昨年末に公開された『007 スカイフォール』は、007シリーズの第23作目です。1962年に、第1作の『ドクター・ノオ』が初公開されて以来、実に50年の長きに渡るヒット作です。
ボンドは、イギリスの諜報機関「MI6」の工作員であり、女王陛下のもと、犯罪組織やテロ国家などを相手に、あらゆる場所で戦い続けています。
今回主役のジェームズ・ボンドを演じるのは、6代目のボンドとなるダニエル・クレイグでした。ロシア大統領のプーチンさんにも似ていると思うのですが、ショーン・コネリー以来の最高のボンドとも評されるように、落ち着いた渋さがとても好きです。また、この映画の舞台の一つとして、軍艦島として有名な長崎県の端島が、敵のアジトとして使われたこともあり、日本にも馴染みのあるものとなっています。
この映画のテーマは、主人公であるボンドと、その上司であるエム、二人の進退問題になります。冷戦の終結から久しく、またサイバーテロなどのハイテク犯罪が重要になってくる中で、エムは、世論を背景とする政府の公聴会で、MI6そのもののあり方の見直しを問われます。その最中、元部下のエージェントが、過去のオペレーションにおいて組織防衛を優先しエージェントを切り捨てたエムの非情な采配を恨みに思って、裏切ります。
現在活動中のエージェントのリストを盗み出し、それを公開することで、スパイ活動に潜入している国や組織から次々に殺されていきます。エムには、このことへの責任も問われ、引退勧告がくだります。一方、ボンド自身は、勤続50年?!が祟ったのか、肉体面、精神面の衰えからエージェント失格の烙印を押されます。絶体絶命の二人。
しかし、更迭を目の前にした上司エムの独断により、ボンドは現場に復帰することができます。ただし、組織から失格の烙印を押されたボンドとエムは、二人で事件解決に向けて取り組むことになります。
映画は、ボンドが自分のルーツを再度見つめ直すことで、復活を予感させる終わり方をしています。観客の一人としては、勤続50年のボンドがなんとも痛々しく見えるものの、マネジメントへの異動要請を断り、現場に立ち続ける姿に感動します。そして、このボンドの現場にこだわる姿勢を、改めて評価すべきではないか、と思っています。
現場を見ないままで、頭の中、会議室の中の議論だけでの現状分析・原因分析に基づく対策の多くが的外れとなってしまうことは日頃からいたるところで感じられているのではないでしょうか。そうではなく、現場に立ち、現地・現物・現人などの実態がどうなっているか具体的に理解してから対応する、その姿の一つがボンドだと、映画を見ながら感じていました。
ダニエル・クレイグ扮するボンドは、今回で三作目になります。リメークされた『カジノ・ロワイヤル』でデビューしたクレイグ・ボンドは、組織犯罪者を2人殺すことによって、殺しのライセンス「00(ダブルオー)」の資格を手にいれるところから始まります。オペレーションの現場において、敵と戦いながら、味方に裏切られるという数々の修羅場を乗り超えることで、成長していく姿が描かれています。
クレイグのボンドの魅力を少し考えたいと思います。
1.アナログ指向
クレイグ・ボンドの特徴は、どんな厳しいミッションやピンチの最中においても、表情を変えず、汗をかき、傷だらけになりながら、敵を追いつめ、血まみれになって格闘するところです。ハイテクの武器や道具などを使わない泥臭さが、逆に魅力なのだと思っています。
映画においては、MI6の本部のシステムがサイバーテロによって乗っ取られ、また、ハードディスクから機密情報が盗まれます。IT環境を舞台にしながら、どこまでも追いかけていく徹底した現場主義です。1960年代以来、ハイテク指向だったボンド像が、ここにきてアナログ指向に変わり、また多くのファンが支持するようになったことは、とても面白い現象だと思います。
2.組織との関係
『007 スカイフォール』では、上司エムとの関係、組織との関係が描かれています。オペレーションの遂行において、組織との関係の折り合いのつけ方が不器用なボンドの姿に共感する人は多いと思います。
組織の理解を得られないときは、一人の上司の理解の下、自分の判断を信じて行動する。その是非はともかく、見ていて溜飲が下がります。
映画史の中でみると、ボンドは、1960年代のイギリスでの文化復興の産物になります。つまり、「貴族や素人の動かす社会ではなく、中流階級のプロフェショナルがつくる社会へとイギリスは変わっていく−こうした変化をはっきりと示す文化的指標がボンドだった」(*1)といいます
なぜボンドがアメリカ、いや世界中で受けたのか?
