情報システム学会 メールマガジン 2013.4.25 No.08-01 [9]

連載 情報システムの本質に迫る
第71回 新情報システム学体系化プロジェクトの発足

芳賀 正憲

 4月15日と17日、新情報システム学体系化プロジェクトのキックオフ・ミーティングが専修大学で開催されました。このプロジェクトは、北は北海道から西は山口県まで、広域におよぶ20名以上の学会員が結集し、年内にまず新情報システム学の序説を作成、さらに2015年4月、学会の創立10周年にあわせて、序説の3倍の規模の詳説を完成させようという、学会始まって以来の大きな構想をもったプロジェクトです。
 プロジェクトの目的は、このメルマガでもすでに述べたように、人間中心の新しい情報システム学の体系を確立することにより、大学の専門・一般教育と初等中等課程における情報教育を刷新、情報システム産業界のインダストリ・アイデンティティの確立を図り、最終的には、情報社会になって急激に落ち込んだ日本の国際競争力を回復させることにあります。

 4月10日、各国・地域のIT分野の競争力を比較した報告書が、世界経済フォーラムから発表されました。日本の総合順位は21位で、昨年の18位からさらに3つ順位を落としました。企業システムなどに一部優れた面が見られるものの、社会全体としてわが国の情報システム構築力と活用力は、先進国にほど遠いレベルにあり、このように低い順位にとどまっていることに対しては、情報システムの研究と教育を担ってきた学会あるいは学界に大きな責任があると考えられます。

 本プロジェクトで「新」情報システム学と言っているのには、大きく3つの意味があります。第1は、「人間中心」ということです。第2は、情報システムとその構築プロセスの「本質」を明らかにして説明することです。第3には、「サイエンス」と「エンジニアリング」を分けて体系化していくことです。これらによって、情報システムに関する教育と産業界における仕事の進め方を抜本的に改革していこうとしています。情報システム産業が労働集約的と言われているようでは、情報社会における国際競争力の向上は、望むべくもありません。

 第1の「人間中心」の概念は、1980年代、浦昭二先生の提唱されたものです。これは、それまでコンピュータ中心に考えられていた情報システムの世界に、コペルニクス的転回をもたらした、他に比肩すべきもののない、浦先生の偉大な業績です。
 しかし、コペルニクスの発表から古典力学の完成まで多大の時間を要したように、人間中心の概念が浸透し、人間中心の情報システム学が「学」として体系化する道のりには、険しいものがありました。20年におよぶHIS研究会を経て情報システム学会が設立されたのは2005年のことです。しかし、2007年に発表された、情報システム専門分野の教育カリキュラムJ07-IS策定のベースとなる情報システムの知識体系(ISBOK)においてもまだ、第1章第1節は「コンピュータアーキテクチャ」になっていました。
 このISBOKは、米国の知識体系を参照してつくられたものですが、2004年に起きた六本木ヒルズの回転ドア事故原因と同じ、外国の技術や知識を、本質を理解しないまま導入するという、典型的な誤りが現れています。
 畑村洋太郎氏によると、この回転ドアのオリジナル技術は、ヨーロッパにありました。安全上、回転ドアで本質的に大事なことは、軽くつくり、回転時の慣性力を小さくすることです。しかし六本木ヒルズのケースでは、その本質が十分理解されず、高層ビルの風圧に耐えるため、構造材をオリジナルのアルミから鉄に変更、また見栄えをよくするためステンレスが張られた結果、重量が3倍にも増え、取り返しのつかない事故を起こしてしまいました。
 情報システム学の場合、その基礎はリベラルアーツにあります。欧米ではギリシャ・ローマ時代以来、リベラルアーツ教育の長期にわたる伝統があり、今日でも、初等・中等・高等教育を通じて、わが国よりはるかにレベルの高いリベラルアーツ教育が行われています。米国でISBOKの最初に情報技術が記されていたとしても、それはこのように充実したリベラルアーツ教育を前提にしてのことです。しかし、リベラルアーツ教育がほとんど行なわれていないわが国に、米国の知識体系をそのままコピペして導入したのでは、情報技術の位置づけがまったく異なったものになります。
 情報システムの分野でいかにリベラルアーツが重要か、日本のハイテク産業に衝撃を与えたスティーブ・ジョブズが、「リベラルアーツとテクノロジーの組み合わせが、われわれにiPadをつくらせた」と言っていることが注目されます。天才的とも称されるジョブズですが、実はリベラルアーツとテクノロジーに立脚していると言っているのです。
 わが国では、ソフトウェア、ハードウェアの主要技術のほとんどを欧米から輸入しているだけに、その本質を理解した上でとり入れることに、格段の注意を払う必要があります。

