情報システム学会 メールマガジン 2007.9.1 No.02-05 [9]

連載 情報システムの本質に迫る
第3回 桃は 「ドンブリカッシリスッパイポー」 と流れる

芳賀 正憲

 情報システム学を組み立てていくためには,情報とは何か,その基本的な概念が明確になっていることが必要です。前々回述べたように,informationはinformから派生した語であり,informは「心・頭の中に形作る(言葉で表す)」というのが原義です。したがって,情報の実体は言語であると考えるのが妥当と考えられます。
 より一般的には記号(の集合)と言うべきでしょう。しかし,記号の中核を占めているのが言語であり,また「音楽は世界に通じる言葉」「文化は言語である」という表現に見られるように,言語は広く記号全体を表わすものとしても使われるので,情報の実体は言語であると見なしてさしつかえありません。
 この点に関して慶応大学で哲学の教授をされていた沢田允茂氏は,すでに1962年「人間において情報の処理は,通常のばあい,主として言語とよばれる記号体系によっておこなわれている」と述べています(岩波新書「現代論理学入門」)。62年といえばわが国が情報社会に突入していく前夜です。このとき,沢田氏の観点をもとに出発していれば,今日「情報教育」が「パソコン教育」を意味するような誤解は生じなかったと惜しまれます。

 ここで私たちは,言語のもつ働きのすごさに思いをいたす必要があります。人間の情報源の8割が視覚などといわれますが,視覚や聴覚には時間・空間に限界があります。その上,認識した内容を他者に伝えるのも容易ではありません。しかし言語によって,私たちは時間・空間無限の広がりの中で,具象・抽象概念のいずれでも,また虚実自在に思考も伝達も進めていくことができます。
 ヘレン・ケラー女史の事績は,言語がいかに大きな力をもつかを感動的に伝えてくれます。1歳で視覚と聴覚を失ったヘレンは,7歳のときサリバン先生からwaterという単語を教えられ,初めて言葉の存在に気がつきます。彼女には触覚が残っていたので,ほとばしる水の流れと,それがwaterであるという情報の形(指文字)を同時に認識することができたからです。
 サリバン先生の献身的な教育を受け,17歳のときハーバード大学入学のためヘレンが選んだ試験科目は,ドイツ語,フランス語,ラテン語,英語,ギリシャ・ローマ史の5教科。彼女はそれらのすべてに合格し,特にドイツ語と英語では優等賞を受けました(新潮文庫「奇跡の人」)。
 著書に彼女の職業は,著述家・社会福祉事業家と書かれています。著述家が,平均的な人よりはるかに多くの情報受発信能力を必要とすることは言うまでもありません。

 このように大きな力をもつ言語という一つの文化を保有したとき,それへの対応の仕方には民族・社会により大きな差異が生じました。典型的には,西欧と日本が対照的です。
 西欧では,「初めに言葉があった。・・・言葉は神だった。すべてのものは,言葉によって作られた」と言われているように,言葉に絶大な力を認めた上で,だからこそ,このような強力な言葉を研究して使いこなそうと考えました。
 そのため,まず記録と伝達を容易にする文字を作りました。次に,言葉では虚実変わらず表現できますから,言明の正しさが示せるように論証法を考えました。さらに,1人より衆知を集めた方がより適切な結論が得られると考え,対話のプロセスや弁証法を発展させました。このようにして概念化が急速に進められました。

 概念化とは,多数の事例を分析してそこから共通の見方や本質を抽出し,それに適切な言語表現を与えていくことです。概念化を通じて,西欧では哲学や科学のめざましい発展がもたらされました。
 わが国で,言葉に霊が宿り,言葉にはその内容を実現する大きな力があると考えたところまでは,西欧と共通です。しかしその後は対照的で,わが国では,そのようなすごい力をもった言葉は,恐れ多いからできるだけ直接的に取り扱わないようにしよう,敬して遠ざけようと考えました。
 まず,文字は言葉の存在を際立たせますから,作るのをやめます。論証は言葉の操作になりますから,もちろんアプローチしません。厳密な言葉のやり取りになる対話は避け,以心伝心のコミュニケーション・プロセスを定着させていきました。

 西欧で概念化が進んでいる興味深い事例として,ブレインストーミングを挙げることができます。
 ブレインストーミングは,米国のオズボーン氏が創始,わが国には1950年代に導入された,多数のアイディアを抽出するための技法です。企業の問題解決などに広く用いられています。ところが米国では,30分間に150アイディア抽出するなど,顕著な成果が報告されているのに,わが国で実際にやってみると30以上引き出すのは容易ではないのです。その段階になるとメンバーが皆,沈黙状態になります。
 あるとき,米国のコミュニケーション技法のテキストを見て驚きました。(McGraw-Hill College「COMMUNICATING AT WORK」)ブレインストーミングでは,多数のアイディアを抽出するためルールを定めていて,そのうちの1つは,わが国では「トッピなアイディアを歓迎」とか「自由奔放」などとされています。ところがそのテキストでは「Wild and Crazy」なアイディアを出すことを求めているのです。そして実際に出されたアイディアは,すべて仮定法過去の表現になっています。
 周知のように,英語には仮定法のような「法」があります。法(Mood)とは,「心のあり方」という意味です。もともとブレインストーミングは,正常な精神状態では評価をしたい,批判はされたくないという意識が働き,それが新たなアイディアの創出を阻害するので一種の精神錯乱状態をつくり,正常な精神状態を脱却することを意図して考案されたものです。したがってWild and Crazyのようなマイナスイメージの形容詞の方が,ルールの表現として的確であると言えます。また,心のあり方は言語の表現を規定しますが,言語表現が心のあり方に影響を与える側面もあります。現実を離れた仮定法過去というMoodをもつ英語世界は,Wild and Crazyなアイディアを抽出することを,日本語世界よりはるかに容易にしているのではないかと推測しました。

 概念化を進めなかった日本語は,その代わり感覚に近い言葉,擬態語や擬音語を豊富にもつことになりました。
 皆様は,桃太郎の桃は,川をどのように流れて来たと理解されていますか。岡山民俗学会の立石憲利氏が調査したところ,桃の流れ方を形容する言葉は,全国で100種類以上あるそうです。その中の1つが「ドンブリカッシリスッパイポー」です(日本経済新聞6月21日朝刊)。
 私たちは,言語の使われ方が人間の情報行動に及ぼす影響の大きさを考え,今後さらに言語技術の研究や教育に力を入れていく必要があると思われます。

 この連載では,情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。