「七つの資本主義」(日本経済新聞社刊)の冒頭には、今日国際的な経済取引の活発化によって、「次第に戦争が封じ込められるようになっている」、なぜかというと、「自分の生活水準を維持する上で頼りとしている人びとに戦いを挑むものはいないからである。そんなことはできっこないのだ」と書かれています。
四面楚歌の中で中立を守ったスウェーデンと異なり、石油を始め、屑鉄・綿花などの重要資源、工作機械・製鉄機械など高付加価値工業製品の多くを米国からの輸入に頼りながら、全面戦争をしかけた歴史をもつわが国としては、忸怩たる思いのする文章ですが、同書の日本に関する章の中にはさらに、わが国の理性的な判断能力に懸念をもつ次のような一文が含まれています。
「・・・問題なのは、1941年の真珠湾攻撃のように、国民全体が思いがけない不幸をもたらすような方向に殺到するといった、一丸となって集産主義的誤りを犯しやすいことである。」
加えて、日本に長らく住んでいたジャーナリストのウォルフレン氏、日本文学者のサイデンステッカー氏などによる、(日本は)「強固な知的伝統に欠ける」、(日本人の頭の中では思想が体系的に整理されてなく)「反知性主義が猛威を振るっていた」などという厳しい指摘も引用されています。
しかしそのような懸念事項を除くと、この本の出版された1993年という時代を反映して、富を創出していく上での日本文化の特質は、米国に比べて総合的に高く評価されています。IMDによる国際競争力ランキングで、日本が93年までの5年間、米国をおさえて1位を継続したこと、92年米国のランキングが5位にまで下がったという状況が背景にあると考えられます。
ただしその後の推移を見ると、日本は90年代以降、失われた10年あるいは20年とも言われる経済の低迷を続け、IMDのランキングは本年27位まで落ち込みました。著者のいう「集産主義的誤り」が実現してしまったと見ることもできます。
一方米国は、94年から昨年まで国際競争力で1位を確保したものの今年3位に転落、それどころかサブプライムローンの破たんによる金融危機から未曾有の世界不況の震源地となり、いまだに回復の目途が立たないのですから、やはり同書で分析された米国文化の欠陥が如実に表れた可能性があります。
前月号で紹介しましたが、同書では、経済的に一定の成功を収めた7か国の文化を、次の7つの座標軸で分析しています。
(1)普遍主義か、個別主義か
(2)分析重視か、総合重視か
(3)個人主義か、共同社会主義か
(4)自己基準によるか、外部基準によるか
(5)逐次的時間観をもつか、同期化的時間観をもつか
(6)獲得地位か、生得地位か
(7)ヨコ社会か、タテ社会か
結果として米国は、7つの項目すべてで前者側の特質をもっていました。一方、日本は7つの項目すべてで後者側の特質をもっています。これだけ対照的に分かれた特質をもっているのは、米国と日本の2か国だけでした。両者には、共通の特質がまったくないのです。
米国が、普遍主義に立って規則や法則を打ち立て、また分析(あるいは分解すなわちモジュール化)を重んじる、その熱意には際立ったものがあります。著者たちはこれを「世界に冠たる規則づくり屋、異常な分析屋」と評しています。
規則を守ることと友情との板ばさみになったとき、どちらを選ぶべきかという具体的なケースの設問に対して、規則と答えた人の比率は、米国95%、スウェーデン91%、日本56%、フランス43%でした。
普遍主義と分析(分解)の重視こそ、標準化された商品と仕事の進め方を通じて、米国に長期にわたって驚異的な経済的成功をもたらした要因となったものでした。しかし市場がより注文生産的になり、細分化され、顧客それぞれの好みに応じる必要が生じたとき、米国経済は困難に直面し、個別性(多様性)・総合性に秀でた日本やフランスが比較優位となってきました。
規則や分析(分解)重視の考え方から、米国では企業を、あたかも各部分がそれぞれの役割を精密に果たす機械のように見るのが一般的です。それに対して日本やフランスでは組織を、人々が協働する有機体と見る傾向があります。ものづくりやサービスのプロセスが、格段に統合的・相互関連的になり、豊富な情報のやり取りが必要になった今日、自律性の高い後者の優位性が一層増してきていると見なされています。
自己基準にもとづく個人主義、ヨコ社会、獲得地位、逐次的時間観は関連し、セットになって米国文化の顕著な属性を形づくっています。
