情報システム学会 メールマガジン 2011.7.25 No.06-04 [10]

連載 情報システムの本質に迫る
第50回  「進化」 の情報システム学

芳賀 正憲

 現生人類(ホモ・サピエンス)の誕生当時、その情報システムはきわめてシンプルなものだったと推察されます。以来20数万年の間に(特に近年)、情報システムは飛躍的に進歩し、複雑・高度なものになりました。
 先月号のメルマガで、パースが「アブダクティブな洞察力も、人類進化の過程で人間精神に備わるようになった本能的能力」と述べていること、また動物学者のローレンツが人間の理性について、それが備えているあらゆる直観の形式やカテゴリーも含めて、パースと同様の考えを記していることを紹介しました。情報システムも、人類が歴史の中で環境に適応するため獲得した能力である以上、洞察力や理性と同じように、生物的な進化の賜物と見ることができます。このため生物進化のプロセスを理解しておくことは、情報システム学の新しい体系化のためにも必須であり、基本的なことと思われます。
 本稿では、今年3月出版された池田清彦著「『進化論』を書き換える」(新潮社)を参考に、進化を「情報システムの改変」と見なす最新の考え方を見ていきます。

 ダーウィン以前の進化論の歴史の中では、ラマルクがよく知られています。彼は、微生物が自然発生し、直線的に進化して高等動物になると考えました。しかしこれだけでは、牛と馬、鯉と鰻のように直線上に並んでいるとは思われない多様な生物の存在が説明できません。そこでラマルクは補助仮説として、生物は環境に適応してよく使う器官を発達させ、使わない器官を退化させる、またその結果が次の世代に遺伝して多様な種が生まれるという2つの命題を考えました。
 もちろんラマルクの仮説は実証されず、今日(ラマルクの唱えた形では)否定されています。しかし彼の業績は、生物多様性という目に見える現象を、進化という目に見えない原理で説明しようとした(すなわちパースのいうアブダクションを実行した)という点で、時代を画する意義をもっています。

 ダーウィンが著書の「種の起源」で述べた基本的な考え方は、自然選択(淘汰)によって進化が起きるというものです。ダーウィンによると、生物には変異があり、変異のいくつかは遺伝します。環境に適した変異をもつ個体は、そうでない個体に比べ、生き残る確率が高くなります。そのため、環境に適した変異は、世代を重ねる毎に集団における比率を高め、それによって生物は進化します。ダーウィンは、飼育生物、特に家鳩のたくさんの品種の変異をくわしく調べて、この結論に到達しました。
 ダーウィンの考えは、1つの種内の小さな進化については、ほぼ成り立ちます。池田清彦氏の所見によると、ダーウィンのまちがいは、種内の小進化のメカニズムを種間の進化、さらには科、綱、門等の高次分類群の進化に単純に拡張したところにあります。
 なおダーウィンは、ラマルクと同じように、生物が環境に適応して新たに獲得した形質も遺伝すると考えていました。

 20世紀になって、メンデルの法則をルーツにした遺伝子の概念と、自然選択を組み合わせた新たな進化の考え方(ネオダーウィニズム)が登場しました。
 ここでは生物の変異の原因が遺伝子であり、遺伝子はときに無方向かつランダムに突然変異を起こすと考えられています。環境に適した変異の原因となる遺伝子は、次世代に伝わる確率が高く、これが自然選択になります(ただし、特定の遺伝子が自然選択によらないで偶然集団中に広がることもあり得ます)。その結果、生物は世代を重ねる毎に集団中での遺伝子の変換や頻度変化が起き、これが生物に進化をもたらします。ネオダーウィニズムでは、よく使う器官の発達など、遺伝子によらず獲得した形質の次世代への継承は、明確に否定されました。

 遺伝子の突然変異と自然選択によって進化が起きる典型例として、耐性菌の問題があります。
 ペニシリンは発見された当初、魔法の薬とも呼ばれ、黄色ブドウ球菌などに対する画期的な特効薬でした。しかし使い続けていくうち、ペニシリンを分解する酵素をつくる耐性菌が出現しました。ペニシリン耐性菌は以前からごくわずか存在していたかもしれないし、ペニシリン投与後偶然生き残った少数の菌から突然変異によって生まれたものかも知れません。しかし一度耐性菌が生じると、他の菌との関係で耐性菌は圧倒的に有利になり繁殖します。
 ペニシリン耐性菌に対抗するため、メチシリンが開発されました。しかし間もなくメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)が出現します。これに対抗するためバンコマイシンが開発されましたが、予想どおり、これに対する耐性菌も現れました。恐ろしい多剤耐性菌の出現です。