 人間中心の情報システム学において、ベースになるのは、コンピュータアーキテクチャではなく、人間の情報行動です。人間の情報行動の原点の1つではないかと考えられる興味深い事例が、ジャレド・ダイアモンド著(倉骨彰訳)『昨日までの世界』(日本経済新聞出版社)に載っています。この本は、ニューギニアの高地やアマゾンの奥地などで文明以前の生活を送っている人々の問題解決の進め方から、その叡智や反省点を学び、人類の歴史と社会の本質を明らかにしようとしている、ピュリツァー作家の最新作です。
 著者がニューギニアに調査に行って、すぐに気がついたことは、伝統社会の人々がきわめて話し好きなことです。時間さえあれば、ときには夜を徹してでも、話し合いをしています。その内容は、今朝こんなことがあった、だれがいつ何をした、だれがだれについてこんなことを言った、などなど、たわいもない話ばかりです。ときには、あるテーマ、例えば「さつまいも」に関して、話題をあっちにふったり、こっちにふったりしながら、延々と会話を続けることもあります。すなわち、オブジェクト指向です。
 これは彼らが、学校もなく、テレビや新聞などメディアもなく、しかも非常に危険の多い環境の中で生きていくため、自分たちを取り巻く世界に関する情報を少しでも多く交換・共有化し、遭遇する危険に備えようとしてつくった情報システムです。
 これを見ると、例えば粘土板のような最も原始的な情報技術さえ存在しない中でも、情報システムの形成は可能で、それは人間中心であることが分かります。このあと情報システムは、人々の間で時間と空間の壁を乗り越えて情報の交換・共有が可能になるように開発された情報技術の、レベルの向上に対応して、拡張が進められたと考えられます。
 経済活動の原始的な形態は、物々交換とされますが、上に述べたように伝統社会で最も基本的な人間中心の情報システムが形成されていることから、物々交換より先に、情報交換が行われていたのではないかと推察されます。また、情報システムを通じてコミュニケーションが図られることによりコミュニティが形成され、このコミュニティが発展して、(1)環節的分化、(2)成層的分化、(3)機能的分化の各社会が生まれていった可能性があります。情報システムづくりが組織づくりと等価なものとして考えられるゆえんです。

 「新」情報システム学の第2の意味、情報システムとその構築プロセスの「本質」を明らかにして説明することに関しては、工業生産の発展の歴史が参考になります。
 工業生産においては、多くの作業が長年にわたって、熟練した作業者の経験や、いわゆる勘によって行なわれてきましたが、その作業プロセスの本質が理論的に解明され、意味が明らかになったとき、生産性、品質、応用範囲などの飛躍的な向上が実現しました。
 残念ながら、情報システムの構築プロセスに関しては、作業体系は近年非常に整備されてきましたが、その本質について、必ずしも明快な説明がなされていないのが実態です。このため、情報システム産業は、今まで労働集約的と呼ばれるのを避けることができませんでした。
 情報システムの構築プロセスにおいて、本質を説明するとはどういうことなのか、ここでは、画期的と思われる事例を2つ挙げます。
 要求分析技法として構造化分析技法を提案したのは、トム・デマルコです。著書は、専門書としては異例のベストセラーになり、90年代に来日した米国のコンサルタントは、米国のシステム・エンジニアの3分の2は、この技法を用いている、と言っていました。また、当時開発された分析のツールは、ほぼ100%この技法によっていました。
 業務世界を、情報の伝達・処理・蓄積の3つの基本要素に分けてモデリングし、現行物理→現行論理→将来論理→将来物理のように、現行と将来、物理と論理の2次元・4象限にわたって分析を進めていくこの技法は、成果物とプロセスの両面から情報システム開発の構造化を促進した、きわめて優れた技法だったと見なされます。
 ところが意外にも、提唱者のデマルコは、論理モデルの意味が的確には説明できなかったのです。当時有名だったポルノに関する米国最高裁の判決「ポルノを定義することはできないが、見れば分かる」を引用し、デマルコは、「論理モデルを定義することはできないが、見れば分かる」と述べています。デマルコほどのシステム・エンジニアが、経験と勘で論理モデルを取り扱っていたのです。
 しかしさすがに米国です。数年後にはマクメナミンとパルマーが、論理モデルを、物理的な制約条件が存在しないとき、ノータイム・ノーコストで実現が期待されるモデルとして定義、新たに本質モデル、別名完全モデルと命名し、作成手順と基本パタンまで明らかにしました。デマルコも、彼らの業績を高く評価し、絶賛しています。
 マクメナミンとパルマーは、独自にこの定義に到達したと思われますが、実はこの定義は、ナドラーが提唱したワークデザインにおける理想システムと同じです。つまり、構造化分析技法は、制約条件を考慮した、理想に最も近い実現モデルを定義する要求分析技法ということができます。

