情報システム学会 メールマガジン 2010.6.25 No.05-03 [10]

連載 情報システムの本質に迫る
第37回 ギリシャ問題の情報システム学

芳賀 正憲

 ギリシャは過去、プラトンやアリストテレス、言語技術の祖ともいうべきイソクラテスなどを輩出し、世界の知の発祥地となりましたが、今日、巨額の財政赤字と経済の低迷により、サブプライム問題に加えて世界的な金融危機の震源地の1つになっています。
 発端となったのは、昨年秋の政権交代です。前政権の統計処理の不備が明らかになり、2009年の財政赤字見通しが、GDP比3.7%から実に12.7%に(さらに本年4月には13.6%に)大幅修正になりました。財政赤字を、GDP比3%以内にとどめるというEUの基準に、大きく違背していたにもかかわらず、その情報が市場から見えない状態になっていたのです。本年2月には、ユーロ参加に際しEU基準に近づけるため、多額の債務を金融機関との間で簿外取引にして隠していたことも発覚しました。
 結果としてユーロは暴落、ギリシャ国債は格下げとなり、EUやIMFによる支援が開始されたにもかかわらず、他の南欧諸国も含めて、デフォルト(債務不履行)の懸念が払しょくされていません。

 今までこの連載では、経済の低迷や金融危機の問題構造を2つの側面から述べてきました。
 1つは、社会主義体制下における経済の低迷です。その原因として次のことが考えられます。第1に、社会主義国では、中央政府が国全体の経済の計画と管理を行なうことになっていますが、少なくとも20世紀の半ば以降、人口の多い国では、管理項目数が天文学的な値になっていて、人間の認知・管理能力の限界を超えていました。第2には、社会主義体制の下、働く人全員が"公務員セクター"に置かれることになったのですが、そのことによって生じる、問題解決に取り組むモラルの低下です。公務員セクターがいかにPDCAを回していくことに不作為となるか、わが国の最近の事業仕分けで挙げられた例を見てもよく分かります。
 社会主義体制下における経済の低迷は、凝集度を高く連結度を低くすべきという、情報システムにおけるモジュール設計の原則からも説明できます。ある経済主体に関して、そのコントロール機能は、中央政府など上部機関と主体自身に分けもたれていますが、当然上部側の規制が強く、そのため機能の凝集度が低くなっています。一方、中央政府の計画により、各経済主体は強く結びつけられていて、連結度は高くなっています。

 経済の低迷や金融危機の問題構造の2つ目は、サブプライムローンに関わるものです。
 米国では、もともと銀行など単一の主体で行なっていたローンの機能を、契約の取り次ぎから資金の拠出まで、ブローカー、銀行など金融機関、証券会社、モノライン(保険会社)、格付け会社、投資家、SIV(金融機関が投資資産を簿外とするためのペーパー会社)など、7つものモジュールに分けて実現することにしました。そのため最終的に資金を拠出する投資家にとって、証券化のプロセスや、最上流のブローカー・金融機関が進めているローンの実態が見えなくなってしまいました。
 一方、ブローカー・金融機関では、ローンの実態が後工程から見えないのをよいことに、金融知識に乏しく貧しい人の多いサブプライム層を対象に、略奪的・詐欺的とも称される契約を結び、そのようにして得られたリスクの高い債権を証券会社に流していました。証券会社ではそれら債権を組み合わせて新たな証券を作り上げ、格付け会社から高い格付けを取得した上で投資家に販売していたのです。すなわち、サブプライム問題においても、社会主義経済が低迷したのとまったく同様に、プロセスの複雑さが(特に投資家にとって)人間の認知・管理能力の限界を超えていたこと、(ローンや証券化の)現場でモラルハザードが起きていたことが破たんの原因になったのです。
 サブプライム問題の場合、もともと銀行など単一の主体に凝集していたローン機能を7つに分けたため、各モジュールの凝集度が著しく低くなり、一方、すべてのモジュールが住宅ローンという共通のオブジェクトを受け渡したり、支払を保証したり格付けしたりしているため、その連結度が非常に高いものになりました。
 つまるところ、情報システムにおけるモジュール設計の原則に反して最悪の組織構造をつくってしまったため、そのプロセスの複雑さが人間の認知・管理能力の限界を超え、現場でモラルハザードを起こし、経済全体を破たんさせてしまったというメカニズムは、社会主義体制とサブプライム問題で共通であったと言えます。

