金沢大学工学部で数学がご専門の半沢英一博士は、優れた解析能力と論証能力を活かし、社会的・歴史的に重要な問題に関して、次々と明快なソリューションを提示されています。司馬遼太郎の「坂の上の雲」について厳密・詳細な問題点の指摘をされたことは、先月号のメルマガでご紹介したとおりです。えん罪事件として長期にわたる狭山裁判では、確率論によって、脅迫状が被告の筆跡でないことを証明した鑑定書を提出されました。日本数学会主催の市民講演会では、ナッシュのゲーム理論を解説、その中でナッシュ自身思いもよらなかった、1953年の論文が市場社会主義の原理的可能性を示していることを話されています。また最近上梓された「邪馬台国の数学と歴史学」では、同時代の中国数理科学文献をもとに、長年謎だった邪馬台国の所在地に結論を出されました。
抽象度の高い数学からこれだけのアプローチができるのですから、人間や社会にはるかに近接し、人文・社会科学の主要分野を参照領域として掲げている情報システム学の関係者は、社会・歴史問題に関してさらに積極的に解を出していく責務があると思われます。
日本数学会のWebサイトには、2ページのロードマップが掲載されています。日本学術会議で各研究分野のロードマップを集め、「理学・工学分野の科学・夢ロードマップ」を公開することになっていて、それに対応するため、数学・数理科学がめざす将来の夢とそれに至る道筋を日本数学会でまとめたものです。
このロードマップを見ると、数学の基礎理論から出発し、リーマン予想等々数々の難問を解決、諸科学・産業界と協働し、自然・物質の数理、生命の数理、人間の数理、社会システムの数理を解明して、社会的課題に応える数理科学をめざしていくことが示されています。数学と数理科学を情報と情報システム学に読み直して、情報システム学会でも同様のマップを作成する必要があります。半沢博士の多年のアプローチは、社会的課題の解決をめざす、日本数学会のロードマップに沿った活動とも位置づけられます。
最初に半沢氏の著書「狭山裁判の超論理」(解放出版社)により、狭山事件における筆跡鑑定の経緯と半沢氏の論証プロセス、それに対する裁判所の判定結果を見ていきます。
狭山事件は、1963年埼玉県で起きた女子高生誘拐殺人事件です。県警の鑑識課などによる脅迫状の筆跡鑑定結果が有力証拠となり、I氏が逮捕されました。I氏は、最初の拘留期間中は否認を続けたのですが、再逮捕後さらに過酷な取り調べの結果自白を開始、一審を通して自らの有罪を認めていました。しかし、1964年控訴審の第1回公判で自白を撤回して無罪を主張、以後21世紀の今日に及ぶ裁判闘争が続けられています。
1977年最高裁が上告を棄却して無期懲役の刑が確定、I氏は服役し、1994年に仮出獄になりました。
最高裁の上告棄却決定以降、再審請求が続けられていますが、半沢氏による鑑定書は、第2次再審請求の棄却決定に対する異議申立の補充として、2000年に東京高裁に提出されたものです。
有力な証拠である脅迫状の筆跡鑑定は、当初県警の鑑識課と科学警察研究所で行なわれましたが、高裁段階では、東京裁判で満洲国皇帝溥儀の筆跡鑑定を行なったこともある、わが国警察における最高権威者T氏が登場しました。
しかしT氏も、ある事件で被告と犯人の筆跡を同一と判定したあとで真犯人が別に見つかるなど、いくつかのえん罪事件を起こしていました。当時の筆跡鑑定の信頼性は、その程度のものだったのです。T氏を含め、いずれの筆跡鑑定も、類似点を挙げるだけで相異点は無視して判断を行なっていました。2人の人間が同じ日本語を書けば、類似点もあれば相異点もあるのは当然のことなので、これでは論理的に妥当な判断はとてもできなかったのです。
これに対して、半沢氏が提示した筆跡の異同判定方法は、品質管理をはじめ科学技術一般で広く仮説検定に用いられている背理法にもとづくものです。
まず、(事件当時の)I氏が、ある文字をある特徴で書く確率をI氏の筆跡資料から求めます。そのデータをもとに、「I氏が脅迫状を書いたとすると、極端にゼロに近い確率の事象が起きたことになる」と言えれば、「I氏が脅迫状を書いたのではない」ことが証明できます。
