情報システム学会 メールマガジン 2010.7.25 No.05-04 [7]

連載 情報の価値とインテリジェンス
第3回  「インテリジェンスにもリテラシーはあるか」

日本経済大学教授 菅澤 喜男

はじめに

 情報あるいはコンピュータ・リテラシーという言葉を聞くようになってから久しく時間が経っているように思います。私の記憶では、初めて大学でFORTRANというコンピュータ言語を教えてから30年は経っているように思います。その後も事務処理計算用の言語であるCOBOLなども教えた記憶があります。今、当時のコンピュータ言語を教えたことを振り返ってみると、コンピュータ言語を駆使してプログラムが書けない者は、コンピュータで各種の処理をすることが出来なかった訳ですから、リテラシーを「読み書きそろばん」と言ったのではないかと思います。
 ここでは、主に企業がインテリジェンス活動をするために必要であると考えられるリテラシーについて考えてみます。

1.情報科学の視点からリテラシーの概念を考える

 私は1970年代半ばに米国に5年近く留学した経験を持っております。当初は、バイオ・メディカルエンジニアリングを目指して、私とほぼ同年代の方であれば記憶しているかと思いますが、テレビ映画でララミー牧場という人気番組の舞台となったララミーで本格的な大学院生として厳しい一冬を過ごしました。その後は、日系人が多く居住しているロスアンジェルスにある大学に移り、アルバイトで生活費を稼ぎながら最終的には情報理論で大学院を修了しています。
 私の留学生時代の経験では、米国の大学ではリテラシーという言葉を情報に当てはめてみたり、リテラシーを特別な知識として考えていなかったように思います。
 情報科学は、恐らく英語で「Computer Science and Information Processing」が適当だと考えます。そこで英語で言う「Information Science」を情報科学として日本語で略していいかが問題です。英語で言う「Information Science」は、図書館学や資料収集・整理・提供がふさわしいように思えます。他に、情報学の英語対応では「Informatics」がありますが、これは社会科学をも含めた広範囲な領域だと考えます。
 1970年代初頭における情報科学を構成する主な分野としては、情報理論、情報処理、情報現象(人間はどのようにして情報を受け、どのように情報を頭脳に伝え、どのように対応するなど人工知能などを指します)でした。
 私が大学院で学んだ情報理論を通じて得た知識は、その殆どが数学系科目としての確率論、2進数を取り扱うブール代数そしてコンパイラーコンストラクション、ノイズ理論、通信理論であったように記憶しております。情報を定量的に取り扱うための基本的な理論は、C.E.Shannonが1948年に彼の博士論文「Mathematical Theory of Communication」で情報理論の基礎が確立されています。この博士論文の中で、我々が日常的に使っているビットと言う単位が出現しています。
 ここで、インフォメーション・リテラシーとは何かを考えてみると、「読み書きそろばん」ではないと考えます。これは私見ですが、もしかすると日本人の多くはコンピュータを使うための必要限の知識と考えているように思えるためです。そうではなく、広範囲かつい奥行きの深い情報に関する知識がリテラシーには潜んでいるように思います。外国語をどのように訳して捉えるかは、ある程度は自国の自由だと思いますが、もしその訳に潜んでいる本質的な意味を踏まえて問題を認識しなければならないのに、その要素を無視したのであれば、長い年月を経て誤った方法に進んでいき取り返しがつかないことにもなりかねません。

