情報システム学会 メールマガジン 2011.6.25 No.06-03 [9]

連載 情報システムの本質に迫る
第49回 パースの発想法

芳賀 正憲

 元りんけんバンドのメンバで、その後TINGARAを結成、作詞・作曲・ヴォーカル・キーボードと活躍されている米盛つぐみさんが、父君でパースの研究者・裕二氏の最後の著書「アブダクション 仮説と発見の論理」完成の経緯を記したブログには心を打たれます。
 「科学的発見の論理」について書くことを念願とされていた裕二氏は、2007年3月、完成の一歩手前で入院、4月一時退院のとき最終章を書き上げ、その後自宅療養中に「まえがき」を書き終えて全原稿を完成されました。しかし5月以降、急速に病状が悪化して体力も精神力も低下、校正や索引の制作は琉球大学での教え子たちの協力で進められ、9月出版に至ることができたのでした。
 ブログは、その後さらに重篤な症状に陥った父君に病室で付き添い、泣きながら「アブダクション」を読み通したつぐみさんが、難解と思われたこの本が実は音楽家にも数々の啓示を与える感動的な書物であることを、言葉を交わせない父にいつの日か伝えたいと願いながら書かれたものでした。

 アブダクションという言葉を日本人が知ったのは、40余年間で85版を重ねた超ベストセラー、川喜田二郎著「発想法」(中公新書)によるところが大きかったと思われます。この中には、アリストテレスが論理学を、演えき、帰納、アブダクションに3分類したが、その後演えきと帰納のみが発展しアブダクションが埋もれてしまったこと、現代になってパースが弁証法に共感を覚え、それに関連してアブダクションの重要性を主張したことが紹介されています。ここではアブダクションが「モヤモヤとした情報群の中から、明確な概念をつかみ出してくる」という意味で使われています。
 本稿でアブダクションを取り上げたのは、もちろんデミングの管理サイクル(仮説実証法)との関連です。毛沢東の実践論にも見られるような、ある仮説、方策(改善案)、計画をつくったあとは、その実行(実証)プロセスを演えき的に進めていくことができます。結果の判定は帰納的に可能です。しかし、仮説や方策(改善案)、計画自体はどのようにしてつくっていくのか、論理的なプロセスが明確になっていません。ここにアブダクションが位置づけられます。

 米盛裕二著「アブダクション 仮説と発見の論理」(勁草書房)の「まえがき」では、米盛氏が先に「パースの記号学」を上梓されたとき、情報処理学会、ファジー学会、人工知能学会等のコンピュータ科学者から講演などの依頼が多く寄せられ、彼らとのディスカッションを通じて学ぶ点が多かったと書かれています。哲学者に示唆を与えることのできるような問題意識をもった他学会の方々とは、情報システム学会が新しい情報システム学の体系化を進める上でも交流を深めていきたいものです。
 川喜田氏の著書にもありましたが、論理学では従来、厳密な推論のみを論理的な推論と見なして研究が進められる傾向がありました。しかし、コンピュータ科学者の中には、むしろ厳密でない推論の中に人間の創造的思考の特質を見出そうとしている人たちがいました。かねてから同じ考え方をもっていた米盛氏が注目したのが、パースの演えき・帰納・アブダクションの3分法であり、特にその中でも創造的思考に重要な役割を果たすアブダクションでした。そこで米盛氏は、パースの著作をもとに、自らの所見を加えて同書をまとめられたのでした。以下に米盛氏の著書を参考にして、パースがアブダクションの論理学をどのようにアブダクトしたのか見ていきます。

 上に述べたように、厳密な推論をめざして研究した結果、論理学は数学に限りなく接近し、ついには数学と論理学の間に本質的なちがいはないとまで言われるようになりました。これに対してパースは、そのような「論理学の常識」とは異なる両者の明確な区別を提示しています。パースによると、数学と論理学では仕事の内容がまったく異なっていて、数学の仕事は推論を実行することであり、一方論理学の仕事は、推論について研究をすることです。
 あらゆる経験諸科学についても同じことが言えます。科学者の仕事は推論を実行することであり、そのためには科学的探究において、どのように推論が行なわれるべきかの研究が必要です。数学において対応する論理は演えきです。しかし、科学的探究では、演えきのほか帰納、類推(帰納の1種)、仮説形成など、今まで厳密でないと考えられてきた、人間による多様な推論が用いられます。
 ここで演えきはギリシャ時代、アリストテレスによって創設されました。帰納は、ベーコンやミルなどによって確立されています。第3の推論、仮説形成(アブダクション)の論理学を創設したのがパースということになります。
 ある学者は、演えき中心の思考法を「論証の論理学」と呼び、パースの創設した仮説形成(アブダクション)中心の思考法を「探求の論理学」と呼んでいます。探求の論理学は、諸問題の解決、疑問への解答、発見、新しい知識の獲得など、重要な成果を上げるために用いられます。科学の諸概念は、すべてアブダクションによってもたらされると考えることができます。論証の論理学と探求の論理学は、それぞれ思考の静力学、動力学に例えられています。
 科学的な探求において演えきは、アブダクションによって提案された仮説や理論から、実験観察可能などんな諸帰結や予測が必然的あるいは高い確率で導かれるか分析して示すことにより、アブダクションと、仮説や理論を実験的に検証する帰納との間の仲介をします。