 細菌の進化プロセスは、ネオダーウィニズムで説明が可能です。それは細菌がそのまま1個体で、遺伝子の変異が個体の形質の変化に直結しているからです。
 多細胞生物の場合、種内の小さな進化についてはネオダーウィニズムで説明することができます。しかし種の分化や、科、綱、門等の高次分類群を構築するような進化をネオダーウィニズムで説明することはできません。それは、遺伝子がどんなたんぱく質をつくっているか分かったとしても、それだけでは形態がどのようにつくられるか分からない、すなわち遺伝子の変異だけで形態の変異が説明できないからです。

 人間の場合、全DNAは約30億対ですが、遺伝子の数は約2万3千、全DNA配列のわずか2%程度です。これらの遺伝子は1度にではなく、個体発生のタイムスケジュールに従って次々に発現していきます。タイムスケジュールは、その遺伝子によるだけでなく、細胞(例えば受精卵)内物質との相互作用によっても決まってきます。また、遺伝子は階層構造をなしていて、ある遺伝子(発生遺伝子)が別の遺伝子のスイッチをオンオフする機能をもっています。
 さらに最近では、かつてジャンクDNAと呼ばれていた、たん白質をつくる情報をもっていないDNAにも、遺伝子の発現を制御する重要な機能が保持されていることが分かりました。遺伝子を発現させるかどうかを決めるスイッチが配置されているのです。1つの遺伝子にはいくつものスイッチがあり、さまざまなタイミングと場所でオンオフします。

 たん白質をつくる情報をもっていないDNAの割合は、複雑な生物ほど高いとされています。たしかに全DNA数と遺伝子数は、大腸菌で460万に対し4100、メダカで8億に対し2万1000であり、一方、マウスは26億に対し2万6000、人間では30億に対し2万6000ですから、かなりその傾向が見られます。ただし山椒魚の全DNA数は400億、アメーバの中には6700億のDNAをもつものもあるのですから(遺伝子数は不明)、DNA数のみで生物の複雑さを説明できないことも明らかです(このパラグラフでの数値は7月17日の日経新聞朝刊によります)。

 DNAの遺伝情報は4つの塩基、T(チミン)、A(アデニン)、C(シトシン)、G(グアニン)から成る配列ですが、動物や植物でシトシンにメチル基が付着し、C−CH3となっていることがあります。これがDNAのメチル化で、メチル化されたDNAは機能しません。メチル化されたDNAがあると、DNAの配列がまったく同じでも、発現する形質が異なってきます。DNAの配列からだけでは、生物の形質が一義的には決まらないことが分かります。同様に、ある種たん白質の付着によっても、DNAは機能したりしなかったりします。DNAの配列が変わらないのに遺伝子の機能が変化し、それが細胞分裂を経て遺伝される仕組みは、エビジェネティクスと呼ばれています。

 それでは細胞内物質との相互作用や発生遺伝子によるコントロールなどによって、実際に個体発生がどのように進んでいくのか、ショウジョウバエを例に見ていきます。
 ショウジョウバエの卵は米粒のような形をしていて、できたときから頭と尻、背と腹の向きが決まっています。これは母親の体内でつくられた何種類かのメッセンジャーRNA(たん白質に翻訳可能な情報と構造をもったリボ核酸)が卵の中のそれぞれの位置に局在するように予め送り込まれ、対応する発生遺伝子の発現を促進するたん白質を、それぞれの位置に濃度高くつくり出しているからです。
 卵は受精すると、オス、メス双方由来のDNAがはいっている核が分裂して表面に並び、個々の核のまわりの表面にだけ分割線がはいります。この分割は、母親からもたらされた卵内物質の作用のみによって行なわれ、DNAはまだ関与していません。

