トヨタのハイブリッドカー・プリウスは、発売された1997年に日本カーオブザイヤーを受賞、2002年には日経優秀製品・サービス賞の20周年記念特別賞8点の1つに選ばれ、昨年には新型プリウスが再度日本カーオブザイヤーに輝くという、文字通りわが国を代表する名車です。そのプリウスリコールのニュースは私たちを驚かせましたが、さらに衝撃的だったのは、リコール発表の数日前、苦情が出ていたブレーキの効きに関し、会社幹部が「それは利用者のフィーリングの問題である」と言明したことでした。卓越した仕事の進め方から多くの企業のベンチマークとされてきたトヨタが、トラブルの第一原因を利用者に帰するという、産業人としてあってはならない対応をしたのです。
日経の辛口コラムニスト西岡幸一氏は、有名なトヨタ生産方式のキーワード「アンドン」をもじって、経営陣は「昼あんどん」と言われかねないと懸念し、またトヨタを朝青龍、小沢幹事長と並べて、共通項は、いずれも憎たらしいほど強いが説明責任を果たしていないことだと指摘しています。
すでに広く知られていることですが、ハイブリッドカー・プリウスの開発経緯は、これほど完ぺきな技術と商品の開発プロセスが世の中に存在するのかと思われるほどすばらしいものでした。
最初に特筆すべきは、1993年プロジェクト発足時の企業トップの問題意識と目的意識の高さです。今の車の作り方で、21世紀トヨタは生き残れるのか、21世紀のトヨタの車のあり方をゼロから考え直す必要があるというのが、会長の問題意識でした。当時トヨタの経営はすでに磐石であったにもかかわらず、「生き残り」をかけるような危機感をもってトップは将来を考えていたのです。このためプロジェクトリーダに対して、21世紀に向けた車そのものの開発だけでなく、車の開発の進め方も改革せよという課題が与えられました。
プロジェクトの要所要所で出されるトップからの指示も絶妙なものでした。当初プロジェクトリーダが、エンジンは直噴の1500cc、燃費(Km/リッター)は現状の1.5倍と考えていたのに対し、トップからは、燃費を2倍に引き上げること、そのために(まだ未完成の)ハイブリッドシステムを採用せよという指示が与えられました。また95年末、先々行試作車が苦心の末ようやく数100mだけ走るようになった頃、トップの意向により、プリウスの発売時期が97年12月と決定されました。車が順調に動くかどうか分らないときに、工期が実質2年を切ることになったのです。いずれも、プロジェクトリーダにとって実現がむずかしいと思われる指示でしたが、取り組んでみると組織の総力の結集でギリギリ達成が可能な内容でした。
トヨタがプロジェクト制度による経営改善、すなわち重要なテーマについて部門横断的にプロジェクト組織を形成し、そこで主体的に研究や問題解決を進めていく方式に熟達していたことも、プリウス開発の成功に大きく寄与しました。
プリウスの開発では、実に3重のプロジェクトが形成され、管理が行なわれました。第1に、21世紀に向けた車・プリウスそのものの開発プロジェクトです。第2に、プリウスのための技術開発の中で中核を占めるハイブリッドシステム開発のプロジェクトです。第3には、それらプロジェクトを推進する過程で発生する、重要な問題毎に結成されるミニプロジェクトです。
このうち第1のプロジェクトのリーダは、チーフエンジニアと呼ばれていました。チーフエンジニアは、ある1つの車種の企画・開発からそれを市販するまで総合的に責任をもついわばプロデューサです。チーフエンジニア制度は、トヨタ自身、航空機産業をベンチマークにして導入したものですが、優れた新車開発の仕組みとして他の企業にも大きな影響を与えていました。
ハイブリッドシステムの開発で、文字通り決定的に大きな役割を果たしたのが、コンピュータ・シミュレーションです。
ハイブリッドのシステムは、公表されているものだけでも80種類ありました。プロジェクトでは、その中で有力と思われる10種類について原理を中心に検討し、4種類の候補を選び出しました。
各候補の詳細な評価が、コンピュータ・シミュレーションによって行なわれました。その結果、エンジンと発電機、モータ、バッテリ、プラネタリギアを組合せたシステム構成が最適で、燃費も2倍に向上させることが可能と予測され、この案が実際にプリウスに採用されました。
シミュレーションにより、エンジン、モータ、バッテリなど各要素への要求仕様も明らかになりました。システムの全体像が明らかになった上、各要素へのモジュール分けができたのです。以後、各モジュールは並行的に、効率的な技術開発が可能になりました。
ハイブリッドシステムの完成はナレッジマネジメントの成果、と言ってよいくらい、トヨタでは各部門の優れた知見や公知の情報が社内を縦横に流通し、このプロジェクトに集約されていきました。
コンピュータ・シミュレーションに際しては、ソフトウェアや走行状態決定のアルゴリズムに関して、それぞれ他部門で同様の検討を行なったことのある担当者から有益な情報を得ることができました。
