情報システム学会 メールマガジン 2013.11.25 No.08-08 [8]

連載 プロマネの現場から
第68回 ベートーヴェンの作曲スタイル

蒼海憲治(大手SI企業・金融系プロジェクトマネージャ)

 秋の夜長のせいもあるのでしょうが、最近、寝る前に、クラシック音楽の1つか2つの楽章を聴いて寝るのが習慣になっています。
 去る10月4・5日、「ワセオケ」の愛称で親しまれている早稲田大学交響楽団の秋季演奏会が、新宿文化センターの大ホールで開かれました。今回のテーマは、ベートーヴェンで、第二夜はプログラム6曲すべてがベートーヴェンの作品でした。新入生主体の『プロメテウスの創造物』の序曲の演奏からはじまり、『レオノーレ序曲』、そして、交響曲の第1番、第2番、第4番、そして第5番の『運命』。第一夜の第3番『英雄』交響曲を加えると、ベートーヴェンの交響曲を第1番から第5番まで通して演奏を聴く機会を得ました。ベートーヴェンは生涯に交響曲を9曲作曲しているのですが、このコンサートを聴いたことで、今年は、ベートーヴェンの交響曲を全て一度は聴くことができました。例年、夏場の週末はグリーン作戦と称して、山歩きにでかけるよう心がけていたのですが、今年は、年初から7月まで、プロジェクトの本番立ち会いや待機等がのべ100日以上続きました。万一システムトラブルが発生した際、1〜2時間以内にかけつけられるようなところで過ごす必要があったこともあり、山の代わりにコンサート会場に足を運ぶことになりました。プロのオーケストラの演奏が聴ければよいのですが、チケット代も嵩むため、もっぱら市民オケや学生オケにも足を運ぶようになりました。部屋に籠って録音を聴いているよりも、たとえ市民オケや学生オケであっても、生演奏の方がはるかに感動します。特に、小さなスタジオやコンサート会場だと、ピアノやヴァイオリンの奏者から、ほんの2〜3メートルしか離れていないことも多く、音を耳だけでなく、ビンビンと身体全体で感じることができて、大きな楽しみとなっています。
 ベートーヴェンの交響曲は、市民オケや学生オケにおいては演奏者の方自身に とりわけ人気があります。副題がつけられた第3番『英雄』、第5番『運命』、第6番『田園』に加えて、二ノ宮知子さん原作の『のだめカンタービレ』ですっかり有名になった第7番は、年中どこかで聴くことができます。私自身この1年で、第3番と第6番は3回ずつ、第7番は5回、そして第5番『運命』はすでに9回聴きました。『運命』が聴衆だけでなく、演奏者からもとても強く支持されていることの表れだと思っています。

 何度も繰り返し耳にしたせいでもあるのでしょうが、第5番『運命』交響曲の旋律が耳に残っていて、無意識のうちに身体の中でリズムをとっていることがよくあります。といっても、冒頭の「ン・ジャジャジャジャーン」の部分は刺激が強すぎるため、第2楽章がもっぱらです。そして、この楽章を聴くことが、格好の入眠薬となっています。

 ところで、自分自身、なぜ第2楽章を聴きたくなるのか。なぜ第2楽章を聴くと癒されるのか、少し探ってみました。

 音楽評論家の宇野功芳さんのベートーヴェンの交響曲第5番についての解説の中では、このように紹介されています。この曲は、ベートーヴェンのモットーである「苦悩を克服して歓喜へ」を鮮やかに音楽化した中期の傑作である、と指摘されています。

≪第一楽章は、あのユニークで象徴的な運命動機によって開始される。
 ベートーヴェンの良い意味での取り巻きであり、弟子でもあったシントラーが動機を尋ねたところ、「運命はこのようにして扉を叩くのだ」と説明したからだが、「第五」を《運命》と呼ぶのは実は日本だけであり、外国では「第五交響曲」で通っている。

 第一楽章は、運命動機をぎっしりと積み重ねた、音による大建築を想わせ、束の間の夢のような第二主題の背景にさえ、低弦やティンパニによってこの動機は不気味にうごめく。

 第二楽章は自由な変奏曲形式による、深々としたアンダンテで、運命の荒れ狂うような暴威の後だけに、しみじみと心に入ってくる音楽であり、運命動機の変型が絶えず聴かれる。すなわち、ここで描かれるのは真の平和ではなく、抑圧された者の憧れの心といえるだろう。

 第三楽章は地の底から湧きあがってくるような低弦の調べで開始されるスケルツォで、主題は運命動機から採られている。中間部は荒々しい低減の動きによるグロテスクなものである。・・・やがて暗闇の中に一条の光が射し込み、それがみるみる膨れ上がると、音楽はそのまま第四楽章に突入する。

 第四楽章は勝利の後進だ。運命動機は第二主題となってベートーヴェンに踏みにじられ、結尾でテンポはいっそう速くなり、いつ果てるとも思われない勝ちどきを繰り返しつつ、極めて劇的に終結するのだ。≫(*1)

