情報システム学会 メールマガジン 2011.2.25 No.05-11 [10]

連載 オブジェクト指向と哲学
第2回 プラトン - イデア論

(有)オブジェクトデザイン研究所 東京国際大学非常勤講師 河合 昭男
object■odl.co.jp

 オブジェクト指向を哲学として考えるようになったきっかけは、あのヨースタイン・ゴルデル著『ソフィーの世界』[1]です。本書を読まれた方は、オブジェクト指向の知識があれば、ほぼ全員「プラトンのイデア論とオブジェクト指向の考え方はとても似ている」という感想をいだかれた筈です。『ソフィーの世界』

 筆者はかつて自身のHPにそのことを書いたところ、高校生からメールをいただいたことがあります。’90年代終わりの頃だったと思います。
 「独学でオブジェクト指向言語の勉強をしています。この書籍を読んだとき自分も同じことを感じた。同じ考えの人を発見できて嬉しかったです」
 この高校生より筆者の方が嬉しかった、それも独学の高校生です。
 「自分の周りにこのような話をできる人はいません。イデア論とオブジェクト指向の関係のような話はソフトウェアを仕事にしている人達の間では常識なのでしょうか?」
 常識なのかと問われても、残念ながら筆者の周りにもこのような話をできる人はいませんでしたので答えられませんでした。彼は今頃どこでどうしているのかなと思います。

 その後UMLを提唱したG.ブーチにパーティ会場で直接尋ねる機会がありました。それは当然そうだと言われ、何かあまりにあっけなく、西欧ではギリシャ哲学などコンピュータ以前のリテラシーになっているのだと感じました。
 成程本書も子供向けで、この文化の違い日本人はかないません。では日本で子供向けにこれに対抗できるリテラシー教育は何があるのでしょうか?日本文化、日本人の思想、日本人の精神的バックボーン、西洋に発信できるものは一体何でしょう...?

あなたはだれ?
 「あなたはだれ?」「世界はどこからきた?」14歳の少女ソフィーは未知の人物からこのような手紙を受け取ります。ソフィーは頭がくらくらしてきます。今まで考えたこともない、しかしもっともな質問...。

 「あなたはだれ?」と改まって尋ねられても、それを認識する主体と対象はどちらも自分自身であり、ソフィーはくらくらしてしまう。単に名前を尋ねられているのではなさそうです。
 「世界はどこからきた?」の世界も、ソフィーが認識している世界と出題者の認識している世界とでは異なりそうです。書籍のタイトル『ソフィーの世界』とは何か? これが実はこのミステリー仕立ての物語のトリックなのですが、これ以上の蛇足は控えます。

 プラトンという名前を聞くだけで敬遠してしまいそうです。イデア論という言葉はどこかで聞いたような記憶がある...が何のことかよくわからない。少なくともそんなことを知らなくてもソフトウェアの開発はできるし日常生活に支障はありません。

 『ソフィーの世界』には、このプラトンのイデア論を少年少女向きにとてもわかりやすく書かれています。以下、同書を引用しながら進めます。

第1問
 アテナイにようこそ、ソフィー...(略)... ぼくはプラトンといいます。きみに4 つの課題を出そうと思います。まず第1問、さあ考えてね。ケーキ屋はなぜ50 個もの同じクッキーを焼けるのか? [1] P105

 『ソフィーの世界』では、プラトンのイデア論の説明をこんな比喩から始めます。ソフィーはクリスマスに母が人形の形をしたぺファークーヘンをたくさん焼き上げたことを思い出します。そしてこれは人形の「型」で抜いたから同じ形になったことを思い出します。第1問は全部のクッキーを同じ「型」で抜くからだと無事解けました。
 ぺファークーヘンと言われても日本人にはぴんときません。ここの例えとしては、たい焼きのほうがまだイメージしやすいでしょう。材料をこねて、たい焼きの「型」に流し込んで焼き上げれば、同じ形のたい焼きがどんどんでき上がります。

第2問
 第2問にいきます、なぜ馬はみんなそっくりなのか? [1] P106

 馬もクッキーのように1つの型で押して作ったからだなんて、プラトンが考えていたはずもないし、とソフィーは考えます。1頭1頭の馬は少しずつ違うし年もとる。それでも馬を特徴付ける何か共通点が確かにあります。

 プラトンが永遠不変と考えたものは、したがって、物質である元素ではない。永遠で不変なものは精神的な、というか、抽象的なひな型、それをもとにあらゆる現象が型どられるひな型なんだ。 [1] P114

 プラトンは、どうして自然界の現象はこんなに似ているのだろう、とびっくりして、わたしたちの身の回りにあるあらゆるものの上か後ろには、かぎられた数の「型」があるはずだ、という結論に達した。この型をプラトンは「イデア」と名づけた。 [1] P115

 この考え方はオブジェクト指向と似ています。個々のクッキーや1頭1頭の馬など具体的なものがオブジェクトで、それらの雛型あるいは「型」がクラスです。クラスを雛型としてインスタンス(オブジェクト)を生成します。いくつでも生成できます。イデア論とオブジェクト指向のクラス/インスタンスの考え方はそっくりです。