 人工知能の研究者も、帰納や仮説形成など厳密でない推論を人間の重要な思考プロセスとして着目しています。このとき彼らは、認知や思考の心理学など経験科学に依拠しながら研究を進めています。厳密でない推論を人間の重要な思考プロセスと考える点はパースも同じですが、パースは論理学を規範科学と考えました。論理学が依拠すべきは経験ではなく、同じ規範科学である倫理学であり、彼は論理学を、諸問題を解決したり、発見したり、新しい知識を獲得するために、われわれはいかに意識的に熟慮して自己統制的に思考「すべきか」の理論と考えました。

 パースの論理学で、推論は分析的推論と拡張的推論に分けられます。分析的推論は演えきで、推論の内部における前提と結論の論理的な関係の分析のみに関わり、外的な経験から独立して成り立っています。真なる前提から必然的に真なる結論が導かれますが、前提の内容を超えた知識の拡張はありません。
 拡張的推論は経験にもとづく推論で、これには帰納とアブダクションがあります。知識や情報を拡張するために用いられます。
 帰納では、ある部分に関する既知の情報から、その部分が属するクラス全体について新たな情報を導き出します。帰納により、部分から全体へ、特殊から普遍へ知識を拡張します。拡張的推論は必ずしも、いつも正しいとは限りません。
 同じ拡張的推論でも、帰納とアブダクションは異なった推論です。例えばニュートンの万有引力のような直接的観察が不可能な概念は、いくら物が落ちるのを見ても、アブダクションによらなければ帰納では発見できません。
 科学的な発見を、「ということの発見」と「なぜかの発見」に分け、後者を本来の科学的発見とする見方があります。これによると、ケプラーが「惑星は太陽を1つの焦点とする楕円軌道上を運動する」「ということ」を発見したのは、なぜこのような運動をするかをニュートンの法則の発見まで待たなければならなかったため、単に惑星の運動の経験的規則性を述べたに過ぎないように思われます。しかしケプラーの発見は、円運動を絶対的原理と考えていたそれまでの宇宙観を打破する画期的な法則の提示であり、まぎれもなく帰納ではなく、アブダクションによってもたらされたものです。ケプラーは、20年にわたって仮説を立てたり修正を続けて、ティコ・ブラーエの観察データからこの法則を導き出しました。
 パースは、アブダクションの別名として、リトロダクションという言葉をよく使っています。結果から原因へ、あるいは観察データからそれらのデータを的確に説明できる法則や理論へ遡及推論することです。パースはケプラーの周到な思索と推論について、「これはいまだかつて行なわれたことのない遡及推論の最も偉大な成果である」と述べています。

 年金問題や原発事故など、社会的に大きな影響を及ぼす問題を調査すると、マスコミでも国会でも、例えば社会保険庁に対してシステム開発業者、現内閣の初動対応に対して旧政権の監督行政のように、表面から見えにくい、しかし重要なプロセスが議論されることがきわめて少ないことに気がつきます。わが国で歴史的に科学的法則の発見が少なかったことと相俟って、今まで社会全体にリトロダクションの思考習慣が少なかったのではないかということが窺われます。

 ほとんどの学者が、科学的発見の思考プロセスについてあまり考えず、それは幸運な偶然の思いつきやひらめきによるものと考える傾向がありました。それに対してパースは、偶然に見えるひらめきなどのアブダクティブな洞察力が、実は人類進化の過程の中で自然に適応するために人間精神に備わるようになった「自然について正しく推測する本能的能力」であり、人間精神の合自然的(合理的)働きであるという見方を示しています。

 アブダクションは第一義的に、何か問題に直面したとき、その原因を説明する仮説を形成する推論ですが、その形式をパースは次のように定式化しています。
  ・驚くべき事実Cが観察される。
  ・しかし、もしHが真であれば、Cは当然の事柄であろう。
  ・よってHが真であると考えるべき理由がある。
 例えば陸地のずっと内側で、魚の化石が発見されたとします。これは驚くべきことですが、この一帯の陸地がかつては海で隆起したと考えると、魚の化石が出てきたことは不思議ではありません。したがって、この一帯の陸地がかつて海だったという仮説は、きわめて理にかなっていると考えられます。
 この推論は演えき的に考えると、「逆は必ずしも正しくない」という、いわゆる後件肯定の誤りをおかしています。その意味で、アブダクションの論証力は弱いと言えます。しかし新しい知識を導く創造的な目的にとって、もともと知識の拡張の期待できない演えきによる妥当性を問うことは意味のないことです。創造的な目的に対しては、アブダクションは、明確な根拠をもち、意識的に熟慮して行なわれる、論理的にも統制された推論と言えるのです。