エンジンは、ハイブリッドシステムにはアトキンソンサイクルが適していることが分かりました。このエンジンは、100年以上も前の19世紀の後半、アトキンソン氏によって提案されたもので、熱効率を非常に高くできるのですが、出力やトルクが十分出せないため、実用には供されていなかったものです。しかしモータと併用すると、このエンジンの特長を生かして用いることが可能になります。
ハイブリッドシステムでは、走行中も必要に応じてエンジンが起動・停止します。このときのショックが問題となりましたが、吸入空気を減少させれば解決できることが分かりました。ちょうどその頃トヨタでは、別の部門が別の目的で連続可変バルブタイミング機構の開発に成功していました。これを用いることにより、ショックの問題は見事に解決しました。
コンペは、複数のアイディアを抽出し、その中から最善のものを選ぶことができる効果的な方法です。
重要部品のサスペンションについて、リアの決定版がないため、先行開発部門、製品開発部門などで社内コンペを実施しました。後者の方式が選ばれましたが、最終的には、先行開発の担当者が製品開発に異動し、前者の方式の長所を付加して後者の方式を改善し実機適用しました。
トヨタには当時デザイン部門が、国内に5つ、さらに米国、欧州と合計7つありました。プリウスのデザインは、このうちの5部門と契約デザイナー、関連会社のデザイン部の7部門によるコンペとしました。最後に数百人の社員による審査で、先進性と若者からの評価が高い米国案に決定しました。
プリウス開発のプロジェクトが始まったのは、わが国でパソコンの普及が進んだWindows95の発売より前のことです。しかしチーフエンジニアは、当初から運営方針の1つにパソコンネットワーク活用による情報の共有化を掲げ、この方針はハイブリッドシステム開発プロジェクト、ミニプロジェクトにも踏襲され実行されて、複雑な問題の解決に貢献しました。
電気・電子部品に対するトヨタの内製化意欲と努力には驚くべきものがあります。
トヨタでは当時すでに電気自動車を念頭に、車の性能の根幹に関わる要素として、モータの内製を進めていました。プリウスのモータの開発も同じ部門が担当しました。発電機は、モータと容量が少し異なりますが、基本的に同じ構造になります。
またトヨタは1980年代半ば、「今後自動車は、電子部品で優劣がつく。内製化できないと単なるアセンブリメーカになる」という問題意識から、電子部門に巨額の投資を開始、プリウス開発当時、すでに技術部門4部、工場部門2部からなる強力な組織を形成していました。
この組織を背景にプリウスの開発に際しては、車載用コンピュータの制御基板の内製をいち早く決定、さらに直流・交流の変換やモータの制御を行なうインバータの心臓部、IGBT(絶縁ゲート型バイポーラトランジスタ)の内製も、(1)将来自動車は電気で動く。そのときIGBTは首根っこになる(2)IGBTに関しては電子産業界がまだ対応できない(3)トヨタが開発すれば世界標準になる、などの理由から、決断しました。
プリウスの主要部品では、唯一バッテリのみ他社(松下電池)との共同開発となりました。
95年秋、先々行試作車が完成しましたが、まったく動きません。ハイブリッドシステムは多くの要因が複雑に関係しているため、原因の究明は困難をきわめました。40日後ようやく動きましたが、500m走ってまた止まりました。
先に述べた、経営トップによりプリウスの発売時期が97年12月と決定されたのは、この頃のことです。先がまだ見えないのに、工期が実質2年を切っていました。
このためプリウスの開発では、短期間に要素技術の開発と全体計画の推進を同時並行で進めていく必要がありました。そのためにチーフエンジニアが取った方法は、2〜3ヶ月毎に試作車を最新状態に更新して要素開発の進展を折り込み全体の確認をとっていくという画期的なものでした。
試作車を走らせるのは、総合テスト(試運転)に相当します。
一般的にテストには、単体テスト→組合せテスト→総合テストと進めていく方法と、総合テストから始める方法があります。前者の場合、全体として要求仕様通り動くのかという、利用者にとって最も重要な問題を、工程の最後になって確認することになります。それではまずいので、理論的には総合テストから開始することが考えられるのですが、そのためにはまだ完成していない単体について、すべてダミーを準備しなければなりません。その手間とコストが大変なので、通常は前者の進め方が選択されています。それをあえて最初から総合テストを開始し、しかもそれを2〜3ヶ月単位で繰り返そうというのですから、その決断力と推進力に感嘆します。
試作車ができるまでは、シミュレーションによってハイブリッドシステムの全体像と個別要素の仕様を明らかにし、その開発をめざすという、いわば「あるべき姿」の追及でした。試作車の完成(ダミーも含めて)は、「実際の姿」の実現です。それが順調に動かないのですから、「あるべき姿」と「実際の姿」の間に大きなかい離が生じています。したがって、そこからは問題解決プロセスになります。PDCAで言うと、CAのサイクルの実行です。
