情報システム学会 メールマガジン 2010.1.1 No.04-09[12]

大学教育最前線:第22回
社会人ICT遠隔教育による人材育成 − 信州大インターネット大学院の取り組み

信州大学 工学部情報工学科 教授 和ア克己
編集部注:著者「和ア」氏の二文字目は、アの旁の上の大を立にした字

 信州大学大学院工学系研究科は、2002年4月に「信州大インターネット大学院(SUGSI)」を開設し、8年が経過しました。SUGSIは、忙しい社会人の皆さんも働きながら学んで戴ける環境を提供した、e-learningを利用した修士課程の新しい大学院です。運用しているのは「情報工学専攻」の授業科目で、本専攻で提供する授業の多くがインターネット上で受講が可能なため、中間発表会、修士論文の審査や最終試験等を除き、基本的には大学に通学することなく学ぶことが可能となっています。2009年12月現在、長期履修生(最大4カ年度)を含む、85名の方がSUGSIに在籍され、IT遠隔教育用の教材を使って学習しておられます。今回は、SUGSI開設の動機や背景、修学状況、e-learningシステムの運用状況を紹介します。

大学院専攻名:信州大学大学院工学系研究科 情報工学専攻(修士課程)
事務局の場所:長野県長野市若里4-17-1 信州大学工学部内
URL http://sugsi.jp/ http://www.cs.shinshu-u.ac.jp/

信州大インターネット大学院(SUGSI)について

 信州大学大学院工学系研究科は、2002年4月に「信州大インターネット大学院(SUGSI)」を開設しました[1]。開設当時は、フルオンライン型で修士課程の単位を満たすことができる唯一の国立大学大学院として、様々な分野から大変注目されました(図1)。インターネット大学院という名前は通称であり、特別な学部や専攻を新設したわけではありません。これは、「通信制」ではなく「通学制」の情報工学専攻コースです。入学した学生には、様々な方々がおられます。毎日研究室に通学している学生や、社会で働きながら自宅で学んでいる学生達です。当専攻の全ての学生は、制度上も実際も全く区別はありません。全員が「通学制」の情報工学専攻所属の大学院生です。SUGSIは、忙しい社会人の皆さんも働きながら学んで戴ける環境を提供した、e-learningを利用した修士課程の新しい大学院の、メタプロジェクトであると言えます(図2)。

図1 信州大インターネット大学院・広報リーフレット

図2 SUGSIポータルサイトトップ(http://sugsi.jp/

 e-learningで授業を実施する・しないに関わらず重要なことは、その根幹となる授業コンテンツの質であります。筆者らは以前から、大学生のレベルや興味が多様化しているにも関わらず、大勢の学生を講義室に集め、画一な教科書を用い、教員が一方的に話をする従来形態の講義に疑問を感じていました。学生の学習定着度の低下は、学生の能力差の拡大が著しいことが主たる原因であり、故に個々の学生レベルに個別対応が可能な CAI (Computer Assisted Instruction) の利用が不可欠と考えていました。

 講義内容の理解と定着のためには、基礎的な知識を学んだ後、その知識を用いた演習・実習が行われることが効果的です。学生は単に受動的に講義を受けるのではなく、能動的に演習・実習を行うことで、学習に対する興味が増すという効果が期待できます。インターネット技術の進歩と共に急速に発展したWeb連携CAIは、その端末がWebブラウザを用いた安価なPCであり、またインターネットへの接続環境さえ整えれば、学習場所を選ばず、自宅でも学ぶことができるという特徴を有しています。以上の認識のもと、様々な演習を伴うCAIをWeb上で開講することが重要であると我々は考えて、20年以上前から、筆者らはコンピュータ上で実行可能な、様々な教材を作成してきました。

SUGSI開設の動機・背景

 IT技術を持つかどうかで個人の業務能力その他の評価が大きく変わる時代となってきており、多くの社会人がIT技術をしかるべき高等教育機関で体系立った形態で学習することを希望しています。また、その学習や指導教員との研究成果によって、修士の学位が授与されることによって、現在の職位からのステップアップや、他分野へのジョブローテーションを行おうとする機運が、青年〜壮年層を中心に高まってきています。

