情報システム学会 メールマガジン 2010.7.25 No.05-04 [2]

第8回 「情報システムのあり方と人間活動」 研究会 開催報告

開催日時 平成22年7月10日(土) 午後1時30分〜午後4時30分
場所  慶應義塾大学日吉キャンパス協生館6階 大会議室
参加人数 14名


 研究会を開催しましたので概要をご報告します。
今回の研究会は、従来と異なり1部構成で実施しました。

第1部 午後1時30分〜4時30分  質疑時間 1時間を含む
   題目 「畳長性について」
   講演者  慶應義塾大学文学部倫理学専攻 教授 山内 志朗氏

【講演概要】

 専攻は、中世哲学です。畳長性(=冗長性)、最近では畳重性と述べる場合もありますが、適宜 同じ意味で畳長性、畳重性、冗長性を使います。畳長性の観点から情報と情報システムに関心を持ち研究したことを本日、講演いたします。
 前段として、オングの主張する「声の文化」を取り上げます。この「声の文化」が注目する人間のコミュニケーションで使用する声による表現には、畳重性が含まれています。
 一方、マクルーハンが指摘している様に、「文字の文化」になると声による表現から、各言語に翻訳されることになりこの段階で畳重性が削減されます。彼の表現に従えば、活版印刷が精神を犯すことになります。テレビが出現した時に、冗長性が取り戻されるのではないかと彼は期待しました。
 専門は、「存在論」です。畳重性の概念で中世の文化を考えなおしたいとの気持ちから冗長性の研究をしております。

 本日は、(1)情報理論における畳重性とそれ以外の場面での畳重性
(2)哲学からのアプローチ
     (3)語用論、マルチチャンネルの場面での畳重性、コミュニケーションにおける畳重性

 以上を主題として話を進めます。また、畳重性のメリットとして
1) 誤謬の自己訂正
2) 安全性(予備回路、非常口、バイパス、迂回路)
3) 新しいものを産み出すためのプール(知識創造の必要条件)
4) その他(???)
 ではないかと思っています。

1 哲学と畳長性

 哲学の立場からは、哲学と畳長性の結びつきは無いとの大前提となる。
哲学史によれば、オッカムの剃刀に出会うが、オッカムの剃刀とは、「存在者を必要以上に措定してはならない」ということで、畳長性を否定する原理である。
 オッカムの立場は、唯名論と整理されていて、近代哲学の源流と考えられているので近代以降の哲学は、唯名論、反畳重性と整理できることになる。また、思惟経済説、節減の原理とも呼ばれる。
 畳長性(冗長性)はない方が望ましい、というのが常識である。畳長性はシステムや伝達の安全性に寄与するが、コストが関わるからと回避されることもある。
 雇用やシステム設計やマネジメントにおいては、畳長性に意味があることが語られる場合もある。畳重性は、情報理論で定式化されたが、その場合、畳重性は、単一のチャンネルにおける一方向的な情報伝達に関わるものであった。著書『〈畳長さ〉が大切です』(岩波書店、2007年)で取り上げたのは、対人的な双方向的でマルチチャンネルな場面におけるコミュニケーションに登場する畳重性であった。
 哲学と畳重性の結びつきを前述した。結果として哲学は畳重性を排除してきたが、理性/情念、本質/偶有性、効率性/畳重性、精神/身体の並びの中で哲学は、前者の方を重視してきたといえる。
 近代哲学の源流といわれるオッカムの主張について、ライプニッツは、
「唯名論は、あらゆるスコラ哲学の中で最も深みのあるものであり、現代の改革された哲学の精神に最も合致したものである」と評価している。一方、唯名論の格率に見られる「節約の原理」だけを受容しているのでなく、仮説が単純であればあるほど、現象(結果)は豊かであると唯名論から派生する効果で評価している。ライプニッツの立場が、唯名論に偏していなかったと言える。
 ライプニッツのテキストによれば、唯名論者とは、個体的実体以外のものは名称でしかないとするものである。したがってまた、唯名論者は抽象名辞の事象性も、普遍の事象性も頭から否定するものである。なお、哲学において、合理性に反するものの系譜として、感覚、情念、感情、身体、受動性、ハビトゥス、偶有性、両義性があげられるが、畳重性との関係について機会があれば述べたい。