 情報システム構築プロセスにおける本質の説明で、2つめの事例はプロジェクト管理に関してです。
 プロジェクト管理を説明する体系として、PMBOKがよく知られています。しかし、PMBOKは、プロジェクト管理の業務を、品質などのカテゴリとPDCAサイクルの2次元で整理したWBS(ワークブレイクダウン・ストラクチャ)の体系です。もっと端的に、プロジェクトのパフォーマンスを説明するモデルがないものでしょうか。
 90年代末に発表された電気学会の巨大システム調査専門委員会(高橋勝委員長)の研究結果をもとに、次ページのようなグラフを考えることができます。
 まず、横軸に構築する情報システムの機能あるいはデータなどの要素数をとり、縦軸にその情報システムの複雑さをとります。要素数の増加に対して、複雑さは下が凸の曲線で急激に増えていきます。
 次に、横軸に要員数をとり、縦軸にその要員で発揮できる仕事量をとります。要員数の増加に対してコミュニケーションの必要量が急激に増大するので、発揮できる仕事量は、上が凸の曲線になり、次第に寝てきます。
 この図で、要素数Nの情報システムの複雑さはCになります。複雑さCをこなし得る仕事量Wは、要員数Mによって生み出すことができます。この関係はバランスしていますから、プロジェクトは順調に進んでいきます。
 一方、要素数N'の場合、成果物の複雑さはC'となりますが、この複雑さを処理可能な要員数は求まらない可能性があります。複雑さ曲線は下に凸、仕事量曲線は上に凸ですから、両曲線の交点より要素数の多い場合は、プロジェクトの推進がきわめてむずかしくなり、破たんすることさえあります。
 要素数N'の場合、プロジェクトはどうすれば順調に進むでしょうか。
 第1は、複雑さを減らすことです。要素間の関係を少なくして複雑さを減らすと、複雑さ曲線は下に移動し、交点が右の方に移動します。したがって同じ要素数N'に対してバランスの取れた要員数が求まる可能性が出てきます。
 要素間の関係を少なくする効果的な方法は、モジュール化です。ソフトウェアの場合は、モジュールの凝集度を高め、モジュール間の結合度を減らせばよいということが明らかになっています。モジュール間の結合度を減らすには、互いに内部を隠蔽し、メッセージのみ交換するのがベストです。凝集度を高めるには、当初、機能中心にまとめるのがよいとされていましたが、データ中心の考え方の発展にともない、データと機能をカプセルにしてまとめるのがよしとされるようになりました。すなわち、オブジェクト指向です。今日オブジェクト指向の考え方は、ソフトウェアのみでなく、業務プロセスや経営プロセスのモジュール化にも適用されています。

複雑さ・仕事量と要素数・要員数の関係

 プロジェクトを順調に進める第2の方法は、仕事量曲線を高めることです。それによって交点を右に移動させることができます。
 もともと、仕事量曲線がだんだん寝てきているのは、コミュニケーションロスが増大するからです。したがって、コミュニケーション管理を徹底してコミュニケーションロスを減少させることが、プロジェクトを順調に進める決定的な方法の1つということになります。コミュニケーション管理は、PMBOKのカテゴリに含まれていますが、プロジェクトの成否を分ける重要な意味をもっているのです。
 仕事量曲線を高めるあと1つの方法は、計画段階で能力の高い要員を選定するとともに、プロジェクト開始後、積極的に能力開発をすることです。それによって、仕事量曲線が高まり、破たんしかねないプロジェクトが順調に進むようになります。
 対象となる情報システムの複雑さと要員の発揮できる仕事量のマッチングこそ、プロジェクト管理の要諦です。PMBOKは優れた構造をもったプロジェクト管理の知識体系ですが、複雑さの管理(モジュール化)を新たに加え、(カテゴリはいずれも重要なのですが、その中でも)コミュニケーション管理と能力開発のプロセスに特に着目して実行すると、一段とすばらしいプロジェクト成果を挙げることができます。

 「新」情報システム学の第3の意味は、「サイエンス」と「エンジニアリング」を分けて体系化していくことにあります。
 学問の要件が概念、歴史、理論、実践の方法論にあることは、従来から知られていますが、情報システム学の場合、概念、歴史、基本的な理論の体系化が遅れていました。原因として、歴史的考察が欠如していたことが挙げられます。例えば、情報概念の歴史は、ギリシャ時代の形相やイデア概念にさかのぼることが今日では明らかですが、従来の情報システム学には反映されていませんでした。人間中心の情報システムの概念も、本稿に挙げた『昨日までの世界』のニューギニアの事例にその基本的なモデルの1つが見られますが、従来の情報システム学では、情報技術を用いない情報システムは想定していなかったと思われます。歴史的考察が欠如していたことが、情報や情報システム概念の確立が不十分だった原因になった可能性があります。
 「新」情報システム学では、上記4要件のうち、概念、歴史、基本的な理論を、既存の情報システムとその成立の過程を分析することにより、サイエンスとして体系化します。また、応用的理論と実践の方法論を、エンジニアリングの体系として示します。

 工業の場合、科学の進歩により工学が発展し、工学が新たに直面した課題を科学が分析の対象とすることにより、科学もまた進歩しました。このようにして、工業の飛躍的な発展がもたらされました。情報システムの分野でも、今日このようなスパイラル的な躍進が求められています。
 本プロジェクトに対する学会の皆様方のご支援と、2014年以降、詳説の作成段階で、さらに多くの方々のご参画をお願い申し上げます。

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
 皆様からも、ご意見を頂ければ幸いです。