 SUGSIを開設する10年ほど前は、「遠隔教育」とは、通信添削型の講座、放送大学、英国オープンユニバシティによる放送授業といった様態で、通信制の高等教育機関によってのみ行われるものとされていました。しかしICT技術の発達により、遠隔地間を結ぶテレビ会議方式の授業などの形で、「遠隔教育」を行うことが可能となって来ていました。米国では当時既に、通学制の大学で行われている教員の授業や研究指導を学生が自宅で受けることが可能な段階まで進んでいました。あらゆる学生が、地理的、時間的制約を超えて、大学で行われる教育研究に参加でき、通学制と通信制の境界がなくなるような状況が生まれて来ました。

 信州大学工学部情報工学科ではこのような技術的背景を踏まえ、20年前よりCAIを開発して一部の授業で使用し、さらに10年前よりインターネット上での遠隔講義の試行実験を行っていました。これは、教員が手作りで作成・プログラミングを行った教材を、インターネット上で公開し、学生はこれを好きな時に好きな場所で見て学習するものでした。各単元の終わりには確認テストがあり、学生の学習定着度を計れる仕組みとなっていました。この学習方法の効果について、CAI適用群の成績が非適用群と比較して向上すること、ならびに授業のドロップアウト率が著しく低減できることが確認され、従来の一斉授業形態に比べて効果があることが判りました。

 一方、当時の国政目標(e-Japan構想)ならびにICT高度技術者を養成すべきとの高等教育のあり方の追い風もあり、2000年11月には大学審議会がインターネット技術を用いた遠隔講義を大学・大学院に取り入れる旨の「答申」を発表[2]し、これを受けて文部科学省は大学・大学院での教育や組織などの規則を定めている「設置基準」を改定し2001年3月30日に官報告示しました。ICT利用による授業の位置づけが、設置基準が緩和されたことによって大きくe-learning利用可能であるようにシフトし、フルオンライン型でのコース開設可能性が現実的になりました。

 そして、大学院修士課程コースとして授業の準備を進め、信州大学大学院工学系研究科情報工学専攻では、それまで培ったノウハウを活かし、「何時でも」、「何処でも」を目標に、自宅あるいは勤務先で、インターネットに接続されたパソコンを通じて、講義・演習を受けることができるインターネット大学院コースを2002年4月に新設するに至りました。この間、ICTによる遠隔講義、VOD講義配信や演習用のCAIの教材準備、学習管理システムの整備、さらには海外を含む他大学等との協力体制の準備など、IT利用フルオンライン化の環境整備を行いました[3]。

e-learning教材の運用状況

 SUGSIで開講中のオンライン教材とCAIテストのいくつかをご紹介します。本コースの特徴として、実技・実習付きのe-learning教育カリキュラムを提供していることが挙げられます。カリキュラムの詳細については、本コースのポータルサイト[1]ならびに文献[4]を参照してください。

【A】オンラインテキスト教材例

 最初に、オンラインテキスト教材の例を示します。図3,4に、ソフト系授業「プロトコル検証」ならびにハード系演習「ホームセキュリティコントローラ設計」の授業サイトトップのブラウザスクリーンショットを掲げます。通常の講義室での一斉授業・演習に利用できるとともに、各種資料や副教材、演習用ソフトウェアやサンプルプログラムのダウンロード機能を有しています。フルオンライン型のコースとしても利用できるように、テキストでは詳細に渡る解説を行っており、教員への教材内容の問い合わせが過度に集中しないように配慮してあります。

図3 オンラインテキストの例(ソフト系授業「プロトコル検証」)

図4 オンラインテキストの例(ハード系演習「ホームセキュリティコントローラ設計」)

 後者のハード系演習科目では、遠隔受講生からの申し出により、PICマイコンを用いて実験を行うための評価キット一式を郵送によって貸し出しており、フルオンライン型のコースでありながら、実際の実技・工作・測定等を伴った演習課題として構成されており、この形態は他の大学院コースでも見られない特徴的なものです。この教材は組込マイコンプログラミングの応用コースとして評価が高く、工業高校等から「電子系総合実験などでテキストの内容を利用させて欲しい」「キットの二次利用は可能か」など問い合わせも多数寄せられました。結果、2年前より、本コンテンツは、Creative Commons ライセンスによって教育目的・無償・著作者情報の明示を配布条件として、公開中しております。

【B】CAIオンラインテスト例

 次に、受講生の学習習熟度を測定するためのオンラインテスト・CAIシステムについて説明します。CAIはクライアント/サーバ型のシステム構成をとっています。サーバ上の教材をクライアントの端末から実行し、演習・テストの結果をサーバに蓄積する形態をとっています。履修・演習CAIの実施状況はデータベースに保管され、学生CAI進捗管理システムによって学籍番号・指導教員・授業科目別に仕分けされ、コース教員ならびに受講生が履修状況をモニタリングできるようになっています。

