情報システム学会 メールマガジン 2008.7.25 No.03-04 [6]

連載 情報システムの本質に迫る
第14回 21世紀のフロネーシス:情報システム学

芳賀 正憲

 設立総会のご講演以来、今道先生は私たちに、身体のケアだけでなく精神のケアをしているかと問いかけられています。精神のケアのための徳目として今道先生は、「正義」、「賢慮」(フロネーシス)、「勇気」、「節制」の4つを挙げられました。ここでフロネーシスは実践知とも訳されていますが、今道先生はこれを「中庸を守ること」と説明されています。この説明だけでは少し分かりにくいところがあるので、賢慮は「ステークホルダすべての期待実現最適化を図るプロジェクトマネージャの判断力を、社会全体を対象に拡張した能力」と言えるのではないかという解釈案を、このメルマガ今年1月30日号で示しました(「今道先生から学ぶこと」)。
   → http://www.issj.net/mm/mm0210/mm0210-3.html
 上の解釈案でフロネーシスは、すでにプロジェクト管理の中心概念として適用されていると見ることもできます。それにとどまらず、現在、経営ビジネスや教育の現場で、このフロネーシスを最適な判断と実行の核にする動きが活発に進められています。

 例えば、専門職大学院に教養教育は必要かという問題意識がありましたが、京都大学に置かれた専門職大学院のひとつである公共政策大学院では、これを「必要である」と肯定した上で、教養的な色彩の濃い学問についても教授することを、理念として謳いました。
 このとき、大学での教養教育はすでに受けていることを前提にして、専門職大学院では実務家として社会で仕事を遂行していく上で必要な基本的心構え、共通に知っておくべき困難を考察することを主眼としました。
 第1に取り上げたのが、専門家が共通に犯しうる危険性、すなわち理論を杓子定規に適用して生きた現実を見失うという問題です。担当の同大学院連携研究部長・教育部長の小野紀明教授は、アリストテレスの「実践」を中心にこの問題を考察することにしました。
 「理論知が常に普遍性を目指しているのに対して、実践知は普遍性に包摂しきれない個別的なものを尊重する」「(一般的な)法を無視してまで個別的な事柄について考慮して、当事者の利益を救済しようとする「慎慮」(フロネーシス)を備えた政治家こそが、「衡平」を実現できる」というアリストテレスの考え方が背景としてあります。
 この発想は、第2のテーマ、すなわち公的秩序維持のためには厳格に法を適用しなければならないという責任倫理の考え方と矛盾します。これを克服する道もまたアリストテレスに求めました。常識(専門的な知識を疑う健全な判断力)に従うことと人柄(普遍的なものを認識する知性と個々の人間に寄せる愛情との調和)を陶冶することの重要性です。ここで常識と人柄は、さらに高次のフロネーシスと言えるでしょう。
 アリストテレスは、常識も人柄も、集団の中で他者と共同生活を送ることを通して共有され涵養されると主張しています。そこで同大学院でも、学生の自主的勉強会を奨励し、勉学以外でも学生が相互接触する場を多数設け、他者理解や、話し合いの中で他者と共通のルールを作っていくことの重要性を自然に学ぶことのできるようにしています。(小野紀明「専門職大学院における教養教育」学士会会報2008年3月)

