儒学の一派である陽明学は、わが国で独特の存在感をもっています。
若くして王陽明の研究が注目された安岡正篤氏は、終戦の詔勅の添削をしたことで有名です。また歴代首相の指南役を務めていたとも言われています。産業界でも安岡氏を師と仰ぐ人は多く、没後出版された遺稿集では巻頭の辞を当時東電会長の平岩外四氏が、跋文(あとがき)を住友生命・新井会長が書いています。
大蔵省主計局主査などを経て学界に転じ、現在、京大経営管理大学院院長を務めている高名な経済学者・吉田和男氏は、陽明学に傾倒、その思想を現代に生かすことをめざし、洛北の地に私塾「桜下塾」を開設、サラリーマン、自営業者、主婦などさまざまな社会人を集め王陽明の著作の輪読などを行なっています。
歴史的には江戸時代の学者として中江藤樹、熊沢蕃山、大塩平八郎などが著名ですが、陽明学は特に幕末、吉田松陰、高杉晋作、河井継之助、西郷隆盛などに影響を与え、明治維新の原動力になったとさえ言われています。また、備中松山藩の山田方谷は、10万両の借財をわずか8年で10万両の蓄財に変えるという、見事な藩の財政改革を行なった学者として知られています。
このようにある意味、その時代の大問題に取り組み、歴史にインパクトを与えてきたと見なせる陽明学ですが、その思考の特質を、情報システム学の中でどのように位置づけたらよいのでしょうか。
陽明学は、中国で明の時代、正統学派であった朱子学に対するアンチテーゼとして提唱されたものです。
それに先立つ南宋の時代、何世代にもわたる学者の努力の結晶を集大成して、膨大な哲学的原理からなる新儒学の体系が朱熹によって確立されました。それが朱子学です。
中国思想史が専門の三浦国雄氏によると、朱熹がその基本原理によって説明を与えた領域は、今日の学問分野に直すと、次のように広範囲に及んでいます(平凡社「世界大百科事典」参照)。
(1) 存在論 (宇宙論)、(2) 自然学、(3) 倫理学、(4) 人間観、(5) 心理学、(6) 認識論、(7) 宗教哲学、(8) 歴史哲学、(9) 文学論。
まさに、情報システム学の参照領域をほうふつとさせるような対象領域の広さです。
朱子学では、万物の根源を「理」と「気」から成るものとして把握します。「気」は、もともと宇宙に充満するガス状のエーテルのようなものですが、これの運動や凝結などによって万物ができ上がっていきます。「理」は、万物に内在する秩序や原理、法則です。「理」と「気」、すなわち法則と物質は互いに必要なもので、例えば家はレンガという「気」でつくられねばならないが、そのレンガは計画という「理」によって積み重ねられねばならないとして、米国の中国学者J・K・フェアバンク氏は、朱子学の思想体系をプラトンの体系と同じようなものと述べています(東京大学出版会「中国」上巻)。
また、この万物の「理」を追求することを「究理」と言っているのですが、吉田和男氏は、これをデカルト以来の近代哲学と同じ構造を持っていて、学問として要素還元主義的なパラダイムであるとしています(麗澤大学出版会「現代に甦る陽明学」)。プラトンといい、デカルトといい、朱子学は理論知の特質を色濃くもった体系であることが分かります。
ここで哲学者の今道友信先生から教えを受けたinformation → incarnationのプロセス、すなわち現実世界を認識して改善のための思考を巡らし、その結果を再び現実世界に実装していくプロセスを、朱子学ではどのように説明しているのか見ていくことにします。
このプロセスは、格物→致知→誠意→正心→修身と表すことができます。修身の後は、斉家→治国→平天下と続きます。つまり、身を修めた後は、一族相和し、国を治め、最終的には中国全体を平和で豊かな社会にしていくのに貢献しようというのです。
その最初のプロセスが、格物です。「物(の理)にいたる」と読み、事物に本来そなわる理に、窮め至ることです(広辞苑による)。格物致知とは、自己とあらゆる事物に内在する個別の理を窮め、究極的に宇宙普遍の理に達することを言います。まさに、プラトンのアプローチです。そのようにすれば意が誠になり、心が正しくなって身が修まる、すなわち人格が高くなり社会に貢献できる人間になれると言うのです。
朱子学では、心は「理」であり善である「性」(本性)(したがって性善説)と、「気」である「情」(感情など)から成り立っているとしています。「性」は善なのだけれど、「気」によって乱されることがあるので、心が不善になることもあります。これを正すのが、格物致知や内省であり、それによって意を誠にします。