 CAIのほとんどは、コース教員自らがPerlやPHPによってプログラミングした自作のものが殆どです。最近の一部の教材は、コース管理システム Moodle などの上で実行されるものも存在しています。本CAIシステムの構成は、通常のCGI等を用いたインターネットのホームページ提供システムと何ら変わることがありません。講義を受ける学生は、通常のWeb閲覧用ブラウザを使用し本システムのページを見て履修します。説明文と図があり、いわば教科書に相当するものが全て用意されています。ページ上の文と画像を用いて学習し、学生の必要に応じてVODを用いて教員の説明を見ることも出来るようになっています。学生はWikipediaやWikibookなどのソースを辿り各自が調べることによって、より詳細な知識を得ることが可能です。

 このCAIシステムの特徴は、学習定着度を増す目的で、単元毎に履修した内容の理解度を確認するためのテストが置かれ、このテストにパスした後に、次の単元に進む形式になっていることです。最初に学籍番号、氏名、電子メールアドレスを入力すると、(順次あるいはランダムに選ばれた)演習問題が表示され、サーバへPOSTされた解答は、サーバ上のチェックシステムにより自動採点され、不備を即座に指摘します。学生はある一定以上の成績を取らない限り、先の学習へは進めないこともあります。

 テストの形態は、演習教材により様々ですが、大別して以下の3形態で実施されています。

(1) 一問一答形式の問いに連続して何問か正解しなければならない形態
(2) いくつかの課程を経てシステムを組み上げていく形式の単元において、各過程を順にCAIと対話をしながら実施していく形態
(3) 解答プログラムを提出させてその正しさをチェックする形態

 (1)の形態は、CGIを用いて乱数により毎回異なる問題がWeb上に出るように工夫されています。学生が入力してきたその問いに対する答えをチェックシステムにより判定します。学生は連続して(例えば10問正解)答える必要があり、途中で1問でも間違えるともう一度最初からやり直しとなります。単純なクイズ形式のテストであるものの、実施してみると緊張を持続させる必要に迫られるので、その効果は高いものとなっています。

 (2)の形態は、例えば「符号理論」の講義において「2bitsまでの誤りを訂正する符号体系を作成せよ」という問題を与えた場合等に有効です。この場合、この目的である符号体系を得るまでには、いくつかの学習しなければならないステップ(ビットパターンの拾い出し、変換行列の作成、検査点の決定等)があります。この各ステップでは複数の正解があり、学生がどの答えを出したかで次のステップの正解も異なってきて、最終的に得られる体系も異なります。この各ステップを各学生の答えを基に、CAIチェックシステムにより判定して、問題があれば、そのことを学生に指摘してその前のステップに戻るという形態です[4]。

 (3)の形態は、プログラミング言語やソフトウェアの実習の講義で取り入れられているものです。演習課題のページを開くと、CAIシステムがランダムに選んだ、学生毎に異なる課題が与えられます。図5に、C言語プログラミング応用の出題例を示します。学生はこの課題を満足するプログラムをローカルで開発し、課題ページの送信フォーム枠内に、そのプログラムを貼り付けて送信します。CAIプログラムチェッカは、送信されてきたプログラムをサーバ上でコンパイル後、テストパラメータを用いた実行を行い、課題を満たしているかをチェックします。もし仕様を満たしていない場合には、具体的な問題点を指摘して、プログラムを修正するよう求めます。学生は、テストシステムからの指摘に沿って、何度かプログラムを修正し、正解を導いていきます。本テストは単なる履修内容の理解度確認にとどまらず、講義の中でプログラムを作るという実習の中心的な役割を果たしています。

図5 自動CAI型オンライン教材の例(ソフト系演習「C言語プログラミング応用」)

 以上の3形態のオンラインテストシステムのために、CAI実行用サーバシステムの構築と運用を行っています。大学全体が接続されている大学間ネットワークとともに、外部のサーバホスティング会社と契約し、コンテンツ・CAIサーバシステムの冗長化を図っています[5]。また、システム管理面からの視座の点では、学生情報、履修記録、CAI完了記録など、漏洩・消失事故が起きた場合、コース運営にとっては極めてクリティカルな状況となるものばかりを扱っており、情報セキュリティ面からの検討を従来から行っているところです。また、CAI実行者の「なりすまし」の問題、LMS Moodleポータルサイト用のアカウント情報の伝達方法など、フルオンライン型のコースにおける種々の課題が未だ横たわっています。

