情報システム学会 メールマガジン 2013.4.25 No.08-01 [7]

連載 オブジェクト指向と哲学
第28回 メディアを 「形相」 と 「質料」 で考える

河合 昭男

 人が持つ通信システムを「流出システムと波動システム」として捉え、前回はメディア(媒体)を通した間接的通信について考えました。電話やメールなどの媒体を通して受け取った情報は、対面している場合より情報量が制限され誤解される可能性が高まります。その原因を、ダニエル・カーネマン著「ファスト&スロー」[1]の2つの判断システムと組み合わせて考えました。
 同著によると人は2種類の判断システムを持っています。システム1は即座に判断しますが論理的ではありません。システム2は論理的ですが意識しないと自動的には作動せず、時間と努力を要します。限られた情報からシステム1が即座に下した判断により一旦バイアスがかかってしまうと、それが論理的に正しいかどうか吟味するシステム2が本来の機能を発揮できない可能性が高まり、人はしばしば不合理な判断に基づく行動をしてしまうというものです。[1]

 今回はメディアというものについてアリストテレスの「形相」と「質料」の視点で考えてみたいと思います。

メディアとは
 mediaはmediumの複数形です。medium は洋服のサイズSMLのMやステーキの焼き具合にも使われますが、語源は「中間のもの」で、そこから媒介物、媒体の意味が派生してきたようです。メディアといえばマスコミやインターネットなどを思い浮かべますが、CD/DVDもメディアです。

設計情報を媒体に転写する
 「工業製品の製造とは、設計情報を媒体に転写することだ」という考え方があります[2][3]。例えば、車のボディは素材となる鉄板を金型という鋳型でプレスして作ります。この鋳型に設計情報が入っています。一つの鋳型から鉄板に設計情報が転写され、同じ形のボディが次々生まれ、それが製品となってゆきます。この金型も媒体です。設計情報を鉄板に転写するための中間に必要な媒体です。

 図1 設計情報を媒体に転写する
 図1 設計情報を媒体に転写する

 車の価値はその設計情報にあり、車の素材である鉄板、ガラスやプラスチック類に大金を支払う人はいません。それら素材は設計情報をのせる媒体です。媒体がなければ製品は作れないし利用もできません。利用者は設計情報だけ購入しても車としての利用価値はなく、設計情報と一体となった媒体から設計情報を引き出して利用します。

媒体は「形相」を伝達するための「質料」
 もうひとつ例を示します。音楽や映画などのマルチメディア情報はCD/DVDあるいは電波やインターネットなどのメディアを通して利用者に届けられます。情報自体は「形相」(エイドス)で、それをブランクのCD/DVDという媒体に焼き付けたり、あるいは電波やインターネットという媒体に流します。この媒体自体は情報を持たない「質料」(ヒューレー)です。「『形相』(音楽や映画など)+『質料』(媒体)」が一体となった製品として利用者に届けられます。利用者はそこから再生により「形相」を抽出することができます。

 図2 形相の転写と抽出
 図2 形相の転写と抽出

プラトンvs.アリストテレス1
 このようにアリストテレスの考えなら伝達すべき情報は「形相」であり情報をのせる媒体は「質料」です。それぞれ単独では利用者に価値を生み出す製品にはなりません。「形相」と「質料」は一体となって意味があります。
 プラトンの考えなら伝達すべき情報はイデアであり、製品はその影です。影にはスクリーンが必要ですがアリストテレスの「質料」とは異なります。このスクリーンも「形相」を伝えるのに必要な媒体ですが、一体型の媒体とは少し意味が違うようです。イデアと影は別世界に存在し一体ではありません。CDは影でありそこには音楽は入っていないという説明はうまくゆきません。
 「形相」は別世界にひとつだけ存在するのか、質料と一体となってものに含まれてしまうのかがプラトンとアリストテレスの考え方の違いですが、この例ではアリストテレス説の方がうまく説明できます。アリストテレス説に1票。

プラトンvs.アリストテレス2
 次は電波という媒体を考えてみましょう。放送局が音楽を流しているとします。アリステレス説なら音楽という「形相」は電波という媒体=「質料」と一体化して受信機に届き、そこから音楽という「形相」を「質料」から抽出して音にする。電波は多数の受信機に到達し、個々の受信機は個別に一体化された「形相」+「質料」からそれぞれの「形相」を抽出する。つまり同じ「形相」が多数存在することになります。
 一方プラトン説なら音楽は放送局にひとつ存在し、光の役割を電波が果たし、各受信機は音楽の影を再生する。音楽は放送局というイデア界に存在するイデアであり、人は受信機で電波により投影されたその影を聴く。
 この例ではどちらもうまくゆきそうですが、プラトン説のほうがいいかなと思います。プラトン説に1票。

オブジェクトとは
 この議論はオブジェクト指向の概念と技術との関係に似ているところがあります。概念としてオブジェクトとは属性と操作がカプセル化されていて一体となったものです。個々のオブジェクトが属性と操作を持ちます。同じ種類のオブジェクトは同じ操作をそれぞれが持ちます。
 一方、プログラミング言語の実装技術としては効率上属性と操作は一体ではありません。操作の実装はクラスに定義し、個々のオブジェクトはそれぞれの属性は保持しますが、操作はクラスの操作の実装を共有します。
 属性を「質料」、操作を「形相」と考えるなら、オブジェクト指向は概念としてはアリストテレス風ですが、実装技術としてはプラトン風です。

【参考書籍】
[1] ダニエル・カーネマン「ファスト&スロー」早川書房、2012
[2] 藤本隆宏「能力構築競争」中公新書、2003
[3] 藤本隆宏「日本もの造り哲学」日本経済新聞社、2004


ODL ObjectDesignLaboratory,Inc. Akio Kawai