 パースは、アブダクションを2段階のプロセスで考えました。第1段階では、考えられる説明仮説を思いつくままに列挙します。ここでは直観力や洞察力、ひらめきなども大きな役割を果たします。長らくビジネスの分野でも使われているブレインストーミングやそれに類する技法が、いかに重要なツールであるかが分かります。第2段階で、熟慮し最も正しいと考えられる説明仮説を選び出します。このとき選定の基準になるのは、もっともらしさ、実験的な検証の可能性、単純性、実験のコストパフォーマンスなどです。
 ここでは直観力などに依存する第1段階の列挙プロセスが、論理的と言えるかどうかが問題ですが、先にも述べたようにパースは、進化の過程で人間に備わった「自然について正しく推測する本能的能力」にもとづいているので、合自然的(合理的)であると言っています。さらにパースは、有限回の推測で正しい仮説を発見できるという(驚くべき)事実からも、人間精神は真理と親近性をもっていて、これがあらゆるアブダクションの根底にある基本的な前提であると主張しています。この考え方を補強する、著名な動物学者・コンラート・ローレンツの次の記述があります。「人間の理性は、それが備えているあらゆる直観の形式やカテゴリーを含めて、人間の頭脳と全く同じように、自分をとりまく自然の諸法則との絶え間ない相互作用の中で有機的に形成されてきたもの(である)。」

 帰納とアブダクションはどうちがうのか、アブダクションは帰納の1種と説く人もいるので、パースはその相異点を明らかにしています。
 まず、演えきも含めて、3つの論理の形式のちがいは次のように示されます。
 演えき ・この袋の豆は、すべて白い
     ・これらの豆は、この袋の豆である
     ・ゆえに、これらの豆は白い
 帰納  ・これらの豆は、この袋の豆である
     ・これらの豆は、白い
     ・ゆえに、この袋の豆はすべて白い
 アブダクション
     ・この袋の豆は、すべて白い
     ・これらの豆は、白い
     ・ゆえに、これらの豆はこの袋の豆である

 帰納とアブダクションの相異点を、パースは4つ挙げています。

(1)帰納の方がアブダクションより、推論として強力
(2)帰納は、ある1群の事実から同種の他の1群の事実を推論する(サンプルとクラス全体で同じ事実がある)。
アブダクションは、ある1種類の事実から、別の種類の事実を推論する(天王星の軌道が計算と異なることから、海王星の存在を発見)。非常にしばしば、直接観察のできない事実を推論する(万有引力など)。
(3)生理学的な相異
帰納は、思想の習慣的要素(規則・法則・一般性)を生みだす。
アブダクションは、思想の感覚的要素を生みだす。
パースは、「オーケストラの種々の楽器から発するさまざまな音が耳を打つと、その結果、楽器の音そのものとはまったくちがう、ある種の音楽的情態が生ずる。この情態は本質的に仮説的推論と同じ性格のものであり、すべての仮説的推論はこの種の情態の形成を含んでいる」と述べています。米盛つぐみさんが、最も啓示を受けた記述です。
(4)学問の分類
帰納は分類的諸科学、アブダクションは理論的諸科学に対応している。

 パースは演えき論理学の分野で先駆的な仕事をし、現代の記号論理学の創設者の1人です。また帰納の論理学についても、独創的な思想を多数発表しています。その上にアブダクションという第3の推論概念を提唱し、アブダクションを中心に、新しい論理学の体系を築き上げました。まさにアリストテレス以来の大哲学者と言っても過言ではありません。彼によって私たちは、仮説実証法(PDCA)の論理学による完全な裏付けを得ることができました。
 しかしアブダクション中心の論理サイクルを回していくためには、パースによるアブダクションの定式化の冒頭にあるように、何よりもまず「驚くこと」、問題意識をもつことが重要でしょう。その上で、ブレインストーミングあるいはそれに類する技法を駆使してアブダクションの第1・第2段階を実践していくことになりますが、このプロセスは、思考レベルでの仮説実証法(PDCA)のウォークスルーと見ることができます。

 パースと米盛氏によって、人間の進化の歴史も背景にして、情報システムの本質モデルのベースになる仮説実証法(PDCA)の論理プロセスが明確になったのは、情報システム学の体系化にとって大きな前進です。

この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
皆様からもご意見を頂ければ幸いです。