情報システム学会 メールマガジン 2008.1.7 No.02-09 [9]

連載 情報システムの本質に迫る
第7回 Information vs. Incarnation

芳賀 正憲

 鉄鉱石から鉄を取り出すには、さまざまな作業の方法があります。古代には小さな炉で木炭を使って、温度が低いため固体の状態で鉄を取り出していました。中世、高炉が発明され、水力で送風が可能になり、高温で溶けた鉄が作られるようになりましたが、燃料は依然として木炭でした。やがて木炭危機が生じて、燃料は石炭、コークスと変遷しました。今日アラビアでは、天然ガスによる製鉄も行なわれています。
 このように作業のやり方はさまざまですが、実はその根底のプロセスは共通していて、すべて還元であることが200年も前から分かっています。ターレス以来の原理探求の成果と言えますが、表面からは見えない原理の解明がその後、製鉄のプロセスに飛躍的な発展をもたらしました。鉄鉱石から鉄を取り出す化学方程式は、中等教育でも教えられてきています。
 一方システムインテグレーションにおいても、分析・設計・製作などさまざまな作業が行なわれています。プログラミング言語にも、COBOL、C、Javaなど多くの変遷がありました。しかしそれら作業の根底にどのような原理が存在しているのか、解明はどれくらいなされてきたでしょうか。また、それらの原理が中等教育でどれだけ説明されているでしょうか。
 仕事が、作業の観点のみで行なわれ、原理的な究明がなされていないとき、その仕事は労働集約的になります。労働集約的な仕事は、短期間に多くのアウトプットを要求されると、3K、7Kなどと呼ばれる状況に陥りやすくなります。システムインテグレーションの仕事を、工業プロセスに遜色のないレベルで原理的に説明できるようにすることは、今日情報システムに関係する大学の学科と学会の重要な使命と考えられます。このことを抜きにして、産業界が大学に「即戦力」を要求したり、大学の先生が産業界に「私たちは何を教えたらよいのか」と尋ねたりするのは、きわめて次元の低い発想というべきでしょう。

 システムインテグレーションの作業プロセスが、図解したとき、逆V字型とV字型を組み合わせたものになることは、よく知られています。曲率を度外視すると、サインカーブのちょうど1サイクルで、システムインテグレーションの1サイクルが完結することになります。
 ここで逆V字型は、要求分析のプロセスです。典型として、デマルコ提唱の構造化分析が挙げられます。この連載の第4回でも述べましたが、この技法の特徴は、現行の物理モデルから現行の論理モデルを作成、それをもとに新論理モデルを開発するところにあります。新論理モデルをもとに新物理モデルを決定します。
 図解では上方に論理化・抽象化のプロセスをとりますが、デマルコの説明では現行論理から新論理へ横に飛ぶだけですから、台形にしかなりません。このとき、何のためにシステムインテグレーションをするのか現行論理から目的展開をして、新たに目的を設定した上で新論理モデルに機能展開すると、現行論理から新論理への作業を、ナドラーのワークデザインと同等のプロセスで進めることができます。また、目的を頂点とする逆V字型の図で、要求分析の手順全体を表すことが可能になります。
 新物理モデルを決定したあと、さらに物理化・具体化のプロセスを図の下方にとると、基本設計、詳細設計、プログラミングとそれらに対応したテスト工程を、V字型で示すことができます。このことはすでに、システム開発方法論に関する多くの資料で説明されています。
 それでは、逆V字型とV字型を組み合わせた大きく2つの工程で、全体として何を行なっているのでしょうか。
 昨年12月、情報システム学会の講演会で話された今道友信先生の「情報」に関する説明は、まさに「目から鱗が落ちる」(新約聖書)ものでした。先生は、informationの意味をギリシャ・ラテン語にさかのぼって説明されました。informは、formの中に入れるという意味ですが、formに相当するギリシャ語は、見られた形、プラトンによると精神の目で見た形、すなわちイデアです。つまり、イデアという形に観念化されたものが情報なのですが、観念は哲学者が使う厳密な意味では、概念と同義語です。したがって、現実世界を抽象化、概念化したものが情報になります。
 今回の講演でさらに目から鱗だったのは、先生が情報の反対概念をincarnationと説明されたことです。私たちは今まで、それはエントロピーだと思い込んでいました。キリスト教で、神の子が人間として生まれたことがincarnationですが、抽象概念を具体化するという意味があります。
 現実世界の中で私たちの精神活動は、information → incarnationというサイクルをくり返すという形で行なわれているのです。システムインテグレーションでは、新論理モデルをつくるまでがinformation、新物理モデルの決定→設計→製作がincarnationになります(ただし、狭義には実装以降のみをincarnationとする観方もあり得ます)。

 information → incarnationのサイクルによって、基本的な多くの知的活動プロセスが説明可能になります。
 東京大学の中尾政之教授は「失敗は予測できる」(光文社新書)の中で、失敗防止や成功実現のため、思考の昇降運動が必要であると述べています。ある課題に具体的な解が見つからないとき、その課題を抽象化・一般化して本質的な課題を設定します。この過程を「上位概念に昇る」と表現します。本質的な課題に対して、過去の知識や歴史を納めたデータベースから一般解を探します。その一般解を自らの課題に対する具体的な解に展開するのが「下位概念に降りる」過程です。思考の昇降運動は、information → incarnationのプロセスと考えられます。
 一橋大学の野中郁次郎・竹内弘高両教授は、組織的な知識創造モデルとして、人間の知識が暗黙知と形式知の相互作用を通じて創造され拡大されるという前提にもとづき、SECIモデルを提唱しました。SECIとは、共同化、表出化、連結化、内面化の英語の頭文字をとったものですが、表出化と連結化が形式知化、内面化と共同化が暗黙知化のプロセスになっています。この中で形式知化として表出(Externalization)が強調されていたので、偶々少人数のセミナで野中教授の講義を受けたとき、形式知化では論理化・抽象化が大事なのではないかと尋ねたところ、「そのとおりだ」と言われました。したがって、表出化と連結化をinformationのプロセス、内面化と共同化をincarnationのプロセスと見なしてよいと思われます。
 information → incarnationは、私たちの思考とコミュニケーションに関わる最も基本的なプロセスと考えてよいのではないでしょうか。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。