昨年後半以来、バーストしたプロジェクトのトラブルの立て直しのため、プロジェクトの現場で陣頭指揮をとる日々です。夜寝る前に、手に取ったのは、セネカ、キケロー、マルクス・アウレリウスなどの薄手の文庫本が多かったのですが、彼らの言葉・・多くが独白のかたちをとるのですが、その一つ一つが心に沁みいりました。そして、期せずして三人ともがローマ時代を生きたストア派と呼ばれる人たちでした。
ストア派なるものは、ストイックという言葉の起源になったということくらいは知っていましたが、それ以上となるとこれまで不確かな知識しかありませんでした。しかし、「哲人皇帝」として有名なローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスや、カエサルらとの政争を生き抜き「祖国の父」と呼ばれたキケロー、悪名高い皇帝ネロの助言者だったセネカ、解放奴隷だったエピクテトスなど、彼らの生きた非道な時代や厳しい境遇の中で、鍛え上げられた思想であることに思いをいたすと、現代においても、通用しないはずはないのではないか、と思っています。
ストア派なる名前は、初代学頭のゼノンがアテナイのストア・ポイキレという壁画のある柱廊・・柱と屋根だけの壁のない吹き放し廊下で教授していたことにちなみます。紀元前300年頃に、おそらくフェニキア人(いまのレバノンあたり)であったゼノンによりアテナイで創設され、最後の有名なストア派の哲学者であるローマ皇帝マルクス・アウレリウスが亡くなった紀元180年あたりまで、その間、実に500年に及んだ息の長い思想です。
ところが、ストア派の思想は、資料が断片的にしか残っていないこと。これは、理論化と実践の中で、実践を取ったことによるのかもしれませんが、そのためもあり、プラトンやアリストテレスの体系と比べ、貧弱になっています。でも、セネカやキケローの言葉は、ストア派の思想を内面化しているといわれており、その良質な部分は十分に残っていると思います。
ストア派は、哲学を論理学、自然学、倫理学に三分割したといわれていますが、ストア派の特徴についてみてみると多岐にわたっています(*1)。
ストア派学の特色・・
(1) 哲学を論理学、自然学、倫理学に三分し、しかもこの三分野を有機的に統一されたものとみなしたこと。
(2)近代の命題論理学に似通う独特な論理学
(3)特色のある意味論
(4)認識論における認識的(把握的)表象の理論
(5)世界に内在しつつ、それを管理する神的理性(ロゴス)の思想
(6)力動的自然観
(7)人間の本性を理性として捉え、理性がわれわれに行動の規則(自然法)を授けるとする思想
(8)独特な善悪論、価値論および行為論
(9)高尚な感情と低級な情念との区別
(10)独特な賢者像
(11)奴隷を人間として扱い、女性を男性と平等視するなどのヒューマニズム
(12)肉体的労働を軽蔑しないこと
(13)職業倫理の研究
(14)政治的自由の尊重
(15)個人主義とコスモポリタニズム
など非常に多岐にわたります。
論理学についての部分は、哲学的演繹推論と呼ばれるものです。ゼノンによると、こういう言い方になります。
≪「理性的なものは、非理性的なものよりもすぐれている。
しかるに、この世界よりもすぐれているものは、何ものも存在しない。
したがって、この世界は理性的である。」≫ (セクストス『学者たちへの論駁』より)
でも、これに対して、セネカは痛烈に批判します。
≪「あらゆる悪は輝かしいものではない。
死は輝かしいものである。
それゆえ、死は悪ではない。」
−おめでとう。私は死の恐怖を免れた。
いまや私は、自分の首が断頭台の上に晒されることに躊躇しないだろう。
しかし、ほんとうのことを言えば、このような議論によって死の恐怖を
消し去ることができると考える者と、それが何か現実との関わりがあるかの
ように考えて、この議論を反駁しようとする者とでは、そのどちらが愚か
であるかを言うのは、容易ではない。≫ (『書簡集』第82書簡9)
ゼノンの演繹推論は人の心を動かして、人を同意させることはない、とセネカはいいますが、ストア派の中でも異論があることがわかります。
ストア派が倫理学の面だけではなく、全体学を目指したものであることは特色の一端からもわかりますが、プロマネの立場としては、特に、(10)独特な賢者像 (13)職業倫理の研究、に基づく哲学が、プロマネのマインドとして参考になるし、2千年前も同じようなことを考えていたのだと知るだけで、癒されもすると考えています。
セネカの「人生の短さについて」の冒頭の文章は、有名なものですが、いつ読んでも思わず襟を正します。
≪われわれは短い時間をもっているのではなく、
実はその多くを浪費しているのである。
人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、
最も偉大なことを完成できるほど豊富に与えられている。≫(*3)
しかしながら、われわれ自身が人生を短くしている。
≪多忙な人間には何ごとも十分に成し遂げることは不可能である。
・・心が雑事に追われていると何ごとも深くは受け入れられず、
すべてのものを、いわば無理に詰め込まれたもののように吐き出してしまうからである。≫
忙しいとは、心を失った状態である。自分自身に、心を取り戻すことが大切である。
また、周囲の人や物事に一喜一憂することをいさめています。特に、怒りに対しては慎重です。
≪われわれは皆、傷つけられている時間より長く怒っている。
後ろへ退き、過ちに過ちを対抗させないほうが、どれほどよいだろう。≫(*4)