2 畳長性の不思議さ

 冗長性は人間のコミュニケーションの3つの領域の内の2つ、つまり統語論や意味論といった領域において広く研究されてきている。シャノン、カルナップそしてバー・ヒレルの開拓的な仕事により、研究から導かれ得る結論の一つは、我々は人間コミュニケーションの統語論と意味論の両方に固有な法則性と統計的信頼性に関して、各々膨大な量の知識を所有していることである。
 心理学的にはそうした知識は全般的に人間の認識外である。情報の専門家を除いては、だれも所与の言語における連続性の確率、ないしは文字と単語の順序の階段を打ちたてることはできないだろう。しかしながら、我々は皆、誤植を見分け、修正することができ、間違った単語を替えることもできる。
 こういう場面で冗長性の活用がされていて不思議な所である。
 語用論の冗長性が基本的に統語論や意味論の冗長性に似ていることが理解されている。ここでも又、我々は膨大な量の知識を所有している。それによって、我々は行動を評価し、それに影響を与え、又、行動を予測することができる。
 又、我々は不断のコミュニケーションの中にいるが、コミュニケーションに関するコミュニケーションをすることが完全にできないといえる。
 以上は、ワツラウィック、バヴェラス、ジャクソン『人間コミュニケーションの語用論』(尾川丈一訳)二瓶社、1998年に詳細議論があります。
 マレービンという心理学者によると、対話的コミュニケーションにおいて、相手が自分に好意を持っているかどうかの判断に寄与する割合は、声の内容・メッセージという言語コミュニケーションが7%、パラ言語(声色、声の大きさ、アクセント、発音、イントネーション等々)が38%、身体言語(身振り、表情、姿勢)が55%であったと言う。対人コミュニケーションにおいて、パラ言語と身体言語という非言語コミュニケーションが極めて大きな役割を占めていることは疑い得ない。又、情緒的な面は、言語コミュニケーションより、非言語コミュニケーションにおいて伝わることが多いと考えられる。

3 コミュニケーションと重層性

〇コミュニケーションの重層性
 コミュニケーションを分類すると、言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションとなる。言語コミュニケーションに使用される言語は、音声・文字・記号など、慣習的に確立された語彙と文法を有するものであれば可とする。非言語コミュニケーションは、アナログ・コミュニケーションと呼ばれる場合もある。その特徴は、言語と類比的な機能を有するが、慣習的に語彙・文法を持たず、一般的に多義的な場合が多い。例えば、ボディー・ランゲージ(姿勢、身振り、表情)、パラ言語(声の大きさ、抑揚、沈黙、発話速度、声音)、服装、対人距離などが挙げられる。
〇メタ・コミュニケーションの層
 コミュニケーションには、コミュニケーションの内容に関するコミュニケーションとなっているものがあるが、これは、意味論における対象言語とメタ言語の対比における、メタ言語と類似した機能を有していてメタ・コミュニケーションと呼ぶ。メタ言語と異なるのは、メタ・コミュニケーションには、言語コミュニケーションと非言語コミュニケーションの両方が含まれる点である。例えば、笑いながら「私の母親は死んだよ」と言えば、発話内容を真面目に述べていない。つまり発話内容を表情により否定している。この場合は対象コミュニケーションが言語コミュニケーションで、メタ・コミュニぇーションはが表情となる。
〇言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションの同時進行
 同時進行し、しかも両者が対立する場合には、コミュニケーションは複雑なものとなるが、ベイトソンは、この両者のコミュニケーション・レベルが対立する場合、そこに矛盾が生じていると捉え、エピメニデスのパラドックス(「私は嘘をついている」といった自己言及的なパラドックス)と同じような事態が成立していると捉えた。しかし、これは論理的パラドックスと同じ構造にはなり得ない。この点については、ワツラヴィックは、非言語コミュニケーションには、厳密な意味での否定詞は存在しないと、指摘している。
〇ダブルバインドとメタ・コミュニケーション
 メタ・コミュニケーションの概念を利用して、分裂病の成立契機として考えられているバブルバインドについて、若干モデル化を示す。
 ベイトソンの指摘によると、統合失調症(精神分裂病)とは、メタ・コミュニケーションを受け取る能力における障害として説明されています。分裂病者について、「自我が弱い(冗長性が弱い)」と言われていますが、この「自我の弱さ」ということは、ベイトソンによると、「或るメッセージがどのようなメッセージなのかを告げるシグナルを見分け、それを解釈することがままならないこと」となる。つまり、「これは遊びだ」というシグナルと同じ論理階型にある様々なシグナルを彼らはうまく扱うことができない。
 ここから有名なダブルバインド理論と言うのが出てくる。つまりコミュニケーションとメタ・コミュニケーションの内容が対立している場合に、コミュニケーション内容の真偽がメタ・コミュニケーションと連関(バインド)して判断されるが、分裂病者は判断できないと言う内容である。