自分のことは自分の信念にもとづいて自分で決める強烈な個人主義こそ、企業家精神や優れた創造力の源になり、多くのノーベル賞受賞者や新規事業を生み出し、米国資本主義発展の原動力になってきたものです。しかし経済環境が激変する中で、共同社会のニーズより個人的な利益を優先する考え方は、労使関係を壊し、企業の利益を損ない、さまざまな社会的な改善計画を失敗させ、犯罪の増加など多くの矛盾をもたらしています。相対的に共同社会主義や外部基準の立場に立つ日本、フランス、スウェーデンなどの優位性が高まってきました。
著者たちは、クライスラーの経営者がホンダの経営者の実に40倍の報酬を得ていたにもかかわらず、救済が必要になったのはクライスラーで、他方ホンダは成長を続けたという、自己基準にもとづく個人主義の問題点を表わす皮肉な結果を紹介しています。
さらに自己基準にもとづく個人主義は、成功も失敗もすべて個人次第という、徹底した自己責任主義に結びつきました。
ピューリタンへの迫害を逃れ、新天地に渡った人たちにとって、出身地や家柄、それまでのキャリアなど生得地位は意味をもたず、広大な白紙のようなフロンティアにおいて個人単位で自由な競争を行ない、獲得した実績のみがその人の地位を決めるという考え方は、人々の強固な信念ともなりました。当時平均寿命は短く、それは時間との競争でもありました。ヨコ社会、獲得地位、逐次的時間観という特質の文化が形成されたのは歴史的環境がもたらした必然だったと言えます。
しかしこの本の著者たちは、結果を個人のみに押しつける自己責任主義は、本来個人を支援し育成すべき義務を負っている経営者や組織の責任転嫁であり、「道徳的に決定的欠陥をもつ」と厳しい評価をしています。
また、自由競争についても、そのために膨大な契約行為とその後の紛争処理が必要になり、90年代の初頭で米国の弁護士数は70万人、人口1人当たりで日本の23倍に達しており、規制の多いタテ社会との得失に疑問を呈しています。
それに対して、例えば(不合理として否定的にとらえられることの多い)タテ社会の年功制度については、年功が誰でも平等に年をとり獲得できるものであること、年功制度を効果的に機能させるためには、年を経るとともに確実に能力が拡大するよう長期的な人材育成策を企業がとらざるを得なくなることから、実績主義と変わらないくらい価値があるものとしています。当時の日本の高い国際競争力が前提としてあります。
「七つの資本主義」の中で、特に日本の共同社会主義と同期化的時間観は、きわめて高く評価されています。
同書ではまず、集団に貢献する義務を信ずる共同社会主義の価値観が、経済発展の必要条件であるということを明らかにしたホフステード氏の研究が紹介されています。また、ロッジ、ボーゲル両氏が、9か国について共同社会主義の程度を順位づけしたところ、結果は次のようでした。
日本、韓国、台湾、ドイツ、フランス、ブラジル、米国、英国、メキシコ
そして、米国型社会の市場が、交換と競争という、うわべしか見ない限られた情報容量の関係になっているのに対して、日本など共同社会主義の市場では、家族にも例えられる相互依存の密接な関係と、複雑な情報の巧みな処理技術が駆使され、速やかに知識の学習と集約・創造を進めて、成長が促進されているとしています。
20年後の今日、わが国でなおそれが継続していると言えるのか、検証の必要があると思われます。
同期化的時間観については、大きな成果を挙げたトヨタ生産方式が事例として紹介されています。また、米国が2〜3年の短期の志向しかしないのに対して、日本では10年〜20年のスパンで、多くの要素技術を同期化融合させながら、統合技術の開発を図っていると、米国に奮起を促しています。後者についても、現在わが国で停滞がないか、見直しの必要があるかもしれません。
今年6月、元財務官で現在早稲田大学教授の榊原英資氏が、「フレンチ・パラドックス」という著書を出されました。フレンチ・パラドックスとは、もともとフランスで肉などが多食されているのに肥満が少ないことを言っていたのですが、フランスが国家資本主義的であるにもかかわらず市場主義の国より経済が健全である状況を見て、米国のフォーチュン誌が同じ言葉を流用したものです。
この本の中で榊原氏は、フランスが、社会党や労働組合が強く、規制の多い非効率な国と見なされがちだが、実は出生率の低下を克服、財政も日本よりはるかに健全で、リーマン・ショック以降の世界不況で、先進国の中で最も影響を受けなかったことから、わが国のベンチマークにすべきではないかと述べています。
