情報システム学会 メールマガジン 2008.5.25 No.03-02 [8]

連載 情報システムの本質に迫る
第12回 流れゆく大根の葉の早さ

芳賀 正憲

 システムの定義は、通常「複数の要素が有機的に関係しあい・・・」と書かれています(例えば広辞苑)。この場合、要素は複数であればよいのですから、2つでもシステムということになります。たしかにそのような見方もあるでしょう。これに対して、要素の数がずっと大きくなった場合をシステムと呼ぶという考え方があります。東京大学の廣瀬通孝教授は、「大体10とかそれ以上の要素からなるものがシステムとよばれているよう」だと述べています(岩波書店「現代工学の基礎」設計系IV)。
 この10という数字は、意味深長です。というのは、要素(部品)の数は、一般に自転車・オートバイで10〜10、自動車で10、旅客機で10のオーダーです。すぐ気がつくことは、わが国では自転車・オートバイ・自動車は、国際的に群を抜いて優れたものができるのに、旅客機はこの半世紀、わずかに座席数64の双発プロペラ機1機種をつくることができたのみだったことです。つくる能力はあった、売る能力がなかったのだという人もいますが、売れるものができて初めてつくる能力があるとみなすべきでしょう。10という基準値から考えると、わが国はシステム思考ができないのではないかと懸念されます。
 この懸念は、以前から広く知られている次のジョークとも関連しています。世界で一番強い軍隊をつくるには、将軍を米国人、将校をドイツ人、兵を日本人にすればよいというものです。将軍・将校は、時間的・空間的に多くの要素を考慮して判断しなければならず、システム思考を必要とするため、欧米人が適任である、日本人は戦略・戦術をつくるのは不得意であるが、指示が与えられれば威力を発揮するので兵に適している、という一般的評価が表われています。
 欧米人も日本人も、生物としての脳の特質、例えば一次記憶装置が7±2であるとか、認知能力の限界など共通のはずです。それにもかかわらず10以上の要素の取り扱いに差が生じているのは、何かソフトウェアにちがいがあるのでしょうか。

 思い当たるのは、哲学の歴史です。すでにこの連載の6で述べたことですが、ものごとの原理探求の始祖となったのが、紀元前6世紀頃のミレトスの人、ターレスです。彼は、水をもって万物の原理としました。すべての自然現象が水の自己展開で説明できると考えたのです。
 ターレスの行なったのは、今日では還元と呼ばれている思考のプロセスですが、端的に言えば単純化です。要素の数が10をはるかに超えるであろう複雑な自然の全体を、水という単純なもので説明し理解することで、思考の節約をしているのです。これは、認知能力に限界のある人間が、大きく複雑な自然全体を、小さな頭脳に効率よく収めるための生活の知恵とも言うべきものでしょう。
 「哲学」は、帰納や演繹と同様、日常の言語感覚では分かりにくい翻訳語です。しかし帰納や演繹が、IH炊飯器や扶養控除と意味的に共通な部分をもっているのと同様、フィロソフィーも、英語ではlove of knowledgeあるいはlove of wisdom、日本語なら愛知とか知恵の希求と解されるやさしい言葉です。哲学というむずかしい翻訳語にしたことが多くの人を疎外し、本来の、思考を節約する生活の知恵としての意味を見失わせてしまったのではないでしょうか。