4 冗長性について

 自著「〈畳長さ〉が大切です」中の第4日目 畳長性は冗長ではなかった、副題「情報理論とシステム工学における畳重性」に沿い話を進めたい。
 メディア論における「声の文化」との関連で、畳長性を外側から説明すると、畳長性は、一般の理解では必要もない情報が含まれていることで、否定的評価に用いられる。シャノン=ウィーバーの『コミュニケーションの数学的基礎』(1949)において畳長性の概念は情報理論に組み込まれ、基本概念としての位置を占めるようになったが、いまだに情報理論とシステム工学以外を除けば、「畳長性」が正当に扱われているように見えない。R・ヤコブソンは、「言語学と情報理論」(1961)において、言語学にとっての重要性は指摘されているが例外といえる。
 情報理論においては、メッセージ内容について畳長性が考えられるのに対し、システム工学では、システムないしメディア、またはそれらの使用法について畳長性が考えられている。ここでの考察として、システム工学における畳長性を取り上げる。
 典型的には、同一の処理を行うコンピュータが二台、パイロットも二人、異なる方式のブレーキも複数系統装備されていることにその例が見られる。この畳長性を実現するには、四つの方法があると言われる。
 (1) 同一のメッセージを一つの回線に何回も流す(反復)
 (2) 回線を多重にする(並列)
 (3) 回線に流す文字類を限定する(限定)
 (4) 受け手がすでに知っていることを伝送する(既知)
 ここで注目したいのは、ワツラウィックとその仲間達が行った指摘、つまり人間コミュニケーションは、基本的に畳長性を備えたものだとの指摘である。その際、語用論の場面における畳長性が考慮されている。情報理論においては、いわば意味論における畳長性が考察されているのに対し、システム工学では、ほぼ語用論における畳長性が考慮されていることが基本的事項である。なお、(3)の意味での畳長性は構文論におけるものと考えた方がよいが、ここでは省略する。
 畳長性は、ベイトソンにおいては、意味であり、予測可能性であった。欠落したデータの修復可能性であったり、既に見たように、誤謬の自己訂正ということであった。畳長性は、人間が有限的で誤りを免れ得ない可謬的存在である以上、それを補うべく与えられた、補償的機能を持った性質と考えるしかない。有限性が可謬性に結びつき、人間の存在が偶然性の衣のもとに可謬性を宿しているのであるとすれば、存在は畳長性を帯びることによってしか顕現し得ないと私は思う。つまり、畳長性とは存在論を構成する基本概念だと考える。
 畳長性とは、誤謬の自己訂正、安全学のために使用される。しかし、この畳長性とは、概念としては顕在化していなかったとしても、修辞学の基本をなすものであった。修辞学は真理を目指すものではなく、さらにまた意思や情報の伝達を目指すものでなく、伝えられた意思が受信者に浸透し、説得に結びつくものであった。言語コミュニケーションの核となる「事実的意味」というよりも、その意味を核として装いとなる衣装のことであり、事実的意味の浸透の度合いを、内包量として考えれば、畳長性とは、意味の強度として現れることになる。この論点を推し進め修辞学における畳長性を分析したのが、ベルギーの研究者集団グループμ『一般修辞学』と言う本でベストセラーになった。
 この本には、畳長性には以下のような性質があると分析されている。
 1) 反復、重複
 2) 安全
 3) フェイルセーフ(誤謬の自己訂正、修復)
 4) 反復による劣化への耐性を有する
 5) 予測可能性を有する
 6) 非飽和性(無限に新しい表現形態が可能である)
 7) 独創性
 8) 情報の近傍性、潜在性
 9) 先読み機能がないと解釈は不安定となる
 グループμの主張を見からは、「オッカムの原理」は、倹約の法則であり、不必要な複雑性を除去しようとするもので、畳長性の原理に反するものであると言えるが、「近代」に参入することは、冗長性を否定することに求められたと考えられる。
 ここで、普遍論争と畳長性が結びつくことの話をしたいが、別の本で展開しているので参考にしてもらいたい。システムが頑強であるということは、多くの畳長性を備えていることを確認したい。畳長性と頑強さと強度が両立することを、ここで確認しておきたい。
 続いて第5日目 誤謬の自己訂正としての畳長性 副題「新しさが受容されるための可能性の条件」に沿い話をします。
 畳長性と新しさと言う一見すると相対立するものがどのように関係するか、グループμの考えを紹介する。
 『誤謬のつくる意味のない出まかせの変換に代えて、我々が偏差と名づけた意味のある変換を置けば、修辞現象に新しい光をあてることができる。なぜならば、作家が偏差を作るのが修辞の第一段階であるとすれば、修辞の第二段階は読者が偏差を還元することにあるからである。この還元は自己訂正の一つに他ならず、それがなされ得るのも、ただ変換度が冗長度を超えない、まさにその限りにおいてのみのことである』
 『修辞とは自己訂正を伴う偏差の集合である。自己訂正を伴うということは、言い換えれば、規則を犯したり、あるいは、新しい規則をつくるなりして、言語の冗長性の常態的水準を改変することである』
 以上から、畳長性は、それ自体何ら新しさでも偏差でもないが、新しさや偏差がそのようなものとして認識されるための可能性の条件をなしていると考えられる。
 ここで、畳長性と情報効率について整理する。情報理論における畳長性は、複数の回線にまたがる場面での畳長性とほぼ同じように定式化できる。情報量、情報効率といったものは、正の相関関係にあり、これに対して、畳長性、安全性、誤謬の自己訂正ということは、逆の関係にあることになる。情報が伝達される場合、雑音が入るということもある。情報量が多くなるにつれ、それに比例して雑音が多くなるのでない限り、効率と情報量は比例する。問題なのは、情報の受容者がいて、その受容者の受容能力が有限である場合で、対人的コミュニケーションにおいては、短い時間のうちに、たくさんの情報を詰め込めば誤解が増えていくので、情報効率と情報の受容とは途中まで比例しても一定の限界を超えると負の相関関係になる。シャノン=ウィーバー流の情報理論では、できるだけ短い時間にできるだけ多くの情報を詰め込むことは、効率を上げ、畳長性を下げることになりそうであるが、対人コミュニケーションは、そのようなことは起こらず、情報効率が上がるほど、誤解が増え、効率が下がることになる。シャノン=ウィーバーの理論は、対人コミュニケーションをモデルにした訳ではないので難点となるわけではないと言える。

