情報システム学会 メールマガジン 2013.8.25 No.08-05 [11]

連載  企業および社会における情報システムの意味を考える
第11回 ビジネス・ドリブンな情報システムの姿と人の役割 その1

大島 正善(MBC:Method Based Consulting)

1.今回のテーマ

 生産現場において、工業化、自動化、自働化、情報化が進んだことで、モノ作りの現場での人の役割は大幅に少なくなった。その結果、工場労働者のうち現場でもの作りに直接的に関与する要員は減少したと思われる[*1]。減少の理由は情報化だけでなく、海外生産の増加や高齢化に伴う総労働人口の減少ということも当然考えられる。しかしながら、情報システムが生産活動を代替するようになったことで生産性があがり、モノ作りにおいて人の仕事の質が変化したことは間違いない事実である。

 物流という仕事も同じである。物流の世界も情報化の浸透により、重点が運送と保管という観点から、それに関する様々な属性を情報として管理することにより、顧客サービスという新しい価値を生み出すことに成功した。同時に、製造現場と同等以上に情報システムが現場作業の効率化、生産性向上に寄与してきた。その結果、物流取引量は増大しており、労働人口は減っていない[*2]。物理的にモノを保管し運送するという行為は、情報システムにはできないので、物流サービスの価値があがったことで、情報システムが浸透することで労働需要は増加したと考えられる。

 では、営業、マーケティング、購買、管理などの部門の仕事はどうであろうか。これらの部門の生産性向上は長年の懸案事項である。特に、日本では定年まで同じ企業で働き続けるのが常態となっていることもあり、情報システムが導入されても人の仕事は変わらない(つまり生産性が向上しない)ことに問題を感じないという状況が続いている。製造現場では労働者数は原価に反映されるので、コスト削減という命題があれば、人員削減はやむを得ないこととして実施されてきた。しかし、営業部門では、その数が多いほうが市場での競争に優位であることもあって、よほど業績が悪化でもしない限り人の移動は行われず、情報システムが導入されても生産性向上に結びつかないことが問題にはならない風潮があるように思われる。

 しかしながら、本来は、情報システムを導入することにより、それまで行っていた仕事の無駄が少なくなり、同じ仕事量であれば少ない人数でできるようになるのが当然である。そして、人は新たな仕事に向かってチャレンジできるようになる。新たな仕事の中には、実は情報を管理する、あるいは、情報システムに業務の仕組みを追加するという仕事もあるのだが、それについては、別途触れることにする。テレビなどで行政機関の仕事場が放映されるたびに思うのだが、どうして机の上にあれほど資料があるのだろうかと。システム化が進んでいない証拠でもあるが、システム化を行っても人の仕事が変わらないということの表れでもあるように思う。まさに、仕事が減ることを恐れる官僚体質がそうさせているように感じられる。

 情報システムを導入すれば、営業部門やその他の間接部門でも生産性が向上するようにしなければ、IT投資の意味は少ない。日本人の感性の中には、生産性向上と人員削減がダイレクトに結びついている可能性があり、そのことが情報システムの導入効果がわかりにくいという結果につながっているとも考えられる。アメリカでは、システム化を行うことで自分たちの仕事がなくなることを歓迎するということがあるとのこと(つまり、転職してよりよい待遇を見つけるチャンスととらえる)だが、日本でそういう発想が生まれるのはまだ先のことと思われる。本来は、システム化をすれば、同等の作業を少ない人数で実施できるのが当然であり、その結果その仕事に携わる要員が少なくなるのはよいことだという認識が当たり前のようになるべきである。

 そういうことを直感的に感じている日本人は、情報化の進展を暗黙のうちに恐れているのではないかと思うことがある。ビジネス活動を情報システムが代替するようなことになると、人の仕事はなくなるのではないかと。そういった感性を変えていかないと日本における情報化投資は効果がいつまでたっても出てこない無駄な投資に終わるのではないかと危惧している。