 東大大学院情報学環の伊東乾准教授は、2000年から教養学部で、全学必修・文理共通「情報処理」の講義と演習を担当していますが、従来の情報教育がハードウェアやソフトウェアの原理や使い方は教えても、利用者側の問題、特に高速化する情報環境を使いこなす反射神経トレーニングに手が着けられていないことに問題意識をもち、自らが幼少の頃から受けた音楽教育の体験、最新の脳認知科学の知見、それに小宮山工学部長(現総長)のアドバイスなどをもとに、画期的とも言える情報教育コースをつくり上げました。
 物理学科で修士課程までともに学んだ友人が、地下鉄サリンの実行犯として逮捕され、死刑判決を受けたことから、情報教育をマインド・コントロールの予防教育にもしたいと考えたこと、また縦割りになりがちな大学の科目編成の中で、リベラルアーツの全体像を身につけて初めて獲得できる俯瞰的な視座を与えたいと考えたことも目的意識としてありました。このようなクリティカルな高次の目的をもっていたことが、優れたコースづくりに結びついたと考えられます。
 大学でのカリキュラムをもとに、著書としてまとめた「東大式絶対情報学」で、コース内容は次のように配列されています。
 レッスン1 手と目と脳で加速する(タッチタイプ初歩と加速学習の本質)
 レッスン2 手と目と脳でもっと加速する
       (WEB速読初歩とインセンティブの重要性)
 レッスン3 使えない情報を使えるようにする(知識俯瞰とターゲティング)
 レッスン4 1通のメールが明暗を分ける
 レッスン5 マジックナンバー7±2(プレゼンテーションとメディア収録)
       自作問題による卒論型レポート
 レッスン6 まず褒め、次に対案を!(反射的アプリシエーションのテクニック)
 レッスン7 予防公衆情報衛生(ブロードバンドの光と闇)
       破壊的マインド・コントロール予防のための三原則
 レッスン8 ネットワーク・コラボレーション(内発的駆動力あるグループワーク)
 レッスン9 オリジナリティの三つのルーツ
 レッスン10 知識情報の「遺伝子組み換え」(達成度チェックとアクションプラン)

 レッスン内容を見ると、情報教育でありながら身体知が重要視されているのが分かります。伊東氏が子どもの頃、早期教育で受けた音感の反射神経トレーニングの経験が反映されています。
 伊東氏は、作曲・指揮を専門にしていて、東大にも音楽実技教授職として招聘されました。プロの指揮者に求められる重要能力で、どんなテキストにも記載されていないこととして、本番途中で演奏が破たんしかけたとき、反射的に状況判断してこれを収拾するスキルがあります。今までの指揮者は、このスキルを、修羅場を経験して身につけてきました。伊東氏はこのコースのトレーニングで、すばやい分析によって収拾を可能にすることを意図しています。日本サッカー協会が、選手の状況判断力を、言語技術教育によって向上させようとしていることを先月号のメルマガで述べましたが、同等の問題意識が存在していることが分かります。
 小宮山教授のアドバイスによる、自作問題による卒論型レポートの作成は、約半年かけて進めていきます。その間、着想アイディア、研究計画の、グループ内プレゼンテーションとアプリシエーション(評価)を高密度で繰り返します。プレゼンテーションは、互いにビデオで撮影しあい、プレゼンテーションの仕方、撮影の仕方、ともに評価・反省の材料とします。これらを通じて、情報機器の活用方法を学ぶとともに、「まったく知らない分野のどんなプレゼンテーションを聴いても、直ちにポイントを押さえた質問やコメントができる」「会議で、決められた時間に皆の意見をまとめ、新しいアイディアにもとづく具体的なアクションプランがまとめられる」ような、集団内における知的反射神経を鍛えていきます。
 最新の脳認知科学は、ヒトの「情動」が「悟性」に先立って行為と意思を決定する生理的事実を明らかにしました。マインド・コントロールは、メディアなど様々な手段でこの情動に働きかけ、悟性では考えられない戦争やテロなどの凶行に人々を駆り立てます。これを防ぐ方法は、知的反射神経を鍛え、客観的な目で自分を制御できるようにすることです。オウムに友人を奪われた伊東氏は、これらの事実を必修教育としてすべての学生に伝えることを責務と考え、情報コースの中でマインド・コントロールの予防教育を続けています。
 卒論型レポート作成の優秀者には、黒川賞が与えられ、黒川清・元学術会議会長を囲むゼミナールへの参加機会が与えられます。このゼミで黒川氏から「近代以後、日本の教育制度にはフロネーシスが欠如している」という指摘がありました。この指摘を聴いて、伊東氏には、友人をオウムの魔手から守れなかった教育のアンバランスの所在が一挙に判明しました。それとともに、フロネーシスの概念についてさらに調べ、自作問題による卒論型レポート作成のプロセス全体が、フロネーシス涵養の目的に合致していることを確認しました。(伊東乾「東大式絶対情報学」講談社および伊東乾「ミューズの学とフロネーシス」学士会会報2007年7月を参照)