これに対して、「心の中にすべての「理」が存在する」、「心こそ「理」そのものであり、実践プロセスの源である」と唱えたのが王陽明です。朱子学が唯物論的な考え方であるのに対して、唯心論的な考え方です。もともと朱熹と同時代の人、陸象山が朱熹に反論して「心即理説」を主張していたのですが、王陽明がそれを復権させたのです。陽明学では、心で誠意を求めれば致知はおのずから達成されるとして、正心→誠意→致知という、朱子学とちょうど反対方向のプロセスが提示されています。
心を中心に考えると、格物の意味が朱子学と異なってきます。朱子学では格物を「物(の理)にいたる」と読んだのに対して、陽明学では「物(事)をただす」と読み、心の良知を発揮することによって事柄のあり方をただすことと解しました(広辞苑)。朱子学でinformationだったものが、陽明学では「心」から出発する incarnationになっています。
良知とは、孟子による言葉で、人間が生まれながらもっている判断力です。王陽明は良知の概念を、心の本体である「理」の発出であり、万人に与えられている本来完全な自己実現能力という意味にまで拡張しました。陽明学では格物致知が、「自己の良知を十分に発揮(致良知)し、それによって物事に正しく処する(格物)ことを目指す」という意味になります。良知を物事の上に正しく発揮することによって道理が実践的に成立するとしたのです(広辞苑)。
「知行合一」は、企業の中で、「考えたり話したりするだけでなく、実行することが大事だ」「言行を一致させよ」という趣旨で訓示などによく使われますが、王陽明がこの言葉に込めた意味は、それとは大きく異なります。
「知」は、認識information であり、「行」は、実行 incarnationですが、朱子学では格物致知、すなわち広く知を致し事物の理を究めてこそ実践が可能、つまり認識が先、実行が後と考えていました。それに対して王陽明は、致知の知を良知であるとみなし、知は行のもと、行は知の発現であるとして、知と行を同時一源のものととらえました(広辞苑)。つまり、心と現実世界が直結していて、両者の間でincarnation とともにinformation もコンカレントに行なわれると考えたのです。
王陽明はまた、万物一体論という一種の理想論を唱えました。万物がすべて「気」によって構成されていることが論理的根拠とされていますが、万物への愛に覚醒し万物の本質すなわち「理」が現実化することを求めます。人間社会に即していえば、個々の人が人格的に自立して他者に愛を及ぼし、大同社会を実現することを求めます(吉田公平「世界大百科事典」)。
このように陽明学は、朱子学に対するアンチテーゼとして提唱されたものです。中国学者のフェアバンク氏によると、先にものべたように、朱子学の思想体系はプラトンの体系と共通性をもっています。ギリシャ時代、プラトンに対してアンチテーゼを提示したのはイソクラテスです。同じような思想に対する2つのアンチテーゼとして、陽明学とイソクラテスの考え方にはどのような共通性やちがいがあるのでしょうか。
昨年7月号のメルマガで述べたように、イソクラテスは、言葉を練磨し育成することこそ人間が最も人間らしくなる方途であると考え、レトリックに熟達することにより、実生活の多くの場合において健全な判断をし、最善のものに到達できる、そのような人になることをめざしました。「実生活の多くの場合において健全な判断をし、最善のものに到達」することこそ、実践を重んじたイソクラテスがフロネーシス(実践知・賢慮)として考えた内容です。
ここで、健全な判断をする力(イソクラテスによるとドクサ)は、孟子由来の良知に相当するのではないかと考えられます。王陽明が拡張した良知の概念、あるいは知行合一の考え方は、実践知フロネーシスに対応します。フロネーシスは社会の成員全体の期待実現最適化をめざすものですが、王陽明の万物一体論と共通性があります。
このように共通の目標や基盤はありますが、陽明学とイソクラテスではinformationとincarnationのプロセスが、かなり異なっています。
陽明学では、心と現実世界が直結していて、incarnation と同時にinformationが行なわれています。一方、イソクラテスの場合は、まずドクサと言語世界との間でincarnation とinformationが行なわれ、次に言語世界と現実世界の間で再びそれが繰り返されるというように、「心」と現実世界が言語技術を通じて結び合わされています。