 情報化が進展し情報システムが業務に浸透しても人の仕事は存在する。もちろん、情報システムを導入すると今までとは仕事の仕方は変わる。では、どういった仕事のやりかたに変わるのか?また、組織における将来の情報システムの姿を見据えたときに、人材育成の面から重要なのはどういう点なのか。前置きが長くなったが、それが今回から数回にわたってのテーマである。

2.情報システムが業務を実施する世界になる

 Webショッピングのように、情報システムが販売業務を実行する(支援ではなく)ことはすでに広く行われている。実行するという意味は、営業マン、営業ウーマンの代わりに販売を行うということである。Webショッピングの世界では、Webサイトを運営している企業は、そこで販売している商品の営業活動をするわけではない。Webサイトに出品してくれる企業を増やすための活動をする。従来の営業やマーケティングの方法と対象は大きく変わった。一方、銀行の窓口業務のように、いまだに人が行う仕事も多く残っている。判断を伴う仕事の多くは人の仕事として残されているが、ロジックを決めることができる判断は、人が行うのではなく、すでにワークフローやルールのロジックとしてソフトウェアの中に埋め込まれている。年金支払い計算に関わる各種判断や、保険料計算の前提となる病歴の有無の判断、あるいは、税額計算のもとになる各種条件の判断などもそうである。交通費の精算にかかわる決済権限の判断など業務プロセスにかかわる判断も情報システムで実現できている。

 今後、こういった判断も含めて、情報システムはどこまで人の仕事を代替できるようになるのであろうか。今以上にできることがないと考える人はいないであろう。情報システムが情報を扱うシステムである以上、組織や人の活動の中で、情報処理に関わる仕事は、基本的に代替できると考えて差し支えないと考えている。その意味から、業務のイノベーションの可能性はいくらでもある。

 ここでの情報の中には、受発注や物流、生産、モノなどに関わるデータのみならず、会議や面談、商談など、人と人との会話を通じて発せられる言葉や書面によるコミュニケーションの内容なども含まれる。実際、そういった情報は、すべての組織のあらゆる業務でシステム化が実現しているわけではないが、すでに一部の組織の一部の業務では、情報システムの対象となっている。日常のとりとめもない会話や示唆的な個人の意見・見解が情報システムで扱われている例がブログやtwitter、facebookなどである。

 また、処理と書いたのは、高度の判断ではないということである。組織や人間が行う判断のなかでも、ルール化できるものは、処理の範疇に含まれる。ルール化できないのは、経営判断といわれる類の判断や、リスク対応時の判断、あるいは人事に関わる判断などである。

 マーケティングや事務系の仕事といった、生産現場や物流の現場などモノを扱わない組織で、今現在、人がどんな活動をしているかを考えると興味深いことがわかる。人が行っている活動の多くは、次の6つのカテゴリーに含まれるのではないか。

 1) 打ち合わせ・相談・雑談(社内、顧客、取引先)

 2) 報告書・資料の作成

 3) 資料の検索(つまり探すという行為)

 4) 思考(読む、考える、決断する)

 5) 移動

 6) コンピューター・システムとの会話(データ登録、検索、分析等)

 その他は、休憩・食事ぐらいであろう。5番目の移動を除けば、他の仕事は、何らかの情報行動と考えることができる。活動の相手は、人であったり機械であったりするが、何らかの情報を得たり与えたりする活動であることには違いがない。6番目のコンピューター・システムとの会話の中には、商談状況を入力したり、受発注データを入力したり、顧客情報を入力したりする入力作業が含まれるが、最近は、Doレベルの活動でいえば、こういった作業に関わる時間が増加している。この傾向は今後も増加することが予想されるが、このことの意味はなかなか深いものがあるように感じられる。それは、今後記述することとしたい。

 市役所や銀行の窓口業務も、紙のやりとりや人と話をしながら何をしているのかというと、その目的だけに絞ればつまるところ顧客・市民に何らかの情報を伝えたり、逆に情報を受け取ったりしているだけである。行政の仕事は法律の執行ということが主目的であるが、官庁は自分で行動を起こすところではなく、企業や国民に法律の内容を適切に伝達することがミッションである。