 プラトンの時代になると、さらに洗練された考え方で世界を整理できるようになりました。自然の事物に対してイデアを想定する考え方です。イデアとは、「見られた形(形相)」という意味ですが、最も優れた神々が自然の事物を創造するときに原型にする設計図のようなものです(今道友信先生)。設計図が1つあれば、そこから多くのものをつくり出すことができます。イデア(形相)は、質料(材料)に形を与えて事物を成立させる構成原理であるとも言えます。
 理想主義者のプラトンは、イデアこそ本質的な実体で、現実世界はイデアの影のようなものだと考えましたが、現実主義者のアリストテレスは、個別の事物こそ本来の意味の実体で、形相は、事物に内在する設計原理と考えました。
 形相と質料の考え方は、今日、産業界にもよく活かされています。東京大学の藤本隆宏教授によると「ものづくりは、媒体に対する設計情報の転写」です。この考え方はサービス業にも同様に適用できるとしています。また、日立製作所のシステム技術者だった片岡雅憲氏は「型モデル(論理モデル)は形モデル(物理モデル)の中にはめ込まれる」と言っています。
 現行物理→現行論理→将来論理→将来物理と、各モデルの開発を進めていく構造化分析技法も、形相・質料の2段階の考え方にもとづくものです。創始者のデマルコは、論理モデルについて十分説明しなかったのですが、それが本質モデルであることをマクメナミンとパルマーが明らかにしました。
 Informationの概念を生み出したことは、形相・質料の考え方の、今日につながる最高の精華と言えるでしょう。Forma(形相/イデア)の中に入れる、概念化・抽象化するというのがinformationの本来の意味です(今道先生)。
 イデアと個物の関係が、事物の本質をとらえる「概念」という画期的な考え方を生み出しました。概念は、名前と内包(属性・機能を定義する)と外延(適用事例)から成り立ちます。概念は、一般的には適用事例に共通の属性・機能を抽象して形成されます。
 情報社会になって概念の考え方は、オブジェクト指向として知られるようになりました。名前がクラス、内包は属性・メソッド、外延がオブジェクトあるいはインスタンスに相当します。
 情報社会になって欧米から移入され、わが国を席巻している多くの製品や知識体系が、概念の考え方で開発されています。
 世の中の職場では、経理や営業や設計など、さまざまな業務が行なわれていますが、コンピュータのソフトとしてどのような業務においても必要な機能を抽象してWindowsなどの基本ソフトがつくられています。また、産業界には電機、機械、化学など多くの業種がありますが、どのような業種でも企業として必要な機能を抽象してSAPのようなパッケージが開発されています。今日プロジェクトの種類は多く、土木、建築、造船、石油の発掘、コンピュータシステムの開発など枚挙に暇がありません。このとき、どのような種類のプロジェクトであってもマネジメントプロセスとして必要なタスクを抽象して、PMBOK(Project Management Body of Knowledge)のような知識体系が整理されています。

 科学の法則は、一般に短い言葉で、世界のある側面を説明しています。例えば、ニュートンの第二法則は、数式ならF=mα 、文章で表わしても「(物体に生じる)加速度は、(加えられた)力に比例し、(物体の)質量に反比例する」というように、多くの文字数は要しません。しかしこの法則で、石ころでもロケットでも天体でも、あらゆる物体の運動を説明することができます。科学の法則は歴史的には主として欧米で見出されてきていて、わが国の場合、江戸時代が終わるまで、まったくといってよいほど発見はありませんでした。
 短い言葉で世界を切り取って描こうとしているものに、わが国特有の文化、俳句があります。俳句は、戦後一時、第二芸術などと批判されたこともありましたが、勢いは衰えず、今日でも俳句人口、数100万といわれるブームになっています。
 それでは、同じく短い言葉で世界の側面を描こうとしていても、科学の法則と俳句にどのようなちがいがあるのでしょうか。俳句の世界で長らく主流をなしてきた子規・虚子の系統では、写生を旨とすべきことが強調されていました。すなわち今道先生の言われるrepresentationです。「流れゆく大根の葉の早さかな」(虚子)など、非常に有名です。一方、科学の法則では概念化が行なわれていますから、こちらは明らかにinformationです。

 わが国で初等中等教育が始まったのは明治以降ですが、戦後6・3・3制になってからでも60年が経過しました。この間に人類が獲得した自然・人文・社会科学上の知見は、指数関数的に増加して、今や天文学的な量になっていると考えられます。
 初等中等教育12年間の目的が、人類の保有する知見の中で基礎になる部分を修得し社会に出たときに備えるものだとして、また、仮に60年前にはそれが実現できていたとしても、教育の内容が当時から抜本的には変わっていないとしたら、現在人類の保有する莫大な知見に対して、はたして適切に基礎部分を学んでいることになるのか、疑問です。今日の教育の混乱を見ると、むしろ従来どおりの教育内容では、すでに対処不可能な状態になっているのではないかと思われます。
 これからは、膨大かつ複雑な知見のベースを小さな頭脳に効率よく収めるため、初等中等教育においてこそ、生活の知恵としての「哲学的」思考法を学んでいく必要があるのではないでしょうか。

追記:
 3月号のメルマガで、仮説実証法のビジネスへの適用事例として、2001年日経ベンチャーに載った鹿児島県阿久根市の巨大スーパーの成功例を挙げました。このスーパーのその後が、5月17日、NHK総合テレビ「ドキュメントにっぽんの現場」で「千客万来 まちの不夜城〜鹿児島・巨大スーパー〜」として取り上げられました。
 なんと、5千坪の広大な店舗に食品から軽自動車まで33万品目を揃え、過疎化が進む町なのに年間の来客数が600万人を超え、24時間、人の絶えることのない大ショッピングセンターに成長していました。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。