情報システム学会 メールマガジン 2010.5.25 No.04-02 [8]

大学教育最前線:第23回 慶應義塾大学大学院理工学研究科OSM専修
『ロジックと体感?』サービス・イノベーション人材育成プログラム

慶應義塾大学理工学部 教授 山口高平

1.はじめに

 2年前のメルマガでは(2008.5.25, No.03-02[6]),「夢と苦労話!ロジックとマジック?」というタイトルで,慶應義塾大学理工学部管理工学科の学生に実施している情報教育につきまして,ロジックとマジック(ITでこんな凄いことが実現できる話)のバランスが大事であると報告致しました.今回は,管理工学科の上に組織されている大学院である,理工学研究科オープンシステムマネジメント専修(以下、OSM専修)の修士学生に実施している特別教育プログラム「サービス・イノベーション人材育成教育プログラム」について報告します.さすがに修士の学生ですので,マジック的な話はあまり必要ないのですが,通常の座学(ロジック)以外に,サービスが体感できる教育が求められ,ロジックと体感の組合せ方が大事になります.
 サービス・システムは,技術だけでなく,人,組織,社会,文化が有機的に関連し,環境の変化に対応しながら,協調的に価値を創出していくシステムといえます.また,個人,グループ,企業,産業,国家と様々なスケールでシステムを考え得ることから,情報科学,心理学,認知科学,経営科学,社会科学,法律学などが関連する,multi-discipline(並列的に複数の学問分野を教育する),trans-discipline(複数の学問分野を横断的に関連付けて教育する)的なアプローチが必要であるとも指摘されており,情報システムとの関わりは深いと考えます.
 近年,我が国では,サービス・イノベーションに関する教育研究の取組みが盛んになってきており,文部科学省におきましては,2007年度より「サービス・イノベーション人材育成推進プログラム」という教育プログラムの公募が開始され,ビジネス知識,IT知識,人間系知識等の分野融合的な知識を兼ね備え,サービスに関して高いレベルの知識と専門性を有する人材を育成するために,13大学(2007年度6大学,2008年7大学)で教育プログラムが開始されました.13のうち,おおよそ半数の大学では,情報システムとサービス・イノベーションに関わりの深い教育プログラムが実施されています.
 以下におきましては,OSM専修で実施している「エクスペリエンスと講義と研究を一体化したスパイラル修士教育プログラム」について紹介します.

2.大学院OSM専修におけるサービス・イノベーション人材育成プログラム

 「サービスの知は実践の中にある」とよく言われることから,本教育プログラムでは,現場を見て(seeing)、やってみて(doing)、感じる(feeling)ことから体得されるエクスペリエンス(体感)知の教育を柱に据えることにしました.この体感知教育は,インターンシップを軸にして実施しますが,1-2週間程度の短期集中型インターンシップでは,大学院で履修してきた知識とエクスペリエンスを重ね合わせてじっくり考える余裕がないことから,産官学連携により,週1回,2-3ヶ月程度,コンサル・プロスポーツ・地方行政・病院・地下鉄輸送・高速交通などのプロフェッショナル/パブリックサービスの現場において,顧客ユーザに提供されている実サービスを学生に体験させながら,サービス改善方法を考察してもらうことにしました.この長期分散型インターンシップ以外に,応用統計,Web,人間工学,ITSなどから構成される理工系知識,マーケティング科目を中心としたビジネス系知識,テキストマイニング(テキスト情報に自然言語処理を施し,共起性処理などにより,重要なテキスト情報を発見する研究)とUML(オブジェクト指向モデリング言語)モデリングのITスキルを身につけるための高度実践ITスキル,これらの科目を履修した後,修士論文でサービス・イノベーションに関連した研究をまとめることを通して,サービスマインドを持ってシステムを分析・設計・開発できる人材育成を目指しております.

