情報システム学会 メールマガジン 2010.9.25 No.05-06 [11]

連載 プロマネの現場から
第30回 IT技術者と睡眠・・より良い眠りのために

蒼海憲治(大手SI企業・金融系プロジェクトマネージャ)

 今年の夏は、観測史上最多の猛暑日を記録し、それに伴って最低気温が25度を下回らない熱帯夜により、眠れぬ夜を過ごされた方も多かったのではないでしょうか。
 ここ数年、個人的には、2月と9月が繁忙期になっています。大きな理由は、次の期及び次年度のプロジェクトを本格的に立ち上げるための仕込みの時期になっていることにあります。また、新しいプロジェクトを軌道に乗せる必要があるため、顧客側も過敏になっており、マネジメントに対するクレームを言われることも多い季節です。そのため、善後策のために、深夜・休日対応するなど勤務時間が不規則になりがちです。
 そんな最中、駅なかにある書店で、睡眠関連の書籍の特集があり、『4時間半熟睡法』『ヒトはなぜ人生の3分の1も眠るのか?』等の書籍が平積みされているのを目にしました。
 昔からハッカーの世界では、「システムは夜作られる」という言葉もあり、高度に集中力を必要とするプログラミングの場合、日中の喧騒を離れた環境に身を置いて仕事をすることで生産性が数倍向上するし、また、そもそも寝食を忘れるほど没頭しないと、仕事そのものが終わらない、ということを揶揄しています。
 時間確保のために、「短眠」の誘惑というものは常にありますが、IT技術者にとっては要注意です。

 1979年のスリーマイル島の原発事故、1986年のスペースシャトルのチャレンジャー号やチェルノブイリ原発の事故、1989年の石油会社エクソンの巨大タンカー座礁とそれによる大量の石油流出事故など、世界を騒然とさせた事故はほとんどすべて、その原因を辿っていくと、現場の技術者の睡眠不足による判断力の低下が影響していたといわれています。

 技術者生活のライフハック(仕事術)としては、さまざまなものがありますが、会社のオフィスで眠るハックとして、「イスで眠る技術」というものを以前目にしたことがあります。肘掛けの無いイスを4つ用意し、イスから落ちないように、背もたれの部分が交互になるように並べ、頭・背中・尻・膝に4つのイスの高さを絶妙に組み合わせるというものです。イスは3つもあれば十分だ?!と思っている身からすると、ちょっとトリッキーなハックですが、そのようなものが紹介されることに、現場の涙ぐましい努力を思います。

 ところで、こういう努力は案外、侮れないとも思っています。
 私の好きな作家の一人である新田次郎さんの作品に『栄光の岩壁』という日本人で初めてマッターホルンの北壁を登攀された方を描いた小説があります。その中に、一流のクライマーになるための条件として、技術よりもビバーク魔・・と呼ばれるほどの睡眠力が大切であるとの記述があり、強く印象に残っています。
 主人公のクライマーが他のクライマーと比べて、より困難な登攀ができた理由というのは、≪山の中のどんなところでもかまわず寝ることができたからであった。ビバーク中の睡眠は翌日の戦力に影響する。充分に睡眠が取れていれば、翌日如何なる困難にも勝つことができるのである。とても人間の寝るところでもないようなところに寝て充分な休息が得られるということも一つの特技であった。≫

 ≪クライマーの中には疲労が刺激となって、ビバーク中眠れない人がまれにあった。そういう人は、どんなにテクニックが上手であっても、クライマーとしての資格に欠けた人たちだった。そういう人は必ず、一流クライマーの順列からは脱落して行った。≫

 世の中には、布団に入ってから寝つくまでの時間が10分以内の「安眠型(グッド・スリーパー)」と、寝つくまでいつも30分以上かかるか、毎晩1回以上目が覚める「不眠型(プア・スリーパー)」がいること。安眠型が社会人の25〜30%なのに対し、不眠型は社会人の7〜10%いるといわれています。
 また、睡眠時間の長さに着目した分類としては、毎日6時間以下の睡眠で熟睡感が得られている「ショート・スリーパー」という人々と、かたや9時間以上の睡眠時間が必要な「ロング・スリーパー」という人々がいます。
 アインシュタインは、一日10時間近く眠るといわれているので、典型的なロング・スリーパーでした。一方、『栄光の岩壁』でいう一流のクライマーの条件の一つは、「安眠型」かつ「ショート・スリーパー」という非常に恵まれた人であることを示していると思います。

 ところで、そもそも、人はなぜ人生の3分の1も眠る必要があるのでしょうか?
 眠る時間が惜しいと思うのは、起きている時間だけが人生だと思っていることによるのかもしれません。若い人であれば、その気持ちがより強いため、夜早い時間に寝るのがもったいない、と思う気持ちはよくわかります。しかし、当然のことながら、眠りには意味があり、寝ている時間も含めて、トータルな人生であるはずです。