それは、「非人間的な法人型国家」が出現し、1960年代にはアメリカン・ドリームが押しつぶされてしまったことにある、という見方をする人もいます。つまり、「法人型国家」では、機械的で、非人間的で、とてつもなく強大な組織によって管理されており、そこでは個人の権利や利益などは一顧だにされない。
そんな状況下で、自分の存在意義や価値が失われてしまったと漠然と感じている人が、ボンドに仮託して、勝利と安堵の思いを味わったのだと思います。
3.現場主義
ボンドの信条は、「必要なところであれば、どこにでも行く」ことです。
ところが、「そんなことならお花屋さんでもいうわ」とエムにあっさり言われてしまいます。そうはいっても、エムはいつも、トラブルの現場にいたボンドに救われています。
ボンドとエムの関係を見ていると、理解のある上司でも、報・連・相が十分でないと、実は現場のことは半分も理解していないものだということ。また、現場を離れると、途端に対応できなくなることがわかります。
4.こだわりのアイテム
クレイグ・ボンドを見ていての楽しみの一つは、こだわりの小道具です。
ボンドの衣装は、紳士服の老舗アンソニー・シンクレア、
シャツは、ターンブル・アンド・アッサー。
腕時計は、初代のコネリーから三代目のムーアまでがつけていたのはロレックス。
その後、セイコーをはさんで、いまはオメガ。
車は、イギリスのアストンマーチン、ロータス。途中、BMWやトヨタ2000GT
が登場したが、再び、アストンマーチン。
往年の映画を知っているファンにはたまらないこだわりだと思っています。
ボンドが身につけているものそのものを正直欲しいとは思わないのですが、自分のスタイルを身につけるためには、アイテムの効用というものを再認識するのでした。
5.復活
敵に拘束され拷問をかけられた際、
「誰にでも趣味は必要だ。それで君の趣味は何だ」と問われ、
「復活だ」とボンドは答えます。
ボンドは敵と格闘中、同僚の誤射によって90メートルも下の川に転落します。その後、一度死んだと思われたボンドは復活します。ただし、心と体に傷を負ったため、一時は、酒と女におぼれます。
しかし、それでは癒されないことがわかった後、自分の生まれた故郷、スコットランドのスカイフォールへ行くことで再生を目指します。
ところで、ボンドの復活は、「007」シリーズそのものの復活とも同期しています。
最初の頃のボンドは、なかなか認められなかったといいます。(*1)
ボンド映画の特徴的なテーマは、「セックスと死」「スノビズムとバイオレンス」の価値観を表していた。
R・M・スターン曰く
「ボンド小説は、何かを学んだり、人生の不可解なる謎を深く考察する
ためのものではない」
でも、
「彼の作品の特質は、大衆小説の求めるところに完璧に応えていることだ。
つまりは読者を楽しませること。フレミングはまさに古典的な意味での
物語作家である」
その後、全世界的にも人気を博し、50周年を迎えるに至るのですが、「007」シリーズが10周年を迎えた1970年代前半から、ボンドは完全に時代錯誤の産物になっていました。
ボンド・シリーズがこれからも続いていくためには、新しく生まれ変わり続けなければならないし、制作スタッフそのものが、そのことを常に意識して映画作りに取り組んでいる、といいます。
最後に、『007 スカイフォール』のラストで、ボンドの新しい上司が登場します。
その姿が、敵と対峙した際、護身用のピストルが手につかず、大怪我をしたため包帯姿になっているのですが、その姿を見て、苦笑した人は多いと思います。
(*1)ジェームズ・チャップマン『ジェームズ・ボンドへの招待』訳・戸根由紀恵、監修・中山 義久 徳間書店 2000年刊