 また、最近の研究の一つには、運命動機よりも、ベートーヴェンが生きた時代背景を表しているというものをよく目にします。つまり、革命前夜の夜明け前の暗い社会情勢と、そこでの自由を求める人びとの思いを表しているのでないか、という説です。

 9月に、なかのZERO大ホールで聴いたMETT管弦楽団の第36回定期演奏会でいただいたパンフレットに、指揮者の久世武志さんがこの第5番『運命』に対して、こう解説されていました。

≪この曲がフランス革命の影響を受けていることは確かです。すなわち、ベートーヴェンは革命直前の恐怖政治の真っ只中にいて −そのような恐怖が当たり前の中にいたので −『自由』というものを知らず、だからこそこのひどい圧政の中から解放されたいということを音楽で真摯に表現しようとしたのだと考えられます。
 革命の時代の中で鎖につながれているがごとく不自由な状況にある人々の『自由になりたい』というエネルギーが、冒頭の《タタタ・ターン》というモティーフで全曲を通じて表現されています。
 戦いに「勝つのだ」「勝った」というエネルギーよりも、圧迫されているのをはねのけようという意味合いの方が強く感じられます。

 第一楽章の冒頭は、鎖に繋がれているのをもがきながら、怒りで鎖が震えているように鳴っているようです。
 第二テーマ(ソドシドレラ・ラソ)は、この絶望の中で『確かな希望』を見るようです。それは、この全ての恐怖が、もし我々のこの場所になかったとしたら、どんな素敵な気分や景色なのだろう、という希望です。

 第二楽章のテーマは『祈る人々』です。
 それは当時教会に行くことを許されていなかった多くの民衆の自由と平和への祈りです。変奏後の真ん中の部分(ドーミソ・ドーファラのあたり)は神はいらないから自分たちで何とかしようという意志が読み取れます。

 第三楽章は勝手で無益な学生の革命運動とそれを抑える一般民衆の「待て、時機は必ずやってくる」という意志のせめぎ合いが描かれています。またこの楽章の終わりから次の楽章へのティンパニーの長いソロが続くブリッジの部分は、「今こそ、革命の時だ!」というエネルギーに満ちあふれています。

 第四楽章はベートーヴェンが書いた唯一の扇情的で、まるで野外音楽のようなものが描かれています。大勢の民衆が集まっている前で、バルコニーに飛び出し、何か立派で崇高な事−自由と勝利−を言っているようです。『革命への扇動』のためにこの楽章でオーケストレーションに工夫を凝らしています。それまでの交響曲史上新たな楽器、すなわちピッコロ、コントラ・バスーン、トロンボーンを使用し、当時の人々になじみのある軍楽隊の響きを作り上げ、勝利を宣言しています。
 ちなみにこの曲のフランス・パリでの初演の際に「皇帝は去れ!」と聴衆が叫んだらしいです。牢屋から解放されるがごとく、牢が開け放たれる描写(ドーシラ・ソソソ)を経て、トロンボーンが高らかに勝利を歌いあげる箇所はベートーヴェン自身が『la Liberte』(自由)という言葉をメロディーの下に書き添えています。≫

 つまり、お気に入りの第2楽章は、「深々としたアンダンテで、運命の荒れ狂うような暴威の後だけに、しみじみと心に入ってくる音楽であり」、また「自由と平和への祈り」を表している一方、そこには「自分たちで何とかしようという意志」が伝わってくる旋律なのだ、と思います。このことが、今日一日に区切りをつけ、明日に向けてまた前向きに取り組もう、という気持ちにさせるのだ、と思います。このことが、気ぜわしい毎日の中で、平穏を取り戻し安眠できることにつながっているのでは、と考えています。

 ところで、このような音楽をいかにベートーヴェンは作り出したのでしょうか。

 モーツァルトには、借金取りの督促に対して、「もう頭に入っている、出来上がっている。あとは書くだけだ」と言ったというエピソードがあります。一方、ベートーヴェンの作曲の仕方はその対極にあったようです。

 ベートーヴェンの仕事のやり方は、ゆっくり仕事をする。湧きあがる楽想に何度も手を入れて推敲する。同時に、いくつもの曲に取りかかっている。ある曲を推敲している時に、他の曲の楽想が浮かび、下書帳に書き足していく、というスタイルでした。

 吉田秀和さんのベートーヴェン論の中で、ベートーヴェン研究者でもあった文学者のロマン・ロランの『エロイカからアパショナータまで』(みすず版全集・第23巻)が紹介されています。

「ベートーヴェンとは、創作に当たって、いつもスケッチブックを使い、それをポケットに入れて持ち運び、野や山を歩きまわっては、浮かんできた楽想を、その手帳にたえずかきつけていた音楽家であった。」