一時の感情に身を任せてはならない。人間は感情を持つ動物である。しかし、感情に支配される動物ではなく、感情を統御する動物でなければならない。
さらに、セネカはこういいます。
≪誰にでも起こりうるのだ − 誰かに起こりうる出来事は。≫(*3)
そうであるから、魔坂の坂がやってくる前に、ただちに自分の心を武装せよ、と。
心をいかに武装するか・・自分の中に内面の王国を築くことの大切さを、マルクス・アウレリウスは、自問自答します。
≪人生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却にすぎない。
しからば我々を導きうるものはなんであろうか。
一つ、ただ一つ、哲学である。
それはすなわち内なるダイモーンを守り、これの損なわれぬように、
傷つけられぬように、また快楽と苦痛を統御しうるように保つことにある。≫(*2)
みんな気晴らしに、海や山へでかける・・しかし、
≪君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることができるのである。
実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂な隠れ家を
見出すことはできないであろう。≫(*2)
≪自分の内を見よ。
内にこそ善の泉があり、この泉は君がたえず掘り下げさえすれば、
たえず湧き出るであろう。≫(*2)
≪すべては主観にすぎないことを思え。
その主観は君の力でどうにでもなるのだ。
したがって君の意のままに主観を除去するがよい。
するとあたかも岬をまわった船のごとく眼前にあらわれるのは、
見よ、凪と、まったき静けさと、波もなき入江。≫(*2)
そして、セネカも、内面を見つめた上で、仕事に向かうよういっています。
≪われわれがまず第一に吟味すべきは自分自身であり、
次は、今から始めようとする仕事であり、
またその次は、仕事の相手とか仕事の仲間ということになろう。≫(*3)
退屈な気持ちに打ち勝つ方法・・それは、実務の遂行や公務の処理や市民の義務に専念することである、と。
そして、仕事や義務についての記述については、キケローに並ぶものはそうはいないと思います。
≪多くの人は軍事を、都府における平時の事業(文治)よりも大きいものと考え勝ちである。
しかしこの考えは訂正しなくてはならない。・・
事実をよく見定めるならば、戦いにおいてよりも平時における事業に、より偉大、
より著しいものがいくつもあったのである。≫(*5)
≪われわれが高邁偉大な精神から期待する道徳的な高貴さが実現されるのは、
身体の力によってでなく精神の力によることは、いうまでもない。
といってもわれわれは身体を鍛錬して、身体が、事業の遂行と苦難の克服に際して、
われわれの状況判断と理性に服し得るようにしておかなくてはならない。≫(*5)
≪一般に肉体よりも精神でなされる仕事の方がずっと大きいように、
才能や理性に基づいてわれわれが遂行する事業は力によるものより、
ずっと人々の感謝に値することが大きい。≫(*5)
戦時よりも、平時が大切、
肉体よりも、精神が大切、
才能や理性よりも、感謝が大切である、といいます。
ストア派の賢者像には、普通の人が近づきがたい完璧なる人物像が描かれることが多いのですが、キケローの手紙を読むと、「祖国の父」と呼ばれたキケローにおいても、雨の日も、風の日もあったことがわかり、少し身近に感じるかもしれません。
BC60.1.20 キケローよりアッティックスへ
≪今何が欲しいといって、心配事を何でも語り合える人、
私のことを愛してくれて、賢明で、一緒に話す時に何も偽ったり、
装ったり、隠したりする必要のない人ほど欲しくてたまらないものはない。≫
(*6)
政争に敗れ、この日、ローマから追放されて・・
BC58.4.29 妻、娘、息子に宛てて
≪拝啓。私が君たちに手紙を送る回数は実際に送れるよりも少なくなる。
すべての時間が私には惨めなものである上に、君たちへの手紙を書く時も、
君たちの手紙を読む時も、私は涙でいっぱいになってしまい、
もうどうしようもなくなるからだ。≫(*6)
≪私はおしまいだ。
叩きのめされてしまった。
どうして今、来てくれ、と君に頼めようか。≫(*6)
でも、この後、キケローは見事に復活します。
最後に、ギリシア・ローマ時代の哲学者が清貧で、霞みを食っていた・・なんていうイメージは大間違いです。プラトンは、ディオニュシオスから80タラントン(1タラントン=1億円ともいわれる)もらって、裕福に暮らしていたし、アレキサンダー大王の家庭教師だったアリストテレスも同様でした。もちろん、ストア派であったセネカ自身も、皇帝ネロから莫大な財産を与えられ、豪華な調度品に囲まれて暮らしていたといいます。決して、精神論を説くだけでなかったことの証左かもしれません。
プロマネのための実践哲学というものがあるとすれば、ストア派の思想とストア派を自称した人々の行動は、大いに参考になるのではないか、と思っています。
(*1)「哲学の原型と発展」(新・岩波講座 哲学14) 岩波書店 1988年刊
水地宗明さんによる解説箇所
(*2)マルクス・アウレーリウス「自省録」(岩波文庫) 神谷美恵子訳
(*3)セネカ「人生の短さについて 他二篇」(岩波文庫) 茂手木元蔵訳
(*4)セネカ「怒りについて 他二篇」(岩波文庫) 兼利琢也訳
(*5)キケロー「義務について」(岩波文庫) 泉井久之助訳
(*6)キケロー「キケロー書簡集」 (岩波文庫) 高橋宏幸編