この2年間、情報システム(IS)教育のモデルカリキュラム策定に取り組んできた。それは、高度IT人材育成の一環として、経産省と文科省の支援のもとに行われたJ07プロジェクト(情報処理学会対応)の活動である。このプロジェクトには、ISカリキュラム(J07-ISと呼ぶ)の他にCS(Computer Science)、SE(Software Engineering)、CE(Computer Engineering)、IT(Information Technology)が含まれているが、背景にはCC2001〜CC2005 がある。
J07-ISの基本情報にはBOK(知識体系)とSkills(スキル体系)があり、これを使ってLU(ラーニングユニット)を作成し、LUを用いてモデルコースを形成している。J07-ISでは、CC2002のモデルコースに我が国固有の環境条件を反映して拡張している。さらに、ISに関する5つのモデルカリキュラムも例示として作成している。これらの成果は、2008年3月に文科省報告書としてまとめられ、次のURLで公開された(因みに、ISカリキュラムに関わったメンバーの約半数はISSJ会員であったことを付記しておきたい)。
http://www.ipsj.or.jp/12kyoiku/taikai70sympo/index.html
さて、このカリキュラム策定活動を通して、産官学のいろいろな立場の人たちから多くのコメントをいただき、また学ぶことができた。そこには、当学会に期待される課題も少なくないので、少し取り上げてみたい。
そもそも、大学は情報産業が必要とする人材を送り出していないという、経団連からの提言(2005.6.21)が事の始まりであった。つまり、大卒のスキルと産業界が求める新入社員のスキルにギャップがあるということである。しかし、この根本的な解決は容易ではない。何故ならば、教育に関わる人々の思いはそれぞれであり、しかも多面的だからである。大学の現場でも、産業界の現場でも、「よい教育を」、「よい人材を」という思いは同じであろうが、到達点も、経路も、手段も多様である。
ギャップを埋めるためには、表層的な議論から本質的な問題の解明へと転ずることが重要であろう。それは、「どのような知識をどのレベルまで、どのように達成させるか」を明確にすることであるが、このためにBOKとSkillsとLUを活用するとよい。
教育を取り巻く環境には、我が国独自の歴史的な経緯があるが、国際的な動向の影響も大きい。大学や産業界の人材育成の仕組み、教師や学習者の質の変化などもある。それらを全て包含して、大学と産業界のギャップを埋めるということは、実に大変なことといえるが、産学の議論が対等にできる当学会なら対応できるであろう。
「新しいカリキュラムは望ましいモデルであると思うが、現場の教育に今すぐ反映することは難しい。」という教師の悩みに対して、学会は何を支援できるのであろうか。また、産官から発せられる「嘗て、大学教育に対してコメントを出したが、未だに反映されていないではないか」という声に対しても、何らかの対応ができないであろうか。
新しい教育プログラムの成果がでるのは、最短でも5年間(学部教育4年+準備期間1年)はかかる。しかも、教育デザインは教育環境に依存するため、モデルカリキュラムをそのまま真似しても、適切な教育を実施することは不可能であろう。また、IS教育のように、広い対象から独自のコースを設計する必要がある場合には、それぞれの大学の理念や教育目的、達成目標に適合させることが教育組織の使命であろう。
しかし、教育の改善はカリキュラムだけではない。担当している教科を継続的に改善することは教師個々人の責務である。学習者に対してスキルを保証するのも教師である。これらの活動にもLUを活用できる。LUには教える視点があり、これを選択することによって科目を編成できる。また、カリキュラムと科目はLUで紐付けられているため、卒業生の能力を詳細に明示的に示すことができるからである。
そもそもLUはIS'97というカリキュラムで導入され、今日に継承されている概念である(上記URL参照)が、教育改善にLUをどう導入するかについては別の機会に記したいと思う。ここでは、教育設計にも授業改善にもLUが有効であることを、プロジェクトメンバーが活動の中で実感したことのみを伝えておきたい。
実践的側面が重視されるIS教育では、極めて属人性が高いといわれている。その背景には、ISの視点で展開されている教科書が少ないことと、教材が限られていることを挙げることができる。実際、モデルカリキュラムの策定に当って、参考図書を広く調査したが、その少なさに驚いた。書店に溢れているCSの教科書や参考書がそのままIS教育に採用できるわけではない。
何故なら、IS教育では、知識の解説だけではなく、教えるシナリオが重要であるから。IS教育に関わる教師たちを支援するために、IS視点で展開した実事例(失敗事例も含む)やISの歴史的な変遷など、ISを知る上で必要な適切な教科書や参考書を開発することが必要であろう。それを支えることが出来るのは、当学会ではなかろうか。ベンダとユーザの両面から広く深くIS教育を支えていきたいし、関係者が互いに体験を提供し合うことによって、教える幅を広げることができるような場も提供したいものである。
最後にひとこと。「情報システム」は多面的であり、実に多様である。会員の皆様が学会に寄せる思いと期待を重く受け止め、IS教育とIS研究成果の支援を通して、微力ながらお役に立てれば幸いである。