ライス大学で行われた彼の演説です。
簡単な道だったら選ばない。困難だからこそ進むのです。この挑戦は、決して先に延ばしてはならないのです。我々こそが勝利者であり、それによって我々以外も勝利を享受するのです。
感動的です。でも注目していただきたいのは、感動的なセリフではなく、演説の中ほどです。
to organize and measure the best of our energies and skills
つまり、個々の分野で突出した技術研究成果を求めるのではなく、最適に統合させることで、目的は達成できると主張しているわけです。この裏で誕生していた工学が、統合工学つまりシステム・エンジニアリング(Systems Engineering)です。Systemsは、統合を指します。
先の、Discovery Chanelの特集番組の中でも、当時担当技術者だった方が答えていました。「それぞれの採用技術は、世界一流だった。でもそれらを組み合わせた時、何が起こるか計算も実験も足りなかった。」多くの無駄を作った彼らだからこそ、統合工学という新領域にたどり着けたのでしょう。
まだ、情報システムという産業が生まれる前です。やっとソフトウエアという概念が提案されようとしている頃でした。統合される対象は、ハードウエアと通信データ、そして超エリートからなるプロたち、つまり人でした。
これが、システム・エンジニアリングのスタートです。
ケネディ大統領の弱気と取れる判断が、1962年に出ます。ベトナム戦争からの早期撤退計画です。同年、彼は暗殺されます。1969年に世界中の人の歓喜の中で、米国人宇宙飛行士が月面を歩く姿を、彼は観ることができませんでした。世界最大規模かつ最難関のプロジェクトの成功を、彼は見届けることができませんでした。Discovery Chanelの特集番組で放送された数限りない失敗は、当時報告を受けていました。
そういえば、日本のJAXAが10くらい年前まで、種子島から発射するロケットに関し、何度か失敗を繰り返しました。当時の担当大臣だった父親似のしゃがれた声の女史がテレビで発言されていました。「まったくけしからんです。税金を溝に捨てるようなことをして。」
日本の政治家の限界でしょうか。こう答えてほしかったと思いました。「みなさん。安心してください。彼らは超一流の技術者であり研究者です。今回の件を深く考察し観察し、そして研究し、かならず近いうちに大きな成果として反映します。」
JAXAの成功は、はやぶさだけではありません。ここ4、5年、ずっと成功し続けています。その裏には、やはり、システム・エンジニアリングの採用がありました。INCOSE 日本Chapter長の根気強い働きかけによるものでした。
次回は、INCOSEの活躍を述べたいと思います。