具体的には、当時I氏は、「え」をほとんど「エ」または「江」と書いていて、「え」と書く確率は1/77でした。また、「や」を「や」と書かない確率は、ほぼゼロと見なされました。さらに、「け」「す」「な」などの文字で、例えば「な」の第1筆と第2筆の間のような、クロスする2本の線の右肩部分を続けて丸く書く確率は、きわめて低い値でした。
一方脅迫状では、「え」と書くべき5文字中2文字が「え」と書かれており、「や」と書くべき2文字が「ヤ」と書かれていました。また「け」「す」「な」は、それぞれ1、3、5文字ありましたが、クロスする2本の線の右肩部分が続けて丸く書かれていました。
上記したI氏の、それぞれの文字を上記の特徴で書く確率(あるいは書かない確率)から、I氏が脅迫状を書いた可能性は、確率的に限りなくゼロに近い数字になることが容易に計算できます。
このように一方の筆跡資料である特徴が起きる確率から、他方の筆跡資料でその特徴が起きる確率が極端に小さいと計算できるとき、2つの資料は「安定した相異性をもつ」と表現することにすると、「安定した相異性」は、2つの資料が異なった人によって書かれたと判定するための十分条件になります。
一方、2つの資料を同じ人が書いたと判定するために、「安定した相異性」のないことは、必要条件になりますが、十分条件にはなりません。同じ人が書いたという判定は、2つの資料で、筆跡のある特徴が同程度の確率で起きている「安定した類似性」があることと、その特徴に希少性があることの証明がともにできて、はじめて可能になります。
権威者とされたT氏などのいわゆる筆跡鑑定は、相異点を無視し、希少性の判定なしに類似点のみ挙げて2つの資料を同一人が書いたという主張をしており、論理的にはまったく成り立たない非科学的な鑑定であったことが、半沢氏の論証結果からあらためて明らかになりました。
2002年東京高裁は、半沢氏が鑑定書で補充した異議申立を棄却しました。棄却決定書の中で半沢氏の鑑定書について記述した部分は、鑑定書の論証結果をまったくたどっていない、きわめて非科学的・非論理的なものでした。半沢氏の述べていないことが述べたことになっていたり、主張したことが捨象したことになっていたりしています。同種の事例に対して異なった判断をするダブルスタンダードは、狭山裁判の当初からあったのですが、さらにひどくなりました。裁判官にとって都合の悪い確率は、無視されてしまいました。
「狭山裁判の超論理」は、このようなわが国の司法判断の、論理的にも倫理的にも荒廃した実態を広く世の中と後世に伝え、注意を喚起するため、半沢氏が自らの論証結果に、高裁の棄却決定書の当該部分全文を添えて出版されたもので、重要な社会的問題に関する分析と提言の優れた例としても参考になります。
次に、日本数学会における半沢氏の、「ナッシュのゲーム理論」に関する市民向けの講演についてご紹介します。「正義と競争の数学的関係」という副題がつけられたこの講演の内容は、映像と記録が同学会のWebサイトで公開されています。
ナッシュは、1994年にゲーム理論への寄与でノーベル経済学賞を受賞し、アカデミー賞受賞映画のモデルにもなった著名な数学者です。半沢氏は、ナッシュのゲーム理論の論文を読んだとき、彼が「単に経済学の技術的基礎づけとしてゲームの理論を考えていただけではなく、より深く、人間や社会の結合の本質を考えようとしているのではないかという印象を受け」たと語られています。その意味では、人間や社会を対象に問題解決をめざす情報システム学にとっても、ナッシュ等の開拓したゲーム理論は、重要な数学モデルの1つになると考えられます。
半沢氏は「ナッシュのゲーム理論」を、「n人非協力ゲーム」「2人交渉ゲーム」「2人協力ゲームを論じた1953年論文」の3つのテーマで説明されました。
「非協力ゲーム」とは、ゲームの参加者が他者と情報交換も協力もせず、ひたすら自己の世界に閉じこもって自己のみの利益を追求するゲームです。n人が参加するこのようなゲームにおいて、「ナッシュ均衡解」と呼ばれる決着点が少なくとも1つあることを見出したのは、彼の偉大な功績で、ノーベル賞の対象になりました。均衡解(決着点)では、例えば2人ゲームの場合、相手が戦略を変えないのに、自分だけ戦略を変えて自分の利得を上げることはできない状態になっています。