3.カリキュラムの概要

3.1 長期分散型インターンシップ科目

(1) サービスサイエンス特別講義 II
 本講義では,サービスサイエンスの理念について講義するとともに,IBMコンサルティング部門であるIBCSでは,過去十数年にわたり未来企業の実験室を標榜し,改革ならぬ実験(試行錯誤)を行ってきましたので,この数々の実験内容を題材にして,ホワイトカラー(とりわけプロフェッショナルビジネスモデル)での生産性向上の方法について,経営モデルの設計,実装と熟成化,効果という観点から議論を行います.
(2)サービス工学特別講義 II
 本講義では,インターンシップを核にして,現場の問題を体感し,具体的な解決を提案します.具体的には,(1)アンケート分析に基づくスタジアム観客満足度の向上,(2)アンケート分析に基づく病院安全サービスの向上,(3)交通シミュレータを利用した交通安全サービスの向上,(4)データ分析に基づく銀行窓口サービスの向上などのテーマを実施します.

3.2 大学院理工学研究科(IT・統計・人間工学系)専門科目

(1) Webインテリジェンス論
 本講義では,次世代Webとして,セマンティックWebとオントロジー(概念定義.データ統合や知識共有に利用されている)について学ぶとともに,WebプログラミングおよびWeb大規模情報処理の実践スキルの演習を実施し,次世代Webアプリケーションに関する見識とスキルを身につけることを目標とします.
(2)応用統計解析特論
 本講義では,ブートストラップ(データから知識を学習する機械学習研究における一手法)に基づく様々なパラメータの複雑な推定量の標準誤差,バイアス,予測モデルの予測誤差の算出法について議論します.
(3)社会情報システム特論
 本講義では,ITSの事例を交えて,構造化分析手法やオブジェクト指向分析手法,人間の状況認識に基づいた情報システムの設計や評価などを講義します.
(4)ヒューマン・ファクターズ特論
 本講義では,安全管理上,また品質管理上,重要な問題を呈するヒューマンエラーについて,組織におけるマネジメントという観点から講義します.

3.3 マーケティング科目

(1)マーケティング戦略
 マーケティングは企業・組織の行う対市場活動であり,マーケティング戦略は市場活動のための仕組みづくりにかかわります.競争環境の変化や規制緩和に向けた制度変更等が進む中で,ビジネスの仕組みを見直すことが要求されています.本講義では,レクチャー・文献研究および事例分析に基づいてマーケティング戦略における現代的課題を理解した後、ケースもしくは具体的な事例に沿ってマーケティング戦略の立案を行います.
(2)サービス・マーケティング
 本講義では,現場見学,MTG参加,マネジャークラスの講話から成る見学会を中心に,マーケティングエクスペリエンスを与えることを通して,サービス・マーケティングを履修します.

3.4 実践スキル科目

(1) サービスサイエンス特別講義I
 本講義では,サービスサイエンスの理念について講義するとともに,ITの普及によりもたらされた大量の電子文書データを活用するテキストマイニング技術に焦点をあて,日本アイ・ビー・エム(株)東京基礎研究所において培われてきたテキストマイニングを中心とする先端的な実践技術を通して,多様な情報の活用可能性を示し,活用スキルの獲得を促すと共にさらなる可能性を追求します.
(2)サービス工学特別講義I
 本講義では,新しいITサービスを創出するための基盤技術としてモデリングの基礎と応用(実践)を教育します.特に,オブジェクト指向モデリングの世界標準言語であるISO 19501(UML;Unified Modeling Language)を取り上げ,前半ではこの中から要求記述,対象領域の概念構造の記述,ビジネスルールの記述,業務フローの記述およびオブジェクトどうしの対話の記述などの記法について解説し,後半ではいくつかの事例を取り上げて実際にモデリングを行い,モデリングプロセスを理解して,良いモデルを追及します.小さな演習を重ねて,モデリング技術の理解を深めていきます。

4.おわりに

 本教育プログラムは,2008年秋から開始され,年度の途中でしたので,2008年度の登録者は2名だけでしたが,2009年度は21名,2010年度は22名が登録し,OSM専修内の3-4割程度の学生が参加するようになりました.また,2010年度からは,SDM(システムデザイン・マネジメント)研究科が本教育プログラムに参加して頂くことになり,塾内でサービス・イノベーション教育が拡大しております.最後に,2010年6月26日(土)の第3回シンポジウムにおきましては,本教育プログラム修了(サービスイノベータ)一期生がどのように育成されたかという視点から,より具体的に報告したいと思っております.ご興味をもって頂けた方は,参加して頂ければ幸いです.