かつて、PMPの資格試験に関する参考書籍を読んでいたとき、当時初めて知ったプロジェクト管理の体系について感心する一方、PMの能力の要件についてのくだりで、思わず絶句したことがあります。曰く、「PMには影響力が必要となります。いまのうちに影響力を鍛えておきましょう」・・・?!
正確な文言は多少異なっていたかもしれませんが、いまでもこのように記憶しています。しかしながら、いったんは絶句したものの、改めて考えてみるとPMにとって、様々なステークホルダーに対する「影響力」が発揮できるか否かがプロジェクトの成否を決める上で、重要なことは間違いのないことであり、「影響力」を高める方法があるのであれば、その研鑽に取り組むことは必要になります。
「影響力」に関する本は多数ありますが、その一部を手にしてみると、
とか、
とか、
など、専門分野毎に、様々な見解があることがわかります。
そんな中で、最近、「影響力」に関する2つの良書を手にする機会があったので紹介します。
1つ目は、アラン R.コーエン&デビッド L.ブラッドフォードによる『影響力の法則』(*1)です。
『影響力の法則』においては、まず、人間関係において最大の要素は、レシプロシティである、といいます。レシプロシティとは、互恵性・返報性のことであり、よい行動にはよい見返りがあり、悪い行動には悪い報復がもどってくるという、ほとんどあらゆる文化に共通する社会通念のひとつであるといいます。
つまり、誰かのために何かよいことをした場合、相手はこちらに対して恩を感じ、同等の見返りがあると期待することができる、ということを指しています。
そして、相手のためにする何かよいこと、相手にとって価値のあるもののことを、「カレンシー(通貨)」と呼び、あなたの持っている価値あるものと、相手のもとにある価値あるものを、交換可能とするこの「カレンシー」こそがレシプロシティ成立にとって非常に重要なものである、といいます。
カレンシーの価値というものは、相手がそのカレンシーに感じる価値であり、主観的なものになります。ある人にとってのカレンシーは、お金や休暇を得ることであり、他のある人にとっては、やりがいのある仕事や学習する機会であり、また、ある人にとっては、自分に役立つ情報を手に入れることかもしれません。
「よく効くカレンシー」として、実にさまざまなものが挙げられています。
カレンシーは、相手や状況によって価値が変わるので、ひとりひとりの相手が各々何を大切にしているか、どんな言い方で表現するかも含めて、相手を出来る限り理解することが重要になります。
したがって、影響力を発揮する前に、相手にとってのカレンシーが何かを把握するために、相手の価値観、相手の生きている世界観を理解することが大切になります。
人は誰しも理解されたいと思っている。だから、理解することにどんなに大きな時間を投資したとしても、それを上回る時間が回収できるのだといわれますが、カレンシーの理解とその提供による価値の交換は、そのことを端的に示していると思います。
2つ目は、ロバート B.チャルディーニの『影響力の武器』(*2)です。
人間には、6つの普遍的な社会的影響力の原理があり、人はこれにしたがった行動をとる。つまり、人間の行動には再現性があり、「説得は科学である」といいます。
この6つの社会的影響力の原理とは・・
になります。
さきほど『影響力の法則』においても、人間の行動原理には、互恵性・返報性があるといいましたが、この互恵性・返報性のルールには、単なる「ギブ・アンド・テーク」を超えたルールが存在する、といいます。
人間には、「カチッ・サー」呼ばれるような固定的行動パターン・・カチッとボタンを押されれば、思わず「イエス・サー」と反応してしまうような、規則的で盲目的といえるほどに機械的な行動パターンがある。
だから、相手が見知らぬ人や嫌いな人であっても、最初に親切にされてしまうと1つぐらいならばその人の要求に応じてもいいという気持ちになってしまう。また、返報性とともに、恩義の感情も生まれてしまう、といいます。
返報性のルールの本質は、「お返しをする義務」と、「受け取る義務」の2つによって成り立っています。驚くべきことは、「受け取る義務」があるために、私たちは相手を必ずしも自分で選ぶことができないようになっている、ということ。
たとえば、何かの一日セミナーを受講したとして、その隣の席に座った人が休み時間に缶ジュースを2本買ってきて、1本をあげるといわれたとします。その場できっぱりと断れればいいのですが、いったん受け取ってしまうと、その人に対して借りの意識を持ってしまいます。
私たちは、望みもしない恩恵を施された場合であっても、それをいったん受け取ると恩義を感じるようになってしまう傾向がある。
最初に与えるほうは、自分の好きなものを相手に渡すことができるのに対して、受け取る相手は、「受け取る義務」があるため、頭ごなしに断ることができないし、また、同時に、恩義を感じ、「お返しをする義務」を持ってしまう。
また、「譲り合い」のルールでは、自分に対して譲歩してくれた相手に対しては、こちらも譲歩する義務があるといいます。
ここでも驚くべきなのは、受け手がお返しをしなければならない義務を負うために、人が勝手に最初の譲歩を行って、それによって相手とのやり取りから利益を得ることができる、ということ。結局のところ、譲歩には譲歩でお返しをするという社会的義務があると指摘します。
さらに高等なルールとしては、「拒否させた後に譲歩する」というもの。
たとえば、近所の子供達が何かのイベントのチケットを一枚二千円で売りに来た場合、断った後、再び子供達が、手作りしたお菓子を一袋300円で買ってくれるようお願いされた場合、一度断ってしまった手前、二度も断れずについつい買ってしまう。つまり、「承諾するも地獄、断るも地獄」の状況を意図的に作り出すことができてしまう。実際に、小売店でも、最も高級なモデルを見せ、また、高い商品から勧め、そこそこの価格の商品を見せることで、成約率を高めることができるといいます。
これらの手法は、既にマーケティングや勧誘の手法として多用されており効果を上げているのかもしれません。
また、人間の行動原理を利用しているのだと思いますが、冷静に考える機会があれば、承諾しなかったものを、流れや勢い・・まさに「カチッ・サー」で押しつけたと判断されてしまうならば、非常にあざとい手法にもなりうることを注意すべきだし、また、そのような手に乗らないためにも認識しておく必要があります。
システム構築ソリューションの提供は、顧客とベンダー間における一過性のものではなく、長期的な信頼関係に基づくものである以上、このような手法に頼らないこと。一方、様々なステークホルダーがこのような手法を使ってアプローチしてきた場合、人間の行動原理にはこのような特性があることを常日頃肝に銘じた上で、冷静に対応することが求められています。
PMが影響力を発揮するためには、長期的な信頼関係に基づき、顧客やパートナー等プロジェクトに関連するステークホルダーのことを熟知した上で、ステークホルダー自身のおかれた状況によって変化するカレンシーの提供を適切に粘り強く続けることにあると思います。
(*1)「影響力の法則―現代組織を生き抜くバイブル」「続・影響力の法則―ステークホルダーを動かす戦術」アラン R.コーエン&デビッド L.ブラッドフォード
(*2)「影響力の武器[第二版]―なぜ、人は動かされるのか」ロバート B.チャルディーニ