 経営ビジネスの現場において、卓越性を生み出す中核の概念としてフロネーシスを位置づけたのが、一橋大学大学院名誉教授の野中郁次郎氏です。野中氏は、チャーチルなど、軍事的な戦略でリーダシップを発揮した人たちの実際の行動を分析して、フロネーシスのコンセプトに至りました。
 野中氏によると、フロネーシスの概念は、ほとんどこれまで無視されてきたそうです。全体が理論知に過度に傾き過ぎていたにもかかわらず、そのような現実からのフィードバックが、哲学の世界でとられなかった可能性があります。そうだとすると、初等・中等・高等教育および社会人教育で、世界に先駆けてフロネーシスの涵養に努めることにより、近年とみに低下しがちなわが国の国際レベルを復活させられる可能性があります。
 野中氏は、例えば競争要因を分析して最適な市場ポジショニングを求め、不完全競争状態を意図的につくって利潤の最大化を図る米国由来の戦略論ではなく、ビジョン、駆動目標、対話、実践、場、知識資産、環境を構成要素とし、その中でSECIモデルをまわして知識創造を進めていくイノベーション型の企業の実現をめざしています。そのリーダのもつべき実践知がフロネーシスです。フロネーシスを体現したリーダとして、野中氏は、本田宗一郎氏、御手洗富士夫氏、鈴木敏文氏などを挙げています。
 フロネーシス型リーダシップを構成する能力要素は、野中氏によると次の6つです。
(1)卓越した「善い」目的をつくる能力
(2)他者と文脈/コンテクストを共有して場を醸成する能力
(3)個別の本質を洞察する能力
(4)個別具体と普遍を往還/相互変換する能力
(5)その都度の状況の中で、矛盾を止揚しつつ実現する能力
(6)賢慮(フロネーシス)を育成する能力
(野中郁次郎「フロネシスとしての戦略」本田財団レポートNo.119、野中郁次郎・紺野登「美徳の経営」NTT出版などによる)

 野中氏の説明では、フロネーシスは暗黙知とされています。しかしSECIモデルで発展する知識と同様に、実践知も暗黙知と形式知の往還の中にあると見てよいのではないでしょうか。また、多くの人がアリストテレスを踏襲して、理論知と実践知を対照的に位置づけています。しかし、人間の能力として、実践の中で理論を駆使することもあるのですから、実践知は理論知を内包すると考えた方が現実的ではないでしょうか。
 アリストテレスがあまりにも偉大な足跡を残したため、フロネーシスを語るほとんどの人がアリストテレスを参照します。しかし先月号のメルマガで述べたように、アリストテレス以前にプラトンとイソクラテスの間で哲学の理念に関して論争がありました。
 プラトンが進めたのは、真理のための理論的探究であり、対象に対する体系的・方法的探究で、厳密な数理知識を求めました。これは理論知の確立をめざしていたと考えられます。それに対してイソクラテスは、言葉を練磨し育成することこそ人間が最も人間らしくなる方途であると考え、レトリックに熟達することにより、実生活の多くの場合において健全な判断をし、最善のものに到達できる、そのような人になることをめざしました。
 「実生活の多くの場合において健全な判断をし、最善のものに到達」することこそ、実践を重んじたイソクラテスがフロネーシスとして考えた内容です。レトリックを通じて後世の中等・高等教育に大きな影響を与えたイソクラテスの業績にも、私たちはもっと注目してよいように思われます。

 今回、専門職大学院、情報教育、経営ビジネスの各分野でフロネーシスの概念が展開されている様子を見てきましたが、フロネーシスはもともと、レトリック(言語技術)に熟達することにより涵養されると考えられていたものでした。今日、「言語」は「情報」に置き換えることが可能です。その意味では、情報システム学の確立こそ21世紀におけるフロネーシス実現の道筋であると言えます。フロネーシスを一つの理念として、学会活動を進めていくことが考えられます。

追記:今道友信著「アリストテレス」を読んでいて、今道先生が出隆教授に提出した学部時代の学位論文が「アリストテレスの哲学について―プロネーシスについての哲学的研究―」であることが分かりました。フロネーシスについて、先生の今日のお考えを是非お聴きしたいと思いました。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。皆様からもご意見を頂ければ幸いです。