在籍学生の修学状況

 運用しているのは「情報工学専攻」の授業科目で、本専攻で提供する授業の多くがインターネット上で受講が可能なため、中間発表会、修士論文の審査や最終試験等を除き、基本的には大学に通学することなく学ぶことが可能となっています。

 在籍学生の殆どは、現職を有する30代から50代の年齢層である社会人です。このため、業務が多忙であることが予想され、修士課程の標準修了年限2か年度を拡張し、2倍の4カ年度で事前に指導教員とともに計画した授業・演習の履修スケジュールを立てられるよう、「長期履修制度」を整備しました。現在の日本経済をとりまく状況を反映して、在籍者の半分程度は、この長期履修制度を利用し、無理なく授業・演習の履修を実施されています。また、情報工学専攻コースは、厚生労働大臣指定教育訓練講座として運用されており、修了後、一定の条件を満たした場合、授業料の一部(限度額あり)が返還されることも、受講生のメリットとして存在しています。

 社会人学生の入学者数の推移についてご紹介します。これまでの8年間で、社会人を中心として399名の方が入学され、202名の修了生を輩出しています。在学2年以上修了率は 54.3% となっており、フルオンライン型のコースとしては高い教育成果を上げています。現在、長期履修生(最大4カ年度)を含む、85名の方が在籍され、IT遠隔教育用の教材を使って学習しておられます。図6に、過去8年間の各年度別入学者数に占める、修了者と退学・除籍者、ならびに在籍数の人数を積み上げた推移を示します。

 開設当初から4カ年度においては大勢の入学生を受け入れることとなりましたが、その反面、退学者を多く出すに至りました。当時、長期履修制度は未整備で、受入れた受講生のモチベーションにも大きな差が見受けられました。授業の質保証とともに、多忙な社会人学生へのフォローや遠隔指導の方法についてこの間貴重な経験をし、2006年度以降の入学者についてはドロップアウト率がそれ以前より低減されてきています。

 2008年度以降の入学者がそれ以前より比較的少なくなっている理由として、本学SUGSI以外の教育機関においてもフルオンライン型のコース整備が進んできており、潜在需要の受入れが多様となってきていること、ならびに、2006年度以前に経験した入学生のモチベーションの差を小さくするための、入学者選抜試験の実施方法の改善、コース指導教員の能力向上などが理由として挙げられます。

図6 各年度別入学者・修了・退学・在籍者数の推移(縦軸:人数、横軸:入学年度)

まとめ

「信州大インターネット大学院(SUGSI)」を開設し早くも8年が経過しました。この間、従前のコース運営とは異なった、様々な問題を解決しながら、社会人ICT遠隔教育による高度人材育成を旗印に力を注いで参りました。最近では、インターネット利用の遠隔教育カリキュラムも様々な高等教育機関で行われてきており、受入れ体制は充実してきている感があります。大学院教育の実質化・質保証が問われる中、国立大学法人としてカリキュラム改善・教員の授業能力の向上の一助として、SUGSIの運営は、ファカルティ・デベロップメント(FD)としての役割を果たしてきたと言えます。入学志願者数・合格者も減少傾向にありますが、一方で、精査・厳選され鍛えられた修了生は、本当に優秀であると確信しています。フルタイム・フルオンライン型のコース運用は大学教員にとって高コストとなっていますが、現役社会人を実際に先端研究の戦力として導入できる利点、また博士課程学生の潜在需要を掘り起こすための集魚灯としての役割を、今度も担って行くことを、筆者らは期待しています。

参考文献・URL等

[1] SUGSI : Shinshu University, Graduate School on the Internet : http://sugsi.jp/
[2] 大学審議会答申:グローバル化時代に求められる高等教育の在り方について ; 2000.
[3] 不破 泰, 師玉康成, 和ア克己, 中村八束 : 信州大学インターネット大学院計画について ; 教育システム情報学会誌(e-Learning解説), 19, (2), 112-117, 2002.
[4] 國宗永佳, 新村正明, 和ア克己, 不破 泰, 師玉康成, 中村八束 : 信州大学インター ネット大学院の現状と評価 ; 教育システム情報学会誌, 22, (4), 264-271, 2005.
[5] 國宗永佳, 新村正明, 和ア克己, 不破 泰, 師玉康成, 中村八束 : 信州大学インターネット大学院におけるCAIサーバの高信頼性化 ; 日本工学教育協会工学・工業教育研究講演会講演論文集, e-ラーニングI, 145-146, 2004.