5 畳重性の行方

〇知識スパイラルのための条件として、
 参考(野中郁次郎+竹内弘高『知識創造企業』東洋経済新報社,1996)
知識スパイラルを促進する要因として、冗長性(不必要や重複や無駄あるいは処理能力を超えた情報過剰と言う有害なものでなく、組織成員が当面必要のない仕事上の情報を重複共有していることを意味する)も評価され挙げられている。また、「情報の冗長性は知識創造のプロセスを加速する」(野中+竹内 P119)、日本型マネジメントの秘訣(頻繁な定期・非定期の会合、公式・非公式のコミュニケーションネットワーク、例:仕事が終わった後の飲み会)においても冗長性は尊重されている。
 単一の記号列内部の畳長性と、マルチチャンネルを有するシステム全体の畳長性は、区別すべきと考える。
〇必要なのは、畳長性の定式化である。システム内部の畳長性について十分定式化がなされているとは言えないことである。「冗長性」という日本語では、redundancyに含まれる積極的意義に注意が向けられにくい、又、畳長性が欠如した場合の問題現象(鉄砲水、交通渋滞、フレーミング、攻撃性の暴発、危機管理、環境倫理)発生に対する、畳長性が非常用装置にとどまるものでないと考える。通常の出来事を可能にする必要条件ではないかと考える。
〇冗長性に関する課題は以下である。
   ・ 情念と畳重性
   ・ 偶有性と畳重性
◎最後に、「哲学とは最も畳長な営みなのである」で締めくくりたい。

以上
(文責:伊藤重隆)

主要参考文献

 山内志朗『〈畳長さ〉が大切です』,岩波書店 2007年
 野中郁次郎+竹内弘高『知識創造産業』,東洋経済 1996年
 ベイトソン『精神の生態学(改訂第2版)』(佐藤良明訳),新思索社 2000年
 ワツラウィック、パヴェラス、ジャクソン『人間コミュニケーションの語用論』,(尾川丈一訳) 二瓶社 1998年