2.インテリジェンス・リテラシーの概念を考える

 最初に、インテリジェンスをどのように捉えるかを考えるために「意思決定に役立つ優れた情報」としておきます。
 インテリジェンスについても、基本的には情報収集・分析・評価を行うことになるので情報科学とは密接な関係があります。最近では、ウエブ・インテリジェンス、E-Evidenceなどコンピュータ上で得られる情報を収集し何らかの意思決定に利用する技術が開発されたことは、知られています。
 私自身が抱いてきた大きな疑問は、なぜ日本の組織あるいは企業などは、欧米先進国と比してインテリジェンスの必要性を感じないのか、でした。私見ですが、その根拠として考えられるのは、日本の産業構造に起因しているように思えます。つまり、即物的とでも言うべきでしょうか、常に対象物が物として現存していれば、それよりは良い物を作れば市場で売れることを前提としているのではないかと言うことです。他に、日本企業の得意技である、短納期で高品質であれば競争に勝てると言う考え方が心の奥底にあるのではないかです。つまり、どちらかと言えば競争を仕組みで捉えるのではなく、現存している物を対象にしているのではと思えます。端的に言えば、ライバル企業よりは良い物を作れば売れることが前提となっているのが競争と言うことになります。この考え方はインテリジェンスを利活用することにはなりません。このような考え方があるものと仮定すれば、目の前にある問題を解決すれば済んでしまうので、インテリジェンスの必要性は希薄にならざるを得ません。つまり、市場への新製品投入と言う企業にとっては大きなリスクとなることを避け、主な競争要因を既存製品の改良・改善という的に絞ることとなりませんか。別の視点で、インテリジェンスが利活用されない理由として考えられるのは、やや飛躍した考え方かもしれませんが、多くの日本企業では「戦略なき競争」が定着しているかもしれません。例えば、毎年、企業が新年の社長の挨拶として、「今年の我社は、・・・・・億円の売り上げを目指してあらゆる戦略を見直す」などの標語を掲げ社内の適当な場所に張り付ける企業があります。私の知る限りでは「お題目戦略」と称され多くの社員は気にしていないようです。その結果、半年もすれば標語を書いた紙は茶色に変色し、年末には次なる聞こえの良さそうなお題目戦略を考え始める。つまり、戦略が無いのは困るが、作成した文章上の戦略を実行する気もないのが戦略と言わざるをえません。
 インテリジェンスを利活用する大きな目的は、他社に係る情報を収集・分析・評価することで、他社より優れた戦略を構築し確実に実行する、あるいはリスクを事前に察知しリスクを避けることです。
 しかし、私自身もインテリジェンス・リテラシーの必要性を真剣に考えたことはなかったことも事実です。そこで、インテリジェンス研究では世界トップクラスのピッツバーグ大学のJohn Prescott教授に「インテリジェンス・リテラシー」とは何かとの質問をしてみました。その結果、次の文章が送られてきたので参考として掲載させていただきます。文章中にあるAlessandroとは、スペインのバルセロナにあるヨーロッパ3大ビジネススクールESADAにおいてインテリジェンスの研究に取り組んでいる研究者の名前です。また、文章中にあるCIはCompetitive Intelligenceを略したものです。

「Most of the time when the term intelligence literacy is used it refers to emotional intelligence. This is a recently popular term used to asses the degree to which a person is developed as an adult in their ability to handle and cope with a wide variety of social situations.

 If it was used in the CI context, then it would deal with how well a person understand the field of CI. That is, the domains of CI. For example, the body of knowledge project developed domains for the CI professional. The world-class project I work on with Alessandro developed domains for the CI function. Together, they cover most of the domains in the field. Literacy then would be the extent to which a person was either aware of or competent in the domains. Literacy can then take on the form of conceptual literacy and skill/behavioral-based literacy.」

 さて、この英文による説明をどのように理解しますか。私の英文を読んだ感想は、ほとんどの日本人あるいは組織は真剣に考えたことが無い内容だと思います。
 私なりのインテリジェンス・リテラシーに関する基本的な考え方は、次の図で表現されているインテリジェンス・サイクルを個人あるいは組織として対応しているかだと思っております。

インテリジェンス(データ/情報収集)・サイクル

 ここで示したインテリジェンス・サイクルは、標準的なサイクルであり、最適なサイクルということではありません。当然、インテリジェンスを利活用する個人あるいは組織に合った方法にサイクルを変形すべきです。

おわりに

 今回は、インテリジェンス・リテラシーについて、私見を中心にまとめてみました。リテラシーの捉え方として「必要最小限の知識、あるいはどうしても必要な知識」として短絡的に捉えることは危険だと思います。リテラシーとして確立しなければならない目的は、本質的な問題をきちんと処理できる能力を保証するための知識の獲得だと考えます。
 そのためには、インテリジェンス・リテラシーとして、その場しのぎの情報収集では無く、個人あるいは組織として情報の重要性と価値を認識し収集した情報からインテリジェンスを生成し利活用する能力を培っておくことが必要です。