情報システム学会 メールマガジン 2011.8.25 No.06-05 [9]

連載 情報システムの本質に迫る
第51回  「まんべくん」 の受難

芳賀 正憲

 「ゆるキャラ」とは「ゆるいマスコットキャラクター」の略で、郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること、立ち居振る舞いが不安定かつユニークであることなどの特徴を備えています。地域の組織や催し物に密着したキャラクターとして注目度を上げることができれば、地元に大きな経済効果をもたらすことが可能で、現代における重要な情報伝達手段の1つになっていることが、2010年全国大会発表論文の中で高松・嶋津両氏により紹介されました。
 「まんべくん」は2003年に誕生した、髪がアヤメ、耳がホタテ、手と胴がカニから成る、北海道・長万部町のイメージキャラクターです。当初知名度が低かったのですが、昨年秋ツイッターを開始以来、奔放な発言から人気が急上昇、フォロワーの数は9万人を超え、関連グッズの売れ行きも好調、各地で開かれるイベントは活況を呈していました。テレビにも度々登場し、今年6月の日経新聞(北海道版)には「全国にファン 鋭いつぶやきを発信」と、実績を高く評価する大きな記事が載っています。

 しかし8月14日、「明日は終戦記念日だから、まんべくん戦争の勉強をするねッ」とした上で、日本とアジアの戦争犠牲者数とともに発信した、「どう見ても日本の侵略戦争が全てのはじまりです」などのメッセージに対して、500件以上の抗議が町役場に殺到、役場は混乱に陥り、16日町長は、町のホームページに「お詫び」を掲載、ツイッターを運営していた民間会社への「キャラクター」使用許諾権を取り上げ、ツイッターは中止となりました。
 「お詫び」には、ツイッターでの発言が商標使用を許可している民間会社のコメントであり、町の公式発言ではないこと、しかし町のキャラクターである「まんべくん」の発言で、皆様にご心配ご迷惑をおかけしたことを深くお詫びする旨、書かれています。また、町の幹部はマスコミに対して、ツイッターの運営者には、思想と政治に関わる発言はしないように指導していた、今回これに抵触したと語っています。

 しかし、これは奇妙な論理です。今回問題とされたのは、(15年戦争を)侵略戦争とする発言ですが、「侵略」の意味は国語辞典で明確に説明されています。侵略戦争であるかどうかは、事実として日本軍の行動がこの意味に該当するかどうかで決まることであり、思想や政治的主張とは本来関係のないことです。
 当然のことですが、(15年戦争が)侵略戦争であったという事実は、日本政府の公式見解にもなっています。外務省のホームページには、「我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」という、2005年終戦記念日の小泉首相談話、同年4月アジア・アフリカ首脳会議における小泉首相演説、1995年終戦記念日の村山首相談話が、重複をいとわず掲載されています。今年の全国戦没者追悼式で菅首相が「先の大戦で多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与え深く反省」と述べましたが、歴代政府の認識を踏襲したものと考えられます。
 したがって「まんべくん」の「侵略」発言は、思想や政治的主張に関わるものではなく、党派を問わず歴代政府の見解に反映されホームページにも載っている事実を述べただけであり、何ら新規性や特異性のないものです。今回はツイッター発信の許諾権を得ていた民間会社のコメントですが、仮に町の見解だとしても妥当性を欠くものではありません。(逆に侵略を否定する発言をした場合は、事実にも政府の認識にも反していて、問題発言ということになります。)
 町は「お詫び」をする必要はないし、「侵略」発言を理由に商標使用許諾権を取り上げたのならそれは行きすぎです。今年6月の日経新聞(北海道版)で町長は、長万部に必要なこととして、「何でも行政頼みではダメ。彼のように自分の力で行動する人を支援したい」と、「まんべくん」躍進の仕掛け人になったツイッター運営会社の社長を高く評価しているのです。

 政府の認識と同じで、特に新規性や特異性がない事実であるにもかかわらず今回「まんべくん」が終戦の日を前に「侵略」発言をしたのは、戦後66年、戦争の事実関係の記憶が社会の中から次第に失われ、事実に関する情報が少なくなった状態で、逆に戦争を肯定したり美化する風潮が生じていることに一石を投じる意義があったのではないかと考えられます。
 事実に関する直接の情報が少ない状態では、思いもよらない勝手論理が横行することがあります。よく知られているのが、第2次世界大戦後のブラジル日系移民社会です。ニュースを聞いても、強い日本が負けるはずがない、それはデマだと主張して、日本の敗戦を信じない人たちが多数派の勝ち組を形成、冷静に敗戦を認めた少数の負け組を襲撃して多くの死傷者と逮捕者を出しました。両者の不和は戦後10年以上も続き、勝ち組の中で日本の勝利を信じ続ける人たちが、その後も長期にわたって存在しました。

