情報システム学会 メールマガジン 2011.5.25 No.06-02 [7]

連載 オブジェクト指向と哲学
第5回 徳とは何か - 分類と分解で考える

河合 昭男

 マイケル・サンデル教授のハーバード大学白熱教室は、続々と出版されてきた著書やTV出演でおなじみになってきました。「正義とは何か」が基本テーマになっていますが、このようなブームが今突然湧き上がってきたのはなぜでしょうか。皆が潜在的に疑問に思っていたことをわかりやすい日常の言葉で、対話形式で議論を進めた。それは正にソクラテスの手法です。
 これは古来存在論・認識論と並ぶ哲学の主要テーマのひとつです。プラトンの著作でソクラテスは何度も「徳とは何か」を対話のテーマとしてとりあげています。また、アリストテレスは「善」とは何か、最高善たる幸福とは何かを探究しています。徳や善と正義はどのような関係があるのでしょうか?
 今回はオブジェクト指向とも密接な関係のある「分類と分解」のケーススタディとして、ソクラテスの「徳とは何か」をテーマとした対話を題材にして、UMLでモデリングしながら考えてみたいと思います。UMLでは分類は汎化関係、分解は集約またはコンポジションで表します。その説明は拙著[2]に譲ります。

 多くの哲学書の翻訳書は独特の用語がちりばめられ、日本語訳も大変だと思いますが、一般読者にはほとんど読めません。ところがプラトンの著作は読みやすいです。それは内容がソクラテスと誰かとの日常的な会話体だからです。哲学専門用語はでてきません。今回引用するプロタゴラス[1]から抜粋すると、例えばこんな感じです。(読みやすさを考慮して、省略や若干の変更があります)

プロタゴラス-ソフィストたち[1]
 昨夜のことだ。まだ夜もあけやらぬころというのに、ヒッポクラテスが杖で戸をひどくたたいていた。誰かが戸をあけてやると、すぐに息せき切ってかけこんできて
 「ソクラテス、目をさましていらっしゃるのですか、眠っていらっしゃるのですか」と大声で言う。ぼくはその声で彼だとわかったので言った。
 「ヒッポクラテスだな。何か変わったしらせでもあるのではなかろうね」
 「いえいえ、よいしらせのほかに何がありましょう!」
 「それはよかった。しかし何だね、そのしらせというのは?それに、なんのためにこんな時刻にやってきたのかね?」
 「プロタゴラスが来たのです」と彼はぼくのそばに立って言った。[1]p11-12

 早朝、人がまだ寝ているベッドまで駆け込んでくる位の一大ニュースです。当時プロタゴラスはそれ程の超有名人でした。しかし、なぜ彼はそんなに有名人だったのでしょう?

 「ちょっと聞くが」とぼくは言った。「ヒッポクラテス、君はいまプロタゴラスのところへ出かけて、君自身のために報酬として金を払おうとしているわけだが、いったい君は、自分がこれから行こうとしている人物がどういう人だと考え、また、自分が何になろうというつもりで行くのかね?」[1]p15

 しかし、プロタゴラスは何でそんなに有名なのかヒッポクラテスも実のところ分かっていません。
 やがてソクラテスとプロタゴラスの対話が始まります。大金を払ってプロタゴラスの弟子になると、「国家に有用な徳を備えた人になれる。正義や節制や敬虔(けいけん)やすべてこれらのものは、一括して徳というある一つのものである」というのがプロタゴラスの主張です。

徳とは何か?
「いったい、徳というものはある一つのものでありながら、他方しかし、それを構成するさまざまな部分として、正義とか節制とか敬虔とかいったものが、別々に分かれているのでしょうか、それとも、私がいま挙げたこれらすべてのものは、まったく同一のものにつけられたさまざまの名前にすぎないのでしょうか?この点を私は、もっと知りたいと思うのです」
プロタゴラスは言った、
「いや、ソクラテス、そんなことなら、答えるのはわけはない。徳とは一つのものであって、君がたずねているものは、それの部分をなすものなのだ」
「その部分というのは、どちらの意味なのでしょうか。たとえば、口とか鼻とか目とか耳とかいった顔の部分が部分であるという意味なのでしょうか。それとも、金塊の部分のように、大きいか小さいかという違いのほかは、部分どうしをくらべても、部分と全体をくらべても、互いにすこしも異ならないものなのでしょうか」[1]p64-65

コンポジション
 全体と部分はUMLではコンポジションで表します。「口・鼻・目・耳は顔の部品である」ことをモデリングすると、次のようになります。

口・鼻・目・耳は顔の部品である

「それは前者のような意味だと私には思えるね、ソクラテス。ちょうど顔のいろいろな部分と顔全体との関係と同じようなぐあいなのだ」[1]p65

ならばつぎのように表すことができます。

正義・節制・敬虔は徳の部品である

「では」とぼくは言った。「人間がこれらの徳の部分を分け持つ場合にも、ある人はこれを、ある人はこれをというように、それぞれ別のものをもつのでしょうか。それとも、ひとがその一つを身につければ、それにともなって必ず全部をいっしょにもつことになるのでしょうか」[1]p65

「人が徳を持つ、つまり徳は人の持つ特性である」を、上のモデルに追加します。

人が徳を持つ

「いや、けっしてそんなことはない」と彼は答えた。「勇気はあるが不正な人間だという者もたくさんいるし、他方また、正義の人ではあるが知恵がないという者もたくさんいるのだから」
「すると、それらもまた徳の部分をなすものだというわけですね」とぼくは言った、「知恵と勇気も」
「むろんそうだとも」と彼は言った、「とくに知恵は、数ある徳の部分のなかでも最も重要なものだ」[1]p65

 上のモデルに知恵・勇気を追加します。

知恵・勇気を追加

 しかしこのモデルは何か変です。「勇気はあるが不正な人」「正義の人である知恵がない人」など徳の要素が欠けている人も徳ある人になってしまいます。

 そもそもこの議論のスタートは「正義や節制や敬虔やすべてこれらのものは、一括して徳というある一つのものである」を、それぞれを徳を構成する要素であると考え、それを顔の構成要素と同じと考えて議論を進めた結果このようになってしまった。

汎化関係
 次のような考え方もある。「正義や節制や敬虔などの特性をすべて分け持つものが徳である」−これはUMLでは汎化関係で表現することができる。多重継承になります。

汎化関係で表現

 徳ある人は次のモデルのように、「この5つの要素をすべて分け持つ徳を持つ」と表すことができます。

徳ある人

「勇気はあるが不正な人」「正義の人である知恵がない人」など徳の要素が欠けている人は次のモデルのように徳ある人にはなりません。

勇気はあるが不正な人・正義の人である知恵がない人

「分類と分解」は概念を整理するための強力な手法です。UMLでは分類は汎化関係、分解は集約またはコンポジションで表すことができます。今回はそのケーススタディとして「徳とは何か?」の議論をとりあげました。次回はこの続きをもう少し考えてみたいと思います。よろしくお願いします。
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[1]プラトン著、藤沢令夫訳「プロタゴラス」岩波文庫、1988
[2]河合昭男「ゼロからわかるUML超入門」技術評論社、2010


ODL ObjectDesignLaboratory,Inc. Akio Kawai