 それでは、眠らない場合どのようなことが起きるのか?
 睡眠不足が引き起こすのは、
  ・集中力、思考力が低下する
  ・やる気が低下する
  ・記憶力が低下する
  ・情緒不安定になる
  ・幻視、幻聴をみる
  ・ウツになる
  ・免疫力が低下し、癌になりやすくなる
  ・肥満・糖尿病になりやすくなる。
 アメリカ癌学会によると、睡眠時間4時間以下や10時間以上の人では、死亡率が7〜8時間の人に比べて、1.5倍〜2.8倍も上昇すること。さらに、夜間に働く人は、癌になるリスクが高く、「うつ」の発症率も2倍になる、といいます。

 一方、眠りの効用としては、
  ・体力回復
  ・脳の休息
  ・ストレス回復・解消
  ・ホルモンの分泌
  ・血液をつくる
  ・記憶の整理
  ・潜在意識の活用によるアイデア湧出
 どれも大切なことですが、IT技術者にとって特に大切なのは、最後の2つだと思います。
 記憶の整理・記憶力向上については、レム睡眠と呼ばれる浅い眠りの時、行われます。レム睡眠のとき、身体は深く眠っているが、脳は活発に働いており、その間、記憶の整理や定義が行われ、昼間に学んだことが脳にインプットされ、短期記憶から長期記憶への情報がやりとりされます。
 想像性や創造力は、「学習」と「記憶」により成り立っていること。そして、「記憶」は、睡眠に強く依存しています。また、昔から、「夢」が難問を解決してくれたとか、昼間どんなに知恵を絞っても答えを見つけられなかった問題が、夢のなかで解決される。目覚めて、その夢の中の解法を確認してみると、見事解決できた、というのは、この睡眠中の「学習」と「記憶」の作用によっていると思っています。

 つまり、睡眠不足は根性で乗り切れないし、トータルでたくさんの仕事をこなすためにはよく眠ることが必要であることを示しています。
 また、利根川進さんも、『精神と物質』の中で、≪どんなに忙しくても睡眠時間を確保すること。サイエンスは頭を使う仕事だから、睡眠時間を切りつめてもだめ。≫と、眠りの大切さ・睡眠時間を削って仕事をしてはいけないことを明快に言い切っています。

 安眠へのテクニックはほんとに数多くありますが、睡眠の量・質を高めるために効果があると思っているものを紹介します。

 就寝前においては、
  ・起床・就寝時間は日によって変えない
  ・寝室では寝るだけ
  ・寝る直前にテレビ・パソコン・携帯電話はしない
  ・夜遅くにたっぷり食べない
  ・平日寝る前に熱いお風呂に入らない
  ・寝る前にハードな運動をしない
  ・寝る前にタバコを吸わない
  ・酔うほどにお酒を飲まない
  ・時計を見ない
  ・考えごとはしない
  ・気になることはメモする
  ・楽しいことを思い浮かべる
 横になったものの、眠ることができずに翌日に寝不足になったというストレスが残る場合でも、「実は眠れている」といいます。

 そして、起床後は、
  ・朝の太陽光を浴びる
  ・熱いシャワーを浴びる
  ・体温を上げる

 さらに、翌朝気持ちよく起きるために大切なことは、朝起きた後に「楽しさ」「興味」「満足」あることが待っていることです。これは睡眠を超えた課題ですが、その通りだと思います。
 また、「マイクロスリープ(微小睡眠)」という、本人も自覚しない数秒から10秒程度の睡眠状態に陥る現象がありますが、短眠型の人については、このマイクロスリープで睡眠を補っているのでは、ともいわれています。つまり、熟睡感の有無はありますが、目をつむっているだけでも効果がある、と思いますし、意図的にマイクロスリープの効果を得るために、お昼休みに10分程度の仮眠を取ることも効果的なことだと思います。

 これまで、睡眠の密度を上げる方法を考えてきましたが、そもそもは、睡眠時間そのものを確保することが優先されるべきです。それには、プロジェクトの実行計画策定時に、睡眠時間の勝負にしないようなスコープ、スケジュール、要員・体制の構築が必要です。
 しかし、それでも個人とプロジェクトが生き延びるために、睡眠術を心得ておくことは有用だと思っています。

(参考図書)
 ウィリアム・C. デメント『ヒトはなぜ人生の3分の1も眠るのか? ―脳と体がよみがえる!「睡眠学」のABC』藤井留美訳
 坪田聡「病気にならない睡眠コーチング」 (青春新書インテリジェンス)