所得再分配後の相対貧困率が、米国や日本の14%程度に対して、フランスがスウェーデンの5%にも近い6%という値であること、各地方に独自の豊かな農村文化が発達していることなども見習うべき点です。
前月号で述べましたが、「七つの資本主義」の中でフランスが、西欧であるにもかかわらず、文化の7つの座標軸のうち6つの項目で日本と同じ特質をもち、自己基準に関してのみ米国と同じ特質をもっているということも注目に値します。
実はわずか1項目特質が異なるだけで、日本とフランスの文化は、大きく様相を異にします。無機物なので例えはよくありませんが、純粋な金属に微量の不純物を入れるだけで、性質が大きく変わる現象を想起させます。
前月号では、米国と1項目だけ特質を異にするスウェーデンが優れた経済的パフォーマンスを示していることを述べました。今、フランスにお手本にすべき要素があるとすると、文化というものは、米国と日本のように極端に離れたそれぞれではなく、なんらかの融合をしたところに、強靭な適応能力が生まれるものかも知れません。
フランスは、日本と同じく共同社会主義的なタテ社会です。市民革命以来、専門家の職業と資格に大きな威信が与えられているのですが、特に思想を変革のてことして活用する著述家の地位は、世界でも最高と見なされています。フランスには徹底的に考える伝統があり、管理職は、仕事を知的な挑戦と受けとめています。そして、企画・研究開発・戦略策定のような知的なポストがあこがれの的になっています。学歴の競争は激烈ですが、以後タテ社会の昇進は生得的に学歴によって行なわれ、地位の権威も確立しています。意思決定に際しては、個人より組織、小さな組織より大きな組織と、上位の利害が下位の利害より明確に優先します。
フランス文化の大きな特徴は、自己基準であることです。トップは、メンバーの本音を集約し、ビジョンを確立し、組織共通の目的と信念の共有を図ります。これによって組織の活力に火がつきます。
米国などでは、組織は多くの管理職が均等に業績を上げる機会をもつ競争を促進する場と見なされているのですが、フランスでは組織を、世界に合理的な変革をもたらす力として考案された生得能力のタテ社会的秩序と考えられています。組織は、自ら確立した基本的な原理から、道徳にかなった自らの行動を演えきします。したがって、どの組織も「道理は我にあり」と考えており、紛争に際して一般に合意が成立しません。そのため、権力的な闘争が行なわれ、紛争は弁証法的に解決されます。これによって、組織の進化は自ずと不連続なものになります。
激しい矛盾を抱えた文化は、難局を打開し、対抗諸派をまとめ上げる先見力にあふれた強力な指導者を必要とします。ルイ14世、ナポレオン、ド・ゴールなどは、このような背景のもとに登場しました。
ソ連が崩壊し、資本主義が共産主義との戦いに勝利したあと、今度は異なったタイプの資本主義同士の戦いが始まったと言われています。各国とも、生き残るためには文化を進化させる必要があるのですが、知的伝統に欠けると評されることのあるわが国が、豊富な知的伝統をもち、徹底した思考によって自己基準を確立、パワーゲームを進めるフランスの文化をお手本にすることは容易ではありません。
一方、「七つの資本主義」で、わが国の文化は米国に対して総じて優位にあるとされています。しかし、この本が出版されたのは1993年であり、調査は主として工業的な富を創出するプロセスに関してなされた点に留意する必要があります。一定の要素数までの工業製品の場合、現物に即して個別・総合重視の文化で十分対処が可能と考えられます。
しかし90年代以降、情報化が著しく進展し、抽象的な情報システムの開発が社会にとって重要な意味をもつようになりました。また、一段と要素数の多い工業製品の開発も求められています。これらに対しては今までのような個別・総合重視の文化だけではやっていくことはできません。米国に匹敵する普遍主義・分析重視の文化が必要になったと考えられますが、わが国にとってそのような異質の文化を発展させることは決して容易ではありません。
文化を進化させる前に、まずスキルとして思考力を強化し、抽象的あるいは複雑な諸問題に対して、分析や法則化が実行できる人材を増やす施策が課題と考えられます。
この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。