夫婦2人のゲームで、夫と妻が自らの戦略に固執する確率を(p,q)とし、(1,0)すなわち亭主関白のときの夫婦の利得をそれぞれ2,1とします。かかあ天下(0,1)のときの夫婦の利得は1と2になります。夫唱婦随あるいは婦唱夫随に対しては、円満な状態が確保されるので、随う方にも半分の利得はあるとするのです。夫婦の戦略が対立した場合の利得は、どちらも−1とします。このようなゲームで、ナッシュ均衡解における(p,q)は、(1,0)、(0,1)、(3/5,3/5)となることが導かれます。
ここでは、亭主関白とかかあ天下が均衡解になっています。夫婦の場合、納得づくならそれでもよいのですが、一般的には参加者間にこのような不平等があるのは、好ましいことではありません。
また、(3/5,3/5)のように、夫婦それぞれが3対2の割合で自己主張をして争っている状態も問題です。この状態は、どちらの利得もきわめて低く、計算すると夫婦のどちらも1/5にしかなりません。
実はナッシュは、「2人交渉ゲーム」において、すでに上記のような問題に対する解決策を提示していました。
例えば、上のような2人ゲームの場合、2人でよく話し合って、(p,q)が(1,0)、(0,1)と交互になるような戦略をとり続ければよいのです。そうすると、夫の利得は、2→1→2→1・・・、妻の利得は1→2→1→2・・・となって、平等で利得の高い、人間的な解になります。
ナッシュは「2人交渉ゲーム」で、パレート最適性や対称性など高度に合理的と考えられる公理をもとに、「ナッシュ交渉解」が、上記の問題に限らず、一意的に求められることを証明しました。パレート最適とは、これ以上利得の高い戦略の組合せは存在しない状態をいいます。
次にナッシュは、非協力ゲームと交渉ゲームを結びつけることを考えました。
ナッシュの非協力ゲームは、相互協力をせず、ひたすら競争する市場原理主義のひな型とも考えられます。また交渉ゲームは、公理として表現された社会正義の原則で利得を分配する社会主義的計画経済のひな型とも見なされます。ナッシュのほんとうのすごさは、非協力ゲームと交渉ゲームという、方向性のまったく異なる2つの理論を統合したところにあると半沢氏は強調されています。両者を結びつけ2人協力ゲームを論じた1953年論文の内容こそ、半沢氏が講演の中で最も伝えたかったことでした。
両理論の統合のため、ナッシュはまず「要求ゲーム」を考えました。「要求ゲーム」とは、2人がそれぞれ利得の要求額を出し、それらの組合せが実現可能領域にあればそのまま認められ、実現可能領域になければ、2人とも利得がゼロになるようなゲームです。
ところがこのような要求ゲームで、ナッシュ均衡解は1つに定まりません。例えば、先に挙げた夫婦のゲームの場合、2人の利得を(u,v)とすると、u+v=3(1≦u≦2)の線分上は、すべて均衡解になります(なぜならば、2人の利得の合計が3を超えることがないため、この線分上のどの点からもそれ以上uやvを増加させることは不可能だからです)。均衡解が無限にあるというのは一種の無秩序状態で、改善が必要です。
そこでナッシュは、実現可能領域の外側にεの距離の微小領域を考え、その範囲ではεに応じて1からゼロの間で確率が得られる関数に従い、両者の利得要求を認めるようにしました。
驚いたことに、このように「なめらかに近似された要求ゲーム」は、ただ1つのナッシュ均衡解をもち、かつεをゼロに近づけると、その解は、もとの交渉問題のナッシュ交渉解に近づいて、無秩序状態が解消されることが証明されたのです。
半沢氏は、要求ゲームのなめらかな近似は、競争をなめらかにすることであり、ナッシュの1953年論文は、競争の過程を法的あるいは制度的にコントロールして、市場経済の活力を保持しつつ社会的正義に近づけていく市場社会主義の原理的可能性を示しているのではないかと結論づけています。市場主義か計画経済の二者択一ではなく、第三の道の可能性が十分あるということです。もちろん、ナッシュ自身がそのような言及をしていたわけではありませんが、半沢氏の主張は、私たちが社会システムとして考察すべき重要なテーマに、数学から示唆を与えたものとして注目に値します。(以下次号)
この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
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