 第1問はイメージしやすい例ですが、第2問は感覚世界ではイメージが難しいです。

 さて、結論だ。プラトンは感覚世界の後ろに本当の世界がある、と考えた。これをプラトンは「イデア界」と名づけた。ここに永遠で不変のひな型、わたしたちが自然のなかで出会うさまざまな現象の原形がある。この、あっと驚く考え方が、プラトンの「イデア説」だ。 [1] P116

 イデア界に存在する馬のイデアをどうすれば馬ができるのでしょうか。クッキーなら型で抜いて焼けばよいわけです。感覚世界ではどういう意味をもつのでしょうか。
 現実世界ではあっと驚く考え方ですが、オブジェクト指向というモデルの世界ではクッキーでも馬でも同じ扱いです。

 プラトンの関心は、一方の永遠で不変なものともう一方の流れ去るものとの関係にありました。イデアは普遍ですが感覚世界にあるものはすべて流れ去るものです。馬はやがて齢を取って死んでしまいます。
 クラスは不変ですが、そこから生成されるオブジェクトはそうではありません。オブジェクトは生成され、利用され、消滅します。

 プラトンの4つの課題が続きます。

第3問
 第3問、いいですか、きみは人間には不死の魂があると信じますか? [1] P106

 ここまで、プラトンは感覚界とイデア界と2つの世界に分けて考えました。

 「感覚界」とは、あいまいで不完全な五感による不完全な知にしか至れない世界。感覚界に属するものは「すべてが流れ去り」現れては消えていく。
 「イデア界」とは、理性を働かせれば確かな知(エピステーメー)にいたれる世界。感覚ではとらえられない。イデア、つまり型は永遠で不変だ。 [1]

 プラトンは人間も同様だと考えた。体はしゃぼん玉と同じで時と共に流れ去る。感覚は体と結びついていて頼りにならない。理性は「不死の魂」に住んでいる。魂は物質でないからこそイデア界をのぞくことができる。そして魂は体に降りてくる前はイデア界に住んでいた...。

洞窟の比喩
 さあ、想像してみて。人間は地下の洞窟に住んでいるんだ。人間たちは入り口に背を向けて、首と両足をしっかり縛られている。だから、洞窟の奥の壁しか見えない。 [1] P121

 プラトンがイデアを説明するために考えた例え話です。洞窟の住人には後ろから照らされた人形か何かの影しか見ることができません。その影は、住人の後ろに存在する実体の影に過ぎないということがわからないわけです。

 イデア論はプラトンの著書に何度も出てきます。ここにあげた「洞窟の比喩」は「国家」[2]に記されています。ちょっと非現実的な状況ですが「奇妙な情景のたとえ、奇妙な囚人たちのお話ですね」と説明の聞き手が述べると、ソクラテスは「われわれに似た囚人たちのね」と切り返します。

 あるとき1人の住人が囚われの身から開放され、今まで実体と信じていたものが影に過ぎないことに気付きます。

 ...洞窟から地上へと這い上がれたら、きっともっと目がくらんでしまうだろう。けれども...なんてすべては美しいのだろう、と思うんじゃないかな。なにしろ、初めて色やくっきりした輪郭を見たからだ。彼はほんものの動物や花を見る。洞窟ではそのまがいものを見ていたのだった。けれども、その次に彼は疑問をいだくんだ。この動物や花はどこからきたのだろう、とね。彼は、空の太陽をあおいで、洞窟では火が影絵を見せていたように、太陽が花や動物に命をあたえているのだ、と思い当たる。 [1] P121

 オブジェクト指向で考えて見ましょう。

(1)洞窟内のモデル
 人形=クラス、影=オブジェクトです。ここで影を生成するのは人形の後ろにある火です。
(2)洞窟外のモデル
 モデル(1)から類推します。動物や花=オブジェクトです。動物や花を生成するのは太陽です。動物や花のクラスに該当する何かがイデア界に存在するはずだという考え方です。

 影は完全なものではありません。形もさまざまです。でも何かの共通点があるなら、その元となる型があるはずです。洞窟の内と外2つのモデルの共通点は、影と型、流れ去るものと普遍(不変)なものとの関係といってもよいと思います。

次回
 ソフィーは封筒から紙切れを取り出した。そこにはこう書いてあった。
 鶏と「鶏」というイデアと、どっちが先か? [1]P131

 次回はプラトンのイデア論に対して異を唱えたアリストテレスの形相と質料について、引き続き「ソフィーの世界」を参照しながら、「イデア」と「形相・質料」をオブジェクト指向の視点で考えてみたいと思います

参考資料

[1] ヨースタイン・ゴルデル【著】、須田朗【監修】、池田香代子【訳】、「ソフィーの世界」、NHK出版、1995
[2] プラトン【著】、藤沢令夫【訳】、「国家」、岩波文庫、1979

ODL ObjectDesignLaboratory,Inc. Akio Kawai