 DNA配列中の発生遺伝子の起動は、次のようなプロセスで行なわれます。
 最初に、卵の中に濃度勾配をもって存在している何種類かのたん白質の種類・濃度に応じて、少なくとも6種類の発生遺伝子のスイッチがはいります。これら最初の発生遺伝子がつくり出すたん白質の種類・濃度の分布と、母親由来の卵内のたん白質の種類・濃度の分布の組み合わせにより、次にさらに、少なくとも8種類の発生遺伝子が発現します。その中のある遺伝子は、胚に7本の縞をつくりますが、7本に対し同じ遺伝子の発現であっても、スイッチは縞毎についています。
 この段階で胚の中は細胞膜で仕切られ、区画に分けられます。区画毎に発現されたたん白質の組合せから、さらに次の、すでに10種類以上見つかっている発生遺伝子のスイッチがはいり、胚は体節を完成させます。
 個体の形成が、DNAの配列によるだけでなく、いかにタイムスケジュールに従い、細胞内物質などとの相互作用によってシステム的に進められているかが分かります。

 このようなことから生物の個体発生プロセスは、DNA配列、エビジェネティクス(メチル化やある種たん白質の付着)、細胞内物質の種類と濃度の分布が関与して、状態遷移的に進められる1つの情報システムであると見なされます。後者の2つを、DNAの発現の仕方を決定づける、いわばDNAの解釈系と考えると、生物の進化は次のように起きることが想定されます。
 解釈系が変化しない  DNAが変化しない ⇒ 進化しない
            DNAが変化する  ⇒ 小進化が起きる
 解釈系が変化する   DNAが変化しない ⇒ 環境による獲得形質の遺伝が起きる
            DNAが変化する  ⇒ 大進化が起きる

 ここで解釈系が変化しない状態でDNAが変化しても小進化しか起きないのは、もしDNAが大きく変化した場合、解釈系との不一致で個体の発生そのものの実現がむずかしくなるからです。
 DNAが変化しないで解釈系のみ変化する例として、稲の種子の脱メチル化処理があります。メチル化のレベルが低下すると、稲の背丈が低くなり、しかもこのメチル化レベルは次世代に遺伝されます。これは、環境により獲得した形質の次世代への継承と見なすことができます。
 大進化に関しては、発生遺伝子が出現し、解釈系の変化とあいまって遺伝子の発現場所やタイミングがさまざまにコントロールできるようになったことが、大きく寄与したと考えられます。
 発生遺伝子のルーツについては、数億年以上前、緑藻よりさらに原始的な単細胞生物で何か別の機能を担っていた遺伝子に変異が集積し、おそらくは環境からの強いバイアスを受けて他の遺伝子たちをコントロールする機能を獲得、発生遺伝子へと変身し、多細胞生物を構築する能力をもつに至ったという推測があります。
 いずれにしても大進化は、クリティカルなDNAの変化が解釈系を変化させ、あるいは先に解釈系に変化が起きてDNAの発現パターンが変わり、この変化が解釈系をさらに不可逆的に変えてもたらされたのではないかと考えられます。このとき環境変動の影響が大きな役割を果たした可能性があります。

 自然選択以外に、環境が進化のメカニズムそのものにいかに影響を及ぼすか、次のような特筆すべき事例があります。大腸菌の株を飢餓状態に置いておくと、大腸菌は適応的に突然変異を起こして飢餓状態を脱出します。
 細菌は飢餓状態に直面すると、さまざまなタイプのDNAの組み替えを高頻度に起こします。組み換えに方向性はなく、後は自然選択により環境に適応したものが生き残ります。しかし高頻度のDNA組み換え自体は細菌が生き延びるための積極的な方策であり、細菌は自然選択にまかせるだけでなく、主体的にDNAを組み替えて窮地を脱する能力を備えているのです。
 細菌のDNAでさえ、環境変動に適応するシステムをもっているのです。一般的にDNAとエビジェネティクス、細胞内物質の相互作用から成り立つ個体発生の情報システムが、環境変動に適応的に反応することを否定する根拠は乏しいと思われます。

 環境の変動に適応するように個体発生の情報システムを改変しながら多様化を続けてきた、これが生物進化の基本的なプロセスモデルと言えるのではないでしょうか。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。皆様からもご意見を頂ければ幸いです。