その関係は、欧米で確立された技術者倫理の体系を見るとよく分かります。技術者倫理の根拠は、個人の意識レベルのモラルにあります。モラルを言語世界に写像したものが規範であり、規範に強制力をもたせたものが法です。一方、モラルは万人が共通にもっていると想定されています(性善説に立脚しています)。それがコモンセンスです。万人に適用されるという意味で、法はコモンセンスの言語世界への写像とも考えられます。モラルやコモンセンスは良知の概念によく符合していますが、現実世界との対応は直結ではなく、規範や法など厳密に言語世界を通じて行なわれています。
良知の中に言語世界があれば、イソクラテスの場合と同等のプロセスが成り立ちます。しかし、生まれながらに十分な言語技術は持ちようがありません。その上、知と行を同時一源的に進めていく中で鍛えられるのは主として直観力です。もちろん直観力自体は重要ですが、知行合一のプロセスの中で言語技術のレベルアップは容易ではないと考えられます。
以上の問題を、昨年8月のメルマガで述べたオギュスタン・ベルク氏の「露点」の観点で整理してみます。
人間は、まわりの世界をまず感覚でとらえ、次にそれを分析して概念化していくのですが、そのどこかの段階で内容を言語に結晶(コード化)させます。そのタイミングを、気温が下がったとき水滴が生じる温度になぞらえ、露点と名づけています。ベルク氏によれば日本語は露点が高く(したがって感覚に近い概念がコード化されているが、それ以上概念化が進んでいない)、多くの欧米語は露点が低いとみなされています。
露点の概念はもちろんinformationのプロセスの中に位置づけられているものですが、ここでその概念を拡張して、露点をincarnationの出発点として考えてみます。
わが国の場合、概念から現実世界までの距離が短く、よい意味でも悪い意味でも「思い」が行動に直結しやすいことが分かります。それに比較して欧米の場合、概念から現実世界まで距離が長く、その間にさまざまな露点のレベルの概念(言語・情報)が含まれる可能性があります。その結果、多種の選択肢の中から多様な評価基準で施策を選びながらその実現を図っていく余地が大きいと思われます。
思いが行動に直結しやすいということに関して、矢吹邦彦著「炎の陽明学」(山田方谷伝)に次のような記述があります。
「江戸時代を通して、朱子学を学んだ日本の儒学者の多くが見せる一つの反応がある。宇宙の原理である「理」からいっさいを説きあかし、理が気を通じて万象を成立させている、とする首尾一貫した朱子の理論体系に対する反発である。理はあまりに抽象的であり、朱子の思想体系は観念的でありすぎて、実際の役に立たない。(中略)重要なのは現実的な行為であり、その行為を支える規範である。空理空論は日本人が最も嫌悪するところであり、論理的であるよりも直観的、心情的、かつ現実的、実利的をよしとする。」
つまり日本人は、プラトン的な理論知を忌避する傾向があったというのです。だからといって、イソクラテスに向かうわけではありませんでした。
その結果、山田方谷をはじめ多くの知識人が陽明学に走ったのですが、同書には、「大塩平八郎、吉田松陰、河井継之助、西郷隆盛と、陽明学の信奉者はことごとく壮絶な最期をとげている。(中略)経世済民に走った陽明学徒の人生は、きまって悲惨であり不遇であった」という記事があります。もちろん、「王陽明を誤って理解した作家、三島由紀夫」は、冒頭から紹介されています。この本では、「ただ一人例外」を山田方谷としています。
一方では例えば大塩平八郎について、「大塩の考えが陽明学者になってから変わったのではなく、そういう考え方をする人だったから陽明学に惹かれたのである。そして、これもまた、陽明学者の多くにあてはまることである」という見方があります(小島毅「近代日本の陽明学」)。
私たち一人一人の考え方や情報処理の進め方は、所属する社会の文化の影響を色濃く受けています。その意味で、わが国の文化を形成しているさまざまな思想のinformationと incarnationの特質を明らかにしていくことは、ステークホルダーの思考様式を理解し、優れた情報システムをつくっていく上できわめて重要と思われます。
この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。