情報システム学会 メールマガジン 2010.1.25 No.05-10 [9]

連載 システムの肥大と人間の想像力
第4回 Googleの野望にどう対応するのか

サイバーリテラシー研究所代表(サイバー大学IT総合学部教授)
矢野 直明

 皆さん、新年おめでとうございます。

 今年の年賀状に以下の図を添えてみた。

サイバー空間と現実世界の関係史の第4段階

 サイバーリテラシーの観点から見た、サイバー空間と現実世界の関係史の第4段階の図で、現実世界(上)がサイバー空間(下)の上にそっくり乗っかった、現代IT社会の姿を示している。サイバーリテラシー研究所のウエブに第1段階から3段階に至る図が表示してあるが(1)、第1段階に比べると、現実世界とサイバー空間の位置関係が逆転しているところが肝心なところである。

 これまで支配的だったり、合理的だったりした既存の社会秩序が、サイバー空間(インターネット)によって激しく揺れ動いている。そして、このサイバー空間の情報をすべて握ろうというのがグーグルの野望である。「Google の使命は、世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすることです(Google’s mission is to organize the world‘s information and make it universally accessible and useful.)」と明言している通りである。
 サイバー空間の情報をグーグルがすべてデータベース化し、世界中の人びとに提供しようとしており、ここには、広汎な知の体系を打ち立てたいという「ヨーロッパの知的伝統」が反映されていよう。まだ創業以来十数年という一企業の試みの気宇壮大さと、恐るべき実行力に驚嘆することはあっても、正面からけしからんと反対する声はほとんどない。
 もっともグーグルの書籍検索サービスに対して、最初に大がかりな危惧の声を上げたのはフランスだった。グーグル仕様の全情報のデジタル化に反対したわけで、ここにもヨーロッパの知的伝統が反映されている。
 日本でも、グーグルの動きに警戒を強める声がある。『Google問題の本質』(岩波書店、2010)を書いた弁護士の牧野二郎は、(1)グーグルなどの各検索サイトが独自に情報を集め、個別にデータベース化しているのは壮大な無駄である、(2)各検索サービスは独自の基準で情報を編集しており、しかもその基準を公開していないから、彼らが提供する情報は、サイバー空間全体の情報の公正な反映ではなく、それぞれのバイアスがかかっている、と現在の検索システムのあり方を批判した。
 さらに、(1)各検索エンジンが独自に、しかも部分的に情報を収集する必要はもはやない。膨大でしかも日々増殖しているサイバー空間そのものを一つのデータベースと考えるべきである、(2)その上で、これらのデータを公正な基準でインデックス化すべきである、と具体的な提案もしている。
 サイバー空間を、グーグルなどの検索サービスによって秩序づけられるのではなく、サイバー空間全体の姿をそのままにして、各種のインデックス作成を行えばいいというのが彼の構想である。言わば、データベースとインデックスの分離提案で、サイバー空間そのものを公共財(コモンズ)として、有効に利用する、より公正な方法を人類全体で考えようということである。
 きわめてまっとうな主張である。しかし、それを実現する具体的な手立てがあるのかと考えると、すっかり意気消沈して、もはや国にも企業にも手に負えないから、先鞭をつけたグーグルにまかせるしかない、グーグルはその理念を見てもそれほどひどいことはしないだろうという諦観、あるいは楽観が先に立つ。これが、あるいは「Google問題の本質」ではないだろうか。

 「サイバー空間の再構築と現実世界の復権」を唱えている身としても、なかなかに悩ましいところである。その悩みの先に「愚問」が芽生える。
 たとえば、グーグルがストリートビューや書籍検索サービスで主張しているオプトアウトという事後承諾方式である。グーグルは「あなたの情報をデジタル化したいのですが、ご承知いただけますか」と最初に了解を求めるようなことはしない。「われわれは、創業以来の使命として、膨大なエネルギーと資金を投入して、情報をデジタル化する作業に着手した。しかし、その試みに異議のある人は申し出てくれれば、デジタル化から除外してもいい」と言う。
 このオプトアウト方式は、自ら公開したウエブの情報に対してや、いわゆる無方式主義の著作権制度のために孤児著作物」(死亡などで権利者が誰か分からず、利用されずに放置されている著作物)が多数存在するような場合には、ある程度説得力があるが、ストリートビューなど、きわめて強引な側面を見せつける。人に見られて恥ずかしい画像を撮られて公開されても気づかない人もいるし、事後で気づいて削除を申し入れても手遅れの場合が多い。「サイバー空間は忘れない」からである。
 情報のデジタル化作業に対して、かくも切れ味鋭い方式を考えだした、あるいはその適用を決断した知恵者は誰なのか。これがアメリカン・スタンダードだとしても、これをグローバル・スタンダードにまで拡大していいのか。サイバー空間のデザインが一企業、あるいは強大ないくつかの企業に任せっきりの現状をよくよく考えるべきではないのか、というのが第一の愚問である。

 それより何より、現在のわれわれは、あまりに情報のデジタル化(サイバー空間の開発)に目が行き過ぎて、情報のもっと深い意味を忘れてしまっているのではないか。情報のデジタル化は歓迎する。それをグーグルが先導しているのもいい。しかし、世界全体が情報のデジタル化に著しく傾斜している風潮には歯止めが必要ではないのだろうか。
 冒頭の図に戻って言えば、現実世界はすべてがサイバー空間に左右されるほどやわなものではないはずである。例えばの話、「人は心を通してのみ、はっきりとものが見える。かけがえのないものは目には見えない(One sees clearly only with the heart. Anything essential is invisible to the eyes)」と「星の王子さま」(2)に教えたキツネに学ぶべきではないのだろうか。これが第二の愚問である。

<注1>http://www.cyber-literacy.com/ja/about/index.html参照。
<注2>Antoine de Saint-Exupery Le Petit Prince(Richard Howardの英訳 The Little Princeから)

 この連載は、愚問を発し読者諸兄姉の賢答をお願いする「愚問賢答」方式で進めています。賢答をお待ちします(^o^)。サイバーリテラシーについては、折々に説明もしますが、詳しくはサイバーリテラシー研究所のウエブ(http://www.cyber-literacy.com/ja/)や拙著『サイバーリテラシー概論』(知泉書館、2007)を参照してください。
 なお私のメールアドレスは、yano■cyber-literacy.comです。