 こういった企業や行政組織に属する人たちのいろいろな仕事を眺めてみると、事務作業というのは、人間が本来的に持つ五感を通じて得る情報の中から、組織の中で共有すべき情報を伝える行動がベースになっていることが理解できる。したがって、組織活動、特に事務作業の多くは情報活動であると言える。よって、組織活動のほとんどは、情報技術を使ってシステム化できると考えることができる。それが当然の帰結である。

3.ビジネス・プロセスの本質は情報流になっている

 以前も書いたが、組織におけるビジネス・プロセスは、情報流の視点で眺めると理解が容易になる。

 企業などの組織の活動には、モノの流れ(物流)お金の流れ(金流)商売の流れ(商流)という3つの要素があると言われる。[*3] 実際そのとおりであるが、現在では、それらの三つの流れのうち金流と商流の実態は、情報流にとって代わられている。金流についていえば、カード決済やデビットカードや、携帯端末による小口現金決済などが広まり、現金や小切手が少なくなったということがある。また、現金の決済もその行為の本質は、現金を授受するということではなく現金が持つ金額という情報の授受に意味がある。つまり現金の授受は情報流ということが本質である。

 商流も同じである。市場で商品を販売したり取引先から材料を購入したりする行為は、モノのやりとりを伴うものの、企業にとっての本質は、商流を介してやり取りされるところに情報流があるということであり、その情報流をいかに効率化するかが経済活動の効率化と結び付いている。

 物流にも情報流の側面がある。あらためて言うまでもなく、モノそのものの価値とともに、モノの保管場所や運用状況などの物流情報に物流の価値が認められる時代となっている。

 情報化社会の到来といわれたのは1980年代である。それから30年以上経たのであるが、日本ではこの意味を取り違えてきたような気がしている。つまり情報化社会というのを、情報技術を仕事や社会生活の中で活用する時代が到来したと。現象としてはそうかもしれないが、本当は、企業活動や社会生活において、あらゆる対象に情報が存在する、あるいは、付随していると考えて、その情報を取り込み活用する時代が到来したと考えるべきなのである。企業活動だけでなく、政治活動や行政の活動も同じであり、医療現場でも患者に正確な情報を提供することに価値が置かれるようになって久しい。

 このように考えると、これからも、企業などの組織活動において情報の価値を見出してモノや現象(取引、顧客や市場の行為など)から情報を生み出す活動が重要になることが想定できる。M2M(machine to machine)やビッグデータというのもその流れの中でとらえることができる。

 物流、金流、商流が情報流として把握される時代になったとき、情報システムが企業活動のほとんどを実行していても不思議ではない。そのような時代では、PDCAの視点からとらえた組織活動のうち、Doレベルの仕事の多くと事前にルールが決まっているCheckレベルの仕事をコンピューター・システムが行っていることになる。

 つまり、ほとんどのビジネス活動がe-ビジネス的(もうカビ臭い言葉になってしまったが)に行われるということになる。では、人は何をするのか?人の仕事ななくなるのか?

 その点については、次回に触れたい。

[*1] 製造業の労働人口統計が総務省統計局のHPからダウンロードできる。(http://www.stat.go.jp/data/roudou/longtime/03roudou.htm にある第12回改定日本標準産業分類別就業者数(エクセル:161KB)など)による。ただし、その統計には工場労働者数のみの数字は見つからない。もちろん、工場労働者のうち管理者ではなくモノ作りに携わる人数もわからない。製造業の労働人口は減少しているが、その原因が海外での生産が増加によるものか、製造における情報技術の浸透が理由なのかも不明である。ここで、工場労働者のうち現場でもの作りに直接的に関与する要員は減少したと思われると書いたのはそれが理由である。
[*2] 基データは上記[*1]と同じ。
[*3] 一般社団法人 日本情報経済推進協会(JIPDEC)では、毎年その状況を分析した報告書を出している。平成23年度金流・商流・物流情報連携研究会報告書(http://www.jipdec.or.jp/publications/report/h23/h23-002/
 以上