「ベートーヴェンが下書帳を使ったことは、彼の創作の仕方と関係がある。ベートーヴェンはゆっくりと苦労して仕事をした。楽想は爆発的に出現し、究極の形を得るまでにいろいろの作品に同時にとりかかっていたのだから、内部で不断に営まれていく形成の過程と変形の過程に、記憶がいつもついていけるとは限らないので、発見したものを確保する必要が生まれたことは、簡単にわかる。
 下書帳を携帯することは習慣となり癖となり、ごく小さな曲でも浄書される前に草稿に書かれなければならなくなった。」

 この有名な下書帳ですが、途中、1805年から1808年までの3年間の空白があるものの、1798年から1827年にいたる40冊のベートーヴェンの下書帳が残っています。

≪ベートーヴェンは、創作の途中でだけでなく、作曲がすんでしまったあとも、スケッチをとっておく理由があった。その一つは、まえに見たように、彼は同時に何曲も別々の曲を作曲する習癖があったばかりでなく、その時その時に念頭に浮かんだ楽想をすぐその場で、前後とはなんの関係もないままに、ノートにかきつけていたからで、したがって、ノートには、いわば最初の、天から降ってきたが着想のままの状態で、眠っている楽想がいくつも残っていたのである。≫(*2)

≪『第五交響曲』に関するスケッチは、すでに1803年のノートに姿を現わしだす。
 そうして、作曲が完成したのは、1807年か、おそくとも1808年のことであるから、その間、ベートーヴェンは4年ないし5年を要したことになる。≫(*2)

 現在の第5番『運命』交響曲は、初演の後、訂正されまったく違ったものになった、ということは驚きでした。

 また、このベートーヴェンの創作スタイルについては、レナード・バーンスタインの『音楽のよろこび』でも、その一端が紹介されています。

 この本におけるバーンスタインの解説も素晴らしいのですが、この本の中に載っていたベートーヴェンの自筆の譜面をはじめて見たとき、衝撃を受けました。何度も何度も書き直された譜面、当初の原型を留めないほどの推敲の跡、ベートーヴェンの苦闘の跡が見られます。

≪・・ベートーヴェンは、自分の主題に忠実な、絶対になくてはならない音符を発見するという才能の点で、彼以前の、あるいは以後のいかなる作曲家よりもすぐれていた、とぼくは思います。
 しかも、こんなすばらしい才能にめぐまれた彼でさえ、この、それでなくてはならぬという必然性を発見するためには、非常に苦しんだのです。
 音符だけではありません。
 リズムも、クライマックスも、ハーモニーも、楽器の配分もそうでなければならない。
 いまぼくたちが追求しようとしているのは、このような彼の苦悩のあとなのです。≫(*3)

 たとえば、《第5交響曲》第2楽章の冒頭のメロディは、14通り書かれている、といいます。実に、8年間に14通りも作曲しています。そして、主題が決まった後に、第2の苦しみ・・この主題に交響曲としての意味を付与する仕事が始まった。

≪ところで皆さん、ベートーヴェンの交響曲を聞いていると、これは最初から滞みなく、
 流れるように、書かれたに違いないという感じを受けるでしょう。
 ところで実際はそうではなかった。≫

≪彼は消しては書き、消しては書き、ついに破りすて、あるいは1頁書きあげるまでに20回も手を入れている。≫

 自筆の楽譜のコピーが載っていますが、実にたくさんの訂正があります。

≪あまりに何度も書き直したので、最後に書く場所がなくなってしまったのですね。彼は、頁の下に脚注のように音符を書きこまなければならなかった。≫

≪・・ベートーヴェンの原稿は、精神のすさまじい闘いについての血まみれな記録といいましょうか。
 彼は、この気違いじみた楽譜を書きはじめる前の3年間に、すでに何冊もの帳面をスケッチでいっぱいにしているのです。≫

≪この1楽章のおかげで、ベートーヴェンは交響曲の旅の終りへと到達することができました。
 こういう苦しい戦いの連続であった彼の一生を想像してごらんなさい。
 楽章につぐ楽章、交響曲また交響曲、そしてソナタ、カルテット、コンチェルトが次々に続く。
 たえまなく模索し、書き捨てながら正確でなければならぬという信念のために彼は全生涯を捧げたのです。
 これこそ、偉大な芸術家の神秘をとく鍵といえるでしょう。≫

 ベートーヴェンを最も「深く」理解したといわれるメンデルスゾーンは、16歳の若さで名曲『弦楽八重奏曲』を作曲しています。そのメンデルスゾーンも、年を経るにしたがい、ベートーヴェンの作曲スタイルに変わっています。意識して変えていった、といわれています。推敲に推敲を重ねて、アイデアを練り上げていくこと。いったん終わった仕事に対しても振り返り、そこから学び直し、新たなものを生み出していくという姿勢に学ぶべきことは多い、と思っています。

(*1)宇野功芳『指揮者・朝比奈隆』河出書房新社 2002年刊
(*2)『吉田秀和全集(2)モーツァルト・ベートーヴェン』白水社 1999年刊
(*3)レナード・バーンスタイン『音楽のよろこび』吉田 秀和・訳 音楽之友社 1966年刊