情報システム学会 メールマガジン 2014.1.1 No.08-09 [16]

連載 情報システムの本質に迫る
第79回 情報システム学会のフロンティア〜2014年〜

芳賀 正憲

 昨(2013)年、情報システム学会最大のトピックは、学会を創設された浦昭二先生のご遺志でもある、人間中心の新しい情報システム学体系化の序説が完成し、12月、原稿を印刷所に出すことができたことでした。新年2月には最終校正を終え、出版の運びです。
 序説完成の意義は、先月号のメルマガでも述べたように、わが国で(あるいは世界的にも)初めて、概念、歴史、理論、実践の方法論という、学問の要件にしたがって情報システム学の体系化ができたことです。特に、情報システムに関する3つの基本的な概念と歴史的な形成過程を明らかにできたことは画期的です。今まで情報システムの世界で基本概念が明確でなかったのは、基礎がないのに高い建物を建てようとしていたようなもので、情報システムの研究はもちろん、情報システム産業にも、高校や大学の情報教育や情報システム教育にも、深刻な問題を起こしていました。

 すでにこのメルマガでも述べてきたように、情報システムに関する3つの基本概念とは、情報概念、人間の情報行動の基本モデル、それに情報システムの本質モデルです。
 情報概念に関しては、人間中心の立場に立つならば、今道友信氏、藤本隆宏氏、吉田民人氏のように、哲学、経営学、社会学等の参照(対象)領域を究めることにより形成された概念が、実務的に、より本質に近いものです。しかし序説の有識者レビューの過程で西垣通氏から、それら3氏の情報概念も、基礎情報学により統一的に説明ができるという貴重なご指摘を頂き、基礎情報学における情報概念こそ情報システム学においても、最も基本となる情報概念として位置づけられることが明確になりました。8年前の全国大会で中嶋聞多氏が、西垣情報学こそ情報システム学の基礎理論構築の出発点とすべきであると述べられたことの先見性が、立証されつつあります。

 人間の情報行動が、情報システム学の体系化を進めていく上でベースになる重要概念であることは、かねてから浦昭二先生が提唱されていましたが、人見勝人氏の生産システムに関する考察、市川惇信氏の技術や科学の歴史に関する考察から、その基本モデルが、仮説実証法と等価なPDCAサイクルにあることが体系化活動の中で見出され、モデルとして特定されました。仮説実証法(PDCAサイクル)の各プロセスが、発想、演えき、帰納の3つの推論プロセスによって支えられていることも、このモデルの妥当性を示しています。
 情報システムの基本モデルとして今回の体系化では、構造化分析技法においてマクメナミンとパルマ―が提案した本質モデルを採用しました。人間を取り巻く環境への対応を基本的な役割として定義していること、ナドラーの提唱したワークデザインの理想システムと等価なものであることから、文字通り情報システムの本質を表現していると考えられることがその根拠です。

 最も基本となるこのような3つの概念を明確にすることにより、さらにそこから派生して、応用的な価値の高い多くのコンセプトを導出することができます。
 例として第1に挙げられるのは、情報システム関係者は、もっと生命情報に注目しなければならないということです。従来情報システム関係者が考えていたのは、基礎情報学でいえば社会情報に相当する情報だけでした。機械情報しか取り扱えない情報技術に関してさえ、社会情報を取り扱うものとして議論していたのです。
 その点では、参照(対象)領域の学者の方がはるかに先行していました。経営学者の野中郁次郎氏は、企業の知識創造過程を、生命情報である暗黙知を基盤とするプロセスとして、早い段階からモデル化されています。また、文化人類学者の川喜田二郎氏が、ギリシャ以来、演えき法、帰納法は研究され発展してきたが、(生命情報が大きな役割を果たす)発想法は忘れ去られていたとして、それを効果的に進めるKJ法を提唱されたのは、実に半世紀近く前のことでした。情報システム関係者が生命情報を考慮せず、社会情報のことしか考えないなら、情報システム学は、対象領域の進化に、全く追随できないことになります。本来、対象領域を牽引しなければならないのに、これでは逆に足を引っ張ってしまいます。

 応用的な価値の高いコンセプトが明確になった第2の例として、知識と情報技術の関係が挙げられます。今まで一般の人はもちろん、情報システムの専門家でさえ、情報技術で取り扱っているのは社会情報あるいは情報一般と考える傾向がありました。しかし、情報技術で取り扱うことができるのは、実は機械情報だけです。したがってコンピュータで知識を作動させようとする場合、暗黙知を基盤とする膨大な知識の中で、機械情報の処理が実質的に社会情報の処理と等価になるレベルまで概念化を進めた知識のみ、作動させることが可能になります。
 これは、歴史的・文化的に抽象化と概念化のレベルが低いわが国にとって著しく不利な状況であり、情報社会になって国際競争力を落とす大きな要因になっています。教育体系の抜本的な改革が必要です。

 情報システムの歴史的な形成過程を明らかにできたことも、今回の大きな成果でした。
 近年、情報関係のある学会で、情報システムの発展史をまとめたことがあります。すばらしいことだと内容を見てみると、この数十年の企業におけるコンピュータ導入の歴史でした。歴史として考えるスパンがあまりにも短いのと、コンピュータのことしか念頭に置いていないのには驚きました。
 体系化のプロジェクトで情報技術について調べたところ、コンピュータ出現以前の情報技術の役割は、伝達と蓄積の機能に限られていました。情報システムの本質モデルの作動は、人間によっていたのです。人間中心の情報システムは、人類の発祥当初から実現できていたことが明らかになりました。コンピュータは、それらの機能の一部を代替し、拡張していったのです。