 連合軍の進駐を受けた日本には、さすがに勝ち組はいませんが、戦争を推進した人の関係者や戦争の被害を受けることの少なかった人、特に1950年代後半以降の生まれで戦中戦後の惨禍の記憶をほとんどもたない人の中に、日本が侵略のような悪いことをするはずがない、あれは自衛戦争で正しい戦争だったと考える人がいます。
 進出した国に関しても、欧米の植民地からの解放をめざしたり、インフラを整備し善政を施し発展に尽くしたのだと、独善的なロジックで、むしろ貢献を主張します。中には居直って、当時は各国の侵略競争の時代だったのだ、今の時代の規準でものを言うなと、あっさり侵略を認めた上で批判を封じる人がいます。近隣の諸民族や在日の外国人に対して強い差別意識をもっていることをあからさまに表明する人が多いのもこの人たちの特徴です。

 この人たちのうち相当数の人が、発展する情報技術を用いてインターネット上で主張やコメントを積極的に書き続けています。実数は日本の人口の0.01%程度にとどまると推察されますが、同じ人が繰り返し発信するので、インターネット上ではかなりの比率を占めているように見えます。文面を見る限り論理性、品格に乏しく、低劣な感情をむき出しにして人格を疑うような書き込みもあり、彼らの主張する「誇り高き日本」とはほど遠い文章が並んでいます。

 先にも述べたように「まんべくん」の今回の発言は、政府のホームページにも載せられている、党派を超えた歴代首相の発言と同じ趣旨のもので、本来問題視されるようなものではありません。この点は町当局も抗議の内容をよく分析して、毅然とした対応をすべきだったと考えられますが、一方人口6,300人の町の役場に全国から膨大な抗議や問い合わせが殺到したとき、最速で影響軽減策を取ろうとしたことには無理からぬものがあります。
 「まんべくん」の発言に対して、「侵略」を事実だと認識している人が町に抗議することは考えられないので、町役場が困惑するほど多くの抗議のメールや電話をしたのは、上記「侵略」を否定する人たちだったと思われます。今回の件に限れば、結果的に上記の人たちが町の行政を動かし、町長から「お詫び」を出させ、ツイッターを運営していた会社から商標使用許諾権を取り上げてしまいました。これは、インターネットを通じて疑似的に形成された、一定の考え方を共有する集団が、小規模とはいえ行政組織の活動に直接的に影響を及ぼすだけのパワーをもってしまったということです。

 昨年末から今年の初頭にかけてチュニジアで旧政権を崩壊させた、いわゆるジャスミン革命は、すぐにエジプトに飛び火して約30年続いたムバラク政権を崩壊させ、リビア、シリア、イエメンで反政府活動を激化させました。そのほかにも北アフリカと中東の多くの国で反政府デモが起きています。今回の各地における反政府運動の拡大に、フェイスブックやツイッターなど、インターネットによる情報の交換と共有が大きな役割を果たしたことは広く知られています。このような一連の動きも、インターネットを通じて一般市民が疑似的な組織を構成し、大きなパワーを発揮した事例と言えます。

 情報システム学会の研究会や委員会でご講演頂いたこともある手島歩三氏が監修・執筆された「働く人の心をつなぐ情報技術」(白桃書房)には、ビジネス情報システムの使命は「ビジネスに関与する人々の意思疎通を支援すること」だと書かれています。
 人間は経験や思考を通じて周りの世界に関する心の中の枠組み―「概念」を形成します。概念こそ情報の本質とも言えるもので、この概念を言葉で表わし、コミュニケーションすることにより人間は協働の体系をつくり発展してきました。そのプロセスを飛躍的に迅速・広範囲に展開可能にしたのが、いわゆる情報技術です。

 かつてラジオが普及したとき、いくつかの国では支配層からの一方向のコミュニケーションにより極端な思想の浸透や偏狭な愛国心の高揚が図られ、国を挙げて大きな戦争に突き進んでいったことがありました。1990年代ルワンダで起きた大量虐殺は、新聞や街頭演説に加えラジオによる語りかけの繰り返しによるマインドコントロールの影響が大きかったと伝えられています。
 今日では、テレビ、ラジオ、新聞に加え、ICTを活用した情報システムの発展によって、市民発でも迅速・広範囲のコミュニケーションが可能になり、考え方に類似性のある人たちが疑似的な集団を形成して社会に相当の影響を及ぼすことができるようになりました。
 当然のことですがこの影響は、社会にとってプラスにだけではなく、マイナスの方向に働くことがあります。健全な価値観と判断力をもった市民の成長が、一層切実に求められる時代になったと言えます。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。皆様からもご意見を頂ければ幸いです。