 ギリシャ問題についても、上記と類似の構造が見受けられます。
 第1に、冒頭に記したとおり、GDP比13.6%だった財政赤字が、わずか数か月前まで3.7%と発表されていたように、問題の深刻さが市場から認知できない状態になっていました。第2には、公務員セクターのモラルハザードです。そして第3は、ギリシャ問題においても、情報システムにおけるモジュール設計の原則に反して、凝集度が低く連結度の高い、経済のコントロール構造ができていたことです。

 ギリシャの公務員セクターの実態については、すでに多くの報道がなされています。
 大和総研が2005年に出した調査報告によれば、一般政府支払い雇用者報酬の全雇用者報酬比は、OECDの調査対象27カ国の中で日本が最下位の12%程度であるのに対して、ギリシャは断トツの1位で36%に達していました。人件費から見て、公務員セクターが極端に大きい国なのです。慶應義塾大学・白井さゆり教授のお話によると、民間を含めて労働組合が強く、2008年から2009年のリーマンショックによる不況時においてさえ、5%の賃上げを獲得しました(このときドイツはマイナス1%)。年金の給付水準もきわめて高く、平均給与に対する比率が90%を超えていて、55歳から受給が可能です(ドイツの場合、それぞれ40%、63歳)。
 驚くべきは脱税率の高さで、医師や商店などから領収書を受け取らなければ支払いをまけてもらうことができ、また役人にわいろを贈ることにより税金の減免が可能です。このようにして脱税される総額は、GDPの1割を超えているという報道もあります。1割というのは、それだけで2009年の財政赤字が補てんできる数字です。モラルハザードもきわまったというべきでしょう。

 ユーロ参加国をモジュールとして見るとき、凝集度の低さと連結度の高さは次のようにしてもたらされました。
 参加国の間では、共通の通貨ユーロを使用し、共通の金利が適用されます。一国の経済政策としては、財政と金融の両政策を協調させて実行することが必要ですが、国として財政政策は実行できても、金融政策は欧州中央銀行という別モジュールが担っています。したがって、経済政策の実行機能に関して、国における凝集度が決定的に不足しています。
 しかも、GDPに対する財政赤字は3%が上限、GDPに対する政府債務は60%が上限(または満足のいくペースで同比率に近づいていること)などの基準が決められていますから、財政政策に関してもまったくの自由というわけではないのです。つまるところ、参加国の間は、共通の通貨、共通の金利、共通の財政基準で結びつけられており、モジュール間の結合度もまた著しく高いものになっています。
 現実には、それぞれの国に生産性のレベルや労働組合の強さなどの事情があるため、財政基準を守るのは容易ではなく、例えばギリシャの場合、公表された数字で見ても、2001年のユーロ参加以来、基準が守れたことは1度しかなく、2004年には財政赤字がGDP比7.5%に及んでいます。統計処理に不備があったことを考慮すると、実際の数字はもっと悪かったかも知れません。

 異なった生産性のレベルとインフレ率をもった多数の国が、共通の通貨をもち、共通の金利のもとで経済活動を行なうのは大変なことです。ユーロの価値は、生産性が高くインフレ率の低い、例えばドイツにとっては安すぎ、生産性が低くインフレ率の高い、例えばギリシャにとっては高すぎる可能性があります。共通の金利が、例えばドイツにとって高すぎ、ギリシャにとって低すぎることがあり得ます。

 今回のギリシャ問題の対策としては、5月初めにEUとIMFが、今後3年間、1100億ユーロの支援を発表、第1回の投入も行なわれ、5月の国債償還時に懸念されたデフォルトを回避することができました。政府による付加価値税などの増税策や、賃金や年金支給額の引き下げなど歳出削減策も講じられ、4年後には財政赤字をEU基準の、GDP比3%以内に収めようとしていますが、金融政策がとれない中での10%を超える赤字(日本なら50兆円にも相当)削減は非常に厳しく、今後3年間はマイナス成長が続き、失業率も2012年には14.8%まで増加する見込みです。国民がこのような財政再建策に耐えられるかという問題も生じてきます。