ここでトヨタのもつ問題解決能力の高さが、いかんなく発揮されました。信頼性をまとめる管理者を設置、問題発掘・問題解決ミニプロジェクトチームを編成し、ナレッジマネジメントを駆使して(PD)CAのサイクルを回していきました。
トヨタでは商品監査室のベテラン監査員が、市場に出す前の車をユーザの立場でチェックし、細部にわたり問題を発掘して設計・製作に反映させていきます。プリウスの場合、テストコースの試走を、他の新車の5倍行ないました。さらに冬場3回を目標に北海道・カナダ・南半球で耐寒試験、夏場米国で最高気温45℃の中、4000Kmの走破試験を実施しました。
このように綿密なテストを経て、97年秋、従来の同型車に比べ、燃費2倍、CO2は2分の1、CO・炭化水素・NOXは規制値の10分の1、同クラス最高の乗心地を誇る、時代を画する名車が誕生したのです。
問題は、これだけの名車が3代目の新型プリウスに至って、なぜ自動車の生命線ともいえるブレーキのシステムで、リコールを余儀なくされたかということです。
トヨタ幹部の説明によると、原因は、凍結した道路などでブレーキをかけたときタイヤがスリップすることを防止するABS(アンチロック・ブレーキシステム)にありました。ABSでは、スリップが起き始めたら少しブレーキをゆるめ、スリップがなくなったら再びブレーキをかける動作を繰り返します。
プリウスでは、省エネのためモータを発電機にして車体の運動エネルギーを回収する回生ブレーキと、油圧ブレーキを協調させ併用しています。ところが回生ブレーキではABSのような制御は不可能ですから、ABSが働き始めると、回生ブレーキを解除し、油圧ブレーキの圧力を高めます。
このとき、旧型のプリウスでは電動の油圧ポンプを作動させて強制的に油圧を高めていたのに対し、新型では電動ポンプを作動させず、運転者がブレーキを踏んで発生させブースタで増幅した油圧を使うことにしました。電動ポンプの作動音や振動などを低減して快適性を高めようとしたのです。この結果、ブレーキを軽くしか踏んでいないと、電動ポンプとの特性の差で、発生する油圧が小さいため、ABS切り替え後の制動力が一瞬弱まることになりました。 これが、ブレーキの効きが悪いことがあるという苦情をもたらしていたのです。
対策は、ABSのプログラムを書き換えて、旧型プリウスのようにABS作動時に電動ポンプで油圧を高める方法に変えることです。これによって、通常のABSと同等の制動力を得ることができます。(2月9日、日経Automotive Technology 雑誌ブログを参照)
実はトヨタは昨年来、プリウスのブレーキに関する苦情を受け、今年1月の生産車から上記の対策をとっていたのです。その公表が2月3日になったことは、批判の対象になりました。
つまるところ、今回プリウスで起きた事象は、ドライブの快適性を増すために行なった制御プログラムの改善が、その影響調査が不十分だったため、ブレーキの効きが悪くなるという問題を起こして失敗に終わり、もとに戻したということです。これは一般的に情報システムの運用・保守の段階で、環境の変化や機能のレベルアップのためプログラムの修正をするとき、いかにその影響範囲を正確に見きわめて、必要な変更と、テストによる確認を行なうかということと同等の問題になります。
先述したように初代のプリウス開発時、商品監査室のベテラン監査員により「ユーザの立場で」万全のチェックをして市場に出したとしていたトヨタでしたが、新型プリウスの制動距離が延びる問題が事前に分からなかったのかと聞かれて同社幹部は、「最初から知っていたかというと、そういう試験はやっていない。保安基準ではある時速から何mで止まれるかという試験なので、今回のような試験はやっていない」とし、また「ブレーキという性格上、開発時に一番気にするのは最大減速度や、コントロール性能、それも高い速度でのコントロールが気になるところ。今回そういった部分のテストは十分やったが、低速、低減速度での注目をしっかりできなかったので申し訳なかった」と述べています。(2月9日、Car Watch参照)
TQMで定評があり、その能力が初代プリウスの開発で存分に発揮されたかに見えたトヨタでしたが、今回の事象を見る限り、モデル変更時のリスク分析、設計に対するウォークスルー、それにテストケースの設定の仕方に改革が必要です。今回の失敗から学んで、一段レベルアップしたベンチマークへの、トヨタの再生が期待されます。
プリウスの開発経緯に関しては以下を参照
家村浩明著:プリウスという夢,双葉社(1999)
板崎英士:革新トヨタ自動車,日刊工業新聞社(1999)
碇義朗:ハイブリッドカーの時代,光人社(1999)
この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。皆様からもご意見を頂ければ幸いです。