情報システム学会 メールマガジン 2008.10.25 No.03-07 [8]

連載 プロマネの現場から
第7回 リスクマインドを高める法

蒼海憲治(大手SI企業・金融系プロジェクトマネージャ)

 企業の屋台骨を揺るがすような社会的な事件が相次いでいることを見るたびに、プロジェクトにおいても失敗を回避するためのリスク・マネジメントの必要性を改めて思います。そして、リスクをいかにして回避するか、また、リスクをミニマム化するかを考えます。しかし、その一方で、「リスクのないプロジェクトには価値がない」ともいわれるように、リスクを積極的に取り、そのリスクを適切にコントロールするためにも、リスク・マネジメントが重要になっています。

 プロジェクト・マネジメントにおいては、PMBOKにおける9つの知識エリアの1つとして、リスク・マネジメントが位置づけられています。プロジェクト開始にあたって、「リスク・マネジメント計画」を策定し、その計画にしたがって、「リスク識別」をし、「定性的リスク分析」「定量的リスク分析」を行った上で、優先度の高いリスクに対して「リスク対応計画」を策定し、対応・実施します。プロジェクトの全プロセスにおいて把握されるリスク情報は「リスク管理簿」に一元的に集約・管理されます。そして、「リスクの監視のコントロール」において、リスク・マネジメント計画から対応実施までのプロセスが適切に回っているかを確認し、必要があれば是正措置をとります。

 このリスク・マネジメントのプロセスを構築することは必要なことですが、他のマネジメント領域と同様に、トップダウンの指揮・命令だけでは上手く機能しません。上手く機能させるためには、プロジェクト・メンバー一人一人のリスクマインドを向上させ、把握したリスクを情報共有できる組織風土をつくる必要があります。

 プロジェクト・メンバーのリスクマインドの向上を考える上で、一番重要な鍵は「当事者意識」にある、と思っています。この「当事者意識」を考えるにあたって、社会心理学における実験、ダーリーとラタネによる「傍観者問題」に関するテーマで行った一連の実験が非常に興味深く示唆されるところが多いため、紹介します。

 この実験に先立つ、1964年3月13日午前3時、ニューヨークで28歳の女性が自宅前で暴漢に襲われ殺害されるという「キティ・ジェノヴィーズ事件」が発生します。この事件が衝撃的だったのは、住宅街の真ん中での惨劇に対して、女性の叫び声を聞いた38名の人々が自宅から事件を目撃していたにもかかわらず、誰一人、警察に通報せず、また助けにも出なかったということでした。当時の世論は当初、この38名を告発するという論調だったようですが、ダーリーとラタネの二人は、「多くの人が気づいたからこそ、誰も行動を起こさなかったのではないか」と考え、実験を行いました。
 大きく2つの実験がニューヨーク大学の学生を対象になされたのですが、1つ目の実験では、学生生活への適応調査が目的だとして、複数の学生がそれぞれマイクだけがある個室に入れられます。このマイクを通して、学生が順番に学生生活の問題点をスピーチするのですが、途中で、一人の学生がてんかんの持病があると言った後、てんかん発作が始まります。発作の様子は、スピーカーを通じて6分間続くという設定でした。学生の人数を変えて実験をした結果、被験者一人しか聞いていない時には85%の確率で、学生の救出に向かうにもかかわらず、自分の他に4名の学生がいる場合、行動を起こしたのは31%のみでした。
 2つ目の実験は、換気口のある部屋に偽学生を複数人用意し、そこに被験者の学生を加えます。彼らに学生生活に対するアンケートを書かせている最中に、換気口から目に見える煙を流し出し、部屋は人の顔がかすみセキが出るほどになります。偽学生は落ち着いてアンケートを書き続けます。煙が出始めた後、被験者一人のみのときは75%が通報するにもかかわらず、グループでいる時は38%しか行動を起こしませんでした。

 この2つの実験を通してわかることは、人は誰でも「冷淡な傍観者」になる可能性があること。そして、その理由は、
「責任の分散」・・「私がやらなくても誰かがやるだろう」
「評価懸念」・・「自分だけの早とちり?」「自分だけが行動して何でもなかった時に恥をかくことを気にする」
「多数の無知」・・「他の人も行動しないのだから必要ないのでは?」
という3つにある、と評されています。

 また、この実験結果の恐ろしいところは、人はたとえ自分が被害者となっていても、その時点では、その事実に気がつかないことがあるという点だと思います。

 プロジェクトにおいても、納期遅延や品質問題を生じてバーストする過程で同様なことが起こっています。プロジェクトのQCDを揺るがす事件が、多数のプロジェクト・メンバーの目の前で起こっているにもかかわらず、「そんなに大切なことなら誰かが何かをするはずだ」という「冷淡な傍観者」としての判断の積み重ねがバーストを招いていることも一因にあると思います。

 こうした事態を防ぐにはどうすればよいか。実験を通した教訓として、ダーリーとラタネの処方箋はこうでした。
 1.人を救いたいならば、まず危険を察知すべし
 2.それは助けが必要な出来事なのだと考えるべし
 3.自分には責任があると考えるべし
 4.取るべき行動を決めるべし
 5.そして行動に移すべし

 「煙の実験」のフィルムを見て、このステップを学んだ学生は、学ばなかった学生より、人を助ける確率が高まるという結果が出たように、リスクマインドを高めるためには、まずこういう事実があることを認識し、「当事者意識」を持つことの大切さから始めるべきでは、と考えます。
 また、組織の側からは、「評価懸念」という壁、言いだしっぺが損をするという壁を破ること。他のメンバーに「協力すると損」という価値観から「協力しないと損」という信頼ベース・正直ベースの文化へ転換を図ることが必要になります。
 「問題はあること自体が問題ではなく、解決されていっていないことが問題」であると捉え、リスクを早期に発見すること、発見するしくみを作ること、発見したらすぐに解決にとりかかる組織風土を作ること、そして、再発しないしかけを考え、作ることが、マネージャ層の役割になります。

 こうした、個人面、組織面の両方が上手く機能することにより、リスクマインドを高めることによって、リスク・マネジメントのプロセスが十分に機能しはじめます。

(参考文献)ローレン・スレイター「心は実験できるか 20世紀心理学実験物語」