 ギリシャ問題が深刻なのは、国債・金融債など巨額の債権が、ドイツ・フランスなどEU諸国の金融機関によって保有されていることです。その上、ギリシャだけでなく他の南欧諸国も同様の財政赤字問題を抱えており、それらの国に対する債権も、当事国を含めてEU諸国により持ち合い状態になっています。さらにヨーロッパ諸国には、米国から1.2兆ドルにおよぶ資金が投じられています。ギリシャ、さらには他の南欧諸国に財政破たんが発生することが、金融のネットワークを通じて、いかに重大な危機をもたらす可能性をもっているかが分かります。

 各国(モジュール)の凝集度の低さと結合度の高さが、危機に対して1つの大きな要因になっているのですから、その中でパフォーマンスに顕著なちがいのある国、例えばドイツあるいはギリシャを切り離すことを考えたらどうでしょうか。これに対して慶應大学・白井教授は、前者の場合マルクの急上昇、後者の場合ドラクマ(通貨)の暴落が生じ、いずれも現実にはあり得ない、むしろEUの歴史を見ると、諸国の間に矛盾や対立はあるが連帯感もまた強く、苦しい中で協調の努力をしていくだろう、と見解を述べられています。
 ギリシャの場合、支援が得られたとしても、凝集度と結合度の構造に決定的な問題点をもち、脱税が横行し生産性の向上率より高い賃金上昇率を求める組織文化がある中で、デフォルトを回避し財政再建を果たしていくことは、綱渡りのような厳しい道のりであるように思われます。

 ひるがえってわが国を見ると、経常収支が黒字で国債のほとんどが国内で消化されているという、ギリシャとは異なった条件はありますが、メルマガの3月号で述べたように、歳出92兆円に対して税収見込み37兆円、長期債務GDP比180%強(ギリシャ130%強)という数字が深刻な値であることに変わりありません。
 この問題に対して菅直人・新首相は、「強い経済、強い財政、強い社会保障」の一体的実現により解決することを主張しています。強い経済が成長戦略を、強い財政が税制改革による増税を念頭に置いていることは言うまでもありません。
 ここでポイントは、増税しても、それを雇用や需要の創出に向ければ成長は実現できるという菅氏の考え方にあります。菅氏は、公共事業による田中角栄型の第1の道、規制緩和による小泉・竹中型の第2の道をいずれも失敗であったとし、新たな政策を第3の道と名づけています。これに対してはエコノミストなどから、「医療や介護などの分野は、政府支出より、規制緩和などで民間に任せた方が成長につながる」などの反論が出てきています(日経新聞6月5日)。
 しかし、小さな政府と規制緩和の考え方が、いかに凝集度が低く結合度が高い組織構造を作り上げ、サブプライム問題のように、モラルハザードと人間の認知・管理能力の限界を超える経済状況を生じさせたかを考えると、エコノミストの反論にもいちがいには承服できません。
 もちろん、社会主義的な大きな政府が問題を起こすことは、前述したとおりであり、だからこそ第3の道を見出す必要性があると考えられます。

 すでにメルマガの3月号で述べましたが、北欧の各国は、国民負担率はわが国に比し5割以上高いですが、財政は健全であり、高福祉で教育水準も高く、いずれの国も国際競争力、一人当たりGDP、それに最近調査されるようになった「国民幸福度」まで、わが国をはるかに凌駕しています。北欧諸国は、今後国のかたちの、少なくともベンチマーキングの対象にはしていくべきでしょう。

 経済のコントロールシステムの設計は、その管理対象が、組織体制や人材、技術、文化にいたるまで多岐にわたり、総合的な専門能力を必要としますから、現在の政治家やエコノミストの必ずしもよくするところではありません。優れた設計を進めていくために、情報システムの専門家が積極的に参画すべき領域と思われます。

参考:白井さゆりほか 一橋大学シンポジウム「危機の中のユーロ」
白井さゆりほか テレビ東京「モーニングサテライト」(Web)

 この連載では、情報と情報システムの本質に関わるトピックを取り上げていきます。
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