大学教育が危機に瀕していると言われています:
基礎学力がない、日本語がおかしい、自ら考えて行動を起こそうとしない、など。
基礎学力を補うために、リメディアル教育が行われています。一方で、「なぜ大学で学ばないといけないのか」といった当たり前のことが分かっていない学生も増えて、「入門ゼミ」といった科目も置かれています。家庭教育や初等・中等教育の不備を大学で補う傾向は、ここ数年顕在化したと思われ、全体的な能力の低下を示すものであると思います。
筆者は、大学が抱えている諸問題の解決の糸口をゼミナール教育に求めてはどうかと考えます。企業など人材を受け入れる立場にあっては、どの大学で学んだのかを問うより、どのゼミナールで何を学んだのかを評価すべきではないでしょうか。競うべきは大学ではなく、ゼミナールであると思います。その方が過去に縛られず比較的短期間に公平な評価を下せるのではないでしょうか。
大学の起源は、中世ヨーロッパに求めることができます。著名な教授の下に優れた素質を持った若者が集まりゼミナール形式の教育がなされ、優秀な人材を輩出しました。それが社会に出て活躍し、所属したゼミナールの名声を高めました。かくしてゼミナール同士の競争が起こり、やがて現代ある大学へと統合されて行ったと考えられています。
大学教育の諸問題を解決するために、大学も企業も大学の起源:ゼミナールへ回帰して大学教育の立て直しを図ることを提案いたします。
筆者は、かつて企業において人材を受け入れ活用する立場にあり、開発、研究および企画の部門でどんな人材が欲しいか身をもって体験してきました。その傍ら、慶應大学で非常勤講師として教壇に立ち、学生とともに学び、「裏ゼミ」活動を行い、少人数教育にも関わりました。こうした経験を伴って20年前に大学に入職しました。企業で自分が欲した人材を育成したいと考え、発想しました。とりわけ注力したのがゼミナールでした。大学はゼミであり、ゼミこそ大学そのものであるという認識でした。
「魚田ゼミナール」は、2年次の後期から卒業にいたる2.5年にわたります。週のうち本ゼミで8時間、サブゼミ(学生だけの自主ゼミ)で3時間勉強し、3年次で30ページ以上の進級論文を、4年次には80ページ以上の卒業論文をそれぞれ執筆しています。春と夏の合宿、月一度の親睦会(飲めない学生もいますので「飲み会」とは言いません)で、集団行動や人付き合いも磨きます。全ての活動は、リーダやサブリーダを決めて、
PDCA:Plan Do Check Action
を遵守して、学生達が自発的に発想して自主的に運営しています。ゼミでの活動は参加が義務づけられ、欠席や不参加は許されません。
活動内容と約束事項は入ゼミ審査の時に、教員と先輩学生との間で、文書で確認し合い、以降相互に遵守しています。資料によれば、中世ヨーロッパで大学の起源とされる教授と学生の共同体(ギルド)が交わした契約書に相当すると思います。双方が抜けられない態勢にしておいて真剣にゼミ活動に打ち込みます。「全員は一人のために、一人は全員のために働く」、と言った相互扶助の精神でお互いを磨きます。
ゼミ生・教員とも大きな負担となり大変でしたが、一部の脱落者を除いて所期の成果を上げて立派な社会人として巣立って行きました。彼らは、
コミュニケーション能力を備え、
構造的かつ論理的に物事を考え、
PDCAサイクルによって仕事ができ、
規律を守り、諸事に粘り強く取り組む、
そうした能力を修得したと考えております。
このような厳しいゼミ活動は、筆者の属する経営学部でもいくつかのゼミに見られ、お互いに競い合っています。卒業論文の審査会を合同で行い切磋琢磨しています。ゼミ活動は、大学内でも一定の評価を受け「厳しいが伸びるゼミ」との評価を学生諸君から受けています。厳しいゼミ活動は、就職試験において、企業などで他の学生諸君と対比され、自己の進展の度合いを認識しプライドにつながっています。彼らを受け入れる企業側もゼミナールでの活動の成果を最も高く評価しています。
成績表などは評価基準が大学でまちまちですので、さほど信頼されません。それよりも大学で何をしてきたかが問われます。その中で最も重視されるのがゼミナール活動であると聞いております。これは大学の起源:ゼミナールへの回帰の証しと見られ、これから更に重視されて良いと考える次第です。
経済産業省が2008年3月に発表した「企業の求める人材像調査の結果について」によれば、 9割以上の企業が採用・人材育成のプロセスにおいて「社会人基礎力」を重視しており、特に、「主体性」(約7割)や「実行力」(約8割)を求めている企業が多いそうです。他方、「主体性」や「課題発見力」、「創造力」に関しては、自社の若手社員の能力不足を感じている企業が多い、と評しています。
また、就職活動を支援する業界などでは
コミュニケーション力、仕事への意欲、積極性、行動力、熱意など
を重視するというレポートもあります。
このような調査や報告は、筆者が入職した当時にも言われておりました。筆者は当時からこれらに対応するために、ゼミナールにおいて図に示すような目標を掲げ活動してきました。企業などが人材に求める能力や性格等は座学によって得難いものであって、永年積み重ねられた教員と学生の信頼関係が確保された少人数のグループ活動によって最も効果が得られると考えております。ゼミこそ良き人材を輩出するための最適な仕組みであると考えます。
わが国は地下資源に乏しく、人が資源であることは国民の共通認識であったと思われます。そのため、家が貧しくとも精一杯教育に注力してきました。開国前の寺子屋が、人材で立国する素地を作ったのではないでしょうか。そしてその先には、教育の成果が平等に試される社会構造がありました。いろんな経緯があってこうした構造が崩れ、市民も官も教育重視の考え方が揺らいできているのではないでしょうか。個人や国の将来に確かな希望が持てなくなっている今こそ、市民・官、教師も教育重視に戻るべきでないでしょうか。大学教員にとってゼミナールや研究室活動こそ、やり甲斐のある教育活動であり、これに注力してより良き人材を輩出したいと思っています。そして社会もそうした活動を公平に評価していただきたいと思います。このような良き循環が、明日をリードする優秀な人材を輩出することになると考えます。
なお、筆者の大学教育の経験は、資料に記述しました。情報システム学会の会員、学生会員の皆様から宛先をご一報いただければ、郵送させていただきます。
参考ウェブページ
経済産業省
「企業の求める人材像調査の結果について」
http://www.meti.go.jp/press/20070312001/jinzaizou-press-release.pdf