 このようにして今回のプロジェクトでは、情報システム学の新たなパラダイムの創出が実現しました。2015年の学会設立10周年を目標に進められる体系詳細化のプロジェクトの中で、さらに多くの価値ある概念の形成が期待されます。情報システム学は昨年以降、次々と新たな概念が発見され特定されるという、飛躍的な進化の時代に突入しました。
 情報システム学のパラダイムシフトに併せて、大学や高等学校の情報教育、情報システム教育の改革が喫緊の課題になります。しかしこれには、多くの抵抗が予想されます。関係者が、既存の教育体系の中にロックインされているからです。

 体系の優劣から言えば、これは比較になりません。大学の場合、例えば、情報システム専門分野の教育カリキュラムJ07-IS策定のベースとなる情報システムの知識体系(ISBOK)が存在していますが、その問題点はすでに明白です。第1に、情報の概念、人間の情報行動の基本モデル、情報システムの本質モデルなど、概念レベルの整理が全くできていません。第2に、第1章第1節が「コンピュータアーキテクチャ」になっていることから分かるように、何よりもまずコンピュータから出発していて、人間中心の理念に違背しています。第3に、この知識体系は米国の知識体系をコピペして導入したものですが、日本と米国の文化差、リベラルアーツ教育のレベル差が無視されていて、わが国の実情に適合していません。
 このようなJ07-ISも、JABEEの受審には有効という考え方があります。しかしJABEEが、問題の多い体系へのロックインに加担するようなことがあれば、それは本末転倒です。
 大学の情報システム教育担当者の中には、人間中心の観点から、『情報システム学へのいざない』で示されている、情報システム学の範囲をコア領域と参照領域に分けて定義する枠組みが有効であり、カリキュラムをこの枠組みをもとに組み立てて長年実施してきているが、インターネットによる社会の変化にも十分対応できていると、肯定的にとらえる意見があります。
 しかし、『情報システム学へのいざない』自体、2008年改訂版が出されているにもかかわらず、情報概念に関して基礎情報学の観点も、参照(対象)領域である経営学や社会学で究められた情報概念も反映されていません。また、人間の情報行動に関しては、「情報システムの企画、開発、運営における諸活動の根底には、この情報行動の考え方がベースになっていると考えられる」と述べているにもかかわらず、「情報行動に関する研究、とりわけ情報システム学の立場での情報行動に関する研究は必ずしも十分に行われているとはいえず、今後、人間の情報行動に関する研究をさらに進めていくことが求められる」として説明がなされていません。
 最も重要な情報システムの概念に関して、この本の中では、概念、定義、解説があちこちに出てきますが、どこを読めば本質的なモデルとして特定したことになるのか不明確です。説明として必須の要件である、MECE(Mutually Exclusive, Collectively Exhaustive)の原則に反していて、正規化ができていません。
 コア領域としては、情報システムの「社会的環境」「概念」「企画」「開発」「運営」の5つのカテゴリが挙げられており、参照学問領域として、「社会の仕組み」「経営の仕組み」「人間組織体」など9つのカテゴリが挙げられています。しかし、「社会の仕組み」「経営の仕組み」「人間組織体」は、それ自体が情報システムではないかという疑問があります。経営学者の藤本隆宏氏は、生産プロセス自体が情報システムという見方をされています。コア領域と参照学問領域の分類は、人間の情報行動の解明をしないまま進めたため、不自然な分け方になった可能性があります。
 『情報システム学へのいざない』においても、情報の概念、人間の情報行動の基本モデル、情報システムの本質モデルなど、概念レベルの整理がなされないまま、情報システム学が組み立てられており、総じてその説明は、複雑・多様な側面をもつ情報システムに対して、群盲が象をなでるようなものになっています。
 大学の情報システム教育担当者にとって、『情報システム学へのいざない』にもとづく教育が、主観的には有効で時代の変化に対応していると感じられたとしても、真の概念教育ができているのか、厳密に吟味する必要があります。

 大学の情報システム教育はいかにあるべきか、産業界と大学の間で今まで繰り返し議論が行われてきました。一般に産業界は、実践にすぐに役立つ教育を望み、大学も産業界の要請に応えることを優先する傾向がありました。以前、経団連の高度IT人材育成部会が提案を行ったとき、「大学の教育現場からの意見で、もっとも多かったのは、・・「大学ではどういった知識・スキルを教えればよいのか」を、具体的に示して欲しいといったもの」だったという、驚くべき事実があります。
 これは、産業界も大学側も、ともに考え方がまちがっています。産業界は大学に、しっかりとした概念教育をこそ、第一に要請すべきであり、大学側も、教える内容を経団連に問い合わせるのではなく、主体性をもってまず概念を確立し、理論、実践の方法論と発展させて学生を教育するのが使命です。
 その意味で、J07-ISにしろ『情報システム学へのいざない』にしろ、概念レベルが未整理であるのは大きな問題で、改革を必要としています。

 パラダイムシフトが起きるとき、関係者が旧体系にロックインされるのは、どのような分野のどのようなパラダイムシフトにおいても、常に起こりがちなことです。しかしそのようなロックイン状態をいかに脱して、新しい優れたパラダイムの構築に貢献できるかどうかというところに、学者や教育者としての存在価値が問われています。
 体系序説段階のプロジェクトでは、編集、執筆、レビューに、32名の熱心なメンバーの結集を得ました。新年度、学会設立10周年を目標に進められる体系詳細化のプロジェクトでは、学会の指導層ともいえる理事・評議員を含め、さらに多くのメンバーの参画を期待しています。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
 皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。